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島袋源七

島袋源七 略年譜
1897年(明治30年)
  6月11日、沖縄県国頭郡今帰仁間切(村)勢理客に生まれる。
1917年(大正6年)20才
  3月、沖縄県立師範学校卒業
  4月、北玉尋常小学校を皮切りに、辺野喜、喜如嘉、稲嶺各校を歴任する。
1921年(大正10年)24才
  折口信夫が来県したさいに国頭地方を案内。このとき折口に啓発され、以後、精力的に山原(国頭地方)の民俗調査を行う。ウンジャミ・シヌグなどの祭祀習俗を詳細に記録。
1922年(大正11年)25才
  柳田国男が組織し多くの民俗・民族・言語学者が参加した南島談話会が創立。創立当初からの会員となる。他に折口信夫、伊波普猷、比嘉春潮、仲原善忠、金城朝永、宮良当壮、仲宗根政善らが会員として名をつらねており、多くの会員との親交・知遇を受ける。
1925年(大正14年)28才
  『山原の土俗』と題して民俗誌をまとめる。
1927年(昭和2年)30才
  上京、杜松小学校に勤務するかたわら立正大学高等師範部地歴科に学ぶ。
1929年(昭和4年)32才
  『山原の土俗』が炉辺叢書の1冊として郷土研究社から出版される。
1931年(昭和6年)34才
  3月、立正大学高等師範部地歴科卒業
1934年(昭和9年)37才
  立正中学校(旧制)に勤務。
1937年(昭和12年)40才
  『今帰仁を中心とした地名の1考察』(「南島論叢)」 
1947年(昭和22年)50才
  立正高等学校(新制)兼任。その後、教頭として勤務する。   
  8月、沖縄人連盟内に沖縄文化協会成立。仲原善忠、宮良当壮、比嘉春潮、金城朝永、島袋盛敏、崎濱秀明氏らとおもろ研究会を持つ(戦前からの研究会の復活)。
  12月、「阿児奈波の人々」(「沖縄文化叢説」)
1948年(昭和23年)51才
  9月、沖縄文化協会が組織再編成し、新たに発足。   11月、会報「沖縄文化」創刊。  
1950年(昭和25年)53才
  『沖縄の民俗と信仰』(「民族学研究」15巻2号)  
1952年(昭和27)55才
  ウイーンの世界民俗研究学会より発表の招待を受く。
  8月、『沖縄の古神道』を集大成するため、50日余沖縄本島を始め離島各地を踏査する。その折りの疲労が重なり病床に伏す。
1953年(昭和28年)55才
  1月15日、昭和医大病院にて気管支喘息心臓麻痺のため逝去。
  1月28日、立正大学にて学校葬  (→琉大図書館)