かつての京都沖縄青年会同志・中根修氏







右が当真嗣一氏(『沖縄のグスクめぐり』当真嗣一監修、2001年、むぎ社)と西村貞雄氏

1976年3月 沖縄の雑誌『青い海』51号 当真嗣一「本部の貝塚時代とその周辺」



□2013年7月12日『週刊金曜日』島田健弘「頻発するメディア幹部と安倍首相の会食・会談ー記者の筆がにぶらないわけがない」で示されるようにネットでは「NHKマスゴミ」「ネトウヨ 百田尚樹」「ワタミ ブラック」などが飛び交っている。その中で「嫌中・嫌韓」は「在日人脈と安倍」とも絡んで目立っている。こういったものは匿名なので信頼性に疑問があるが「マンガ」「タレントグラビア」と同様に読み捨てのものと考えてよい。2014年5月『琉球新報』「岐路の憲法ーかすみゆく未来図」に雑誌が「嫌中・嫌韓」特集が目立ってきたという。その中で「タブーに切り込む」が売りの月刊『宝島』が世の雑誌の嫌韓特集に遅れ馳せながら昨年メーン特集で「嫌韓」を組み売り上げを伸ばしているという。ますます新聞雑誌が消える未来図がたち現れてくる。



同時期開催/6月3日~8日 西村貞雄主催「復元のあゆみー琉球王朝造形文化の独自性を求めてー」

2014年6月5日『琉球新報』





2014年6月5日ー写真左から伊佐眞一氏①、西村貞雄氏、亀島靖氏



2014年6月6日

『滋賀報知新聞』琉球・沖縄 復帰37年の集い平成21年5月25日(月) =近現代史学ぶ=
◇甲賀・湖南市
 琉球・沖縄「復帰37年」のつどいがさきごろ、湖南市中央一丁目の中央まちづくりセンターで開かれ、約三十人が参加した。いちゃり場・沖縄(湖南市平松、沖縄県人会内)の主催。平和祈念と琉球・沖縄史などをテーマに、沖縄本土復帰記念日(昭和四十七年五月十五日)の前後に催されているもの。開会のあいさつで事務局が「五月十五日は、沖縄の人々が日本人になったり、琉球人になったりして、いろんな思いを描く時期」と話した後、終戦直後の沖縄を描いた映画「マブイ(沖縄地方で魂を意味する)」が上映され、今もなお日米間で揺れる沖縄の現実が参加者の胸に迫った。これに続いて、沖縄近現代史を研究する①伊佐眞一氏(琉球大学大学院勤務)が講演し、明治国家に組み込まれた琉球処分(明治十二年)について、県外者が行政機構を占めたことや土地・租税制度の大きな転換により「地元の人が経済的、行政的勢力を持ち得なくなった」と指摘した。また、当時の県政改善運動を進めた中心人物として、謝花昇(じゃばな・のぼる)を挙げて「生きている内に(志を)達成しなかったが、大事な仕事の先駆けをした」と紹介した。


1990年4月17日『沖縄タイムス』/1989年7月25日『琉球新報』

同時期開催/6月3日~8日 西村貞雄主催「復元のあゆみー琉球王朝造形文化の独自性を求めてー」



沖縄県那覇市にある拝所(うがんじゅ)の石門。首里城の守礼門と歓会門の中間にあり、石門と後方の山地を総称して園比屋武御岳という。石門は永正16年(1519)に建立。昭和8年(1933)国宝に指定されたが、沖縄戦の戦禍を被り大破した。戦後、修復され、昭和47年(1972)重要文化財。平成12年(2000)「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。→g辞書
戦後最初は山田真山により修復されたが、後に西村貞雄によって修復された。











当宮は琉球八社と呼ばれた由緒ある社の一つです。社号は琉球神道記(一六〇八年)には「尸棄那権現」、琉球国由来記(一七一三年)には「姑射山権現」と記されています。尚、前者には「縁起亦明ナラズ。熊野神ト見ヘタリ。石窟惟霊地也」と祭神のことが記されています。さらに近世沖縄における熊野三山、いわゆる権現信仰としては末吉宮は熊野新宮に、普天満宮は熊野那智(飛龍)に、識名宮は熊野本宮に見立てて信仰されていました。→識名宮














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