1990年10月 『宮城与徳遺作画集』沖縄タイムス社
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1991年9月 『「宮城与徳遺作展」那覇展報告集』/1997年6月15日『沖縄タイムス』「鶴谷壽神戸女子大学教授が与徳と夢二親交の裏付け写真発見」

1928年、ロサンゼルス美術館前で後列右端が宮城与徳、中央が伊波普猷

尾崎秀實 英子の墓→島袋和幸撮影
多磨霊園【ゾルゲとその同志たち】碑には以下の人名が刻む
ゾルゲ,リヒアルト 1944.11.7刑死(巣鴨) 、河村好雄 1942.12.15獄死(巣鴨) 、宮城興徳 1943.8.2獄死(巣鴨) 、尾崎秀実 1944.11.7刑死(巣鴨) 、フランコ・ヴケリッチ 1945.1.13獄死(網走) 、北林とも 1945.2.9釈放の二日後死 、船越寿雄 1945.2.27獄死 、水野 成1945.3.22獄死(仙台) 、田口右源太 1970.4.4歿 、九津見房子 1980.7.15歿 、川合貞吉 1991.7.31歿

1972年3月 フックス①/安田徳太郎②訳『風俗の歴史』角川文庫

①エドゥアルト・フックス(Eduard Fuchs 、1870年1月31日-1940年1月26日)は、ドイツのマルクス主義者・風俗研究家・収集家。南ドイツのドナウ川沿岸のゲッピンゲン市に生まれる。20歳頃から社会主義運動に参加し、1894年には『階級闘争』という詩集を出版した。1895年に「ミュンヘン・ポスト」紙の編集部が発行する『南ドイツ郵便馬車』という社会主義の政治風刺雑誌を手伝い、同じ年の5月に編集を任されている。この号はドイツ発のカラーの絵入り雑誌として発行され、通常2500部の売り上げが60000部に跳ね上がった。最初のカリカチュア研究である『カリカチュアに見られる1848年』と『フォールメルツのダンスの理想、カリカチュアにおけるローラ・モンテス』という論文をある雑誌に発表したところ、後者が皇室の名誉を毀損したとして、バイエルン政府から不敬罪により起訴され禁固10ヶ月を言い渡され服役した。その後ベルリンに出て本格的にカリカチュアの研究に取りかかり、眼病に悩まされながら膨大なコレクションを集め著述を行った。1933年にヒトラーが政権につくと、その弾圧にあい、その年の5月に国境沿いにスイスに逃亡した。この際フックスのコレクションと著作は没収され、焼却された。最終的にはパリに亡命し、その地で生涯を終えた。→ウィキペディア

②安田 徳太郎(やすだ とくたろう、1898年1月28日 - 1983年4月22日)は、医者、歴史家。京都市生まれ。京都帝国大学卒。在学中から従兄の山本宣治の産児制限運動に関わる。さらに無産運動に関係し、医師としてこれを支援。1933年、共産党シンパとして検挙され、1942年、ゾルゲ事件に連座。 また、唯物論的科学思想史の研究を行い、フロイトの翻訳などをする。 戦後は『人間の歴史』や『万葉集の謎』(「日本人の歴史1」)などで歴史家として著述活動を行った。→ウィキペディア□松本三益「安田は1941年10月 宮城与徳、尾崎秀實らの一斉検挙と共に検挙され、軍事機密に関する情報を宮城与徳に提供したと自供し治安維持法、軍機保護法、国防保安法の三つの罪名で起訴されたが予審調書では治安維持法で起訴され1943年7月保釈になり1944年3月6日懲役2年執行猶予5年の判決をうけている。安田の反共デマ」記事については自由法曹団の松井繁明弁護士、坂本修弁護士、守屋典郎弁護士連名で取り消しを要求したが返事がなかった。







1990年9月『新沖縄文学』尾崎秀樹「画家・宮城与徳」

尾崎秀樹 おざき-ほつき
1928-1999 昭和後期-平成時代の文芸評論家。
昭和3年11月29日台湾台北生まれ。尾崎秀実(ほつみ)の弟。昭和34年「生きているユダ」,38年「ゾルゲ事件」を刊行,兄をうばった事件を追う。その間に大衆文学研究会を設立,41年「大衆文学論」で芸術選奨,平成2年「大衆文学の歴史」で吉川英治文学賞。中国文学に関する著作もおおい。日本ペンクラブ会長もつとめた。平成11年9月21日死去。70歳。台北帝大付属医学専門部中退。→コトバンク

2009年9月峯島正行『荒野も歩めば径になるーロマンの狩人・尾崎秀樹の世界』実業之日本社
○1955年11月7日ーゾルゲの命日にゾルゲの墓参/亀山幸三の呼びかけで尾崎秀樹、亀山幸三、川合貞吉、石井花子、神山茂夫、石堂清倫、細川嘉六、長谷川浩、松本三益、中西功などが参加。

川合貞吉 かわい-ていきち
1901-1981 昭和時代の社会運動家。
明治34年9月15日生まれ。昭和3年中国にわたり,上海で日支闘争同盟を組織。尾崎秀実(ほつみ)やゾルゲと知りあい,コミンテルンの情報活動に参加。16年ゾルゲ事件で検挙される。戦後,出獄後は著述活動に専念。昭和56年7月31日死去。79歳。岐阜県出身。明大卒。著作に「ある革命家の回想」など。→コトバンク


1974年10月 『アサヒグラフ』尾崎秀樹「さしえ50年の歩み」