1959年7月『オキナワグラフ』「あなたも狂人になる」
1960年4月『オキナワグラフ』「カラー 春をよぶジュリ馬」
1962年8月『オキナワグラフ』「売り出されたオキナワストリップ」「気狂いに遭えぬ日はなし 那覇の街」 



●関連資料ー1949年12月 『うるま春秋』創刊号

1949年12月 『うるま春秋』創刊号 発行人・池宮城秀意 編集人・仲村渠致良 印刷人・久高唯澤


琉球新報新聞博物館

●関連資料ー1949年2月 『月刊タイムス』創刊号
1949年7月 『月刊タイムス』「第一回沖展をみる」
1949年8月 『月刊タイムス』活字印刷・沖縄タイムス社
1951年7月 『月刊タイムス』□休刊の辞ー月刊タイムスは、今月(7月)號を以て一先ず休刊することになりました。顧みますと本誌の発行は1949年2月、終戦後の出版事情が最も困難を極めた時であった。今日に至る2年有半は随って本誌にとっては苦難の途であり、新聞の発行と軌を一にして終始茨の途を辿って遂いに本號迄に通算30號を数えたわけであります。それにしましても今回休刊の止むなきに至りましたことは最もわれわれの遺憾とするところであり、その點、今迄御愛讀の榮を賜った讀者の皆様に對しては何とも申譯がなく、深くお詫びするしだいであります。本誌が発足するに當ってその編集の方針は飽く迄新聞社の発行になる月刊誌としてふさわしいものにしょうと努力もし、犠牲も覚悟したことは云う迄もありません。しかも微力の致すところ諸設備の不整備、人手不足、加うるに本年初め急激に悪化した用紙事情のため我々として急速に本誌の一時休刊を計る必要に迫られたわけであります。今後は本誌の持つ文化的使命を本紙(沖縄タイムス)に生かし倍旧の力を傾けたいと思います。この點本誌の休刊を最初にして最後の「一粒の麥、地に墜ちずば」たるに外ならぬことを期したいと念ずるものであります。  沖縄タイムス社月刊タイムス編集部



1957年5月 『芸能タイムス』(表紙・雪村いづみ)6月号(編集発行人・渡嘉敷唯夫)芸能タイムス社―那覇市十区十三組宝屋ビル3階/印刷・琉球新報印刷部
グラビア「ヌード百態(2)」「顔・・・久保田盛宏」、スポット「根路銘房子」/「アトラクションの内幕ー芸能人は沖縄がお好き(興行界の話題)」/「電波を創る女性ー放送よもやま座談会」/RBCの横顔その2 プロデユサーの巻」/牧港篤三「街の考現学ー旧市内と新市街」/葦間れつ「土曜の朝」/池宮城秀意「演劇と現実との交錯」/「洋画の題名はこうして作られる」/「スターの稼ぎ高を探る」/「特集・ジャズ座談会 白木・八城大いに語る」/嘉陽安男「連載小説 ゆうなの花咲けば(第回)」/婦人のページ「”ストレス”と日常生活」「近ごろの寝巻(オシャレ教室)」「酒のオカズにはタンパク質を(酒の巻)」/ミュージックボックス「カリプソ抬頭」「ジャズマンの横顔(上原晋平氏)」/連載マンガー渡嘉敷唯夫「ミスターチャンプ」、林田秀一「チャメコさん」

1962年6月『芸能マガジン』発行人 西平守栄/編集人・副島豊一
「我如古安子さんの若き日を偲ぶ」/「芝居の思い出と若狭昇太郎氏を語る」
◎1962年『芸能マガジン』11、12月号 編集発行人・副島豊一
郷土演劇「ちゃー木の精=乙姫劇団」「口なしの花=ときわ座」/比嘉寿助「郷土演劇雑話」、当間文喜「沖縄の芸能」/金城康全・柳光観 絵「誘拐魔」/荻堂盛進・柳光観 絵「殉死」
1963年5月『芸能マガジン』盛夏号



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『オキナワグラフ』2008年4月号

『オキナワグラフ』2008年4月号 新城栄徳「『オキナワグラフ』50周年に寄せて』」


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グラフ大阪支局で寛ぐ斉藤教策氏