1998年11月11日の『琉球新報』に「沖縄人国記ー粟国村」(料理人達の末えい)で新城喜一さんが紹介されている。/芝居に欠かせない書き割りや舞台装置。新城喜一(65)は、この道40年。沖縄芝居の舞台絵はたいてい新城の手による、父は戦前、西新町にあった「宝来館」という旅館の料理人をしていた。家が西本町にあり、近くに映画館「平和館」があった。中学校を卒業してすぐ軍作業に就き、基地内の表示板をかく仕事に。アルファベットの看板ばかりをかいていた。が、このままではいけないと思い、軍作業を辞めて、世界館、国映館の看板かきに。1965年に沖映演劇ができたあと、その専属となり同劇場が閉鎖した1977年に独立。コンベンション・センターのこけら落とし、第一回世界のウチナーンチュ大会で舞台美術を担当した。国映館の看板は弟の新城栄市(63)が引き継いだ。その弟の新城栄徳(60)も舞台美術の仕事をしている。末弟の新城征孝(55)は写実的な風景画で知られる画家。新城喜一さんは、2005年12月に新星出版から『新城喜一画集・失われた沖縄風景』、2009年6月に『新城喜一画・沖縄風景今昔』を出している。また2008年3月には(㈶)国立劇場おきなわ運営財団から『新城喜一 沖縄芝居大道具帳』も出た。


新城栄徳/表紙絵 1969年6月『今日の琉球』139号「鶏」


1973年9月 『沖俳協』パンフレット第1号 「護佐丸と阿麻和利」(舞台美術・新城栄徳)


1977年4月『沖縄タイムス』/12月『新沖縄文学』№37表紙絵・新城栄徳氏






写真左から儀間比呂志さん、新城征孝氏、新川明氏、新城栄徳、その前が舞台美術家・新城栄徳氏



新聞紙上で顔写真を取り違えられた新城栄徳


写真左から新城栄徳、平良進氏①、不詳、久高将吉氏②、画家の新城栄徳氏
①"沖縄県出身の俳優、演出家。1997年、劇団「綾船」結成。沖縄芝居の舞台作品多数に出演、映画『うみ・そら・さんごのいいつたえ』『BEAT』『ナビィの恋』『真夏の夜の夢』、NHK『ちゅらさん』『純と愛』にも出演。また1970年〜1983年の間、沖縄歌謡舞団として『太陽燃える島』で日本全国・世界各地で公演。沖縄指定無形文化財""琉球歌劇保持者""でもある。→コトバンク
②1948年 振興劇団に入団。・1949年 大伸座に入座。・1956年 ともえ座を経営・1957年 みつわ座と合併
・1958年 みつわ座から分離、演技座と合併・1959年 演技座から分離、劇団俳優座を創立。→沖縄俳優協会




2014年9月14日ー写真左から新城栄徳、金城美奈子さん、山城知佳子さん、舞台美術家の新城栄徳氏



2014年10月18日19:20~20:20 沖縄県立博物館・美術館 講堂ー「沖縄芝居公演/愛の雨傘 」②



舞台美術ワークショップ作品を前にー左から新城栄徳氏、右端が島袋さん


制作者:島袋百恵、大城友嘉、国吉春香、ネマスミレ


左から新城喜一氏、新城栄徳氏


左から新城喜一氏、新城栄徳氏、山城知佳子さん