この日は私の誕生日、伊佐眞一氏宅で「末吉麦門冬著作集」などの話をする。


自民党の国会議員と自民党沖縄県連が辺野古移設を容認したことを受けて、2013年12月1日の『沖縄タイムス』に芥川賞作家の大城立裕さんが「琉球処分を省みつつー辺野古移設 構造化する差別」を書かれている。その中で「琉球処分と今日の最大の違いは、『基地の県外移転』という提案である。琉球処分には清国との関係を断つことと日本へ帰属するための問題しかなかった。その意味では、大久保利通や松田道之にくらべて、安倍首相や石破氏は怠慢であり、ずるい。他県の首長へ根回しを試みたことがあるかどうか、知らないが、そこに言い訳すらしないところは、差別というか、軽視、侮辱の感があり、琉球処分以上のものではないか・・」とある。


大城さんのいう大久保利通の末裔が安倍晋三である。明治の元勲、大久保利通 の次男、牧野伸顕(のぶあき)は西園寺内閣の文部大臣となり、山本内閣で外務大臣となった政治家で、その娘 雪子 は 吉田茂 の妻。 吉田の娘の 和子 は麻生セメントの社長であり衆議院議員でもあった、麻生太賀吉 と結婚し、吉田のもう一人の娘の 桜子の夫は外交官の 吉田寛。 吉田寛は早世したために政治家にはならなかったが、吉田の母 さわ は、国民の反対を押し切って安保条約を締結した岸信介、造船疑獄を指揮権発動で逃げ切った佐藤栄作 の母 茂世 と姉妹である。 安倍晋三の実弟であり、参議院に当選した 岸信夫 は、岸信介 の息子 信和 の養子。 この家族、佐藤、岸、安倍は親戚と言う事である。→閨閥(けいばつ)日本の政治改革。

大城さんのいう琉球処分官・松田道之は鳥取出身である。その鳥取の末裔ともいうべき石破幹事長が自民党の沖縄選出国会議員「県内移設」を強要した。その経歴は、1981年(昭和56年)、父である石破二朗(鳥取県知事、自治大臣)が死後、二朗の友人だった田中角栄から「おまえが(おやじの後に)出ろ」と薦められたことが政界入りのきっかけである。三井銀行を退職して田中派の派閥秘書を務めたのち、1986年(昭和61年)の第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取全県区から立候補して初当選(本来は田中派からの出馬を希望していたが同区に同現職平林鴻三が居た為、中曽根派幹部渡辺美智雄を頼り、中曽根派から擁立された)。以後連続当選9回。1993年(平成5年)、政治改革法案をめぐって自民党から役職停止処分を受けたため笹川尭と共に離党し、改革の会に参加。新党みらい、柿澤自由党、改革の会が合流した自由改革連合を経て新進党結党に参加するも、小沢一郎の安全保障政策に失望し、新進党を離党。1997年(平成9年)に自民党に復党。国民年金の未納期間があったことが明らかになり、「未納3兄弟」の一人としても著名である。→Wikipedia

守屋武昌『「普天間」交渉秘録』新潮文庫には麻生大臣の発言「沖縄の五ノ日の会(仲村正治、嘉数知賢、西銘恒三郎、安次冨修、西銘順志郎)が俺の所に来た時に、事務方を引かせてから、オメーラ、まさか(辺野古移設の)梯子はずすことはしないだろうなといったら、アイツら皆下を向いて、うつむいているの」も紹介していた。「ゴルゴ13」を愛読しているからか沖縄選出議員を見下し土人扱いしている。コイツがまた安倍内閣の副総理となった。沖縄選出の自民党国会議員がどう出るか見ものではあると、感じていたが、今日のように「負け犬」に自民党県連はなり下がった。その中で、自民党ОBの外間盛善や仲里利信、翁長政俊の諸氏の「県外移設」発言は評価されて良い。








末吉麦門冬に因んで恒例の末吉宮参拝、ひより賽銭を投入する。