SKYMARKから
○曽祖父・麦門冬は1917年『日本及日本人』「劫の虫より経水」に、富士の人穴草紙を引いて随筆を書いています。□『吾妻鏡』に影響を受けた御伽草子「富士人穴草子」には「富士のせんげんとはわが事なり」とある。これら流布されていた信仰的要素から、角行が修行したと言われている。人穴(ひとあな)は静岡県富士宮市にある富士山の噴火でできた溶岩洞穴である。□2014年9月 『富士山ーその景観と信仰・芸術ー』國學院大學博物館

100年前の開業当時の姿に復元された「東京駅丸の内駅舎のドーム屋根」。復元工事が終わり、2012年10月1日に公開された。駅本屋は、辰野金吾と葛西萬司が設計した深谷市産の鉄筋レンガ造り3階建て総建坪9,545m²・長さ330mの豪壮華麗な洋式建築。1914年の開業年は第一次世界大戦の開戦の年。□麦門冬の上京が今から113年前の1902年ですから、この東京駅舎は見ていないはずですが、新聞、雑誌では見ていると思います。

□辰野隆(辰野金吾の長男)『凡愚春秋』(角川新書1957年)にテレビ余談として「ーとにかく、ロシアのハッタリ外交とアメリカの腕まくり外交の板挟みで、当分苦しみ抜くのでしょうね・-わしは近ごろ考えているのだが、南千島や沖縄から一切の軍備施設を撤去して、世界の人々が国籍のいかんを問わず、来り愉しむ、北の楽園とする計画は可能ではなかろうか。領土の争いとなれば、必ず軍備が伴うのは判りきった話だが、楽園の建設なら、一旦決意すれば、たちどころに相談がまとまるのではないか、と思っているのだがね。-」と書いている。基地を国民や沖縄に押しつける自公政府には関係ねー話ではある。支那事変・太平洋戦争以前には、「東洋に日本なく、西欧に独逸なくば、世界はいかに平和ならまし」というのが、日独以外の邦々の通念であったが、地球の両反面でこの二邦が勢力を失った今日、「我等は、人類の住む世界に、米ソの狂暴無慚な軍備の競争がなかったら、全世界の人類はいかばかり幸福であろうか」と堂々と叫ぶ資格があるのみならず、その声はいかに強くとも、強すぎることはない、と我々は断言し得るだろう。


東京ステーションギャラリー
1914年創建の東京駅丸の内駅舎の歴史を体現するレンガ壁の展示室で親しまれてきた美術館。1988年に開館し、東京駅の復原工事に伴い一時休館後、2012年秋に装いを新たに再開館。東京駅舎内という利便性の高さを活かし、時代もジャンルも多様な展覧会を開催。


数寄屋橋公園  岡本太郎「若い時計台」□時計の文字盤は顔で、胴の部分にはツノのようなものがニョキニョキと生えています。夜になると、顔やツノは様々な色で光りだします。岡本太郎はこの作品について八方に意欲をつきだし情熱をほとばしらせて生きるべき人間の本来の姿、若々しく、のびきった姿をうちだしたといっています。さらにそれは、のびていく日本の、そして東京の象徴であるともいうのです。


東京スカイツリー 東京都墨田区押上一丁目にある電波塔


東京国立科学博物館