02/01: 企業研究/< 野村総合研究所 >
野村美術館は、野村證券・野村銀行など金融財閥を一代にして築き上げた2代目野村徳七(のむらとくしち)〈1878-1945〉のコレクションをもとに、昭和59(1984)年に京都東山山麓南禅寺畔に開館致しました。 2代目野村徳七は、得庵(とくあん)と号してさまざまな趣味に親しみましたが、 そのなかでも茶の湯」と「能楽」に深く傾倒しました。そのため、そのコレクションは「茶の湯」と「能楽」に関する美術工芸品が主体となっています。現在美術館では、得庵のコレクションであった茶道具・能面・能装束をはじめ、得庵の遺作も含めて約1500点を所蔵しています。そのなかには、重要文化財7点(「伝紀貫之筆寸松庵色紙」・「佐竹本三十六歌仙・紀友則」・「清拙正澄筆秋来偈頌」・「宗峰妙超筆 白雲偈頌」・「雪村周継筆風濤図」・「千鳥蒔絵面箱」・「藤原定家筆讃岐入道集」)や、 重要美術品9点(「藤原基俊筆多賀切」「伝藤原行成・藤原公任筆法華経断簡」・「後水尾天皇筆消息」・「村田珠光筆山水図」・「文茄茶入」・「ノンコウ作赤楽茶碗 銘 若山」・「与謝蕪村筆草廬三顧・蕭何追韓信図屏風」・「能面 早苗尉」・「能面 竜女」)など指定美術品も含まれています。
野村徳七書簡(新城栄徳所蔵)
野村総合研究所 (NRI)
1965年(昭和40年)、野村證券株式会社 調査部が分離独立し、株式会社野村総合研究所が発足した。
現在のリサーチ・コンサルティング部門の母体であり、日本最大規模のコンサルティングファームである。官公庁・産業界のトップ企業をほぼ網羅して、サービスを提供してきている。米国のStanford Research Institute(現在のSRI International)をモデルに、日本初の本格的な民間シンクタンクとして設立された。
株式の上場をきっかけに、経営の効率化を目的として、リサーチ部門の在り方を変化させた。証券・経済研究等を行う部門は、証券調査・市場調査などの一部を野村グループにインハウス化し、残る一部は研究創発センターに移管され、政策・金融・経済研究などを引き続き行っている。また、社会・産業研究等の部門はコンサルティング機能を強化し、「〜研究部」から「〜コンサルティング部」へ名称を変え、現在に至っている。コンサルティング部門としてリサーチ機能・コンサルティング機能を併せ持つ。→ウィキ
2013年12月28日ー地球の未来を創る男・真喜志好一
1999年11月12日『沖縄タイムス』「旧県議会棟を再生させる会メンバー」(写真ー向かって左から屋嘉比収氏、新城栄徳、一人置いて真喜志好一氏5
2013年12月21日 『琉球新報』
辺野古に軍港機能 アセスに記載せず
名護市辺野古への普天間代替基地建設に向け、沖縄防衛局が県に提出した埋め立て申請書に記された護岸の長さや弾薬搭載区域の規模が、これまで県に示していた計画よりも拡大し、軍港並みの機能になっていることが20日、分かった。船が接岸する護岸の全長は約200メートルから272メートルへ伸びる。幅30メートルは初めて記された。オスプレイ12機や海軍エアクッション型揚陸艇(LCAC)が搭載可能な米海軍強襲揚陸艦ボノム・リシャール(全長257メートル、4万500トン)の立ち寄りが可能になる。同揚陸艇の水陸両用訓練が可能となる斜路(しゃろ)の存在も新たに図示された。防衛局は環境影響評価(アセスメント)の手続きの中で代替基地の軍港機能を否定していた。
ボノム・リシャールはオスプレイが搭載できなかった旧型と交代、昨年から佐世保基地に配備された。県内にたびたび寄港する最大規模の艦船で、代替基地はうるま市の海軍ホワイトビーチ並みの運用が可能になる。弾薬搭載区域は約1万6000平方メートル程度から1万8662平方メートルに規模が大きくなった。県土木建築部海岸防災課の松田了副参事は「申請書には正確な数字が必要だが、(これまでの計画を示した)補正書の記述は施設の概要なので細かい数字が一致していなくても問題はない」との認識を示した。斜路の記載は把握していなかった。一方、沖縄防衛局は琉球新報の取材に「回答に時間を要する」としてコメントしなかった。規模拡大の事実を埋め立て申請書などから確認した沖縄環境ネットワークの真喜志好一世話人は「この大きな事実を最後の段階まで隠してきたことは許されない」と述べた。
野村徳七書簡(新城栄徳所蔵)
野村総合研究所 (NRI)
1965年(昭和40年)、野村證券株式会社 調査部が分離独立し、株式会社野村総合研究所が発足した。
現在のリサーチ・コンサルティング部門の母体であり、日本最大規模のコンサルティングファームである。官公庁・産業界のトップ企業をほぼ網羅して、サービスを提供してきている。米国のStanford Research Institute(現在のSRI International)をモデルに、日本初の本格的な民間シンクタンクとして設立された。
株式の上場をきっかけに、経営の効率化を目的として、リサーチ部門の在り方を変化させた。証券・経済研究等を行う部門は、証券調査・市場調査などの一部を野村グループにインハウス化し、残る一部は研究創発センターに移管され、政策・金融・経済研究などを引き続き行っている。また、社会・産業研究等の部門はコンサルティング機能を強化し、「〜研究部」から「〜コンサルティング部」へ名称を変え、現在に至っている。コンサルティング部門としてリサーチ機能・コンサルティング機能を併せ持つ。→ウィキ
2013年12月28日ー地球の未来を創る男・真喜志好一
1999年11月12日『沖縄タイムス』「旧県議会棟を再生させる会メンバー」(写真ー向かって左から屋嘉比収氏、新城栄徳、一人置いて真喜志好一氏5
2013年12月21日 『琉球新報』
辺野古に軍港機能 アセスに記載せず
名護市辺野古への普天間代替基地建設に向け、沖縄防衛局が県に提出した埋め立て申請書に記された護岸の長さや弾薬搭載区域の規模が、これまで県に示していた計画よりも拡大し、軍港並みの機能になっていることが20日、分かった。船が接岸する護岸の全長は約200メートルから272メートルへ伸びる。幅30メートルは初めて記された。オスプレイ12機や海軍エアクッション型揚陸艇(LCAC)が搭載可能な米海軍強襲揚陸艦ボノム・リシャール(全長257メートル、4万500トン)の立ち寄りが可能になる。同揚陸艇の水陸両用訓練が可能となる斜路(しゃろ)の存在も新たに図示された。防衛局は環境影響評価(アセスメント)の手続きの中で代替基地の軍港機能を否定していた。
ボノム・リシャールはオスプレイが搭載できなかった旧型と交代、昨年から佐世保基地に配備された。県内にたびたび寄港する最大規模の艦船で、代替基地はうるま市の海軍ホワイトビーチ並みの運用が可能になる。弾薬搭載区域は約1万6000平方メートル程度から1万8662平方メートルに規模が大きくなった。県土木建築部海岸防災課の松田了副参事は「申請書には正確な数字が必要だが、(これまでの計画を示した)補正書の記述は施設の概要なので細かい数字が一致していなくても問題はない」との認識を示した。斜路の記載は把握していなかった。一方、沖縄防衛局は琉球新報の取材に「回答に時間を要する」としてコメントしなかった。規模拡大の事実を埋め立て申請書などから確認した沖縄環境ネットワークの真喜志好一世話人は「この大きな事実を最後の段階まで隠してきたことは許されない」と述べた。