07/19: 年譜・末吉麦門冬/1912(明治45)年
1914年1月1日『沖縄毎日新聞』俳諧小僧(末吉安恭)「俳諧 鼠の句」
○俳諧 鼠の句ー子年に縁みて鼠の句を集めて見た。参考書が少ないので沢山は集め得なかった今人の句は成可く採らぬことにして主として古人のを採ったのは句の巧拙を以て論せずに古いのが有難いといふ骨董味から出た為めである。それから新年の鼠に嫁が君と云ふ異称があるが、それは俳諧では独立の題になっているので茲にはわざと省いたのである。
1月 親泊朝擢『沖縄県案内』発行/仲吉朝主、印刷/三秀舎「新聞雑誌ー琉球新報、沖縄毎日新聞、沖縄新聞、発展、撫子新聞、福音、沖縄教育、おきなは、演劇週報」
1月 横山健堂『薩摩と琉球』
1月 島津長丸男爵、観光で来沖
1月 那覇松田橋の傍で徳田鉄工所設立
1月 我謝盛翼、おきなは社に記者として入社
3月 『おきなは』第2巻第3号□口絵写真「二十余年前の沖縄の名士ー美里親方、波上宮司保榮茂、玉城按司、美里按司、護得久朝惟、尚順、勝連按司、今帰仁朝和、高嶺朝申、知花朝章、伊是名朝睦、大城朝詮、大田朝敷、高嶺朝教」
卒業生諸君へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(1)
鬼が島漂流実話ー危うく一命を助かりし奇談 台湾遭難者の一人 島袋松 伊波文学士の写真・・・・・・・・2
照屋君はどうして大学に入る気になったか・・・・・おきなは社顧問・伊波普猷・・・・・・6
沖縄演習実記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・従軍記者・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8
6月2日 『琉球新報』「更衣・座喜味夢香ー桃紅季白去
6月3日 『琉球新報』「末吉麦門冬入社」「故尚泰侯令姉(末吉御殿)葬儀」「母葬式ー男・與那城朝俊、孫・與那城朝敬、次男・與那城朝永、孫・與那城朝淳、親戚・読谷山朝法、識名朝信、佐渡山安亮、尚順、伊江朝眞、読谷山朝慶」 高相杰「送春有感」「薬師吾吉ー転地療養のため鹿児島へ」「球陽座ー歌劇ハワイ行、狂言爬龍船」「中座ー歌劇 新夫婦電車の初乗り、琉球と為朝(弓張月)」
6月4日 『琉球新報』「金口木舌ー近頃加奈陀では日本人の漁業権剥奪を企てるし、又仝地コロンビヤでは印度人支那人と共に日本人の入国拒絶をやって居る・・・」「首里喜舎場朝賢翁琉球見聞録発売ー沖縄毎日新聞名城嗣治へ」「サクラビール王冠(口金)5個で活動写真が見られます」
7月1日『琉球新報』「中座ー琉球史劇・察度王/歌劇・残花の錦き」「球陽座ー歌劇・松之精/喜劇・主人が留守/琉球古事・南山昔物語」
7月4日『琉球新報』「常設活動写真帝国館ー実写・京都北野神社と平野の桜」
711日『琉球新報』「漢詩ー潤色者・高相杰」「琉球歌壇ー草秋選」
7月18日『琉球新報』「常設活動写真帝国館ー実写彩色・エジプト古跡アラビヤ風俗/新派探偵大冒険・噫名探偵」
7月30日『琉球新報』「常設活動写真帝国館ー実写・大阪南地芸者/実写・夏のモスコー/日本喜劇・ピリケン」
8月1日『琉球新報』「常設活動写真帝国館ー実写・京都清水寺/実写・米国ダーリング燐寸製造所大火」
8月8日『琉球新報』「中座ー創立紀念興行長者ノ大主/旧喜劇・二人大名/踊リ・金細工/組踊・執心鐘入/踊リ・交遊/新喜劇・黄金一枚/歌劇・瀬長詣リ/踊リ・ムンズル笠/踊リ・諸純/組踊・花売之縁/組踊・二童敵討/踊リ・萬歳/踊リ・天川」
8月20日『琉球新報』「専修大学 学生募集」
8月22日『琉球新報』「森屋本店ー和洋楽器類開店」
8月23『琉球新報』「球陽座ー歌劇・人生の春/琉球史劇・宝剣地金丸 京阿波根出世伝」「常設活動写真帝国館ー日本喜劇・未来の芸者/実写・ナイヤガラ瀑布/実写・空中飛行船」
8月25『琉球新報』「明治大学 学生募集」
8月28『琉球新報』「中央大学 学生募集」
9月2日『琉球新報』「我海軍の精華▽悉是れ良智驍勇」「常設活動写真帝国館ー女馬賊」
9月4日『琉球新報』「太平洋に於ける独墺洪海軍力」
9月5日『琉球新報』「常設活動写真帝国館ー実写着色・ベルサイユ宮殿」
9月6日『琉球新報』「中座ー琉球史劇・黒金座主(電気応用)、踊り・七月ゑひさあ、歌劇・可憐児(継親念仏)」
9月12日『琉球新報』「球陽座ー琉球史劇・琉球と薩摩」「常設活動写真帝国館ー実写・ピスピユス山噴火」
9月14日『琉球新報』「本社記者 渡口政成退社し沖縄民報社に入社」
9月15日『琉球新報』「『月刊雑誌 五人』ーダヌンチョの死せる街ー嘉手川重利/白き血ー山城正忠/脚本時計ー上間正男/小説題未定ー安次嶺栄裕/芭蕉の恋ー末吉麦門冬/本県婦人観ー美鳩楓渓/希臘思想ー仲吉良光/音楽論ー矢野勇雄/小説帽子ー池宮城寂泡/題未定ー漢那浪笛/サヨリ釣ー潮東庵主人/完成の人孔子ー山田有幹」
9月18日『琉球新報』「粟国事情」「斎藤用之助島尻郡長令弟、中頭郡書記・斎藤熊太郎死去、」
1912年9月23日、26『沖縄毎日新聞』麦門冬「田岡嶺雲と云ふ人」
○・・・丁度三十三年の頃のことである其頃私共の愛読した雑誌は新聲であった・・・其の雑誌の臨時号にこの田岡嶺雲①先生の肖像が載って居たので嬉しかった・・・肖像を鋏で切り抜いて私の愛読書たる嶺雲揺曳の見返しに糊で貼りつけて文章と肖像を見比べたものである。この頃私の友人にSOと云ふ人間が居た・・それで文学好きで私と趣味があって居たので他の二三名の同志と小さい倶楽部を設けて始終談論を闘わして居た・・学校生活のつまらぬ追憶ばかりしたが私は卅五年東京に出て日露戦争の終結頃までごろごろしていたが丁度戦争のしまひ頃であった神田の美土代町の青年会館で珍しくも田岡嶺雲先生の演説があった其頃はもう嶺雲と云ふ人は私共の頭から印象が薄くなって居た此人もまだ生きて居たか位に思って居たが曾てはその文章の愛読者その思想の憧憬者であった私ゆえ御顔を拝する好機会は今夕にありと云ような思ひをしてその演説会の聴衆の一人になった。
①田岡嶺雲
明治時代の文芸・社会評論家・漢学者。本名佐代治。高知県生。教員等を経て『万朝報』『九州日報』の記者となる。文芸批評における社会主義的評論の先駆者。その著書は度々発禁処分を受けた。大正元年(1912)歿、43才。→コトバンク
1972年3月 昭和女子大学近代文学研究室『近代文学研究叢書13』「石川啄木 田岡嶺雲 F・ブリンクリ 鹽井両江 木村正辞」
9月26日『琉球新報』素位「泡津海記ーテラの岩屋、日本一の墓、マハナ崎」「球陽座ー琉球史劇・普天間権現之由来記」
10月3日 『琉球新報』「常設活動写真帝国館ー実写・ノールウェ汽車旅行」「球陽座ー喜利 狂言・伊賀の水月(荒木又右エ門武勇伝)渡嘉敷守禮脚色 」
10月8日 『琉球新報』清村泉水「宮古女性史」①
10月11日 『琉球新報』「三越の新館成る」「常設活動写真帝国館ー実写・伊多利シシリー市街」」「球陽座ー琉球史劇・大濱赤八」
10月15日 『琉球新報』らくこう「琉球歌壇 印度古詩まはばらだ物語を読みて(1)ー我が情我れの衣につつみ行くシャンタヌ王の面白きかな/この河を渡らん人に舟漕かん王者も渡れ乞食人も/絶ち難き情の絆王もなほ黒き瞳の忘れかねつも/天人は樂を奏しぬ花降りぬ若きピスマの願ひの浄きに/仙人の神通力もいかにせむ美人を見て破れけるかも/呪はるることの恐ろしサチヤワチは岸の浮草靡かんとする/十万の矢を空中に射返して流れを下る婿選ひ舟」
10月17日 『琉球新報』「悲惨極まるラサ島移民①」「球陽座ー大喜利・英雄ト美人ーナポレオン(真境名由孝土産)」
10月21日 『琉球新報』らくこう「琉球歌壇 印度古詩まはばらだ物語を読みて(2)ーカミアカの森に入りぬる一千の宮女の群よ夕日春●/五王子は雲を支へて立てるてふサミが木ぬれに刃隠しぬ/あはれなるドラウバテイの艶なるに王妃はめでぬ且つ嫉みつつ/美しき者にともなふ禍を神よ解き去れドラウバテイに/兄嫁の為めにはかりて猛きピーマ敵を取りぬ肉丸にして/アルジユナは怖るる所ろ更にな●一騎手に持つカンデイワの弓/クリシナは高く叫びぬ天神地祇我と共にあり愚かなもの哉/武士の魂さこうカルナ行かず仕ふる家と運を共にせむ」
□『マハーバーラタ』(サンスクリット語: महाभारतम् Mahābhārata)は、古代インドの宗教的、哲学的、神話的叙事詩。ヒンドゥー教の聖典のうちでも重視されるものの1つで、グプタ朝の頃に成立したと見なされている。「マハーバーラタ」は、「バラタ族の物語」という意味であるが、もとは単に「バーラタ」であった。「マハー(偉大な)」がついたのは、神が、4つのヴェーダとバーラタを秤にかけたところ、秤はバーラタの方に傾いたためである。→ウィキペディア
10月31日 『琉球新報』「秦蔵吉、樺山氏主宰の沖縄社に入社」
11月5日 『琉球新報』「飛耳張目ー目下東京で雑誌雄弁を書いている安元碧海君はどうした動機からか知らないが易の研究を初め・・・」
11月7日 『琉球新報』「昨日真教寺で故和田勇氏追悼会」
11月8日 『琉球新報』「写真ー大正天皇」
11月9日 『琉球新報』「城間恒仁秋田県川辺郡長帰県、尚典侯爵妹サヨ子姫と華燭の典を挙ぐべし」「唐沢 光徳博士①、昨日入港の平攘丸で来県」
①唐沢 光徳カラサワ ミツノリ明治〜昭和期の小児科学者 慶応義塾大学教授。
生年明治11(1878)年10月20日/没年昭和24(1949)年3月30日
出生地東京・日本橋/別名俳号=浜郎
学歴〔年〕東京帝大医科大学〔明治35年〕卒
経歴明治44年東大小児科学教室講師、三井慈善病院小児科部長兼任。大正9年慶応義塾大学教授となり、小児科学教室を創設。昭和4年日本小児科学会が社団法人に組織替えした時、会長となった。また8年には小児保健研究会を発足させ、小児保健活動に尽力、小児病、特にジフテリア研究では世界的に知られる業績を残した。→コトバンク
11月15日 『琉球新報』「小児の食物に就いて-唐澤医学博士の講演」①
11月22日 『琉球新報』「粟国通信」
11月28日 『琉球新報』「宗教と哲学ーシュワルツ博士講演」①
11月29日 『琉球新報』「沖縄県鉄道開通紀念号」
12月5日 『琉球新報』「中座ートルストイ作島村抱月再脚色 復活」
12月15日 『琉球新報』当山善真「布哇通信」
12月20日 『琉球新報』「曝書山房記ー伊波普猷氏と語る」(上)
12月21日 『琉球新報』「マアニ会ー汀鳥、玉塵、戎衣、紅梯梧、麦門冬=禁酒理由も薄過ぎて君に年暮ぬ 任地火鉢に落着きぬ旅の心なる 余談残灰に火鉢馬病む消息も 馬鞍冷えし尻あぶる火鉢陣の朝」「球陽座ー白虎隊(会津戦争)」