2015年4月 平敷武蕉『平敷武蕉評論集 文学批評の音域と思想』出版社Mugen
○・・・私たちは、大衆運動や労働運動・学生運動が壊滅し、労働者が貧困と絶対的窮乏にあえぐなか、他方で独立論やユートピア社会についての論議が賑わうという奇妙な現実に立ち会わされているわけだが、「沖縄独立論」を包摂しえる真正の思想を創出できてないことにその根拠があると、言えるのかも知れない。(『非世界』17号 2008年6月)
2016年5月 俳句同人誌『天荒』54号<特集 平敷武蕉評論集『南瞑の文学と思想』>
俳句同人誌『天荒』54号 野ざらし延男 〒904-0105 北谷町字吉原726番地の11 電話・FAX098-936-2536
本成美和子「わたしの共鳴句<1月作品>」□辺野古埼竜神引っぱる初日の出 玉菜ひで子 大浦湾に朝日が届く。日の光」が竜神を引っ張ってくれるのなら、必ずよい方向にことが運ぶ。初日の出を拝む作者の気持ちが伝わってくる。辺野古問題に、今年こそは竜神が必要だと思う人は多いはずだ。
編集後記
◆米軍の沖縄県民への弾圧が露骨になった。芥川賞作家の目取眞俊氏が辺野古の新基地建設阻止のカヌーでの抗議行動中に拘束、逮捕された。政府と沖縄県の「和解」で、基地建設が中断していることへの米軍の苛立ちなのか。警備員は目取眞氏の本名を口に」していたというので、明らかに狙い撃ちの言論弾圧である。氏は「まさに米軍基地は治外法権にある」と憤慨している。(建)
2016年1月 俳句同人誌『天荒』53号
編集後記
◆「辺野古新基地」反対の沖縄県知事と民意を踏みにじって工事を強行する政府とが法廷闘争に突入した。12月14日に「辺野古新基地を造らせないオール沖縄会議」が発足した。政府は多くの国民が反対している特定秘密法や安保関連法を強引に成立させた。沖縄の抵抗の輪が全国に広がって欲しい。(建)
◆2015年の世相を漢字一字で表す語に「安」が決まった。世の中それほど「安心」「安全」「安定」を実感しているのかと我が耳目を疑ったが、どうやらその逆もあるようだ。戦争への不安、テロ攻撃の不安、災害への不安、放射能への不安、雇用への不安等々、狂った世相への不安は募るばかりである。(武蕉)
◆日本は核拡散防止条約(NPT)の枠外にいる核保有国インドと「原子力協定」締結に合意した(2015年12月14日。沖縄タイムス)。東京電力第一原発事故は収束などしていない。メルトダウンした原子炉には高濃度放射能のため放置された状態であり、廃炉するにもその手立てがない。放射能汚染水が時々海へ漏れ出る。放射能によって古里を追われた人たちは未だ還ることは出来ない。自国の原発事故も未解決のまま他国に原発を売ろうとしていることに怒りを禁じ得ない。日本は広島、長崎に原爆投下された被爆国である。世界に向かって核廃絶の声を上げるべき立場にある。歴史を教訓化できない国は滅びの道を辿るのではないか(延男)
2013年1月『宮城松隆追悼集 薄明の中で』同発行委員会(事務局・西銘郁和 ☏098-973-0771)
2012年10月 『非世界』№25(復刊15号)同人会(平敷武焦 沖縄市字古謝1044 電話FAⅩ 098-934-2006
□樹乃タルオ「巻頭・この明るさはどこから来ているのだろう」/石川為丸「宮城松隆さん、プレセンテ!」
宮城 松隆(みやぎ まつたか、1943年 - 2012年 )
沖縄県生まれ。琉球大学国文学科卒。 日本詩人クラブ所属、詩誌「非世界」、「脈」同人。 沖縄戦の詩、生死を凝視する詩を、沖縄の地から発信する詩人。個人詩誌「キジムナー通信」発刊により沖縄の新世代の詩人の発表の場を設けた。『沖国大文学』で活動した宮城隆尋、松永朋哉、トーマ・ヒロコらの新世代の書き手にも「キジムナー通信」の誌面を提供した。「沖国大文学」とともに山之口貘賞受賞詩人を輩出する端緒をつくった。→ウィキペディア
2012年10月 『非世界』№25(復刊15号)同人会(平敷武焦 沖縄市字古謝1044 電話098-93�
2012年10月 『非世界』№25(復刊15号)同人会(平敷武焦 沖縄市字古謝1044 電話FAⅩ 098-934-2006
□樹乃タルオ「巻頭・この明るさはどこから来ているのだろう」/石川為丸「宮城松隆さん、プレセンテ!」/西銘郁和「詩・巨大津波の三陸海岸をいく」/与那覇けい子「詩・タイムラグ」/樹乃タルオ「小説・暮るればのぼる」/□砂川哲雄「詩人・羽地恵信論(覚書)」/上原紀善「詩・白日夢 他3編」/砂川哲雄「詩・沈黙 他1編」/平敷武焦「書評・栄野川安邦『緋寒桜と目白』差別とたたかう混血青年」/安美沙子「エッセー・他者の声を聴くとは~日本軍『慰安婦』パネル展にて~」/
□あとがきー9月9日、オスプレイ配備に反対する県民大会が10万余という空前の規模で開催された。95年少女レイプ事件を抗議する規模を上回る数である。だが、日米両政府は県民の反対の声を一顧だにせず、10月1日に「予定通り」オスプレイを強行配備した。95年の際はまだ聞く耳を持つ姿勢を示し、普天間飛行場の返還を約束した。しかし今回は完全無視である。このことはある恐るべきことを推測させるものがある。一つは、今後も、この国の施策を遂行するに当たって、沖縄の声など無視し、沖縄を犠牲にする姿勢を明確にしたことの表れではないかということである。二つは、沖縄県知事とそれを支持する政財界と国との間ですでに「密約」が交わされているのではないかということである。オスプレイ配備と辺野古基地建設に対し表向きは反対しておいて政府が強行すれば容認に転ずるというように。9月9日の県民大会への知事の不可解な欠席はその態度表明である。
総会
玉寄貞一郎副会長「開会のことば」
与那城昭広会長「会長あいさつ」
議案審議
写真左から濱川栄優氏①、新垣徳子さん、上江洲裕寿氏
激励会
激励者の紹介「上江洲裕寿、新垣徳子、濱川栄優」濱川栄優①ー粟国村字浜出身。1988年、糸満の高嶺小学校、1992年度から本部小学校の教員。2013年に大宜味村立塩屋小学校校長、今年度ー粟国小中学校校長
太田眞助「乾杯の音頭」
新城静喜粟国村村長「来賓あいさつ」
古典音楽同好会、新城清弘「幕開」
上地千恵子、山城敏子「かぎやで風」
太田勝子、仲程貴美子「むんじゅるー」
新垣優子「大漁宝船」
太田勝子、仲程貴美子、平田マサ子「草戸節」
伊佐ミサ子、上原初枝「島尻千鳥」
上地千恵子、山城敏子「梅の香り」
新垣優子「護身の舞」
全員「カチャーシー」
玉寄貞一郎副会長「開会のことば」
与那城昭広会長「会長あいさつ」
議案審議
写真左から濱川栄優氏①、新垣徳子さん、上江洲裕寿氏
激励会
激励者の紹介「上江洲裕寿、新垣徳子、濱川栄優」濱川栄優①ー粟国村字浜出身。1988年、糸満の高嶺小学校、1992年度から本部小学校の教員。2013年に大宜味村立塩屋小学校校長、今年度ー粟国小中学校校長
太田眞助「乾杯の音頭」
新城静喜粟国村村長「来賓あいさつ」
古典音楽同好会、新城清弘「幕開」
上地千恵子、山城敏子「かぎやで風」
太田勝子、仲程貴美子「むんじゅるー」
新垣優子「大漁宝船」
太田勝子、仲程貴美子、平田マサ子「草戸節」
伊佐ミサ子、上原初枝「島尻千鳥」
上地千恵子、山城敏子「梅の香り」
新垣優子「護身の舞」
全員「カチャーシー」
04/22: 熊本/歌人・桃原邑子
左が桃原邑子さんより贈られたネクタイ
熊本県田浦町・御立岬公園にある「桃原邑子歌碑」の前で桃原邑子さん(前列左から4番目)、歌の仲間たち
1950年11月 仲井間宗裕・伊佐栄二『沖縄と人物』「桃原思石」
04/14: あぐに/仲里正雄「シンガポール2016ー4」
シンガポールといったらマーライオンです。写真右端が仲里正雄氏
11世紀にマレーシアの王族が対岸に見える大地を目指して航海の旅に出た際、途中で海が激しく荒れ、王族が被っている王冠を海に投げたところ、海は静まり無事にその大地にたどり着くことができた。その時、ライオンが現れて、王族にその大地を治める事を許して立ち去った。マーライオンの頭部はこのときのライオンを表している。また魚の尾は、古代都市テマセック(ジャワ語で「海」)を象徴している。王族は、その大地を「ライオン(Singa)の都市(Pura)」を意味する「Singapura(シンガプーラ)」と名づけ、マーライオンを国の守り神として祭ったという伝説がある。セントーサ島にある「マーライオンタワー」では、このマーライオン誕生の歴史について映像形式で見る事ができる。→Wikipedia
こんにちは、シンガポールナビです。今日は世界でもトップクラスの鳥類の動物園「ジュロン・バード・パーク」をご紹介します。シンガポール西部のジュロン地区に、20ヘクタールもの広大な敷地を持つこのバード・パークには、600種以上8000羽を越える世界中の鳥たちが集められています。巨大なくちばしを持つ東南アジアのサイチョウや、オーストラリアの鮮やかなインコなど、珍しい鳥がいっぱい。賢い鳥たちがびっくりするようなワザを披露する、楽しいショータイムもあります。熱帯雨林を活かした園内で鳥たちと触れあう時間は、まさに癒しのひととき。南国の緑と花々に囲まれながら、美しく愛らしい鳥たちの魅力に触れてみてください。
志村ふくみ
染織家。大正13年(1924)滋賀県生。母小野豊から染色の手解きを受ける。黒田辰秋・富本憲吉・稲垣稔次郎らに師事。以来紬織・植物染料の研究と制作に従事する。日本伝統工芸展他多数受賞。紫綬褒章受章。日本工芸会理事。「柚織」で人間国宝に認定される。文化功労者。 →コトバンク
田名真之沖縄県立博物館・美術館館長「主催者あいさつ」
テープカットー左から柳悦州氏(沖縄県立芸術大学附属研究所教授)、柳原正樹氏(国立京都近代美術館館長)、田名真之氏(沖縄県立博物館・美術館館長)、志村昌司氏、川満誠一氏(沖縄美ら島財団常務理事)
大城さゆり志村展担当「企画紹介」
左から大城慧氏、豊見山愛さん、田名真之氏
琉球・尚氏のすべて 喜舎場 一隆, 佐伯 弘次, 知名 定寛, 徳永 和喜, 真栄平 房昭, 田名 真之, 山下 重一, 安岡 昭男, 山口 菜津子, 大城 慧, 渡辺 美季 新人物往来社 2000年 (ISBN: 4404028687)
2023年3月 那覇市歴史博物館で渡辺美季さん
2016年4月5日ー大城慧氏(沖縄県立博物館・美術館指定管理者「沖縄美ら島財団」統括)、持っているのは『琉球の文化』5号
2000年8月 『琉球・尚氏のすべて』新人物往来社□大城慧「尚氏関係史跡事典」/ 執筆者略歴 大城慧=1951年 沖縄県生まれ。別府大学文学部史学科卒業。現在、沖縄県立博物館学芸課長。論文「沖縄の鉄」(『稲と鉄』所収 日本民俗文化体系三)。「沖縄の鉄器と鉄棒」(『沖縄文化』第六八号)ほか。/1974年5月 沖縄の雑誌『琉球の文化』第五号 大城慧「与那部落のウンジャミ」
○2000年12月17日『沖縄タイムス』新城栄徳「書評・『琉球・尚氏のすべて』」□本書を読み、私なりに解釈すると、十一世紀の琉球に按司(あじ)たちが出現し対立抗争を続け、十四世紀に中山察度、南山承察度、北山怕尼芝(はにし)の按司たちが相次いで明朝に進貢し交易時代の幕開けとなった。十五世紀前半に佐敷の巴志によって統一国家「琉球国」が成立したといわれる。その六代・尚泰久の時代には日本貿易が拡大され仏教王国としても栄えた。そして世子でもない重臣・金丸が後に尚円王となり、その子・尚真の時代に中央集権制「琉球国」が生まれた。
そして七代・尚寧のときに、薩摩の島津家久が徳川家康の許可を得て琉球出兵した結果、薩摩藩支配下の「琉球国」となった。その中にあって近世琉球への新たな転換を目指したのが尚質、尚貞王を支えた摂政・羽地朝秀の時代。尚敬王を支えた久米村の蔡温の時代には、諸書が編集され王国の主体性の確認と確立に寄与した。清朝から久米村の程順則の持ち帰った『六諭衍義』が日本に広まり、玉城朝薫の「組踊」が生まれるなど新たな琉球の文化が展開した。
薩摩・長州藩による明治維新で大日本(だいにっぽん)帝国に「琉球国」が「琉球藩」として編入され最後の王・尚泰で琉球王朝は解体され、後「沖縄県」となった。全国的に新たに政治、文化の東京集中化が加速される中、沖縄も編者・喜舎場一隆氏の言うところの地理的宿命から辺境となってしまった。・・・
1974年5月ー『琉球の文化』第五号<沖縄戦と終戦直後の生活>
琉球文化社(編集発行人・大城精徳)本社〒那覇市牧志町1-944-6 編集局〒902那覇市安里425丸清ビル2階
関西連絡所ー大阪市東淀川区西中島町5-62青い海出版社内(新城栄徳)
1981年4月 沖縄の雑誌『青い海』5月号 №102号 大城慧「沖縄県下の発掘状況」
2023年3月 那覇市歴史博物館で渡辺美季さん
2016年4月5日ー大城慧氏(沖縄県立博物館・美術館指定管理者「沖縄美ら島財団」統括)、持っているのは『琉球の文化』5号
2000年8月 『琉球・尚氏のすべて』新人物往来社□大城慧「尚氏関係史跡事典」/ 執筆者略歴 大城慧=1951年 沖縄県生まれ。別府大学文学部史学科卒業。現在、沖縄県立博物館学芸課長。論文「沖縄の鉄」(『稲と鉄』所収 日本民俗文化体系三)。「沖縄の鉄器と鉄棒」(『沖縄文化』第六八号)ほか。/1974年5月 沖縄の雑誌『琉球の文化』第五号 大城慧「与那部落のウンジャミ」
○2000年12月17日『沖縄タイムス』新城栄徳「書評・『琉球・尚氏のすべて』」□本書を読み、私なりに解釈すると、十一世紀の琉球に按司(あじ)たちが出現し対立抗争を続け、十四世紀に中山察度、南山承察度、北山怕尼芝(はにし)の按司たちが相次いで明朝に進貢し交易時代の幕開けとなった。十五世紀前半に佐敷の巴志によって統一国家「琉球国」が成立したといわれる。その六代・尚泰久の時代には日本貿易が拡大され仏教王国としても栄えた。そして世子でもない重臣・金丸が後に尚円王となり、その子・尚真の時代に中央集権制「琉球国」が生まれた。
そして七代・尚寧のときに、薩摩の島津家久が徳川家康の許可を得て琉球出兵した結果、薩摩藩支配下の「琉球国」となった。その中にあって近世琉球への新たな転換を目指したのが尚質、尚貞王を支えた摂政・羽地朝秀の時代。尚敬王を支えた久米村の蔡温の時代には、諸書が編集され王国の主体性の確認と確立に寄与した。清朝から久米村の程順則の持ち帰った『六諭衍義』が日本に広まり、玉城朝薫の「組踊」が生まれるなど新たな琉球の文化が展開した。
薩摩・長州藩による明治維新で大日本(だいにっぽん)帝国に「琉球国」が「琉球藩」として編入され最後の王・尚泰で琉球王朝は解体され、後「沖縄県」となった。全国的に新たに政治、文化の東京集中化が加速される中、沖縄も編者・喜舎場一隆氏の言うところの地理的宿命から辺境となってしまった。・・・
1974年5月ー『琉球の文化』第五号<沖縄戦と終戦直後の生活>
琉球文化社(編集発行人・大城精徳)本社〒那覇市牧志町1-944-6 編集局〒902那覇市安里425丸清ビル2階
関西連絡所ー大阪市東淀川区西中島町5-62青い海出版社内(新城栄徳)
1981年4月 沖縄の雑誌『青い海』5月号 №102号 大城慧「沖縄県下の発掘状況」