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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
2013年7月28日~8月31日 平和通り三越側入口「平和通りアーカイブス展」
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山田實 写真コーナー


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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

左から俳人・東風平汀鳥、麦門冬、國吉朝秀、末吉安慶、名護朝扶、最後の女の子は不詳。


汀鳥 □1909年7月 『ホトトギス』「湿り池の乾く匂ひや風薫る」
         □1910年3月『ホトトギス』「一樹又一石僧送る枯野かな」
        □1910年4月『ホトトギス』「笹啼や飛々石の潦/ほかほかと日の照る岡や花薊」
        □1910年6月『ホトトギス』「鶯に日の照る磯や汐干狩」
        □1910年7月『ホトトギス』「春月や垣外に丸き三笠山」
       

名護朝扶□1913年12月『文章世界』「風の落葉咲き残る菊埋めけり」

1920年8月4日『沖縄朝日新聞』


末吉麦門冬


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上・辻のお嶽 下・淋れた辻遊廓あと

本田安次 ほんだ-やすじ
1906-2001 昭和-平成時代の民俗芸能史学者。
明治39年3月18日生まれ。宮城県石巻中学教諭時代に東北地方の山伏神楽を知る。のち全国調査により民俗芸能の体系的研究をおこなう。昭和35年早大教授。49年「日本の民俗芸能」で芸術選奨。平成7年文化功労者。平成13年2月19日死去。94歳。福島県出身。早大卒。著作に「能及狂言考」「沖縄の祭りと芸能」など。→コトバンク

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1910年5月15日ー『日本及日本人』第573号 碧悟桐「那覇での社会問題として第一に指を屈せられるべきものは辻遊郭である」

1910年6月 『ホトトギス』岡本月村「琉球スケッチ」




□岡本月村(1876年9月10日~1912年11月11日)
上道郡西大寺(現、岡山市)の人。名は詮。幼くして画技を好み、13歳で徳島県の天蓋芝堂、次いで京都の今尾景年に、また洋画を浅井忠に学んだ。神戸新聞、大阪朝日新聞に俳味ある漫画を載せて異彩を放つ。旅行を好み俳句にも長ず。

麦門冬と河東碧梧桐
1984年12月発行の『琉文手帖』「文人・末吉麦門冬」で1921年以降の『ホトトギス』の俳句も末吉作として収録した。これは別人で熊本の土生麦門冬の作品であるという。土生麦門冬には『麦門冬句集』(1940年9月)があった。1910年5月、河東碧梧桐、岡本月村が来沖したとき、沖縄毎日新聞記者が碧梧桐に「沖縄の俳句界に見るべき句ありや」と問うと「若き人には比較的に見るべきものあり其の中にも麦門冬の如きは将来発展の望みあり」と答えたという。

河東碧梧桐 かわひがし-へきごとう
1873-1937 明治-昭和時代前期の俳人。
明治6年2月26日生まれ。高浜虚子とともに正岡子規にまなび,新聞「日本」の俳句欄の選者をひきつぐ。のち新傾向俳句運動をおこし,中塚一碧楼(いっぺきろう)らと「海紅」を創刊,季題と定型にとらわれない自由律俳句にすすむ。大正12年「碧(へき)」,14年「三昧(さんまい)」を創刊。昭和12年2月1日死去。65歳。愛媛県出身。本名は秉五郎(へいごろう)。作品に「碧梧桐句集」,紀行文に「三千里」など。(コトバンク)

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
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資料の大半を提供している翁長良明氏(携帯090-3793-8179)なるみ堂主人、左・新城栄徳
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2013年7月29日 玉那覇展江さん(沖縄タイムス社ミニコミ紙担当記者)と翁長良明氏


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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1958年11月15日~17日 ナハカラーフオトクラブ主催/沖縄タイムス社後援「第一回カラーフォト展」琉米文化会館



2007年1月ー『CORALWAY』「写真家・山田實の世界―童こそ宝」

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Posted by: ryubun02
2010年7月28日ー午後6時半から那覇市歴史博物館でギャラリートークがあった。講師は湖城英知氏(元、沖縄海邦元頭取、沖縄モノレール元社長)で「2、000円札発行について」解説。会場には湖城氏の幼馴染の渡口万年筆の渡口彦邦氏や、南都社長の大城宗憲氏も居られコメントも出た。講演終了後、パレット地下の日本料理屋で大城宗憲氏と夕食を共にした。大城氏はかつて松尾書店を経営して居られた。松尾書店から1965年4月に真境名安興『沖縄1千年史』を新城安善作成の索引をつけて発行している。同年11月には雑誌『沖縄春秋』も創刊。創刊号には「特別座談会・転機を迎えた沖縄問題」が組まれ小渕恵三、宇野宗祐、中村晄兆、翁長助裕が参加、司会が比嘉幹郎であった。『沖縄春秋』第2号にはカメラマンの岡村昭彦氏が来社した記事がある。日本料理屋には湖城英知氏と夫人も居られた。2000円札は沖縄観光のシンボルでもある。これを活かさない手はない。大城宗憲氏も沖縄観光を産業化にして居られる。


沖縄観光については、2000年10月2日の『琉球新報』に私は「近代沖縄観光文化史ノート」を書き先ず沖縄に来た画家たちを紹介した。2006年3月の『沖縄タイムス』には「ウチナー美の森」を書いて近代沖縄美術史を概観した。沖縄観光史については「琉文21」に随所に出ているが一応並べてみる。

1936(昭和11)年8月28日ー那覇の昭和会館で沖縄観光協会設立。会長に金城那覇市長、副会長に平尾商工会議所会頭。

1939年5月ー『月刊民藝』□日本民藝協会同人 琉球日記ー3月28日、夕刻5時織の仕事について親切な配慮をして下さる工藝(業)指導所長安谷至(屋)氏の来訪を受けて色々打合せをした。比嘉景常氏、山里氏、平野学務課長等の来訪もあって、琉球の家最初の夕食は、喜久山一家の手になる琉球風な料理である。食後再度街の方へいろんな買物に行く。蛙の鳴く夜を蚊帳をつって眠る。

1939年7月ー『月刊民藝』□日本民藝同人 琉球日記ー4月14日、朝8時県庁から廻された車で国頭に向う。運転は正月の柳の時と同じ、柳沢君(奄美大島で運転手をしていた)。一行は柳、河井、濱田、外村、写真の𤘩宮城昇君の5人である。

1939年8月ー『月刊民藝』□日本民藝同人 琉球日記ー4月17日、豫々待望の久米島行の日。外村、田中、岡村の3人は留守番と決定。朝10時那覇の港を出づ。安谷屋所長、久米島出身の濱川昌俊県会議員等の見送りをうく。宮古丸、同行者河井、濱田、芹沢、柳、悦孝の5名、それに吾等のよき友喜久山添采氏、写真師として𤘩宮城昇氏病をおして一行に加わる。久米紬同業組合長・比嘉文貞氏も幸い同船。 4月20日、𤘩宮城氏撮影に多忙なりー 

 
2004年
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2004年6月ー牧港篤三『沖縄人物シネマー会った人、すれちがった人』ボーダーインク□沖縄を訪れた偉才たち/駆け抜けていった人々
2005年8月ー『KANA』第11号<特集・牧港篤三追悼>
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照屋重男コレクション

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翁長良明コレクション

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

07/26: 田辺泰

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資料・田辺泰

1934年8月    田邉泰、 巌谷不二雄の助力を得て一カ月沖縄に滞在し琉球建築研究に従事。→翌年にも来沖
1937年10月   田邉泰、 巌谷不二雄『琉球建築』座右宝刊行会



1972年10月 座右宝刊行会から再刊

□1943年11月 自然文化の研究と国土愛の昂揚『風景』「沖縄地方」

沖縄建築風景①首里城正殿、②首里城守礼門、③民家の井戸、④崇元寺表門、⑤民家の門、⑥民家・・・田邉泰
沖縄の都市と村落・・・辻村太郎/沖縄建築風景・・・田邉泰/沖縄植物景観・・・竹田亮/會遊沖縄 挿絵「首里城觀会門」「那覇の女後姿」・・・小山周次□ こやま-しゅうじ 1885-1967 明治-昭和時代の洋画家。明治18年6月27日生まれ。小諸(こもろ)義塾で丸山晩霞(ばんか)に師事。のち太平洋画会研究所,日本水彩画会研究所にまなぶ。日本水彩画会展や二科展に出品。水彩画を専門とし,その普及や指導につくした。昭和42年12月18日死去。82歳。長野県出身。作品に「セーヌ河の橋」「港の一角」など。→コトバンク/沖縄の思ひ出・・・坪谷水哉□編集者。新潟県生。名は善四郎。博文館編集主幹、のち取締役。「太陽」創刊の編集に従事し、また東京市会議員として都市行政に活躍した。俳句をよくし、句集『俳春秋』の他多くの著書がある。昭和24年(1949)歿。 →コトバンク


□1982年6月4日『沖縄タイムス』大城龍太郎「田辺泰先生をしのぶー貴重な著書『琉球建築』戦前の風俗研究の資料に」


□現在の建築史研究室は、日本建築からアジアまでを幅広く渉猟する中川武教授と、近代建築を専門とする中谷礼仁准教授の二人の教員の指導により運営されている。
当建築史研究室の創立年は、故田辺泰教授が大学院教授として任ぜられた1951年である。建築史教育の観点から大学の歴史を繙けば、大隈講堂他すぐれた作品を設計した佐藤功一教授や、日本における建築史学の創始である伊東忠太教授らが教鞭を執っていた時代にさかのぼることができる。
田辺教授は古建築の調査研究に関して多大な成果を挙げ、特に被災を被ったため現存しない沖縄の古建築について、貴重な記録遺産を残したことで知られる。後任の渡辺保忠教授(1963年着任)は、「保忠史学」とも呼ばれる建築生産関係の分析による独創的な視点で日本建築史をまとめる一方、1970年代からのエジプト発掘調査においても多くの建築考古的発見をおさめた。渡辺教授は1993年の早稲田大学を退任後も、保存事業などで活躍した後、2000年5月に逝去した。(早稲田大学創造理工学部建築学科建築史研究室)
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1909年5月 宮地貞頴『現今俳家人名辞書』紫芳社□「麥門冬 末吉安恭  沖縄県首里区儀保729。別号南天居、襄哉。明治19年5月生。出生地同住所   院々の晝静なり鳥交る/月の方へ蔭の方へと踊りけり」


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2013年7月23日ー沖縄県立博物館・美術館で、写真左が渡名喜明氏、新城栄徳

〒901-1412 沖縄・南城市佐敷字新里174番地
[明王窯 渡名喜 明]Tel・Fax 098-947-0224

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さて、NYを訪れた一番の目的は、現代美術を見ることでしたが、それも含めて4つの美術館を見学しました(初心者はメジャーなところから)。「メトロポリタン美術館」、「Moma(近代美術館)」、「ホイットニー美術館」、「グッゲンハイム美術館」。他にも、ラテンアメリカ美術館(エル・セル・ムセオ・デル・バリオ)や、ユダヤ人美術館など、気になる所もありましたが予定が合わず、この4館の見学となりました(残念)。メトロポリタンは全世界の美術や工芸品などが見れます。ここでの目当てはイスラム美術でした。イスラム美術の細かな装飾やガラス、モザイクタイルなどを見ました。ホイットニーは、ナンゴールディンの映像作品を覚えています。本当はここでライアン・マッギンレーという作家の写真が見たかったのですが、この時は展示されていませんでした。Momaは一番良かった。ピカソ、ゴッホ、ルソー、マチスなど、有名どころの作品が多くありました。いままで、あまり関心がなかったのですが、ゴッホのスケッチが一番印象的でした(本物を見てみるものだ)。膝を抱えて顔もうなだれている女性の図(sorrow)ですが、ゴッホの印象が変わりました。グッゲンハイムは、建物の造りから面白いです。そろそろ沖縄に帰りたいと思い始めていた時にフラッと行ってみたのですが、入口でチケットを買ってすぐ、インスタレーション(空間)が始まり、現実を忘れた感覚になりました。館全体(内部)が特殊な空間になっていて面白かったです。ジェームス・タレルの作品だったかと思います。彼の作品は瀬戸内海の地中美術館でも見れるかと思います。純粋に面白いです。彼の作品については全く詳しくはありませんが、ある環境における人間の五感の変化(特に視覚)?のような感じです。うまく表現できません。


ワールドトレードセンター跡地。グラウンド・ゼロと呼ばれています。グラウンド・ゼロとは、「爆心地」という意味があり、原爆を落とされた広島や核兵器の実験場などを指すそうです。この場所がグラウンド・ゼロと呼ばれるのは、それを連想させることから来ているようです。仕切りで中の様子はよく見えませんが、「NY9.11」後、復興して、現在は1つのタワー(ワン・ワールド・トレード・センター)が完成しています。この敷地には全部で7つの施設があったそうですが、今回もまた同じように7つ建設するそうです(ガイドの方いわく)。やはり、そのような事があった場所なので、復興に対し批判的な意見もあったようです。また、建物の中に入る店舗が決まらないと建設が進まない(工事の中断もある?,地価に伴い家賃も高い)、9.11から来るその場所に対する不安などもあるようです。

グラウンド・ゼロ向かいの教会。そこは9.11の際、レスキュー隊の休憩場所として使用されていたとのこと。今でも当時レスキュー隊へ各国から送られてきたメッセージや、日本からの千羽鶴などが展示されていました。観光客や修学旅行生?も多く訪れていました。


チェルシーマーケット。色んな食の店舗が入っています。NYで動き始めた初日は、旅行社の半日ツアーに参加したので、そのコースに入っていました。私は旅先での食事に関しては一人で食べても味気なく、また食欲もそれほどわかないのであまり食べません。この日はツアーのメンバーがいたお陰で、最初で最後のNYでの楽しい食事でした。ロブスターは大・中・小あり。小(約20ドル)ですが、充分すぎる量です。

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「沖縄・烽火のネットワーク連絡会」代表・島袋和幸(〒124-0011 葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)氏が全国の烽火跡などを訪ねた折に出会った蘇鉄。


秋田県潟上市羽白目<烽・とぶひ>遺跡ー古代の烽火場として唯一とも言われる遺跡


上の遺跡は現在 大沢さんの持ち山で、奥さんの右手前には蘇鉄が鎮座している。

2013年6月 『沖縄の軌跡』第102号 「関東大震災虐殺事件 大正12年9月1日 秋田県人・三重県人・沖縄三県人殺害の<検見川事件>の真相」/2013年7月17日『秋田魁新報』■北斗星ーこの連休中、沖縄県生まれで東京都在住の島袋和幸さん(65)は横手市内を歩き回った。関東大震災の混乱の中で命を落とした『旧横手町の藤井さん』の手掛かりを探すためだこの連休中、沖縄県生まれで東京都在住の島袋(しまぶくろ)和幸さん(65)は横手市内を歩き回った。関東大震災の混乱の中で命を落とした「旧横手町の藤井さん」の手掛かりを探すためだ。当時26歳の藤井さんは地震4日後の1923年9月5日、現在の千葉市で自警団に捕らえられて殺され、川に捨てられた。手を下した数人は有罪となり、事件は一部新聞で報道されたが、遺体は海に消えたと思われる震災後、「朝鮮人暴動」の流言が広まり、不安に駆られた住民らの手で多くの朝鮮人が殺されたことは広く知られている。だが、言葉になまりのある地方出身者が朝鮮人と誤認され、犠牲になる事件が続発したことは、あまり知られていない藤井さんと一緒に沖縄県人と三重県人も犠牲になっている。仕事を持ちながら歴史の発掘に取り組んでいる島袋さんは、当時の新聞にある3人の出身地と名前を頼りに親類捜しを続ける。だが沖縄と三重では手繰った糸が途切れ、遺族にたどり着けなかった藤井さんは横手から稼ぎに出た東京で地震に遭い、避難途中に居合わせた2人と共に犠牲になった、というのが島袋さんの見立てだ。郷里の縁者たちは、藤井さんがなぜ亡くなったか、知ることができただろうか島袋さんは「朝鮮人も日本人も、犠牲者の多くは名前さえ分かっていません。そのうちの一人の遺族でも突き止めて供養ができれば、亡くなった人も浮かばれるはずです」と話す。今年は震災から90年である。



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左下ー2002年4月 月刊 『榕樹』□沖縄の熊楠ー末吉麦門冬の人生にスポット 作家・神坂次郎氏が『歴史街道』に連載ー神坂氏に資料を提供した新城栄徳氏は、主宰する『琉文手帖(弟2号)』で麦門冬を取り上げ、早くから注目してきたひとり。『麦門冬が全国デビューした』と喜んでいます。

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Posted by: ryubun02
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写真ー右から紫女学園大学の松下博文教授、椎窓猛さん、地元紙の記者。手前が嘉数卓沖縄県立図書館長と職員。

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那覇市の与儀公園にある山之口貘詩碑「座蒲団」

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椎窓猛氏に贈った貘の色紙「座蒲団」

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椎窓猛氏に贈った貘のハガキ


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新城栄徳と椎窓猛氏(NPО世界子ども愛樹祭コンクール・コスモネット特別相談役)世界子ども愛樹祭コンクール・コスモネット 住 所: 〒834-1401 福岡県八女郡矢部村大字北矢部11060番地1 世界子ども愛樹祭記念館内 /この法人は、地球規模で環境破壊が進行している現在、主に日本国内及び世界中の子どもたちに対して、水・空気・土壌・生物等の生態系からなる地球環境を守るには、樹木、森林の働きが大変重要な役割を果たしていることの理解を得るために、森林育成や啓発イベントといった事業を行うことで「木を愛する」という文化を広め、自然や郷土を愛する豊かな心を持った子どもを育成すると共に、下流地域との交流により自然環境保全や緑豊かなまちづくりに寄与することを目的とする。

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筑紫女学園大学の松下博文教授。手にしているのが未来の女学生(新城栄徳の孫)の写真
沖縄県立図書館では、沖縄出身の詩人、山之口貘の自筆原稿7500枚が長女の山之口泉さんから寄贈されたことを受け、創立100周年を記念に「山之口貘文庫」を開設し大切に保存。資料整理を行ったのは筑紫女学園大学の松下博文教授。


2013年9月10日『沖縄タイムス』松下博文「『新編山之口貘全集』の意義」


中央が松下博文教授






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2013年7月19日『沖縄タイムス』

□2013年9月28日14:00~15:20 沖縄県立博物館・美術館 美術館講堂『フォトネシア沖縄・沖縄写真史講座』仲嶺絵里奈「近代沖縄写真史ー𤘩宮城昇の写真表現ー」

1912年発売の「ベスト・ポケット・コダック」、ベス単派の人が使っていた。安価な値段と、ソフトフォーカスの写真が撮れたので普及した。




2015年10月 第6回「国立劇場おきなわ創作舞踊大賞」
◆第6回創作舞踊大賞 佳作 仲嶺麗子・仲嶺絵里奈作品
「若水(わかみじ)」
年中行事の儀礼の舞踊化として成功している。出羽・中踊・入羽の三部構成が明確で、振付に打組の部分もあって変化に富んでいる。初春の喜びが伝わる清々しい作品であり、全体として若衆芸の新鮮さを表現した点は高く評価される。

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2011年9月15日(木)、市内与儀公園内の山之口貘詩碑に案内標柱と説明板が設置され、除幕式が挙行されました。 案内標柱と説明板の設置については、郷土の偉大な詩人の詩碑が人々の記憶から薄れつつあることを憂う文章を、新聞紙上へ投じた伊波興太郎氏の働きかけがきっかけでした。
 
趣旨に賛同し、大同火災海上保険株式会社と株式会社琉球新報社が費用を負担することになり、説明板の内容や案内標柱のデザインを、那覇市歴史博物館が担当しました。 説明板には、山之口貘の詩人としての足跡が記され、案内標柱には、詩の題材になった「デイゴ」、「アダン」、「ソテツ」、「バナナ」がデザイン化されています。
 
詩碑は、1975年7月19日、詩人の13年忌にあたり建立期成会の尽力によって、2万人のカンパが集められ、与儀公園内に設置されました。詩碑には、詩人が最も愛したと言われる作品「座蒲団」の自筆の扁額を拡大して刻まれています。 (那覇市HP)

「貘さん」知って 与儀公園に詩碑説明板
2011年9月16日『琉球新報』
山之口貘詩碑の説明板の除幕式=15日、那覇市の与儀公園
 那覇市与儀公園内にある山之口貘詩碑のそばに説明板と案内標柱が新たに設置され、琉球新報創刊記念日の15日に除幕式が行われた。
 設置費用50万円は「山之口貘賞」および貘さんの生誕100年を記念して創設された「神のバトン賞」を主催する琉球新報社(富田詢一社長)と、CMで貘さんの詩を使用している大同火災海上保険(照屋侑社長)が負担し、那覇市に寄贈した。
 山之口さんの詩「座布団」を刻んだ詩碑は1975年7月19日に建立されたが案内表示もなく目立たないことから、やえせプランニングプロデューサーの伊波興太郎さん(63)が2010年12月に説明板などの設置を那覇市に要望。琉球新報社と大同火災海上保険に協力を 呼び掛けた。
 説明板は富田社長、大同火災海上保険の宮良直人会長、佐久川馨那覇市市民文化部長、伊波さん、第1回山之口貘賞受賞者の岸本マチ子さん、貘さんについて研究する仲程昌徳さんが除幕した。
 伊波さんは「貘さんを若い世代に知ってもらうためにも説明板と案内標柱が設置されたのはうれしい」と喜んでいた。







□説明板には末吉安久氏が「貘さんおいで」のぼり旗を持って貘さんの隣りに写っている写真がある。なお、沖縄県立図書館の左側には「安冨祖流楽祖之碑」がある。安冨祖流絃聲会が1964年1月18日に建立しものだが、設計は末吉安久である。ちなみに、揮毫は島袋光裕、刻字が安里清謙、施行が安里清福である。沖縄県立図書館の館長室には歴代図書館長の一人として末吉安久の写真も飾られている。

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07/18: 食榮森

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1958年  神棚の扁額書ー謝花雲石/彫り知念善吉
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新里恵二・関連資料

私は復帰前よく新里恵二氏の父・実俊さんとは沖縄青年会のことなどで親しく指導してもらった。息子・恵二さんの話もしていた。恵二氏とは、球陽書房の西平守良さんが東京から来られた際、一緒に新里恵二弁護士事務所を訪ねた時と、何処かの会場で2,3回会っただけである。
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中央が新城栄徳、その右手側から来間泰男氏、新里恵二氏。新城の向が安仁屋政昭氏

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2013年6月30日 ブログ「沖縄文化工芸研究所 2」□歴史家・新里恵二氏(84歳) 訃報
2013年7月9日  『琉球新報』金城正篤「新里恵二さんを悼む」
2013年7月15日『沖縄タイムス』来間泰男「歴史家・故 新里恵二さんの足跡ー成果を見直し継承を」


□」新里実俊
1969年
9月ー本土と沖縄を結ぶ『月刊沖縄ジャーナル』創刊号□新里実俊「謝花昇を語る」。
1970年
1月ー『月刊沖縄ジャーナル』5号□新里実俊「謝花昇を語る」。/4月ー『沖縄差別』第1号□新里実俊「沖縄差別①農業規模②落差の増幅」。
1974年
3月ー『青い海』31号□新里実俊「誤てる認識『日清両国の帰属』」。

大浜千代
2012年3月、那覇市歴史博物館に、東京在住の大浜千代さんから沖縄関係資料が寄贈された。主なものを記すと、1932年の島袋源一郎『伝説補遺沖縄歴史』(沖縄県教育会の印がある)、『新版沖縄案内』(源一郎の署名入り)、親泊朝擢の『沖縄県写真貼』(補修本)、柳宗悦『民藝』1939年から1944年までがある。千代さんは那覇の外間政暉の2女。戦時中は父政暉の東風平時代の教え子の新里実俊(川内中学校で教師)を頼って鹿児島に疎開した。戦後は那覇高校入学、1952年、文化女子大学入学、このとき外間政彰と渋谷区代々木上原に住む。帰沖し1955年、琉大助手。1958年、御茶ノ水女子大に編入。帰沖し琉大につとめる。1961年に大浜信昭氏(開業医)と結婚。
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本日、栄町マチグヮーをのぞく。入口にガラス製の小さな看板(?)があるのが「宮里小書店」だ。市場の古本屋ウララ (〒900-0013 那覇市牧志3-3-1 ℡090-1794-4799営業11時~19時 )より小さい。

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

□程順則の碑を手始めに七偉人(羽地王子、宜湾朝保、護佐丸)の碑が続々その墓地に建てられた。書は東宮侍従長子爵・入江為守氏①。

入江為守 いりえ-ためもり
1868-1936 明治-昭和時代前期の官僚,歌人。
慶応4年4月20日生まれ。冷泉為理(れいぜい-ためすけ)の3男。入江相政(すけまさ)の父。明治30年貴族院議員。のち東宮侍従長,侍従次長をへて昭和2年皇太后宮大夫。この間大正4年から御歌所所長をかね,「明治天皇御集」「昭憲皇太后御集」編集事業を完成させた。昭和11年3月19日死去。69歳。京都出身。(コトバンク)

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

中央・屋部憲

沖縄県立第二中学校ストライキ事件で中退し東京で近衛連隊勤務かたわら美術研究所で学ぶ。

1919年8月   屋部憲、帰郷して『琉球新報』記者。同年、古波鮫唯信(漂雁)入社。12月ー浦崎康華入社□社長は嵩原安佐、理事・与那原良能、比嘉盛昇、山城正一、硬派主任・瑞慶村智慧
1920年2月   泉正重、島袋紀成、琉球新報入社

1923年      玻名城政博、経済記者とし琉球新報入社
1925年9月   屋部憲、琉球新報退社し豊平良顕を入社させる。ソ連への越境入国を企てて、満州ハルピンまで行ったが果たせず。その後、大阪で「赤光社」という看板屋を営みながら県人会運動にも参加。

1926年3月    屋部憲、沖縄青年同盟に参加
1927年4月24日 屋部憲「一職工の手記ー北満の思出」(1)(2)軽快なロシア娘(3)ペンキ屋の職工
1928年2月    屋部憲、第1回普通選挙で労農党の井之口政雄を応援するため帰郷。

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1930年5月3日『沖縄朝日新聞』「山田有幹、屋部憲 釈放」

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1930年11月『沖縄朝日新聞』

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1937年、親泊康永依頼で屋部憲が製作し通堂橋脇に設置された「那覇・首里観光図」(首里・那覇の名所旧跡を彩色図にした)

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夢覚・屋部憲次郎氏、右は父上の屋部憲の戦前の看板店の地図(憲次郎書)

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首里の屋部夢覚氏から「蘓姓三世憲喜(棚原子シー)について」を送ってこられた。書家でもある氏には『蘓姓家譜ー奥島家(大宗憲宜)訳注』(1979年)の手書本もある。蘇氏は『氏集』によると、「元祖譜代蘇氏國頭親雲上憲宜三世新参比嘉筑登之親雲上憲清支流長子蘇文信棚原筑登之親雲上憲暢」と「」元祖譜代蘇氏國頭親雲上憲宜支流三子蘇用誠國頭憲之」がある。



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Category: 04-書の森
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6.30日曜日。タイムズスクエアとその周辺の通りはかなりにぎわっていました。また、いろいろな商売もあるようで。これは街なかでスプレーを使ったパフォーマンスアートの風景。手際がよく、スピードもあって見ていて面白い。1枚20ドルで販売していました。これと同じパフォーマンスをしている人がタイムズスクエアには点在していました。他にも、着ぐるみを来て観光客と写真撮影をして稼ぐ商売(問題になっているようです)、バッグのワゴン売り等々、さまざま。生きる力でしょうか。


DIKE(ダイク)パレード。NY市立図書館前を歩いていたらパレードと遭遇しました。近くのおまわりさんに何のパレードか尋ねたところ、”ダイクパレード”と言われました。DIKEの意味を尋ねると”レズビアン”とのこと。後で調べてみるとDIKE(ダイク)はレズビアンのスラングのようです。その翌日はゲイパレード。パワフルで良いです。


グランドセントラル駅。最近、東京駅と姉妹駅の締結をしたそうです。レトロな駅です。シャンデリアや天井に星座の装飾が施されていて、アーチ状の窓などとても雰囲気のある駅。駅中央の案内所(写真)の時計も良かったです。NYに行く飛行機で知り合ったおじいさんと滞在最終日にここで待ち合わせをして食事に行きました。良い出会いもあるものです。

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上下ー1975年9月『自由の女神ー新天地アメリカへのいざない』(ランドマーク世界史15)講談社
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じゆうのめがみぞう【自由の女神像】
1984年に登録されたアメリカの世界遺産(文化遺産)で、ニューヨーク港内のリバティー島にある。正式名称は「世界を照らす自由」(Liberty Enlightening the World)。アメリカの独立100周年を祝い、アメリカとフランス両国の友好のために贈呈された女神像は、フランス民衆の募金をもとにして、フランスの彫刻家のフレデリック・オーギュスト・バルトルディ(1834~1904年)が像を設計し、橋梁技師のギュスターヴ・エッフェル(1832~1923年)が構造を設計、1886年に完成した。像は奴隷制と専制政治を意味する鎖を踏みつけて立ち、右手にはトーチ、左手には「1776年7月4日」と記した独立宣言書を抱えている。300枚以上の銅板をつなぎ合わせて造られ、台座の中には「自由の女神博物館」がある。宝冠には7つの突起があり、それは「7つの大陸と7つの海に広がる自由」を象徴している。台座部分を含めた高さが93mの像はアメリカが誇る自由と民主主義のシンボルで、歴史的にはまだ浅いアメリカの重要な文化遺産の一つであることから、世界遺産に登録された。◇英名はStatue of Liberty (コトバンク)
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 一世一代の旅行。
機会のある人なら、何度でもこのような機会があると思いますが、私には貴重な旅行のひとつとなりました。まさか、自分がNYに行くとは思いませんでしたが、いつもどこかに遠出するときはなんらかの衝動で行きます。今回は、無性に現代美術が見たくなり、NYを選択しました。まだ記憶が鮮明なうちにいろいろとまとめたいと思います。

自由の女神。ベタな観光も良いものです。私が行った日にはリバティー島に上陸することができなかったので(6月28日)、船上から。以前のハリケーンの影響でまだ工事をしていました。この日から約1週間後の7月4日「独立記念日」から開放されました。遠目だったので、「あぁ、大きいね!」といった感じで終わりました。船から見るマンハッタン島の眺めが面白かったです。





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07/09: 新生美術

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1984年8月 『新生美術』<特集・玉那覇正吉>
1987年5月 『新生美術』6号□新城栄徳「『浦崎永錫画伯』美術史を語る」
1988年5月 『新生美術』7号<特集・大嶺政寛 追悼アルバム>
1990年5月 『新生美術』8/9合併号<特集・山里永吉・豊平良顕・宮城孝也
1992年6月 『新生美術』10号<追慕・山元恵一・山田昌弘・浦崎永錫>
 
        □新城栄徳「浦崎永錫ー美を追求する人」
1996年3月 『新生美術』11号<特集・安次嶺金正の画業を偲ぶ>
2001年3月 『新生美術』12号<特集・追悼 思い出 アルバムー具志堅聖児・金城安太郎・大嶺政敏・大嶺信一・宮良信成>
         □新城栄徳「金城安太郎さん」
2004年9月 『新生美術』13号<特集・比嘉景常・島田寛平・南風原朝光・名渡山愛順・大城皓也・宮城健盛・安谷屋正義・新川唯盛・仲嶺康輝・山之端一博>





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Category: 01-人物名鑑
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あきたうじゃく【秋田雨雀】 1883‐1962(明治16‐昭和37)
劇作家,小説家,童話作家。本名徳三。青森県生れ。1907年早稲田大学英文科卒業。小説家として出発し,小山内薫の《新思潮》記者となり,《紀念会前夜》(1909),《第一の暁》などで劇作家として認められた。13年島村抱月の芸術座創立に参画,翌年沢田正二郎らと脱退して美術劇場を組織したが経営に失敗。失意の時期エスペラント,インド哲学に打ち込み,童話創作を試みつつ社会主義に傾く。20年には戯曲《国境の夜》を発表し,21年日本社会主義同盟に加入,翌年先駆座を結成。 (コトバンク)
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2013年07月06日『毎日JP』橋下徹大阪市長:「沖縄女性、慰安所で頑張った」 参院選遊説 /沖縄
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は5日、県内から参院選比例代表に立候補している公認候補を支援するため来県した。橋下氏は応援演説で、米施政権下の県内で日本政府による米兵向け慰安所が設置されたとして「レイプを止めるために、沖縄県の女性が一生懸命になってやってくださった。感謝の念を表す」などと発言した。橋下氏は5月の米兵風俗利用発言を撤回し、米側に謝罪の意を示していたが「過去に女性を性の対象に利用していた、とアメリカに言いたい」と述べた。橋下氏は沖縄本島中南部の4カ所を遊説した。沖縄市の胡屋十字路では「米軍の沖縄占領時、日本の政府が真っ先に作ったのは、RAAという特殊慰安所協会だ」などと主張した。「女性の人権を蔑視していると言うが、沖縄の女性が特殊慰安所協会で一生懸命頑張ったことを全部無しにするのか」と持論を展開した。沖縄女性史研究家の宮城晴美氏によると、日本政府が米国占領下の県内で、慰安所を設置した事実は確認されていない。(琉球新報)



柳川 次郎(梁 元鍚)
大阪が「タンツボ」と云われて久しいが、行政の長もそれに相応しい半ぐれ・半官の人物が選ばれた。かつての殺しの柳川組が活躍した「弱肉強食」時代に戻りつつある。大阪の橋下ドクサイ市長が「大阪人権博物館」「子どもの家」などの補助金を減らして弱者を虐めている。また最近は原発も「一時稼動」とか発言して腰がフラフラし関西電力に媚びているという典型的な半ぐれ半官的な人物だ。そこで柳川組を立ち上げたドクサイテキ人物・柳川次郎を紹介する。

柳川 次郎(やながわ じろう、梁 元鍚(ヤン ウォンソク)、在日韓国人1923年-1991年12月12日)は、山口組全国制覇の切り込み隊長 柳川組(殺しの柳川)初代組長。通称:マテンの黒シャツ。日本IBF初代コミッショナー。ヤクザから完全に引退した後は亜細亜民族同盟を創立「ある面での」日韓の親善に尽力(二代目のS・I氏は飛び降り自殺で亜細亜民族同盟は現在、消滅)すると共に、日本IBF設立に関わりコミッショナーを務めた。1991年12月大阪で死去した。享年69(満68歳)。→ウィキペデア
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写真ー左上が1976年『戦後民衆史 ― 人間記録』大島幸夫 毎日新聞記者のインタビューを受ける柳川次郎。左したが柳川次郎自宅。右上・猪野健治の2代目柳川組長・谷川康太郎。右下・大阪府警記念誌、柳川次郎の年賀状。


自民党の安倍晋三元首相だけは絶対にダメ。自民党が政権を取ったら大変ですよ。

政権を投げ出した安倍晋三(別名:安倍壺三)と統一教会の関係について
安倍晋三は以前から統一協会に祝電を送り続けていた。2006年の官房長官時代、統一教会系の団体・天宙平和連合(UPF)の集会に祝電を 寄せた(保岡興治やその他の自民党議員も)ことが新聞・雑誌等で伝えられた。 この事実により、安倍氏は「北朝鮮と関わり合いが深く、統一協会とはグルで口先だけのエセ保守」 などとレッテル貼りをされ、一時期ネット上でも騒ぎになった。

事実、安倍氏と父と祖父は統一教会及びその関連団体である国際勝共連合と関わりが深いと言われている。 2006年、官房長官時代に統一教会系列の団体・天宙平和連合の集会に祝電を寄せた件について安倍氏の事務所見解は 「私人としての立場で地元事務所から『官房長官』の肩書で祝電を送付したと報告を受けた。 誤解を招きかねない対応で、担当者に注意した」とのコメントを出した。





霊感商法被害対策(統一教会)に取り組んで来た「全国霊感商法被害者対策弁護士連絡会」が安倍氏に対し真意や今後の姿勢を問う「公開質問状」を送った事実がある。


安倍一族(安倍晋三氏の祖父と父)は統一教会との深いかかわりを持っていたようである。 さらに、祝電をだしたり公開質問状に回答したりしないことなどはその証左ともいえる。 安倍一族と統一教会との関係はあったが、安倍晋三氏との関係は不明ということだけ。 統一教会の合同結婚式に国会議員を招いた総理は大問題である。

マスコミは統一教会との関係を指摘されてから、同教団とのつながりは一切報じられていない。
「統一教会とつながりがある」ので、矛盾する朝鮮総連のガサ入れや北朝鮮への経済制裁などで誤魔化した。

明らかに根拠があり、今後は安倍氏を「売国奴」とみていく必要がある。

祝電を贈ったのは、安倍氏だけに止まらず、中曽根元首相、中川秀直・自民党政調会長、小坂憲次・文部科学大臣、江崎鐵磨・国土交通副大臣、長勢甚遠・内閣官房副長官、鈴木政二・内閣官房副長官、佐藤剛男・自民党国際局長、山崎拓・元自民党副総裁、保岡興治・元法務大臣、中曽根弘文・元文部大臣、田名部匡省・元農林水産大臣、船田元・元経済企画庁長官などの売国奴達であるのです。

もともと統一教会は韓国の怪しい宗教で、「世界は韓国によって統一される(言語・政治なども含む)」「再臨したイエス=文鮮明(教祖)」という思想と、性的儀式をもった物でした。これが韓国の情報部(KCIA)と結びつき、反共を売り物に日本でも活動を拡げているわけですが・・・・ご存知合同結婚式や霊感商法などが問題になりました。(実はまだやめていません)
また北朝鮮のホテルの経営を任されていたり、北との関係も深まっているとのことです。
こういった集団なのですが、これが主に自民党などの権力者と結びついた背景は一言で言えば反共です。

国際勝共連合(小池百合子も非常に関わりを持っています)という組織があるのですが、これが原理=統一教会と表裏一体の組織であり、日本では(ある意味不可解な)「韓国系」右翼団体であるわけで(韓国系であることは隠して反共を看板にしていますが)、この反共の一点で保守勢力と結びついています。

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07/05: 地図2題

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07/01: 仏桑華

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又吉通りの仏桑華

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与儀公園の仏桑華

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おもろまちの仏桑華



おもろまちの黄金森公園の仏桑華