Archives

You are currently viewing archive for May 2019
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2019年5月 仲程昌徳『ハワイと沖縄 日誌、映画、二世たち、捕虜たち』ボーダーインク


1951年1月 比嘉武信『布哇沖縄県人写真帳ー来布五十年記念』








2004年4月 比嘉武信『比嘉武信の雑炊日誌』琉球新報社


2017年4月 仲程昌徳『もう一つの沖縄文学』ボーダーインク

仲程昌徳の本

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2019年5月28日~6月2日 那覇市民ギャラリー「山田實 写真展 きよら生まり島ーおきなわ」
トークイベント 6月1日14:00~17:00 [場所]〒900-0013 沖縄県那覇市牧志1-3-18 エトワール牧志1F(パラダイス通り沿い) INTERFACE-Shomei Tomatsu Lab.[参加費]1,500円※1ドリンク、懇親会費
第1部 14:00-15:00 金子隆一(写真史家)「山田實の写真表現」
第1部 15:15-17:00 末吉發、中山良哲、大城ひとみ、金子隆一、仲嶺絵里奈「山田實を語る―沖縄ニッコールクラブとその周辺」 


2019年5月31日

2019年5月29日『沖縄タイムス』仲嶺絵里奈「山田實写真展に寄せて」/2019年5月31日-左後ろから辺士名朝吉氏、山田勉氏、前左から小谷武彦氏、金子隆一氏、仲嶺絵里奈さん


2019年5月27日/前左から小谷武彦氏、山田勉氏、豊里友行氏、辺士名朝吉氏、後左から、新垣辰雄氏、翁長盛武氏、中山良哲氏、比嘉清眞氏、山田菊代さん、真栄田義和氏


『オキナワグラフ』2018年11月号<特集・山田實生誕百年ー変わりゆく島を見つめてー>

 今年は山田實生誕100年。東京、沖縄などで写真作品が展示された。10月29日は山田写真機店でニッコールクラブ沖縄のメンバーによる記念の宴があった。(撮影・新城栄徳)


『オキナワグラフ』2018年9月号

写真右よりー中山良哲 ニッコールクラブ沖縄支部長、豊里友行氏、真栄田義和氏、山田勉氏

山田實「儀間比呂志」/山田實「1956年 美空ひばり 那覇公演」

山田實「瀬長亀次郎、伊波広定」/山田實「市場」

写真左からー伊佐眞一氏、中山良哲氏、大城さゆりさん、大城仁美さん/山田勉氏、中山良哲氏、嘉数理紗さん、比嘉清眞氏

null

2018年8月11日ー11月4日 東京都写真美術館「夢のかけら」〇山田實作品も展示されている。
 TOP コレクションは、東京都写真美術館の収蔵作品を紹介する展覧会です。今年のテーマは「たのしむ、まなぶ」。この展覧会は、大人と子供、さまざまな立場の人たちが見たものや感じたことを自由に語りあって、作品の見方を深めていく、そんな光景が自然と生まれてくることを目指しています。本展では、「大人+ 子供×アソビ」、「なにかをみている」、「人と人をつなぐ」、「わからないことの楽しさ」、「時間を分割する/積み重ねる」、「ものがたる」、「シンプル・イズ・ビューティフル」、「時間の円環」という8 つのセクションに分けて34,000点以上におよぶコレクションの中から選りすぐった古今東西の名品をご紹介していきます。
出展アーティスト: ジャック・アンリ・ラルティーグ、林ナツミ、井上孝治、ロベール・ドアノー、山田實、井手傳次郎、 W.ユージン・スミス、本城直季、フェリーチェ・ベアト、ナダール、岩合徳光、ハロルド・ユージン・エジャートン、石田尚志、瑛九、竹村嘉夫、今道子、篠山紀信、川田喜久治、宮崎学 ほか→東京都写真美術館は、1995年、目黒区三田一丁目にある恵比寿ガーデンプレイス内に総合開館した、国内唯一の写真と映像専門の公立美術館。改修による2年間の休館の後、2016年秋にリニューアル・オープンした。
 

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2019年5月 後田多敦(神奈川大学准教授)『救国と真世ー琉球・沖縄・海邦の史志』(株)Ryukyu企画(琉球館)☎098-943-6945 FAX:098-943-6947

上記の著に後田多氏が2013年に『うるまネシア』16号に載せた「幸地朝常(向徳宏)の『帰郷』の意味」、2012年『地域研フォーラム』29号の「全国版『人事興信録』のなかの幸地朝瑞」も収録されているので関連/新城栄徳「尚家と幸地家の関係図」/1980NENN0月 崎原貢『がじまるの集い 沖縄系ハワイ移民先達の話集』「幸地朝則」/2001年11月8日『沖縄タイムス』「脱清人の位はい ハワイに」/2005年10月『現代の理論』後田多敦「沖縄自立・独立派の源流ー十九世紀後期の『黒党』の思想と行動」/2005年1月『うるまネシア』6号 新城栄徳「『脱清人』群像」



2019年5月『月刊琉球』№66 後田多敦「百四十年を耐えた『堅忍因循の気質の土人』」/當間文信「農業の現場からー私の『ドラバタ』はホップ・ステップ・ジャンプ㊤」/しもじけいこ「宮古IN-バブル狂騒曲~住民の暮らし破壊?~」/与那嶺功「沖縄振興ー『明治維新150年』を問う 大東亜・植民政策・ナショナリズム⑩」

 沖縄文化の杜発足に尽力した後田多敦さんが出版舎Muɡen(〒900-0013那覇市牧志1-4-31-2F 電話&fax 098-863-2562)から『琉球の国家祭祀制度ーその変容・解体過程』を刊行した。私は今、ブームというか年中行事的な薩摩侵攻や、琉球処分の話は食傷気味であったので、そういうものとは違う切り口で論を展開しているところに新鮮さがあって読んで違和感がない。
 本書は、琉球国の各所で行われていた祭祀は、琉球社会の共同空間・世界をつくりあげるものだ。家、村落、地域、そして、国。次元は異なっても、祭祀の担い手や場所、おたかべなどをたどれば、祭祀が琉球社会を結びつける紐帯の役割を果たしていたことが分かる。いいかえれば、国家祭祀は琉球社会の一つの時空として結びつける重要な要素であった。(略)琉球国祭祀は過去に確かに存在していた。そして、その記憶がまだ沖縄社会に生きている、とする。これは文学、美術の世界にも当てはまる。


2016年7月 後田多敦『「海邦小国」をめざして「史軸」批評による沖縄「現在史」』出版舎Ⅿugen(〒900-0013 那覇市牧志1-4-31-2F ☎FAX:098-863-2562)

まえがき 「海邦小国」の記憶と現在
 第1章  「海邦小国」をめざして
第2章  「海邦小国」思想の源流
第3章 「海邦小国」を拒むもの 批判論集
     小説「テンペスト」の比喩と歴史像 歴史修正主義批判
     沖縄の批評における「史軸」の重要性 ヤマトに立脚する内外の言説批判
     沖縄とヤマトの歴史は「真逆」である 「冊封儀礼」再現に関する新聞投稿への批判
     「ミスリード」の仕掛け 森宣雄氏の仲井眞知事擁護論批判
     沖縄の歴史文化を否定する動き 二つの住民訴訟の持つ意味
     問われる沖縄の主体性 沖縄の主権を簒奪するヤマトとそれに迎合する沖縄人批判
     「差別」「植民地」をめぐる沖縄知識人の言説 高良倉吉氏批判
第4章 「海邦小国」をめぐる諸相
      (1)沖縄「現在史」
      (2)沖縄人の生きざま

2013年12月27日『琉球新報』「関係者によると、仲井真知事が(辺野古埋め立て)承認を表明する27日の記者会見の発表文や想定問答は、高良倉吉副知事を中心にまとめられている。」
2013/04/28 -アベ 政権は、サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を「主権回復の日」と位置づけ式典を開いた。県民にとって「屈辱の日」とされる4・28に「主権回復」の式典を開くことは「再び沖縄切り捨てを行うものだ」と、県民は怒っているが、仲井眞県政は、その式典に副知事を送り込んだ。○「差別」「植民地」をめぐる沖縄知識人の言説 高良倉吉氏批判)ー副知事だった高良氏は、仲井眞沖縄県知事の名代として式典に参加している。(略)この場の体験は高良氏にとって「差別」を「思い知る場面」ではなかったようだ。氏が歴史家であることを考えれば、これは衝撃的な告白である。/「ミスリード」の仕掛け 森宣雄氏の仲井眞知事擁護論批判(2016年7月 後田多敦『「海邦小国」をめざして「史軸」批評による沖縄「現在史」』出版舎Ⅿugen

2013年7月 与那原恵『首里城への坂道ー鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像』筑摩書房
○あとがきー(略)鎌倉は、末吉麦門冬との出会いが琉球芸術調査のきっかけとなったけれど、私にも琉球史への目を大きくひらかせてくれた恩人がいる。琉球史家の高良倉吉さんで、沖縄に行くたびに泡盛を呑みながら、愉しい「ゆんたく」(おしゃべり)をさせてもらった。

2005年12月『うるまネシア』第7号□後田多敦「記憶の風景を訪ねて(1)ー鄭迵謝那親方利山顕彰碑ー」
      
鄭迵・謝名親方利山顕彰碑 と神坂次郎氏○鄭氏の門中(一族)によって1983年3月に建てられた顕彰碑が元の久米村に近い那覇市若狭の旭ヶ丘公園にある。


写真左から後田多敦さん、出版社社長、神坂次郎氏、新城栄徳


山之口泉さんと後田多敦氏

 今はネット時代である。国家公務員などの経歴は検索すればすぐ分かる。□沖縄県警本部長の村田隆(むらた・たかし)は東大卒。1984年警察庁。警視庁第1方面本部長、警察庁国際テロリズム対策課長などを経て、2009年10月から大阪府警刑事部長。50歳。福岡県出身とある。沖縄県警本部長になったのは警察庁国際テロリズム対策課長の経歴が買われたかも知れない。□松井一郎は、競艇場の照明など電気設備の利権を一手に握っている笹川グループの一員 。競艇利権は、松井知事の父親である元府議会議長の松井良夫元府議から引き継いだもの。 父親の良夫元府議会議長は、知る人ぞ知る故笹川良一の直系の子分だった人物 。父親の良夫元府議会議長は笹川良一払い下げの超豪華なキャデラックを乗りまわしていたぞな、もし。

 

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2019年5月29日『沖縄タイムス』「那覇市民ギャラリー『喜名朝駿写真展』魅惑の国ミャンマー」/2019年5月31日ー喜名朝駿氏と作品


5月26日 午後2時~5時 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)講堂(2階)「戦後うちなー御万人ぬ運動、ちゃーし考げーが-新崎盛暉『沖縄同時代史』(全11巻)読でぃんじゃびたん-」


2019年5月25日(土)18:00~19:30 フォトネシア沖縄講座「粟国恭子:『宮古』をめぐる写真文化史ー終戦直後を中心にー」[場所]〒900-0013 沖縄県那覇市牧志1-3-18 エトワール牧志1F(パラダイス通り沿い) INTERFACE-Shomei Tomatsu Lab.[参加費]500円

5/18(土)17:10-19:45 沖縄県立博物館・美術館(おきみゅー)講堂(2階)「辺野古を止める構想力ー変わりゆくアジアの中で沖縄はどうするのかー」



ジュンク堂那覇店 2019年5月11日 16:00~ 榕樹書林トークイベント「「反復帰論と今日の沖縄」出演:新川明(元沖縄タイムス社長)×川満信一(詩人)×仲里効(社会批評)



ジュンク堂那覇店 2019年5月11日『仏陀の小石』刊行記念トーク&サイン会。著者で芥川賞作家の又吉栄喜、ゲストに歌人・小説家の佐藤モニカ。


5月4日、5日ー沖縄県立博物館・美術館正面入口前「ソテツのおもちゃづくり」


 2019-4月30日~6月23日 沖縄県立博物館・美術館「新収蔵展」


仲嶺貞夫氏(琉球箏曲盛竹会会長)/田名真之氏、金城善氏

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

吉田初三郎「日本鳥瞰 近畿東海大圖繪」(大阪毎日新聞大正十六年元旦附録「要塞司令部認可」)

 泊の我が家から、おもろまちの沖縄県立博物館・美術館は15分ぐらいの所にある。ロビーには全国の博物館・美術館のイベント情報チラシが所狭しと並んでいる。中に立命館大学国際平和ミュージアム「儀間比呂志版画展ー沖縄への思いー」もある。日本伝統文化の屋台骨・京都は私が沖縄青年運動に目覚めた地でもあり様々な感懐を抱くものである。上記のチラシは京都関連だけでも、京都国立博物館「南山城の古寺巡礼」や九州国立博物館の「京都妙心寺ー禅の至宝と九州・琉球」「本願寺展ー親鸞と仏教伝来の道」「黄檗ー京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風」などがあり、よく行ったところなのでチラシは部屋の壁に貼って眺めている。( 記 2017年11月)

2016年5月10日 写真-沖縄県立博物館・美術館ー左が小渡照生氏、田名真之氏/2016年5月10日 写真-沖縄県立博物館・美術館ー小渡照生氏①

①小渡有得の二男/2008年9月 小渡有得『小石のつぶやき 或るクニンダンチュ(久米村人)の95年、心の軌跡』琉球新報社○小渡有得略歴ー1913年9月16日、那覇松山町に父邦光、母マカトの3男として生まれる。生家は萬履物小渡商店、道向かいに日秀上人が建てた地蔵堂があったので「ドゥヌメーヌーウドゥグヮー」と呼ばれた。1928年、『日本少年』11月号に「綴方/健ちゃん」を投稿し銀メダル。1931年3月、沖縄県立第一中学校修業。一家をあげて台湾台北千歳町に居住。1937年、基隆市義重町に転居、台湾総督府交通局基隆築港出張所に臨時夜警兼務。1939年、台北市御成町に転居。台湾総督府交通局逓信部工務課・台北電信電話技術官駐在所勤務。6月、臨時招集により台湾第一連隊補充隊に輜重兵二等兵として入隊。(1940年、南寧作戦に参加、欽寧公路警備に就く。1941年、台湾第一連隊補充隊に転属、海南島を経て基隆に帰還。)1943年、台湾総督府交通局逓信部工務課に復職、台中電信電話技術官駐在所勤務、台中市老松町に転居。1943年9月、玉城オトと結婚。1946年11月、具志川村高江洲区に居住。

小渡有得 短歌「雨あがりー雨やみて雫したたる葉がくれに水気ゆたけく熟れし桑の實」「思出ー白壁に小さき馬を黒々と描きし頃よ今はなつかし」→1929年7月 沖縄県立第一中学校学友会『養秀』第三十四号


1932年 吉田初三郎作
新城栄徳「関西日誌2008-5」
 2008年5月4日 午前9時半、あけみと散歩に出かける。司馬遼太郎記念館をのぞくと、竹富島などの映像が放映されていた。近鉄八戸ノ里駅から乗車し東花園駅で下車。12時半に元長栄氏宅に着く。前からお願いしておいた元長氏の「履歴書」をいただいた。氏は1969年8月、沖縄と本土を結ぶ月刊誌『沖縄ジャーナル』を大阪で創刊している。この雑誌は70年に『沖縄ポスト』と改題、10号で休刊。70年9月には元『沖縄ポスト』編集人の座喜味康夫が京都長岡町で『沖縄群像』を出している。偶然なことだが元長氏宅の近くには『青い海』編集デスクであった小渡照生氏も住んでいる。ちなみに『青い海』社長の山城賢孝氏は元長氏の沖縄教員時代の教え子であった。

5月12日 3時ナンバの大阪府立上方演芸資料館に行く。この資料館も大阪のタレント知事のリストラの一つにあげられている。この知事は職員に「一緒に死んでくれ」と相変わらずのパフォーマンスで宮崎県の知事同様テレビにもよくとりあげられその経済効果は十分期待されている。それはさておきこの資料館で私の好きな浪曲「紺屋高尾」を篠田実、富士実、浮世亭雲心坊、東家燕左衛門の節で聞いた。芝居のビデオでは松竹新喜劇の藤山寛美の「紺屋と高尾」を見た。沖縄の歌劇の「染屋の恋唄」も紺屋高尾をアレンジしたものだ。私が沖縄近現代芸能史の源流というノンキなことを調べている最中に中国では大震災が起きていた。

 〇2004年3月ー(財)河川情報センター『災害列島2004-2003年の災害を振り返る』「予測できない」を言い訳にしない。来年は阪神・淡路大震災から10年の区切りを迎える。滅災に向けた真摯な取り組みの新たな出発点であるー想定を超える外力に対してどう備えるか機敏な初動対応は可能か情報は手に入る 受け手の行動は災害から命を守れるのか?
災害は弱いところを突いてやってくる。豪雨と地震、それが同時に訪れることもあり、予想は難しい。しかし、自然界が出すサインは必ずあるはずだ。「予測できない」を言い訳にしない。来年は阪神・淡路大震災から10年の区切りを迎える。滅災に向けた真摯な取り組みの新たな出発点である。
nullnull

5月14日 ナンバの日本工芸館に行く。沖縄の漆器展が開かれていた。数十年前になるが同館での沖縄展のおり、三宅忠一館長と儀間比呂志さんが会話しているのを間近で聞いたことがある。この時は、儀間さんとは面識はなかった。

5月15日 沖縄が密約復帰をした日で、戦前の1932年のこの日は犬養首相が海軍将校らによって射殺された国家改造クーデターテロ事件が起きている。同日、京都では葵祭がある。葵祭は何回か見ているから二千円札にちなんで宇治を散策。平等院に寄り「鳳翔館」ができていたので観覧、コンピューターグラフィックスによる彩色復元の平等院の映写はコンピュータ技術を駆使したものだ。また売店で絵ハガキを買い求めた際に、お釣りを二千円札でくれと注文したら二千円札は用意して無いとのことだった。鳳凰堂は何回も見ているので丁度修学旅行生とはちあわせしたので周辺(大書院、浄土院、羅漢堂、頼政の墓、不動堂)、宇治市源氏物語ミュージアムを見た。帰途、萬福寺を見学。

 コルシカ島生まれのナポレオンは、新聞一紙は5千の兵に匹敵するとし新聞統制を計り活用した。駅逓頭・前島密が指導した『郵便報知新聞』が創刊された1872年、川崎正蔵は大蔵省の命で琉球物産調査に赴き「経済交流で琉球を日本に依存させよ」と主張して前島に認められて日本政府郵便蒸気船会社の副頭取に就任し、琉球との郵便航路を開設。73年には海軍大佐柳楢悦らが測量で来琉した。川崎は後に川崎造船所を興し神戸又新日報社、神戸新聞社にかかわる。郵便報知は後に報知新聞となり読売新聞と合併する。
□1918年9月 山本實彦『川崎正蔵』 
□1928年10月 『目録』(神戸 川崎男爵家蔵品入札目録)
□1936年2月 『神戸 川崎男爵家蔵品入札目録』
「支那宋、元古画の蒐儲に於いて、世界にその名を知られている川崎美術館は、神戸川崎男爵家の先々代・故川崎正蔵翁が明治23年神戸布引の邸内に建設されたもので、一に長春閣と呼ばれている。これは其当時翁と親交のあった伊藤博文公が命名されたのである。→当社(川崎重工業)の創立は1896(明治29)年10月のことですが、造船業の歴史としては、それより18年前から始まっています。創業者の川崎正蔵が1878(明治11)年に東京・築地に川崎築地造船所を開設したのが、当社の起源です。川崎正蔵は1837(天保8)年、鹿児島の呉服商人の子として生まれました。17歳(嘉永6年)で当時唯一の西洋文明への窓口であった長崎に出て貿易商の修行を積み、27歳(文久3年)のとき大阪に移って海運業を始めましたが、このときは、持船が暴風雨で遭難して積荷とともに海没したため失敗しました。その後1869(明治2)年に、薩摩藩士が設立した琉球糖を扱う会社に就職、1873(明治6)年には、大蔵省から委嘱されて琉球糖や琉球航路の調査を行いました。翌年には日本国郵便蒸汽船会社の副頭取に就任し、琉球航路を開設、砂糖の内地輸送を成功させました。この間に自分の運命を左右するような海難事故に何度も遭遇した正蔵は、自らの苦い体験を通して江戸時代の大和型船に比べて船内スペースが広く、速度も速く、安定性のある西洋型船への信頼を深めると同時に、近代的造船業に強い関心を抱くようになりました。1878(明治11)年、時の大蔵大輔(現在の次官)であり同郷の先輩でもあった松方正義などの援助があって、東京・築地南飯田町(現在の中央区築地7丁目)の隅田川沿いの官有地を借りて川崎築地造船所を開設、造船業への第一歩を踏み出しました。(→川崎重工業ウェブサイト)

□2005年5月2日ー自宅で去年上六の天地で買った『沖縄アーカイブス写真』(生活情報センター)を見る。関連して、沖縄タイムス出版部が編集し琉球銀行が発行した『あんやたん-沖縄、写真が語る50年』(1995年9月)、『時の謡人の譜・街の紋-山田實写真50年』(2003年1月)を見る。

平凡社の1963年3月の『月刊百科』は「『PR誌』-機能・沿革と現状」、1968年3月の『月刊百科』には勝連哲治「沖縄の経済」が載っている。1970年から日本メール・オーダー社から出はじめた『アルファ大世界百科』と、1972年版の平凡社『世界大百科事典』が手元にある。南方熊楠や末吉麦門冬を単に博覧強記の人として片付ける嫌いがあるが、今はネットの時代である。熊楠や麦門冬が人を喜ばせるために書いた情熱はネット空間でますます輝くであろう。

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2019年2月 『沖縄民権』再刊第1号 沖縄民権の会(〒210-0847 川崎市川崎区浅田3-9-6 座覇光子方 ☎044-355-0073)
〇島袋和幸「『沖縄民権の会』についての思い出」


〇小波津清昇「誇りに思う」/「沖縄民権の会会報『沖縄民権』総目次(抄録)」
2001年4月『民権の火よ永遠にー小波津英興追悼集ー』沖縄民権の会(座覇光子)


1983年6月 古波津清昇『沖縄産業史ー自立経済の道を求めて』文教図書
1990年9月 古波津清昇『起業の心得帖-チャンスを生かせ』ブックボックス壷川店
兵庫沖縄県人会事務所で拓伸商事社長の宮城幹夫氏に出会ったことがある。氏は1940年の沖縄県大阪物産斡旋所所長だった宮城桃幸の子息。


1968年2月城間武松『鐵と琉球』金秀鉄工株式会社/1982年5月『鉄と共に三十五年』金秀鉄工株式会社
又吉真三さんと懇意であった崎間麗進さんは元金秀建設専務、山里銀三氏も金秀建設社長を勤めて居られた。

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

那覇市歴史博物館「那覇の市場」会期:2019-04-26(金) ~ 2019-06-24(月) 古くから琉球・沖縄の台所として栄えた那覇の市場。戦後はその場所を牧志に移し、最近では親しみをこめて「マチグァー」とも呼ばれています。今回の企画展では、現在の公設市場が取り壊されるにあたり、那覇の市場の歴史を紹介します。








2019-4

古塚達朗氏と外間政明氏


2016-3-5「ブラタモリ 那覇は二つある!?」那覇を案内する那覇市歴史博物館 館長の古塚達朗さん。

» Read More

05/02: 琉球民謡

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
null
 1964年夏、錦糸町で友和寮の屋上、夜空を見ながらレコードプレーヤーで琉球民謡を聞いていた。今おもうと月並みの民謡であった。以前、東京の美術史家・浦崎永錫さんを訪ねたとき、浦崎さんは「わたしは沖縄にはこだわらない」と言いながらも月並みの琉球民謡レコードを聞かしてくれながら話に応じた。私は1972年11月発行の沖青友の会機関誌『石の声』10号に「試験管の中の人生」と題し「僕は今、琉球民謡を聞きながらコレを書いているが、『琉球』というカプセルのなかに己の人生のすべてがあり、誰かがいう、『君、琉球というセマイ発想ではアカン!モノは大局的に世界的な発想で見なくチャーアカンデー』余計なお世話である。・・・しかし郷土の民謡はイイネェー。ジーンとくる。・・・自分自身が<石>という、無生物に近づきつつあるという幻想をいだかせるではないか!ヤー。チンボーラー』と記している。






ラジオ沖縄「沖縄復帰記念 琉球芸能大百科 おきなわの詩」儀間比呂志「装画」

儀間比呂志の絵・版画が使われているレコード・CD

1915年8月30日『琉球新報』「琉歌吹込みを聞くー1昨日から石門通り森楽器店主の主催とせる琉球音楽奨励会のレコード吹込みを奥武山公園内城間氏別荘でやっているが昨日吹込みを為すべき音楽家は首里から高江洲氏那覇から城間、伊差川、我謝、池宮城喜輝の諸氏であったー」

1915年9月3日『琉球新報』広告「空前の大提供ー本県家庭の大福音/琉球歌と蓄音器」
null
1915年9月3日『琉球新報』「琉歌レコード仕上ー森宗次郎、仝仲太郎、山口全則主催の琉歌レコードは去る31日までに吹込みを終了し1昨日技師等は是を携え上阪せるが該レコードの仕上は多分9月下旬ならんー」

1917年1月 那覇商業銀行 監査役・山城高興、城間恒有、森亀次郎/謝花雲石・島袋石扇「琉球音楽野村流始祖先師顕彰碑」始祖・野村安趙、松村真信、桑江良真、城間恒有、伊差川世瑞、世禮國男

null
毛氏古堅盛珍は亀川殿内2代の支流平安名親雲上の長男、1852年生まれ。父の役をつぎ平安名の脇地頭、後読谷山古堅の脇地頭。18歳の頃、弦声の道を安室親雲上に学ぶ。次男盛保。1920年没。1915年、城間恒有別荘でコロンビアレコードに辺野喜節を吹き込む。金武良仁は述懐節を吹き込む。

左に「ナショナル乾電池」広告(1938年6月『琉球新報』)

ーXERAー音楽産業の歴史と発展」/→「クラシカル・ギターを止められないby Enriqueー記録メディアの分類」

» Read More