ギャラリー春秋  経歴
1965年  福岡市祇園町にて開業
1969年  福岡市天神町にギャラリー天神 開設
1971年  東京銀座1丁目に支店開設(~1974年)
1974年  有名作家の個展を、玉屋・岩田屋・井筒屋 その他で開催
1979年  大阪府茨木市にギャラリー春秋 開設
1991年  大阪府吹田市に同支店 開設
1995年  阪神淡路大震災により吹田店 閉鎖

1995年 ギャラリー春秋『遊んたく春秋』発行・城谷初治(携帯090-8628-2986)





1995年 ギャラリー春秋『遊んたく春秋』第10号○贋物名人はうどんがお嫌いー30年前に起こった「古伊万里贋物事件」は世界中で話題になる程だった。白洲正子さんの「風姿抄」には、横石順吉一人の成せる業になっているが、実は横石嘉助と息子の順吉(土光)と弟の圭外の一家3人の作業である。この親子が揃って名工で、まず現川焼を再興し、それを嘉助の弟臥牛に譲り、つぎに長崎で三彩窯を興し、その後「古伊万里」に励む。嘉助、順吉が亡くなった後は、圭外が大活躍する。蒼風の花器を作りながら、古唐津焼の研究をし、彼が焼いた唐津焼を古唐津にする名人が居て、圭外作古唐津が量産された。鶏竜山や李朝の写しも見事に作り、幻の長与三彩も再現した。何れも彼が贋物を作ったのではなく、古美術商が古物にしてしまったのである。現在、作家とか先生と呼ばれて御殿に住む陶工の先代までは、どんな名工でも皆貧しかったのである。横石一家とて同じ事で、食べ盛りの頃でもご飯はなく、うどんが主食だったので、圭外は「うどんは見たくもない」といっていた。

2004年  那覇市山下町に移転

2004年2月17日~23日 リウボウ「大陶芸展」


2005年  リウボウにて第2回大陶芸展

2005年2月『沖縄タイムス』広告/「大陶芸展」(北大路魯山人)チラシ



2009年『ゆんたく春秋』○名護博物館にて山田正和織部焼展/新政権にもの申す/沖縄をもっと主張しませう 

魯山人の悲哀/古寺回想ー大阪にいた頃、子供が「動物園に行こう」と云えば、奈良公園に出かけました。春日野で鹿と遊ばすのです。小さい子が煎餅を手にすると鹿は群がってモミクチャです。鹿にもまれて子供が疲れると、私の時間です。日本中のいや、世界の人達が憧れている古寺に簡単に行けるのですから、あの頃のことが夢のようです。仏像は何といっても美しい。美しいものは幾回見ても飽きません。大佛さんの東大寺、阿修羅の興福寺、十二神将の新薬師寺、伎芸天の秋篠寺、十一面観音の法華寺、一寸、足を延ばせば薬師寺、唐招提寺、法隆寺があります。奈良のもう一つの楽しみは博物館です。四季折々の催は、思わぬものに出逢うこともあって嬉しいものです。私が一番嬉しかったのは「ピカソの陶芸展」に遇ったことです。正に予期せぬ出来事です。古寺のとりかこまれた中のピカソ。これは好運でした。古寺をより楽ましてくれるのが会津八一の歌集です。/会津八一自註 鹿鳴集/ブラザハウスグローバルギャラリー「河上知明燭展」/志野と織部













親交のあった中川伊作の年賀状