1955年9月 雑誌『おきなわ』第46号 島袋全章「法窓思い出話 真夏に熱湯を浴びせられ」

1955年6月15日『琉球新報』島袋全章「原田館長と私」

1955年9月 島袋全章「沖縄法制史の権威ー奥野彦六郎を偲ぶー」→1994年3月『沖縄文化』通巻79・80号



奥野彦六郎から島袋全章宛ハガキ

奥野彦六郎(1895年9月12日~1955年8月30日)

1925年~1928年 那覇地方裁判所判事。
1937年~1941年 南洋庁法院長としてポナベ島に勤務。


玉城尚秀から奥野彦六郎宛ハガキ





徳川 宗賢 (1930-1999)
"徳川 宗賢"(とくがわ むねまさ、1930年11月27日 - 1999年6月6日)は、東京府出身の言語学者・国語学者。学位は文学博士。日本語の方言研究の第一人者。 [人物] 田安徳川家10代当主徳川達成伯爵の次男として生まれる。学習院大学文学部文学科国文学専攻卒業(文学士)。学習院大学大学院人文科学研究科国文学修士課程修了(文学修士)。大阪大学文学部教授を経て学習院大学文学部日本語日本文学科教授。国語学会代表理事。第21期国語審議会委員。著書に『日本人の方言』『日本の方言地図』など。 妻の徳川陽子は物理学者で東京工芸大学名誉教授。娘の松方冬子は日本史学者、東京大学史料編纂所准教授。 「→Wikipedia」

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1955年7月13日 『琉球新報』徳川宗賢「沖縄のことば」(1)/徳川宗賢を国吉真哲に紹介する比嘉春潮の名刺と徳川宗賢名刺。徳川宗賢の国吉真哲宛ハガキ