null
1993年11月『写真で見る岩波書店80年』岩波書店


上右ー日本遠征記 (岩波文庫) 文庫 – 1948/8/15  ペルリ (著), 土屋 喬雄 (翻訳), 玉城 肇 (翻訳)
下ーあらし (岩波文庫) 文庫 – 1950/11 シェイクスピア (著), 豊田 実 (翻訳) →豊田實『日本英学史の研究』
○1928年ー市河三喜編輯『岡倉先生記念論文集』に豊田實が「沖縄英学史稿」を寄せている。豊田は沖縄県の依頼で1928年3月22日から28日まで英語講習のため那覇に滞在した。そこで沖縄県立沖縄図書館長の真境名安興などの協力を得て沖縄英学史を調べたのが前出の沖縄英学史稿として結実した。中に末吉麦門冬の「百年前の英語通」も引用し真栄平房昭の家譜を書いている。



中学時代、雑誌付録の「手帳」や文庫本はいつも持ち歩いていた。そのころ開南の宮城書店(古本)で平凡社『ポケット百科事典』を入手した。岩波の『広辞苑』の縮刷版だ。百科事典でも分冊にすれば持ち歩ける。高橋文夫『雑誌よ、蘇れー「情報津波」時代のジャーナリズム』(晶文社2009年)に「分冊百科が好調な理由は、雑誌にしても、読者が読みたい号だけ買うようになってきた中で、特定のテーマに沿った内容以外はそぎ落とした機能性が受けている。ネット時代に入って、読者のところに押し寄せる情報量が膨大になりすぎ、一定のテーマについて知識や情報を効率よく整理し体系化した分冊百科が重宝がられるようになった」と、百科事典の現況を記している。

沖縄関係の文庫サイズの本を列記すると、渡邊重網『琉球漫録』(1879年)、奥島憲順『袖珍沖縄旅行案内』(1895年)、菊池幽芳『琉球と為朝』(1908年)、尚球『廃藩当時の人物』(1915年)、金城三郎『沖縄産有要植物』(1916年)、秦蔵吉『琉球案内』(1919年)、大城彦五郎『琉球語案内』(1925年)、摩文仁賢和『攻防自在護身術空手拳法』(1934年)だが、これに郷土研究社の『炉辺叢書』を加えると多様に富む。

 1917年8月に琉球新報社主催で第三回中等学校連合雄弁大会が那覇松山小学校であった。新屋敷幸繁が「沖縄青年の熱血を如何にする」、名城政雄が「本県青年の覚醒を促す」と題して演説した。この同年生まれの二人は後に教師、文筆家としても共通のあゆみをみせる。新屋敷には『詩集・生活の挽歌』(1926年)、名城には『小説・秋の波』(1957年)という文庫サイズを出している。

岩波文庫が1927年に創刊され、その2年後に改造文庫が山本実彦によって創刊された。山本は鹿児島の生まれ、中学を3年で退学し沖縄に代用教員として赴いた。其のときの教え子に饒平名智太郎や宮城聡らが居た。出版王の野間清治も結婚前は沖縄で沖縄中学の教諭をしていた。

『アテネ文庫』弘文堂

null
上左1950年7月ー宮崎正義『米ソ戦うか』/右1952年2月ー宮本三郎『ドガ』
下左1958年7月ー『アテネ文庫解説総目録』/1955年5月15日ー宮城栄昌『律令制度の社会と文化』
○弘文堂ー明治30年(1897年) - 京都で八坂浅次郎(1876-1948)が創業。八坂は京都出身。
大正6年(1917年) - 河上肇 の『貧乏物語』を発刊し、ベストセラーとなる。
昭和13年(1938年) - 本社を東京に移転
昭和23年(1948年) - アテネ文庫を刊行。同文庫は、一冊60~70ページ台が基本で、文化的な内容を扱っていたが、20年代後半に301巻を持って完結。
昭和26年(1951年) - 創業者親族を中心とした社内抗争により、未來社と創文社が生まれる。また昭和40年代に「清水弘文堂」で旧著を再版刊行していた。
社長は八坂浅太郎(1950年代)→ウィキペディア

null
写真ー1985年ー国会図書館書庫内の文庫本コーナーで新城栄徳、後方が宮城剛助氏(伊佐眞一撮影)



文庫/保育社・カラーブックス

今井 龍雄イマイ タツオー昭和期の出版事業家 保育社会長。
生年大正2(1913)年3月28日 没年平成7(1995)年3月30日 出身地高知県土佐郡鏡村
学歴〔年〕高知商〔昭和6年〕卒
経歴大阪のノート会社に勤めたのち、昭和出版として独立。昭和22年保育社を設立、代表に。東京では作られないものをとカラー出版に目をつけ、原色図鑑や文庫本“カラーブックス”を出す。オールカラーの「万葉大和路」は世界で最も美しい本として賞をうけた。自然、動物、宝石、建築など次々に手がけ好評を得る。35年日本書籍出版協会理事、のち相談役。出版文化交流会副会長を務めた。○カラーブックスとは保育社から発売されている文庫本のシリーズ。1962年に創刊され、37年にわたり909点が刊行された。従来の読む文庫から見る文庫へと前進したカラー時代の新しい文庫であった。

文庫/現代教養文庫

○河合栄治郎の弟子らによって立ちあげられた社会思想研究会が1947年に出版部門を設けて出版事業を始め、これが社会思想社の母体となった。社会思想研究会出版部として1948年にルース・ベネディクト『菊と刀』、1949年にはアーノルド・J・トインビー『歴史の研究』などを翻訳出版し、事業を軌道に乗せる。1951年には第二次文庫ブームをとらえて、河合栄治郎の教養主義の精神を引き継ぎその普及を目指すべく、現代教養文庫を創刊し、多くの分野・全集・叢書なども内包した同文庫は、以後廃業まで同社の看板となった。62年に社会思想社と改称。○現代教養文庫(げんだいきょうようぶんこ)は、社会思想社の文庫である。第2次文庫本ブームの1951年に創刊された。2002年6月の社会思想社廃業により廃刊。翻訳物を含む人文科学系の書籍やミステリーの他に、1980年代のゲームブックブームの火付け役とされるファイティング・ファンタジーシリーズなどでも知られる。○土屋実(1907年-1972年)東京生まれ。早大政経学部卒。都立渋谷青少年学校教諭ののち、1949年に社会思想研究会に入り、1953年に社長。→ウィキ