伊波南哲の著作
1936年9月ー伊波南哲『長編叙事詩オヤケ・アカハチ』東京図書株式会社
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1959年11月『オキナワグラフ』「ふるさとは・・・遠きにありてー東京で八重山を語る夕ー」
右から一人おいて宮良高夫、伊波南哲、宮良当壮、小浜高要、宮川寛雄
1932年12月ー『現代詩の新研究』東北書院□伊波南哲「詩人と『個性』の問題」
1933年11月ー『詩の國』伊波南哲「詩壇時評」
1936年9月ー『大法輪』伊波南哲「交番に映った世相」
1937年2月ー伊波南哲『長篇叙亊詩オヤケ・アカハチ』東京図書(初版1936年6月)
1937年11月ー『日本詩壇』伊波南哲「詩人的自覚に就て」
1937年12月ー『むらさき』伊波南哲「平家敗るるの日」
1937年12月ー『日本詩壇』伊波南哲「日本詩壇の動向」
1938年9月ー『日本詩壇』伊波南哲「詩人と環境の問題」
1938年11月ー『日本詩壇』伊波南哲「真の戦争詩に就て」
1939年7月ー『大法輪』伊波南哲「真夏の夜の海」
1939年8月ー『大法輪』伊波南哲「兵営の異変」
1939年9月ー『大法輪』伊波南哲「八重山風物詩集」
1939年10月ー『大法輪』伊波南哲「詩と生活の交流」
1939年11月ー『大法輪』伊波南哲「秋、旅する心」
1939年11月ー『旅』伊波南哲「孤島漂流記」
1939年12月ー『大法輪』伊波南哲「花ある風景」
1940年1月ー『詩人界』伊波南哲「詩のコンクールに就て」
1940年3月ー『大法輪』伊波南哲「詩魂の発見」
1940年8月ー『旅』伊波南哲「放浪の旅」
1940年10月ー『旅』伊波南哲「南進の先駆・琉球の糸満漁夫」
1941年5月ー『旅』伊波南哲「爬龍船物語」
1942年4月ー『旅』伊波南哲「琉球と八重山への旅」
1942年5月ー『旅』伊波南哲「南海の漁夫・鱶と格闘する糸満人」
1942年6月ー『旅』伊波南哲「敵艦見ゆ」
1942年8月ー『旅』伊波南哲「女護ヶ島物語」
1942年11月ー『日本詩壇』伊波南哲「時局と聯盟」
1943年1月ー『むらさき』伊波南哲「郷土行事への断想」
1943年2月ー『むらさき』伊波南哲「九年母」「琉球風土記・情熱の愛国詩人恩納ナビ女」
1943年3月ー『むらさき』伊波南哲「鷲を歌う女詩人」
1943年5月ー『むらさき』伊波南哲「人魚の話」
1943年6月ー『むらさき』伊波南哲「瓦焼く煙」
1943年8月ー『むらさき』伊波南哲「綱引」
1943年9月ー『むらさき』伊波南哲「颱風の眼、与那国島」
1943年10月ー『むらさき』伊波南哲「君南風ー海洋遠征の先駆者」
1943年12月ー『むらさき』伊波南哲「琉球と龍宮」
1944年1月ー『むらさき』伊波南哲「八重山郡島の民謡」
1944年11月ー伊波南哲『琉球風土記』泰光堂(装幀挿絵・竹谷富士雄)
1945年5月ー『週刊少国民』伊波南哲「伊舎堂大尉と通信筒のお話」


伊波南哲 いば-なんてつ
1902-1976 昭和時代の詩人,作家。
明治35年9月8日生まれ。東京の丸の内警察署に勤務しながら,佐藤惣之助に師事。昭和11年の長編叙事詩「オヤケ・アカハチ」が代表作で映画化もされた。晩年は詩誌「虹」を主宰。昭和51年12月28日死去。74歳。沖縄県出身。本名は興英。著作に「交番日記」,詩集に「銅鑼(どら)の憂鬱(ゆううつ)」など。(コトバンク)




1930年1月ー『詩之家』第6年1月号 伊波南哲「かへり咲き」「老子降誕批評」□詩之家友の住所ー菊池亮 富山県氷見町/山口芳光 那覇市上ノ蔵2ノ3/伊波南哲 東京市外中野新町3777/金城亀千代 福岡県遠賀郡折尾町/津嘉山一穂 東京・本郷・元町2ノ66岡本方/有馬潤 那覇市上泉町1ノ51
1930年2月ー『詩之家』第6年2号 伊波南哲「毀された腕時計」
1930年3月ー『詩之家』第6年3号 伊波南哲「詩篇・東京駅」「雑藁・詩人よ詩をつくれ」
1930年4月ー『詩之家』第6年4号 伊波南哲「アスフアルトから拾った詩」「詩之家3月号批評」
1930年5月ー『詩之家』第6年5号 伊波南哲「芸術の共感性」「泥濠に花咲くもの」「虜囚批評・著者へ」
1930年6月ー『詩之家』第6年6号 伊波南哲「詩篇・狂へる太鼓」「七つの顔批評/『七つの顔』著者へ」
1930年7月ー『詩之家』第6年7号 伊波南哲「『虐待される街』と藤村端③」「越智弾政④の飛躍性」「反駁・感想・岩田潔君に与ふ」③【藤村 端】『虐待される街』1930/詩之家(川崎)/131pフジムラ タン【藤村 端】『藤村端詩集(遺稿詩集)』1933/詩之家
④越智弾政 おちただまさ(1908-1945)
福岡県遠賀郡八幡町(現、北九州市八幡東区)生まれ。旧制八幡中学校を卒業後、四国、瀬戸内海、日本海側を一年余り放浪。東洋大学文学部国文科卒業。在学中に佐藤惣之助の「詩之家」に参加、1930年 第1詩集『波止場での殺意』を刊行。帰郷後は市役所勤務を経て、小学校、高等女学校、工業学校等で教鞭をとった。八幡で八幡詩人協会を結成する。岡田武雄と「八幡船(ばはんせん)」を発行。また「季節の肌着」「北九州詩人」等にも参加した。1944年に再召集され翌年にフィリピンのルソン島で戦死。『応召前後』まで 8冊の詩集がある。→「現代詩大事典」

1930年8月ー『詩之家』第6年8号 伊波南哲「詩篇・失業」、岩田潔「伊波君に答へる」
1930年9月ー『詩之家』第6年9号 伊波南哲「詩篇・呑気な奴のことだ」「白痴無用論」
1930年10月ー伊波南哲『詩集・銅鑼の憂鬱』詩之家出版部
1930年11月ー『詩之家』第6年11月号 伊波南哲「山口芳光氏を憶ふ」「霜害警報批評③/詩集霜害警報について」
③『霜害警報 : 詩集』著 清水房之丞, 1903-1964 詩之家出版部1930

1931年1月ー『詩之家』第7年1号 伊波南哲「獣族美学批評/獣族美学に就いて」、越智弾政「『銅鑼の憂鬱』の会ー11月28日午後6時より省線万世橋駅前松木家にて開催(大宜味朝徳も参加)
1931年2月ー『詩之家』第7年2号 伊波南哲「詩篇・黎明」
1931年3月ー『詩之家』第7年3号 伊波南哲「詩篇・電気時計」
1931年4月ー『詩之家』第7年4号 伊波南哲「詩集『無機物廣場』に就いて」「感想・詩之家3月号批判」
沖縄/1931年4月 有馬潤『詩集・ひなた』青山書店

○有馬潤・口絵「蛇皮線を持つ女」
○ひなた、他九篇
ひなたー陽の きらきら する/ぬくい/えんがわにすわって/母とはなしてゐると、/なんにも/ほしいとはおもはない。
○佛さま、他十篇
佛さまーお母あさんが/ぶつだんの前にすわって/なにかお祈りして いらっしゃる/ほとけさまは/きっと 願ひをかなえてくださると おもふ。
○母と子、他八篇
○佐藤惣之助「序」/菊地亮「跋」/伊波南哲「跋」


1931年5月ー『詩之家』第7年5号 伊波南哲「詩篇・唐手」「詩集『ひなた』に就いて」
1931年6月ー『詩之家』第7年6号 伊波南哲「批評・動的意志力としての芸術」「民謡調『蒙古十月』に就いて」
1932年1月ー『詩之家』終刊号(通巻78冊)