1951年7月 雑誌『おきなわ』<故人追憶特集>島袋盛敏「麦門冬を語る」
1951年7月 雑誌『おきなわ』<故人追憶特集>

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○麦門冬を号とする末吉安恭氏は、沖縄奇人傳中の一人物たるを失わないであろう。氏は世間的な名士というのではなく、市井に隠れて読書を楽しむ風流人であった。首里、那覇の詩人墨客の間では、酒仙として親しまれていたが、一般には史家として重んぜられていた。「陋巷に在りて其の楽を改めず、賢なるかな回や」というべき類の人であった。文筆を通じて知己たることを許しあっていた東恩納文学士は、その著童景集の中に「野人麦門冬」なる一章を設けて「数年前の夏、自分が帰省した時に、物外、笑古、麦門冬を頭に描いて波止場に下りた」という追懐をのべていられる。もちろん物外と笑古は、麦門冬から見れば、はるかにシーザガタではあったが、物外、笑古の両大人は、麦門冬を決して後輩視せず、相当の敬意を払ってつきあいをしているようであった。麦門冬氏が図書館に姿を現すと、館長の伊波さんは「チャーガ、サイ」(ごきげん如何ですか)と、あいさつしておられた。山城正忠、比嘉賀秀氏等が見えると「チャーガ」といっておられた。仲吉良光氏の話によれば、伊波さんが「麦門冬は、沖縄史鑑賞家としては沖縄一である」といっていられたそうであるから、ある点では「末吉小恐るべし」という感想を持っておられたかも知れぬと、想像されるのである。
(略)
麦門冬氏の生家は、首里の由緒ある家柄で、末吉殿内といい、相当に裕福であったから、若い頃は随分トウイタカテーにされて育った身分である。父も祖父も学者で、家にはおびただしい蔵書があり、幼少の頃から色々の本に親しむことが出来、殊に歴史鑑賞の趣味は、家代々の所蔵本によって、養われたものと見ることが出来る。(略)麦門冬氏は弟安持氏と共に、兄弟詩人として有名であったが、殊に弟は兄まさりの麒麟児という名声が高く、詩華と号して、明星派(新詩社)に属し、平野万里氏等とともに明星をにぎわしていた。その頃萬朝報が、「靖国神社の桜」という題で都々逸を募集したことがあるが、この詩華氏の作が一等に選ばれて、沖縄の文学青年を、あっと驚かしたことがある。当時萬朝報の都々逸は有名なもので、これに選ばれるということは容易ならぬことであったから、詩華氏の作は、たちまちにして人口に膾炙したわけである。その都々逸というのは「心引かるる九段の桜、友の魂どの蕾」というのであった。私がこの句を忘れることが出来ないで、いつまでも覚えているのは、今から思えば何か因縁浅からぬものがあるような気がするのである。
(略)
一体に、首里の儀保の人は粋人が多く、「銭呉イヤーヤ亀川小、追ウテ喰エーヤ嘉数、暁戻ィヤ喜屋武ノ樽小」などというようなその道の代表的な人々も居り、また「儀保二才達ガ、三人揃リレバ尾類呼ビ話」というような俗謡もあるが、麦門冬氏はそういう所の人間とは思われぬ程の堅人で、絶対に女郎を買うということをせず、友人達は末吉寺ともじって「坊主」①とあだ名して言っている位であった。どことなく山寺の和尚といった風格があった。(略)上間正雄氏等と共に、タイムスの孤塁を守って、相変わらず息の長いいつまでも続く史的随筆で、紙面を飾っていたが、どこかで呑んで帰りに、ふらふらと通堂の桟橋あたりに出て、今度は海底の乙姫に招かれたらしく、遂に永遠に帰らなくなった。大正13年11月頃であった。弟は火に死し、兄は水に死ぬということは、何という不思議な運命であろう。弟が焼死したのは、東京の霜白き秋であったというが、兄が水死したのも、沖縄のミーニシ吹く冷い秋で、やはり何れも同じ秋であるのも奇しき因縁である。

①大正7年5月24日の熊楠宛書簡に莫門冬は「郷俗、男は145乃至る167才より娼妓を買ふて以て一人前の男子となりたりと誇る、而して初めて娼妓を買ふを初ズリ(娼妓をズリと称す)とし、其の先輩によりてこの洗礼を受くるを男子の職分でであるかのように如くす。小生などはツムヂ曲りにて、この洗礼を今に受くるの光栄を有せざるを以て、野暮視せられ、笑止に存じ候。」と記している。



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1924年12月15日『沖縄タイムス』島袋盛敏「末吉安恭君を悼む」


2014年4月27日 黄金森公園