1903年ー大阪で開催された第五回内国勧業博覧会美術館に出品したもの

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1912年2月ー太平洋画会の吉田博、石川寅治、中川八郎と丹青協会/左端が比嘉崋山


写真・中央が比嘉華山





沖縄県献上衝立図(絵葉書)/上の原画
1928年11月ー昭和天皇御大典献上の螺鈿大衝立の原画(那覇港図・中山門)は比嘉華山、製作は友寄英茂とその弟子たち、衝立の木地製作は宮大工の玉城サンルー(その息子政康は戦後の守礼門復元に関わった)。沖縄県工業指導所で製作した。□1988年6月29日『琉球新報』に「黎明館の『漆絵螺鈿衝立』」が報じられ製作年代は不明とあった。新城栄徳はすぐ比嘉華山の作品と解釈、その旨を岡田新報記者に連絡。1988年7月5日の記事「製作は昭和3年ー鹿児島の琉球『螺鈿大衝立』」となり、序でに比嘉華山の顔写真も紹介した。





鹿児島で沖縄物産を扱う息子のために書いた絵


かわいぎょくどう【川合玉堂】「長閑」
1873‐1957(明治6‐昭和32)
日本画家。愛知県木曾川町に生まれる。本名芳三郎。別号偶庵。1887年京都に出て望月玉泉,続いて幸野楳嶺に師事。その後,橋本雅邦の《竜虎図》に感動,96年上京してその門に入る。狩野派を学び,岡倉天心,雅邦を指導者とする日本絵画協会に出品し,しだいに注目される。1907年東京府勧業博覧会出品の《二日月》が好評を博し,第1回文展以降審査員となる。四条派の親しみやすい即物的作風と,狩野派の折り目正しい品格を合わせた画境を開き,第2次大戦前の日本のどこにでも見られる風景と生活を主題とした。(→コトバンク)


比嘉崋山「臼アラサー」

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比嘉崋山作




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辻/兼城昌興
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1912年2月ー太平洋画会の吉田博、石川寅治、中川八郎と丹青協会ー左端が比嘉崋山、右へ一人おいて兼城昌興






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2014年1月28日 沖縄県立博物館・美術館