左ー写真、左が佐々木公子さん、名嘉幸照氏

名嘉幸照『 “福島原発” ある技術者の証言』(光文社,2014年3月)

2017年10月28日 『沖縄の軌跡』173号 編集発行人・島袋和幸(葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952


2017年9月10日 『沖縄の軌跡』172号 編集発行人・島袋和幸(葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)


原爆の図丸木美術館「山本作兵衛の生きた時代」
〒355-0076 埼玉県東松山市下唐子1401
TEL:0493-22-3266 FAX:0493-24-8371

大濱聡2019-11-30「作兵衛さんと日本を掘る」



島袋和幸(葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)□関東大震災に因んだ特集
東京/2016年9月1日 『沖縄の軌跡』172号 編集発行人・島袋和幸
東京/1945(昭和20)年3月10日


1987年7月 早乙女勝元 編著『写真版 東京大空襲の記録』新潮文庫
早乙女勝元ー1970年に「東京空襲を記録する会」を結成。/2002年に東京都江東区にオープンした東京大空襲・戦災資料センター館長就任。東京大空襲・戦災資料センターとは、アメリカ軍B29爆撃機による東京大空襲の惨状を次世代に語り継ぎ、平和の研究と学習に役立つことを願って、4000名を超える方々の募金で設立された、民立・民営の資料センターです。2002年の3月9日、戦禍のもっとも大きかった江東区北砂の地に開館。さらに2007年3月には、いのちと平和のバトンを未来にきちんと受け渡すために、増築を実現しました。

「超空の要塞 B29」
一般市民8万人以上が焼死、100万人以上が被災した東京大空襲や、1万人が焼死したとされる大阪大空襲は、B-29の重要な「戦果」とされる。さらに日本各地の港湾・航路に空中投下機雷を散布して海上封鎖を行い、国内航路に大打撃を与えた(飢餓作戦)。

東京大空襲
「知恵蔵2015の解説」太平洋戦争末期の1945(昭和20)年3月10日未明、東京の下町を中心に行われたアメリカ軍による大規模な空襲。東京への空襲は、44年11月24日から、サイパン島などのマリアナ諸島を基地とするB29爆撃機によって100回以上繰り返されていたが、いずれも日中に1万メートル以上の上空から軍需工場を目標とするものだった。しかし3月10日の大空襲は、深夜午前0時8分から2時間半にわたって、B29約300機(基地を出撃したのは325機、東京まで来襲したのは279機)が高度2千メートルという低空から侵入し、町工場と住宅地がひしめく市街地に爆撃を敢行。アメリカ側の公式見解では、「日本の中心部に集中している工業的および戦略的な目標を破壊すること」が目的とあるが、一般民衆への無差別爆撃で戦意を喪失させる意図は明らかだった。B29は、長時間燃焼するナパーム弾を江東区・墨田区・台東区にまたがる40平方キロメートルの周囲に投下し、火の壁で住民の逃げ道をふさいでから、その内側に1665トンの焼夷(しょうい)弾を投下。市街地は完全に炎の海と化し、26万8358戸が焼失。100万8005名が罹災し、死者は8万3793名、負傷者4万918名とされるが(警視庁調査)、実際の死者は10万名を超えると言われている。3月18日に焼け跡を視察した昭和天皇は、「これでとうとう東京も焦土となったね」と感想をもらしたという(加瀬英明『天皇家の戦い』)。
太平洋戦争中における日本側の死者数が東京大空襲に匹敵するのは、沖縄戦(45年4月1日の米軍上陸から6月23日の戦闘終了まで)の軍・義勇軍の死者10万人、県民の死者15万人(総人口の3分の1)、広島の原爆投下による12万人、長崎の原爆投下による7万人だけである。非戦闘員の一般市民を標的に大量殺傷を行う行為は戦争法規違反であるが、空襲から19年後の64年、日本政府は、爆撃計画を立案・指揮したカーチス・E・ルメイ司令官に航空自衛隊育成の功で勲一等旭日大綬章を授与している。毎年3月10日には東京都主催の追悼行事が東京都慰霊堂で行われているが、東京大空襲の記録を残すための施設は、国立にも都立にもなく、民間の「東京大空襲・戦災資料センター」があるだけである。
(秋津あらた ライター / 2009年)

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1974年 『月刊ペン』<特集 ”狂乱”時代をどう生き抜くか>5月号
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①松浦総三「虚構の時代に乗ずる法」

松浦総三 まつうら-そうぞう
1914-2011 昭和後期-平成時代のジャーナリスト。
大正3年11月25日生まれ。改造社の編集者などをへて,昭和30年からフリー。45年早乙女勝元らと「東京空襲を記録する会」を組織し,事務局長。「東京大空襲・戦災誌」を刊行し,50年菊池寛賞。GHQによる言論弾圧史の研究,天皇制批判など,反権力の立場で社会批評を展開した。平成23年7月6日死去。96歳。山梨県出身。中央大中退。本名は総蔵。著作に「占領下の言論弾圧」など。→コトバンク




2019年1月 破防法研究会『序局』第20号 発行・出版最前線(〒105-0004 港区新橋2-8-16石田ビル4F)
〇黒島善輝「沖縄の矛盾の縮図『伊江島』1948年 伊江島『米軍・LCT爆発事故』」
〇編集後記ー・・・今年5月1日のメーデーに「新天皇即位」をぶつけてきたのも、まさに労働運動圧殺攻撃そのものです。・・・

2016年8月 『沖縄・伊江島〔米軍・LCT爆発事故〕』島袋和幸(FAX03-3695-9276)


  東京の島袋氏から2016年8月 『沖縄・伊江島〔米軍・LCT爆発事故〕/島袋清徳・玉元昭仁・宮里豊信 3氏の〔記憶を記録〕する』と、手紙が送られてきた。手紙は見なかったことにして、本の内容のほんの一部を妙出○『琉球朝日放送』2009年8月5日「リポート・爆発事故から61年 港で何が起こったのか(ネット掲載)/(略)犠牲になった軍関係者はフィリピン人と黒人だけ。危険な任務を彼らに押し付けていたばかりか、伊江島住民にも無報酬で手伝わしていた実態も明らかになりました。伊江島の人々は、戦争の一部としてこの事故を忘れようとしました。しかし、現在沖縄にある、あるいは今後積み下ろしされる爆弾がいつ、火を噴くのか、「爆弾を抱いて眠る日々」は続いているのです。(略)浦添にも軍港施設、大浦湾にも、弾薬庫(核)を背景にした軍港が予定されています。さらに、有事法制化では、軍港の荷役作業に沖縄県民があてられる可能性も大きい。


島袋和幸ー伊江島港内にある「被爆慰霊碑」の前で(1948年8月6日に、伊江島の波止場で起こったアメリカ軍爆弾処理船(LCT>爆発事故の犠牲者を悼む碑)本部町渡久地港からの定期船の乗客を中心に百二人が死亡、七十六が負傷した。一方、アメリカ軍側はアメリカ兵二人、LCTの乗員のフィリピン人十一人が死亡。作業責任者のアメリカ人が翌日、自殺した。


2017年1月22日 沖縄タイムス社「いめんしょり伊江島んかい 観光・物産と芸能フェア」
「伊江島のヰーハチャ展ー島の香りをキャンバスにのせて」
〇伊禮芙紗子/阿部好弘


知念登治氏(〒251-0045 神奈川県藤沢市辻堂東海岸2-2-17 ☎FAX 0466-34-0892)と作品「寓意一変容」

知念登治氏作品「城山眺望」

知念登治氏作品「凱風の城山」

〇上田市前山の夢の庭画廊では23日まで、沖縄県出身の画家、知念登治さん(69)=神奈川県藤沢市=の個展を開催中。白黒刷りと多色刷りの木版画作品27点を展示している。知念さんは太平洋戦争の沖縄戦の渦中の伊江島に生まれた。東京芸術大学油絵科に入学し、同大学院で版画も学んだ。当初は国画展に出品したが、現在は無所属。過去に長野市や中野市で個展を開催したことがあるが、上田市での個展は初めて。今回は新作の多色刷り作品も出品しており、知念さんは「作品に深みを出すため、シンプルな表現と沖縄をイメージした鮮やかな色彩で表現しました」と話していた。
 展示時間は午前10時〜午後6時(最終日午後3時)まで。水、木曜日は休廊。
(電話)0268・38・3236(夢の庭画廊)→『東信ジャーナル』2011年11月12日


玉城照政氏と作品「旧阿良の港桟橋」「ニライカナイの入口」

玉城照政氏作品「旧阿良の港桟橋」
 
画家の玉城さん「日現展」最高賞を受賞 後進育成へ賞金寄付
 【伊江】大阪市で開かれた第34回日現展(日本現代美術協会主催)で、宜野湾市在住の玉城照政さん(75)が、最高賞となる日現大賞を受賞した。19日、伊江村役場を訪れ、島袋秀幸村長に受賞報告をした。→『琉球新報』2015年5月24日


島袋和幸氏(左)、長嶺福信氏