1939年8月3日 春陽会の鳥海青児①、山川清②、前田藤四郎③、浮島丸で来沖 大嶺政寛が出迎え



鳥海青児
1939年(昭和14)37歳
 1月15日、美川きよと結婚し、新居を麹町区六番町1-5にさだめる。
 3月、第17回春陽会展に《蘇州風景》《塹壕のある風景》《楊子江と漢陽の街》《支那の家》《蘇州風景》《蘇州小景》を出品。
 7月、神戸から那覇、首里、糸満と沖縄旅行。山川清同行。滞在中は春陽会の大嶺政寛の世話をうける。沖縄からかえって数カ月後、二度日の中国旅行で北京、天津、張家口、熱河などへ。
 この頃から日本の古美術の収集をはじめ、まづ初期肉筆浮世絵に興味をもつ。

 *琉球の墓の立派な事は聞いて居たが、そのすばらしさには驚嘆した。日本のどこを歩いても、こんな堂々としたリズムカルな、しかもプラスチックな強い風景には行きあたれない。画家も随分行つて居るはずだが、どうして手をつけないのだらう。(略)内地のお化臭いしめつぽいお塞から推してはまるで想像出来ない。ローマの遺跡にでも立つて居る様な景観であつた。(「琉球風物記」)
 *僕は昨年あたりから、どんな風の吹きまわしか浮世絵にこりだしました。我家の珍宝は今の所これ一つ、これからうんと集めたいと思つて居ります。(《十家十宝録》で初期肉筆寛文舞踊図について、『第十八回春陽会パンフレット』)→「三重県立美術館」


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ちょうかいせいじ【鳥海青児】 1902‐72(明治35‐昭和47)
洋画家。神奈川県平塚市に生まれる。本名正夫。関西大学在学中の1923年,第2回春陽会展に初入選し,三岸好太郎,横堀角次郎らと麓人社を結成して絵画修業にはげむ。岸田劉生の感化をうけて草土社スタイルの土着的な作品を描くが,30年に渡欧し,おもにモロッコ,アルジェリアに滞在,その体験とゴヤの作品に魅了されて画風を一変する。《闘牛》をはじめ滞欧作23点を33年第11回春陽会に出品。その後,38,39年に中国旅行を試み,日本の古美術に対する関心を深め,鑑識眼の高い蒐集家としても知られる。 →コトバンク

山川清
没年月日:1969-11-09
春陽会会員の洋画家山川清は、11月9日腸ヘイソクのため阪大病院で死去した。享年66才。明治36年6月14日大阪市に生まれた。大阪府立北野中学在学中から赤松麟作に石膏デッサンの指導を受け、同中学先輩の佐伯祐三につれられて初めて油絵の道具を買いそろえたという。
4年生2学期から兵庫県西宮市今津町に新設された私立甲陽中学に転校し、同校を卒業した。まもなく美術学校受験のため上京、川端画学校に学んだが病気になり中断し、以後滝の川に画室を建て独学した。大正12年大震災を機に東京を引き払い京都山科に住み周辺の古美術に接する。続いて同14年奈良に転居、仏教美術に親しむ。昭和3年5月渡仏し、同9年帰国後春陽会展に穏健な写実的作品を出品しつづけ昭和23年春陽会会員となった。訳著に「ゆもりすと咄(フランス小咄)」<昭和23年12月、ぴーこっく書房刊>がある。→「東京文化財研究所」

前田藤四郎 まえだ-とうしろう
1904-1990 昭和時代の版画家。
明治37年10月18日生まれ。神戸高商(現神戸大)卒業後,松坂屋宣伝部につとめるかたわら版画を独習。昭和6年大阪で羊土社を結成するなど関西を拠点に活動。14年春陽会賞。32年大阪府芸術賞。リノリウム版,シルクスクリーン,写真製版などを併用し,木版画の領域をひろげた。平成2年5月19日死去。85歳。兵庫県出身。→コトバンク


1982年9月 前田藤四郎『版画家としてースペインで考えたことなど』共同ブレーンセンター/1994年10月 枚方市民ギャラリー「前田藤四郎展」


生誕100年・大嶺政寛
大嶺政寛(1910年2月10日~1987年12月20日)那覇久米町生まれ。
「赤瓦のセイクァン」で知られ、沖展の設立・運営の中心的メンバー。終始沖縄画壇をリードした。政寛の絵は弟の政敏によれば「一見、写実画のように見えるけれども、実は心象風景である」とし、それは「彼(政寛)における沖縄の心は、御岳(うたき)の心をとおして直接に迫ってくる」ものがあるとする。

1929年ー沖縄県立第二中学校卒業。/1930年ー沖縄県師範学校本科二部卒業、美術教師として伊江島に赴任。/1931年ー那覇尋常高等小学校訓導/1932年ー那覇市立商業高等学校美術教師嘱託。4月ー春陽会初入選。/1934年10月ー山里勝子と結婚。/1937年3月 仲地紀晃/仲地紀彦『私達の父』□大嶺政寛「蘇鉄」/1939年9月ー山形屋で第四回目の個展。1940年ー春陽会賞受賞。/1942年ー沖縄県立第一高等女学校兼沖縄師範女子部教諭。4月ー春陽会会友。7月18日『朝日新聞』大嶺政寛「画題になる南島風物」。/1943年ー第六回文部省展に「首里風景」入選。





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1947年ーアメリカ陸軍の部隊司令部で通訳兼運転手をしていた大城精徳は、このころ柳光観、大嶺政寛(越来部落)と出会う。/1949年7月2日ー沖縄タイムス創立一周年事業として崇元寺の本社で沖縄展覧会が開催。大嶺政寛、名渡山愛順、大城皓也、山元恵一の4氏が絵画の審査にあたった。作品も出品した。以後、沖展の発展に尽力する。/1956年10月ー沖縄美術家連盟結成/1979年6月ー沖縄タイムスホール「沖縄に生きる・大嶺政寛の世界展」/1988年5月『新生美術』<特集・大嶺政寛追悼アルバム>

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明治橋


大嶺政寛「壺屋風景」


大嶺政寛「壺屋風景」(60号)第21回春陽会

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大嶺政寛「龍潭池畔」