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□元和年中即ち今を去る三百年前江戸に七十許りになる風来僧がいたこの僧の懺悔物語が定西法師伝と云う一冊の書物になっている。史籍集覧などに載せてあるから大概の人は見た筈だと思うが余り云うた人もいないのを見ると注意されていなかったらろう余が特にこの物語に興味を覚えたのは外でもない。主人公の定西と云う人が嘗て我沖縄に来たと云うことであるこの物語の大半が沖縄に関した珍談奇聞を以て満たされている所である。・・・
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□慶長前の日本人
定西の話には随分誠とし兼ねる事が多いが彼が琉球に来たと云うことだけは疑うに及ばぬ慶長以前に琉球に来た日本人も記録の上に知られた者でも可なりあるが定西の大和かな染君は洩れている。先ず彼の先輩若しくは同時代の人として琉球に於いて名を知られた人々は英祖王の時文永年間(西暦126、45年より1274年頃迄)禅鑑と云う僧が渡来した球陽には・・・
2004年3月、奈良女子大学人間文化研究科「南方熊楠の学際的研究」プロジェクト」『南方熊楠に学ぶ』
大正7年5月27付の南方熊楠宛の末吉安恭書簡に「(略)この根抜けざることは、間々聞き候が、何に因し候や。右の袋中上人には、更に『琉球往来記』と申す書これあるやに承り候が、御存知なきや。若し御存知にて候はば、其の本の所在御示し下され度候。沖縄図書館にて琉球に関する書類を集め中に候が、加州金沢の俳人堀田麦水(天明3年63才没)の著書に『琉球属和録』『南島変』『慶長中外伝』(66巻)とあり。御存知なきや。「属和録」は写本にて(欠本)1部沖縄図書館にあれど他はこれなく候。加州金沢の俳人堀田麦水。屈麦水と称す。樗庵、暮柳舎と号、通称池田屋長佐衛門。」新城■麦水というのは角川『俳文学大辞典』に俳諧師・稗史実録作者とある。



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1979年年4月 横山重『書物捜索』角川書店
〇琉球神道記と琉球往来:沖縄図書館に『琉球往来』があるけれども、それは袋中のものではないと、前館長の伊波さんが教えてくれた。そういえば、沖縄一千年史の記述の方法も、何か実感のない書き方であった。(略)そこへ筑土鈴寛氏から電話があった。伴信友の「中外経緯伝」の中に、琉球往来のことを、はっきりと書いているのであった。
〇遺老説伝と宮古島旧記
〇琉球国由来記:尚家で私たちは、まず「琉球国由来記」を写し、また「球陽」を写した。原本と同じ字詰めで、同じ行数に写すのである。こうすると校合が容易で、正確にできるからである。やがて「中山世譜」も写した。(略)尚家の「由来記」この本は康煕52年(正徳3年)にできている。各地に令して旧事・年中祭祀等を報告せしめたのである。題簽は、後人の入れたものであるが、どれも「琉球国由来記」となっている。巻頭の序文には「諸事由来記序」となっている。旧記の序文には「蕃字由来記」と言ってあるが、普通には「琉球国由来記」といって差し支えないと思う。蕃字由来記というのは、日本文字で書いた由来記ということである。後にこれを改修して、琉球国旧記という書ができた。


2010年1月、池宮正治、小峰和明『古琉球をめぐる言説と資料学』三弥井書店

2010年1月、池宮正治、小峰和明『古琉球をめぐる言説と資料学』三弥井書店
○総序・・・小峯和明/為朝の末裔としての琉球国王・・・池宮正治 /Ⅰ袋中『琉球往来』の研究ー袋中『琉球往来』の真実・・・池宮正治 『琉球往来』解題・・・島村幸一 岩瀬文庫『琉球往来』翻刻・・・島村幸一 /Ⅱ袋中『琉球神道記』の研究ー『琉球神道記』解題・・・渡辺匡一 『琉球神道記』巻五注解・・・伊藤聡・原克昭・渡辺匡一   □袋中の天照大神論□天妃事ー琉球の天妃(媽祖)信仰①  □駒犬事ーシーサー(獅子像)信仰の初見  □キンマモン事/Ⅲ<薩琉軍記>の基礎的研究ー<薩琉軍記>解題ー東アジアと侵略文学・・・小峯和明 <薩琉軍記>概観・・・目黒将史 諸本一覧・・・出口久徳・目黒将史・森暁子
①2012年3月『立正大学國語國文50号』網川恵美「琉球における媽祖信仰の研究」

翻刻ー1、『薩琉軍談』(立教大学小峯研究室本)・・・目黒将史 2、『島津琉球合戦記』(京都大学本)・・・森暁子 3、『琉球静謐記』(東京大学本)・・・出口久徳 /Ⅳ『定西法師伝』の研究と翻刻ー『定西法師伝』の研究ー付<翻刻>宮内庁書陵部蔵『定西法師伝』ー・・・渡辺麻里子 /Ⅴ琉球の遊女と遊里ー琉球遊里雑記ー薩摩・泰淮の遊里に触れて・・・渡辺憲司 琉球における遊里の成立についてー辻・中嶋・渡地の比較・・・照沼麻衣子



島袋百恵 画「末吉麦門冬」

赤印が麦門冬の実家と、周辺の民俗地図