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「復帰」40年の今年、山田實さんの仕事を集大成する嬉しい出来事が続いています。6月に琉球新報社から『山田實が見た戦後沖縄』が刊行されたのをはじめ、9月11日からは沖縄県立博物館・美術館で「山田實展ー人と時の往来」が開催され、さらに9月28日には未来社より沖縄写真家シリーズ全9巻の最終回を飾る『故郷は戦場だった』が刊行されました。

山田さんのご苦労に感謝するとともに、これらの”果実”を未来へと手渡していくために「祝う集い」を企画しましたので、ご案内申し上げます。なお、この集いの日の10月29日は、山田實さんの94回目の誕生日にもなっています。

とき:2012年10月29日(月)午後6時
ところ:沖縄青年会館(那覇市久米2-15-23)
会費:3000円(会場で写真集と図書の販売も行っています)


[呼びかけ人]安里盛昭、新川明、池宮城洋、上原徹、大城立裕、大田朝美、金城幸彦、金城棟永、久場とよ、白保台一、島袋彩子、添石幸安、平良知二、玉城節子、東松照明、豊平良孝、名城郁子、西岡隆男、西谷能英、西村貞雄、玻名城泰山、前原基男、真喜志勉(五十音順)

「山田實展と出版を祝う集い」実行委員会(会長・西村貞雄) 連絡先:山田写真機店 電話098-863-3224
実行委員・仲里効、山田勉、前原基男、大城弘明、大城仁美、嘉納辰彦、仲嶺絵里奈、新城栄徳

                                          司会:大城仁美、仲嶺絵里奈
1、幕開けの舞    かぎやで風(玉城節子)
2、スライド上映    山田實さんの写真
3、開会のあいさつ  西村貞雄(実行委員長)
4、乾杯のあいさつ  豊平良孝(沖縄タイムス社社長)
5、版元代表あいさつ 宮城修、高良由加利(琉球新報社)
              西谷能英(未來社社長)
     <歓談>
6、祝辞         白保台一(沖縄県立博物館・美術館館長)
              前原基男
              金城幸彦(沖縄写真協会会長)
              西岡隆男(ニッコールクラブ会長)
     <歓談>

7、琉舞        神山典子・平良恵子・安里タマ子(玉城流翔節会)
8、祝辞        真喜志勉・真久田巧・金子隆一・仲里効
9、祝電披露・花束贈呈
スライド上映(ハーブ演奏/山田菊代) 

 
(豊里友行・撮影)


山田實さんを囲んで


写真ー前列左から渡口彦邦氏、山田實さん、白保台一沖縄県立博物館・美術館館長/後列左から宮城修氏、高良由加利さん、新城栄徳


10、山田實さん挨拶


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Category: 04-書の森
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2012年10月5日 島袋和幸『沖縄の軌跡』第90号「沖縄に来た写実主義画家・吉田博」
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2012年11月1日 島袋和幸『沖縄の軌跡』第91号「中村十作・宮古島の人頭税運動」

島袋和幸 〒124-0011 葛飾区四ツ木4-18-10 電話03-3695-9276 携帯090-4920-6952

Category: 04-書の森
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10/24: 岡村昭彦

Category: 01-人物名鑑
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1965年12月『沖縄春秋』「去る22日正午、 カメラマン岡村昭彦氏が本社を訪れ、およそ1時間にわたって(大城宗憲と)懇談した。」

1967年2月『月刊タウン』「岡村昭彦ヒューマン報告 №2ハワイ 観光地の裏側」


2014年7月 金子隆一・藤村里美・戸田昌子『岡村昭彦の写真 生きること死ぬことのすべて』美術出版社

岡村昭彦 おかむら-あきひこ
1929-1985 昭和時代後期の写真家。
昭和4年1月1日生まれ。37年からPANA通信特派員として,タイ,ラオス,カンボジア,ついでベトナム戦争を取材。「ライフ」に発表した作品で注目された。昭和60年3月24日死去。56歳。東京出身。東京医専(現東京医大)中退。著作に「南ヴェトナム戦争従軍記(→コトバンク)

10/22: 平良好児

Category: 01-人物名鑑
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平良好児賞 宮古の文学界をリードしてきた故平良好児氏(1911~1996年)の遺志を継承し、宮古における文学活動に顕著な実績を上げた人を表彰しようと同氏が亡くなった翌年の1997年、「顕彰会」によって設立された。同氏は宮古毎日新聞社の初代編集長だったことから2005年に、本社創刊50周年を機に主催を引き継いでいる。審査委員は松原清吉(宮古ペンクラブ会長)、伊志嶺亮(前宮古島市長)、仲宗根將二(元郷土史研究会長)、友利昭子(児童文学作家)の4氏が務めている。
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Category: 01-人物名鑑
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1979年 沖縄の雑誌『青い海』12月号 「人物点描/宮城桃幸ー『昭和沖縄園芸発達史』を出版した88才の�

宮城桃幸ー西宮・自宅書斎にて

宮城桃幸は戦前から戦争中にかけての沖縄県物産販売大阪斡旋所長、戦後の1951年7月に沖縄連盟兵庫県本部会長、1952年の沖縄協会兵庫本部会長(~54年10月)などとして、県、および関西の沖縄同胞のために力を注いだ代表的な先達。明治39年に沖縄県唯一の農学校「国頭郡各間切組合立農学校」に入学、校長の黒岩恒、教頭の宮城鉄夫から教訓を受けた。卒業後、園芸研究のたま興津園芸試験場練習生を経て徴兵、大正9年に中国山東省の青島に赴任した。林務署園芸主任として11年まで勤める。その間に末弟の桃郁を呼び寄せ、中学から東京医学専門学校までの学費の面倒をみた。

4年間の宮崎県立農事試験場勤務をおえて15年6月、沖縄農事試験場へ出向する。園芸作物試験費が農林省から交付されたため、その事業を担当することになったのだ。成果や当時の記録などは昭和54年に刊行委員会から発行された『昭和沖縄園芸発達史』にくわしい。

園芸研究から販売斡旋、販売開拓に力を注ぐため大阪の斡旋所に赴任したのが昭和15年。以来、終戦をはさんで23年11月まで所長として任務を全うした。大阪大空襲で事務所が焼失すると、西宮の自宅で執務にあたったことも。とくに戦後の混乱期に、桃幸の努力で在関西の沖縄県人に罹災証明書(沖縄での)を発行、23年の1年間だけでも1万5千人の県人が2千250万円の戦災給与金を受けた。一戸に千500円は、生活に苦しむ県人をうるおしたという。

退官後は”消えた沖縄県”に代って県人会活動に力を入れ、故郷のための、とくに復帰運動や渡航問題などに積極的にとり組み、各界から高く評価された。57年6月、91歳で惜しまれて永眠する。□→『やまとの群星/関西に生きる沖縄の県人たち』(琉球新報1987年8月)。


1987年8月 『やまとの群星/関西に生きる沖縄のたち』琉球新報社
Category: 04-書の森
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琉球新報に連載されている仲村顕の「眠れる先人たちー墓所にたずねる琉球・沖縄史」が友人たちに好評だ。仲村は2007年発行の新城俊昭『琉球・沖縄 歴史人物伝ー付録 歴史人物事典』の資料収集・執筆も担当していたからその蓄積の延長であろう。最近の真喜志康篤では仲宗根幸市にもふれ追悼、尚景では野鳥の方言名で「しまくとぅばの日」に関連させる臨機応変の執筆は他者の追従を許さないものだ。


左が仲村顕氏,歌人の渡英子さん
□歌人の渡英子さんは、歌人の屋部公さんの紹介で会い山城正忠について会話した。その際『冬柏』をお貸しした。それだけのことで詩集『レキオ 琉球』、『夜の桃』、評論集『詩歌の琉球』を贈って下さる。渡さんは評論の中で「同じ母語から分岐したとはいえ大きく隔ってしまった沖縄口と大和口であるが表記の上では同じ文字を用いたという意義は大きい」とする。

2011年1月ー沖縄県立博物館・美術館×那覇市立壺屋博物館図録『琉球陶器の来た道』
2月5日、図録の著者の一人である仲村顕氏から同図録をいただいた。仲村氏は「琉球窯業史文化年表」を担当。また輝広志氏と共同で「琉球陶瓦工家譜」(資料編)も担当した。輝氏からは氏の著『久米明倫堂沿革概要ー沖縄最初の学校ー』(2010年11月・社団法人久米崇聖会)をいただいた。


琉球絵画展ー琉球王朝から近代までの絵画
2009年7月18日から上記の展覧会が沖縄県立博物館・美術館で始まる。今、図録作成に金城美奈子さんを中心に仲里なぎささん、仲村顕氏が編集作業のピッチを上げている。仲里さんは兵庫の西宮市にある大手前女子大学史学科で考古学を専攻。2000年から今帰仁城の発掘作業に携わる。2005年には京都西本願寺で僧侶資格を習得。2007年には海洋博公園の海洋文化館に勤務。2008年に沖縄文化の杜に入社し現在に至っている。仲村氏は新進気鋭の琉球史研究家でネット検索にもよく登場しているので割愛する。

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
タイムス『沖縄大百科事典』「仲座久雄」は又吉眞三の執筆である。2004年2月、沖縄県立博物館で「企画展・沖縄の文化財展 戦前・戦後の文化財保護~仲座久雄の活動をとおして」の図録には仲座巌氏が「おわりに」と題し仲座久雄の略歴を記している。「仲座久雄は若い頃大阪で働きながら、苦学をして建築を修めました。賀川豊彦の薫陶を受け、ピューリタン精神を心に秘めて郷里へ戻り、学校建築、災害復旧工事に従事していましたが、1936年、首里市営バス安里停留所工事を設計・監督する機会を得ました。そして、当時首里市が国の補助と支援を受けていった「守礼門解体修理工事」が始まり、その工事主任を拝命し、工事監督・森政三と出会います。」

1945年9月16日(日)ー 戦争で多くの人が家を失いましたが、その住宅不足を解消しようと考案された仮設住宅が次々と建設されました。戦争ですべてを焼かれた住民たちは収容所に集められ、窮屈なテント生活を送っていました。そんな状況を解決しようと、沖縄諮詢会の松岡政保と仲座久雄は仮設住宅を考案しました。アメリカ産の材木を使った骨組みに、壁と屋根はテント張りか萱葺きで、床面積はおよそ6坪という一定なつくりのために「規格に沿った家」という意味で「規格家(きかくやー)」と呼ばれていました。簡素な作りではありましたが、大量生産が可能なため、1945年8月から3年間に7万5000棟が建てられ、戦後の住宅不足の解消に一役買いました。(→琉球朝日放送)

首里当蔵町時代
(首里博物館~琉球政府立博物館)
 新館は1952年2月に着工されました(設計・仲座久雄、施工・田光組)。コの字型の建物は、壁を煉瓦とし、赤瓦葺でしたが、当時資材の入手は困難で、設計者の仲座氏とともに博物館職員は煉瓦など資材の調達に奔走することになります。資材調達の遅れや資金不足などから建設は大幅におくれていきました。しかし、ペルリ記念館の併設を理由に、米国民政府が博物館建設を援助したため、1953年の5月に竣工することができました。5月26日ペルリ記念館・首里博物館落成式が行われ、このとき「おもろさうし」等が返還されました。(→沖縄県立博物館)



1960年3月8日ー大宜味村田港御嶽調査
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写真左より川平朝申、當山区長、林清国、荻堂盛進、仲座久雄、國吉眞哲、区民(新城徳祐撮影)

1962年7月1日『琉球新報』「愛蔵品拝見・護得久朝光さんーガンダーラの石彫」


1962年8月14日 郷土の文化を守る会(代表 名渡山愛順)宛 ハーリーS・ケネデイ司教・書簡


1962年8月25日『琉球新報』「愛蔵品拝見・仲座久雄さんー亀甲墓の設計図」

1962年8月26日『琉球新報』「愛蔵品拝見・川平朝申さんー平景樹の書」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
13:30  開場
14:00  {トーク}(15分×4人)「それぞれの立場から見た山田實」
15::05~15:15 休憩
15:15  {パネルディスカッション}(100分)・質疑応答
       パネリスト:大城立裕氏(作家)、金城棟永氏(写真家)、仲里効氏(映像批評家)、仲嶺絵里奈氏(写真史研究所研究員)
       コーディネーター:大城仁美(展覧会担当学芸員)
17:00  終了     



写真左から大城立裕氏、金城棟永氏、仲嶺絵里奈さん



□2012年10月10日『琉球新報』仲嶺絵里奈「美術月報ー今年94歳にして現役の写真家として活動を続ける、山田實の大規模な写真展『山田實展ー人と時の往来』(沖縄県立博物館・美術館企画ギャラリー1・2、9月」11日~11月4日)が開催されている。-」

□2012年10月11日『沖縄タイムス』「展覧会でシンポー山田實作品 本質探るー『原点にシベリア抑留体験』」

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Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
 10月4日『琉球新報』金口木舌に「NHKの受信料不払いが全国でも沖縄は最下位の理由は、中央の報道で権力寄り視線に沖縄県民が違和感を覚えているのも一つの原因」。5日の金口木舌「森本敏防衛相は『知事が辺野古移設を認可いただくためのよい政治的、経済的環境を作る』と言う。辺野古移設へ向け、また”毒まんじゅう”(註・世界最高水準の大学院大学とか)をこしらえるつもりだろうが、沖縄県民の目はだませない。基地固定化の餡が入った毒まんじゅうは熨斗付けてお返ししょう」とある。

10月5日の岡留ブログに■尖閣防衛は日米安保の範囲内だが、領土問題には仲介も介入もしないというのが米国の見解だ。ありもしない海兵隊の抑止力という沖縄米軍基地の有用性のイメージをちらつかせて、既得権益をむさぶる日米安保マフィアはタチが悪すぎる。その正体を全メディアが総力をあげてあぶりだすべきである。それこそが日本戦後史のホントの意味での総決算ではないのか。反省すべし!である。

カジノ・沖縄戦改ざんチジは相変わらず対策が優柔不断でスローモー、後手後手で結果として世界一危険な普天間基地にオスプレイが配備された。配備されたにも関わらず相変わらずスローモー。墜落は今日にもあるかも知れないのに。政府と何かの密約があると勘繰りたくなるのが人情だ。→9月8日の沖縄タイムス社説は「仲井真知事は当初、県民大会の予定だった8月5日に民主党の前原誠司政調会長と那覇市内で『密会』している。予算編成に力を持つ前原氏と一体何を話したのか。」と疑惑を呈している。

関連して栄徳兄に佐野真一『沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史』(集英社文庫)の「沖縄知事選コンフィデンシャル」を読めと言われた。中に地元紙の記者の証言を引き「仲井真のカミさんの嘉子にまつわる金銭の黒い噂です。カミさんは4年ほど前に急逝しましたが(02年2月16日死亡、享年56)、生前はアングラ劇団を東京でやっていて、その借金や派手な生活ぶりから、仲井真も首が回らなくなっていたんです。」「ちょうどその頃、沖縄電力では沖縄本島北部の金武町で大規模な火力発電所を建設中でした。建設は國場組で、その傘下に11社のゼネコンが入り、さらにその下に現地の孫請け企業が多数つきました。(略)そして國場組から発注元の沖縄電力にはおそらく2桁の億の金が、キックバックされただろうと見られていた。しかし、確証は最後までつかめませんでした。金武の火力発電所の計画を仕切ったのは、仲井真の腹心の副社長でした。その副社長は、那覇市天久の新都心に自宅を建てたんですが、すごく豪華なお家なんです。噂では、キックバックの上納金を仲井真と副社長の二人で山分けしたんじゃないかと、言われていました」と記されている。

ブログ上に「思いやり予算」を被災地に!というのがある。「2011年3月に起きた東日本大震災で被災された方々が 避難所から仮設住宅、そして「自分の家」に帰れるまで どれぐらい長い年月がかかるのだろう…??? 私達が募金できる額には限りがある。 でも1800億円x5年間も、米軍にあげるお金があるのなら、 (「思いやり予算」=米軍駐留の光熱費なども含む)東北の被災地にまわせ! 」、正論ではある。沖縄ではオスプレイなど米軍飛行機が毎日「思いやり予算」で墜落の危機を抱えながら爆音を轟かし飛んでいる。思いやり予算を通した政党は何処か。

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10/05: 日吉松仁

Category: 02-関西の沖縄
Posted by: ryubun02
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1950年11月 仲井間宗裕『沖縄と人物』同刊行会「日吉松仁」


今帰仁・本部マーイ・『仲宗根家系譜ー安田・比嘉・日吉・三木』/『與那嶺家「カンター屋系譜」』

1997年12月『仲宗根家系譜ー安田・比嘉・日吉・三木』/1993年9月『與那嶺家「カンター屋系譜」』この家譜は大阪市生野区の日之出書房から2006年11月に入手した。仲宗根家は大阪沖縄県人会連合会第8代会長の日吉松仁(本部字浦崎出身)が発行したもので、監修は大阪府立大学講師・眞栄田義弘である。與那嶺家(與那嶺清吉・本部町字謝花出身)家譜を参考にしている。仲宗根家姻戚関係に長濱徳松沖縄ハム会長が居る。長濱会長は本部の字浦崎出身。大阪には沖ハムの営業所が東大阪市の自宅近くにあるので看板をよく見かける。先日の琉球新報賞会場で会長、社長と名刺交換をした際、沖ハム直営の販売を兼ねた複合施設をお願いしたが、採算的にどうだろうか?。ちなみに沖ハム八重山営業所は石垣市新川にある。

1985年1月『オキナワグラフ』「長寿沖縄一 本部町の長濱孫四郎さん(106歳)」
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
1956年12月15日『結核予防会新聞』№32 山城永盛「久米島に療友を訪ねて」
1961年1月15日『結核予防会新聞』第83号 川平朝申文と絵「思い出の那覇(16)やらじや森城」/川平朝申文・え「糸満の快男児(27)」 
1961年6月15日『結核予防会新聞』第83号 1961年6月15日『結核予防会新聞』第83号 川平朝申文と絵「思い出の那覇(18)奥武山公園」/川平朝申文・え「糸満の快男児(29)」/当山堅一「ペスケラ博士の思い出(2)」/吉田朝啓「琉大学生の肺結核症発病傾向について」
 
1962年11月15日『結核予防会新聞』第102号 川平朝申文と絵「思い出の那覇(35)孔子廟(ちいしんぶー)」/川平朝申文・え「糸満の快男児(46)」
1963年1月15日『結核予防会新聞』第104号 川平朝申文と絵「思い出の那覇(37)若狭町湾」/川平朝申文・え「糸満の快男児(48)」/小池昌四郎、中井毅
1964年4月15日『結核予防会新聞』第119号 川平朝申文と絵「思い出の那覇(20)甲辰小学校2」
1965年1月15日『結核予防会新聞』第128号 「写真でみる1964年の歩み」/川平朝申文と絵「思い出の那覇ー壷川水あげ」
1965年2月15日『結核予防会新聞』第129号 川平朝申文と絵「思い出の那覇ーふなんぐわー船蔵」/亀田和彦、菅沼昭男

1965年3月15日『結核予防会新聞』第130号 川平朝申文と絵「思い出の那覇ー長門(ながじょう)」
1965年4月15日『結核予防会新聞』第131号 川平朝申文と絵「思い出の那覇ー内兼久山」
1965年5月15日『結核予防会新聞』第132号 川平朝申文と絵「思い出の那覇ー軽便鉄道と機関庫」
1965年6月15日『結核予防会新聞』第133号 川平朝申文と絵「思い出の那覇ー電機会社の煙突」
1965年7月15日『結核予防会新聞』第134号 川平朝申文と絵「思い出の那覇ー湧田の墓地」

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