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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
石川正通は「未来派」でもある。岡本太郎も「未来派」だか、つまり今、現在の退化した思想風土を見通している。次は年代不明の正通からの暑中見舞である。

〇石川正通「暑中お見舞申し上げます」
会社があって社会の無い国では
家屋(ハウス)だけ増えて家庭(ホーム)が減ります
十九世紀は自然科学の世代にのし上がったが
蓑虫人間共は宗教や哲学の蓑の中に隠れて
二十世紀は不自然科学の世代に転落しました

この辺で文明の質と方面を革命しないと
四十五億年まで折角年を取った人類は
広島ピカドンの百万発の原水爆を抱いたまま
二十一世紀は自然科学の時代になって自爆し
動物の退化した人間の姿が露呈されます

八紘一宇の夢が薄倖一雨の雫と化し
大詔奉戴日が大傷繃帯日になった
大東亜太平洋戦争を回顧し反省して
有事立法が憂時立砲にならないように
元号法制化が元号砲声禍を招かないように
朝永振一郎と赤提灯の下で一杯やりながら
石川正通はノーメル平和賞を待っています

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1915年3月・第一回卒業ー伊藝豊徳(健康保険所)、波平鎌一(小禄村)、新元亀次郎(那覇石門 商業)、友利恵任(台湾彰化群鹿港街専売局出張所)、小那覇全孝(嘉手納で歯科開業)、川上喜成(那覇税務署)、饒平名紀芳(東京日本橋区通り2-4日本橋ビル)、玉城亀寿(馬山公立高等女学校)、竹山秀一、玉城三郎、高良睦茂、平兵一、楚南元煐(東京高工卒)、楚南元勳(那覇で保険会社)、仲里金英(在今帰仁)、上原昇(大阪東成区中本第一小学校)、山城光進(東京赤城小学校)、福永親昌(那覇市役所)、山城正綱(在東京)、兒玉正作(沖縄県庁)、照喜名重實(台湾壮氏公学校)、安里重善(台湾台南新営海豊麿公学校)、大河内清榮(旧姓惠 大阪四條綴中学校)、志堅原良政(札幌市)、比嘉良瑞(東京市外戸塚町字諏訪2)、比嘉福吉(邊野喜小学校長)、平田重徳(鹿児島市樋之口町152池上方)、比嘉寛清(美里小学校)、比嘉盛義(津波小学校)、瀬名波佐善(沖縄県師範学校附属小学校)

1916年3月・第二回卒業ー川平惠優(鉄道省神田表猿楽町22)、與那覇浩之(安東県安東運送会社)、玉城孫太郎(今帰仁)、嵩原繁(花蓮港高等j與学校)、多嘉良憲吉、高嶺朝昌(在東京)、仲吉朝敏(神田実費診療所)、上江洲敬高、照屋勝雄(高知市江ノ口町中水道1018)、崎山用喬(台湾台北基隆高等女学校)、宜保俊一、嶺井松一、識名朝明(中城小学校)

1917年3月・第三回卒業ー伊礼喜俊、富山嘉積(県立第一中学校教諭)、金城松房、吉元山戸、平良蔵太郎(那覇金城病院)、津止重忠(大阪朝日新聞社)、永田重雄(大阪市西区京町堀33)、仲榮眞武雄、上里良保(嘉手納172)、上地平清、上原健男(東京市外東大久保234)、久場良雄(海軍少尉)、山城正直(羽地尋常高等小学校)、前田實(鹿児島県立志布志中学校教諭)、東風平玄宗(麹町警察署)、幸地新松(豊橋市豊橋病院)、小波津英毅、安慶田一(東京中央職業紹介所)、新垣武久(県立工業学校教諭)、安谷屋熊一、新垣邦二(北谷尋常高等小学校)、有馬宏(龍山満鉄京鐵局)、宜野座衡(久志尋常高等小学校)、島袋山戸、島袋正輝(宮城尋常高等小学校)、比嘉利幸(久志局長)、勢理客宗邦(東京市本所区太平町1ノ14)
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
□笹川良一の父・鶴吉はかねてよりの碁敵川端三八郎(天保12<1841>年4月10日生まれ)を招き、碁盤を挟んで睨み合っていた。三八郎の孫が康成である。(略)ときに川端康成は、第四代日本ペンクラブ会長として国際ペンクラブ大会の招聘などに奔走し、資金調達に大いに腐心していた。そんな折、竹馬の友は進んで資金援助を申し出ている。(2010年10月 工藤美代子『悪名の棺 笹川良一伝』幻冬舎)


1938年2月」19日『沖縄日報』「懐しの歌手 藤山一郎君きのふ思出の那覇へ/川端康成氏来月来訪」

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1938年3月『琉球新報』□東京の比嘉春潮から國吉眞哲に「川端康成が沖縄に行く予定で、折口信夫からは『辻の今昔』、比嘉春潮から『遺老説傳』を寄贈された。川端氏は沖縄を見てから読みたい、との話を知らせてきた。が、何らかの事情で来沖は実現しなかった。

1938年4月2日『琉球新報』南風原リリ「東京の印象」(2)
1938年4月5日『琉球新報』南風原リリ「東京の印象」(4)

1938年4月13日『琉球新報』當間光男「川端康成氏の琉球旅行」(3)
1938年4月14日『琉球新報』當間光男「川端康成氏の琉球旅行」(4)

1938年4月26日『琉球新報』「簪献納運動に悲鳴の金細工達」

b>石川正通□「ふりむん随筆」
「雪国」の作者川端康成は、その姉妹篇として沖縄に取材した南国物を書こうと意図して、在京の沖縄知名人に集まってもらって一夕の会談で沖縄に関する予備知識を得ようと会合を催した。何に怖気づいたのか、新感覚派で売り出した「伊豆の踊り子」のこの作家は沖縄行を思い止まって、現地における「沖縄の踊り子」を見る機会を自ら捨てた。

1958年6月3日『琉球新報』「川端康成氏きのう来島」
1958年6月3日『沖縄タイムス』「川端康成氏きのう来島ー誕生日は沖縄で」
1958年6月4日『沖縄タイムス』「二人の作家は沖縄を見るー川端康成氏、内村直也氏」

1958年6月5日『琉球新報』「川端康成氏ー民芸はすばらしい 身をもって沖縄を吸収」
1958年6月8日『沖縄タイムス』「座談会・川端康成氏を囲んでー川端康成、豊平良顕、宮城」聡、南風原朝光、牧港篤三、大城立裕、池田和、太田良博」(上)
1958年6月9日『沖縄タイムス』「々々」(下)

1958年6月9日 「川端康成氏を囲んで(座談会)川端康成、仲宗根政善、中今信、亀川正東、池宮城秀意、上原記者」→6月20日『琉球新報』

1958年6月10日『沖縄タイムス』「琉舞の粋に感慨 川端、鳥海氏ら迎え鑑賞会」

1958年6月11日『沖縄タイムス』「川端、鳥海、沢田、横山4氏の講演会」


昭和53年9月 千原繁子『随想集 カルテの余白』□1958年6月11日ー前列左から豊平良顕、山里永吉、川端康成、千原繁子、新垣美登子/中列左から具志頭得助、仲本政基、大田良博、牧港篤三/後列左から亀川正東、当真荘平、宮城聡、池宮城秀意、嘉陽安男、船越義彰


1958年6月12日『琉球新報』「鳩笛ー川端康成氏は今日のノース・ウェスト機で帰京ーきのうはたまたま川端氏の59回目の誕生日で波上”新鶴”(我那覇文・佐久本嗣子)で、沖縄ペンクラブ主催の別パーティを兼ねた誕生祝」

1958年6月13日『沖縄タイムス』「すばらしい沖縄の踊り 川端氏帰る」/『琉球新報』「川端氏"沖縄独自の美しさ"」




1958年8月『オキナワグラフ』「ペンをかついだお客様ー川端康成氏 来島」
○篤之介のペンネームと感覚的な詩で知られる文学頭取、沖相銀具志頭得助氏の数次にわたる交渉の熱意が実を結び、国際ペンクラブ副会長、日本ペンクラブ会長の川端康成氏が6月2日ひる3時40分、那覇空港着のノースウエスト機で来島した。今回の来島は沖縄ペンクラブの招きによるものであったが、「伊豆の踊子」「雪国」などの作者として文壇でも特異な存在にある同氏の来島は今まで期待されながら不可能視されていただけに、沖縄文化人の喜びは大きく、ペンクラブ会員多数が出迎えた。滞在中はペンクラブの山里、亀川氏や具志頭氏に案内されて、沖縄視察を続けられたが、6月11日、はからずも沖縄で誕生日を迎えたペンの賓客は、ペンクラブ会員、具志頭氏、沖相銀、紅房、那覇薬品、沖縄火災の関係者多数に囲まれ、「私はこんなに誕生日を祝ってもらったのは初めてでしてねエ」と島人達の温かい心づくしにその喜びを語っていた。・・・・

1981年 亀川正東『心に残るあの人この人』琉球青年乃村□「川端康成はなぜ死んだ?」
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川端康成 かわばたやすなり 1899年6月14日-1972年4月16日 日本初のノーベル文学賞受賞作家、小説家。大阪市天満此花町生まれ。幼くして両親を亡くし、祖父母と共に大阪府下三島郡へ転居した。その後、8歳で祖母、16歳で祖父が亡くなり、母の実家に引き取られた。1917年に第一高等学校に入学。1920年、東京大学英文科に入学するが、翌年国文科へ転科。大学時代に第 6 次の「新思潮」を発行し、そこで発表した作品をきっかけに、菊池寛に認められ、交流を持つようになり、文壇への道が開けた。1924年に大学を卒業し、横光利一らとともに同人誌『文芸時代』を創刊。この同人誌には、新感覚派(感覚的にとらえた現実を知的に構成していく作風)と呼ばれた、新進作家が集まった。1968年にノーベル文学賞を受賞し、『美しい日本の私』という講演を行った。その3年後に、門下の三島由紀夫の割腹自殺などによる強度の精神的動揺から、逗子マリーナの仕事場で72歳でガス自殺をとげた。さまざまなインタビュー番組の中で自分は「怠け者」であり、川端文学は「怠け者の文学」であると語る。1968年のインタビューに同席した三島由紀夫は「剣道で言えば一番強いタイプで、無構えの構えですね。」と解説している。(はてなキーワード)

03/29: ワラザン

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

1970年後、大阪のテレビに出演し「ワラザン」を説明する八重山の人。このときの「ワラザン」は大阪・沖縄関係資料室に所蔵されている。


Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
2004年3月23日、「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」があった。友人たちのバスで会場の北谷公園野球場前広場に1時に着く。テレビで宮古に大雨警報とあったが、会場も雨であった。2時に大会が始まる前に会場を一周した。テントで福地曠昭氏と、安仁屋政昭氏が話をしている中に割り込んだ。福地氏に今度の『オキナワグラフ』に氏の名前を引用している旨を話した。そのうちかつての全軍労の闘士・上原康助氏も福地氏の会話に加わってきた。上原氏を目前にするのは初めてだがテレビで馴染んでいたせいか以前からの知人のように感じた。また西尾市郎氏も抗議活動を展開していた。




Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
1907年・第19回卒業ー安次嶺松蔵(在フィリッピン太田興業株式会社)、有留隆雄、安里積禎(後備歩兵少尉 在八重山)、安次嶺長徳(八重山登記所在勤)、新垣良盛(南風原小学校)、伊藤祐介(熊本九州鉄道管理局)、石川徳助(明大卒 西平織工場)、翁長良保(法学士 福岡県大里旭ガラス会社)、大宜味朝明、大村寛、金城慎義(神戸高商卒 在ブラジル)、金城順裕、金城肇、我那覇生茂(新聞取次業)、片山利久一(早稲田大)、兼島政忠(東洋協会出 在大阪)、垣花恵寛(那覇税務署)、嘉手川重利(那覇市役所)、嘉数良睦、川平恵守(明大卒 東京神田西小川町松濱旅館開業)、神山盛亮(在東京)、岸本将秀(泊小学校教員)、久場眞長(千葉医専卒 今帰仁開業)、桑江夢熊(沖縄銀行本店 那覇市議員)、小橋川照慶(典獄)、税所篤雄(五高卒)、崎山嗣朝(京大法学士 弁護士 県議 那覇市議)、島袋秀清(熊本商工卒 在満州)、柴田朝雄(熊本医専卒 八重山開業)、勢理客智勇(那覇区役所書記)、祖慶實徳(長崎医専卒)、玉城松助(大阪高医卒 在大阪)、玉那覇有宏、田中胖(工学士 大阪市北区上福島北1-160-1)、高嶺朝公(千葉医専卒 在東京)、高嶺朝保(千葉医専卒 千葉町開業)、平良加(法学士 在東京)、高橋武松(早稲田大)、照屋孚次郎(琉球酒造組合理事)、當間英憲(司法代理人)、友寄英偉(那覇市会議員 市役所)、永田榮蔵(東京高商)、永田長松、仲吉朝太(熊本医専卒 本県技手・保安課)、仲松彌仁(長崎医専卒 宮古開業)、名城嗣貞(県属・産業課)、仲村渠嘉貞(在米)、仲本正秀(外語卒 大連市南満州鉄道会社四洮鉄道計画課長)、仲田朝義(高等女学校教諭)、新田元孝、新田元隆(鹿児島高等農林卒 本県産業課)、饒平名紀明(在東京)、野原幸輝、平安山長義(医学士 福岡病院)、比嘉江長、東恩納寛仁(県属)、譜久村安建(在米)、宮良當智(八重山郵便局)、森安薫、山内國太郎(商船会社 在大島)、山田有慶(小学教員)、屋部憲傳(在米)、山城興昌(在米)、山城端典、山田有幹(那覇市議)、読谷山朝宣(千葉医専卒 在北海道)

1908年・第20回卒業ー新垣朝光(県属)、上原章、上間長八(今帰仁今泊)、奥島憲慶(読谷山小学校長)、大嶺眞和、大湾政順(那覇市役所)、大見謝恒英(百四十七銀行那覇支店)、大湾喜福、嘉手川重輪(大阪税務監督局)、垣花恵祥(県庁)、我部政仁(東京小学教員)、嘉手川重位(那覇松山小学訓導)、川津博(早稲田文科卒)、神里常吉、金城嘉輔、嘉手納順範(在東京)、金城蒲戸(安里小学校訓導)、我謝秀輝、金城至蒲、許田重発(那覇尋常高等小訓導)、岸本幸厚(沖縄タイムス理事)、宜名眞邑挙(真和志小学校訓導)、久高将吉(工学士 京都市上市区田中町字大溝6)、城間垣貴(東京小学教員)、國吉良實(明大卒 泉崎)、小波津保光 、小橋川照顕(那覇市議)、小湾喜長(私立農業大学卒 中頭郡 技手)、佐久川恵柔(台南製糖会社嘉手納工場)、佐多忠三(台南製糖宜野湾工場)、島袋賀麻、謝花寛廉(在東京)、鹽谷亥之助、垂野光久、玉城友善(早稲田卒 本校在勤)、大工廻盛敏(沖縄県物産検査所産業主事補)、高志武盛蔚(津波小学校訓導)、照屋寛純(首里男子校訓導)、渡久地政佑(台南製糖会社高嶺工場)、東郷實(鹿児島県)、長友一郎(東京高商卒 郵船会社孟買支店)、名城嗣敏(在東京)、仲尾次政潤、名城嗣頼(南米ペルー)、今帰仁朝興(中頭郡書記)、仲吉良光(早稲田文科卒 在米)、今帰仁朝規(早稲田文科卒 糖商組合)、長嶺精一(佐敷小学校)、饒平名智太郎(在東京 改造社)、西平守由(広島高等師範卒 本校教諭)、新名栄蔵(那覇区旭町)、樋口敏彦(東京高工教員養成所卒 東京市役所建築課都市計画部)、比嘉賀秀(牧師)、弘中一郎、外間善助(国頭郡屁辺野喜小学校長)、外間誠昌(師二卒)、真境名安行(熊本医専卒 中頭郡勝連村医)、眞玉橋朝信(南風原小学校訓導)、又吉康和(名護)、松村嘉實(師二卒)、宮城普本(熊本医専卒 在大阪)、森田孟睦(高工卒 東京警視庁)、飛岡太郎(基隆台湾倉庫株式会社)、屋我宗恭(沖縄朝日新聞社)、山口房良(首里女子小学校長)、屋部憲重(泊小學訓導)、山城次郎(在南米)、吉嶺伊津(神戸山中廻送店)

1909年・第21回卒業ー安谷屋音房(川田小学訓導)、石川善盛(法学士 弁護士 代議士)、池畑浦悦(熊本医専卒 大島開業)、糸満盛重(那覇尋常高等小学訓導)、石原世昌(県属)、石原守規(屋良小学訓導)、浦崎朝臣(県属)、上原與吉(慈恵院卒 在布哇)、江藤盛一(東京東洋拓殖株式会社)、翁長林立(在台湾)、具志川朝宣(垣花小学訓導)、垣花恵常(東亜同文書院卒 奉天税関)、川崎良三(長崎高商卒 大連油脂工業株式会社)、川崎誠治(台湾新竹税務署)、神里多盛(高嶺小学校長)、兼島景範(那覇軽鉄 嘉手納駅長)、國吉眞現、國吉眞俊(東京府下豊多摩郡代々幡笹塚41號)、桑江常通、後藤怒(鹿児島電気会社)、佐村鉄也(在熊本)、崎山朝盛(早稲田卒 大阪湯浅商店員)、謝花寛済(法学士 北海道地方裁判所検事)、祝嶺春榮(久志村)、島袋永幸、玉城現(屋良小学訓導)、知念朝太郎(医学士 高知市武田病院)、照屋興善(那覇尋常高等小学訓導)、宮原守勝(首里尋常小学校訓導)、渡口眞正康、名嘉原知祥(在東京 会計検査院)、仲本兼亮(在大阪)、羽地朝敏(早大卒 首里市書記)、鉢嶺清眞(早大卒 那覇税務署)、羽地朝松、比嘉榮眞(医学士 那覇久米通開業)、堀江吉成(岡山医専卒)、眞榮田之璟(同志社卒 大阪高田商会)、前田達男(慶應義塾 在神戸)、溝口敏麿(長崎高商卒 横浜日本製糸株式会社)、森安勇(徳島県立商業学校)、山田有實(工学士 造兵将校)、與那原良輔(首里女子小学在勤)

1910年・第22回卒業ー赤池稔(旧姓税所 東大医科卒)、池間恵長(旧姓天久 長崎高商卒 支那厦門台湾銀行支店)、新嘉喜倫元(慈恵医専卒 久米島開業 仲里村医)、安里積一(在メキシコ)、家長寛(旧姓田中 法学士 大阪商船会社)、伊豆見元永(東亜同文書院卒 上海三井支店)、石原笑吉(鹿児島測候所)、宇堅源太郎(中頭郡具志川村役場)、浦崎永慎(那覇東町 材木商)、浦添朝功、大田朝重、大城朝英(那覇市議 大城無尽商会)、兼島由明(本校在勤)、我謝昌饒(大阪市堀川小学在勤)、川崎淳治(台湾 倉庫会社基隆支店)、嘉手刈貞徳(県属)、兼本盛仁(垣花小学訓導)、我喜屋宗信(早稲田卒 大阪市西区長堀北通5湯浅パイプ店)、桑江夢鯉(那覇市役所)、城間康信(上海三井物産支店)、慶田城用伯(高工卒)、護得久朝章()首里市議)、古波鮫唯功(泊小学校訓導)、相良彦威智(東北帝大在学中死亡)、座間味瑩(鹿児島高農卒 越来村長)、柴田米三(東京歯科医専卒 東京千駄ヶ谷889)、筱原三男(農学士)、新里與長(第一大里小学校訓導)、瀬長良直(慶應大卒 三越呉服店)、玉城寛(糸満町役場)、高里盛華、玉城武太(在比島)、知花加那一(在台湾)、千葉文亮(那覇市役所)、天願篤貞(在米)、渡嘉敷眞睦(美東尋常高小学訓導)、當間九思(仙台高工卒 在阪)、渡慶次全義(在京)、富村一郎、富原守貞(く久米島仲里小学校)、當間文雄(勧銀書記)、渡嘉敷唯義(在阪)、徳田安貞(東京本郷区梅園町64山田方)、長嶺但敏(東京小石川高等小学校)、仲座里喬、仲本吉正(兼次小学校)、玻名城政睦(在阪)、橋口達雄(在京)、比嘉安昌(在京)、樋口謙二(南風原小学校)、福地徳、又吉全興(熊本医専卒 在米)、松元維繁(那覇尋常小学訓導)、前田榮造(商業 那覇大門前通)、宮城源清(米国ローサンゼルス)、宮里朝鳳(宜野湾小学校)、屋比久政文、山田有功(滋賀県膳所中学校教諭)、與那原良剛(千葉医専薬学部卒 正文洋行那覇支配人)、與座嘉剛(在阪)、和田秀夫
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Posted by: ryubun02
1946年  極東国際軍事裁判(東京裁判)翻訳官、通訳官、調査官(キーナン検事と同居)、G・H・Q第八軍教育顧問(教育課長と学校視察)

石川正通□伊波先生は、戦後よく私の家に来れれた。ちょうど先生の東大の同期生の橋本進吉教授が私のすぐ隣で、同じ番地なんです。そして私の家のすぐ真ン前が児玉誉志夫なんだ。これは笹川良一と二人一緒でね。私の家からヤーナラビ(家並び)で、少ししか離れていない。あれがまだ世田谷の等々力に行く前ですね。で、児玉誉志夫と私は一緒に焼け出された。それから児玉の乾分やなんかが新橋駅の角の銀座通りで、テーブルなんか家具を売っていましてね。私は占領軍からいろいろ物が入るもんだから、何も貰わないで融通しておりましたがね。よく私の家に来たものだ。児玉君も、それから乾分たちも。(新城ーこの頃、浦崎永錫のところに、笹川良一が皇族が持っている美術品をバラバラにし売ろうと持ちかけてきた。断ったという)

石川正通□勝てる国敗れし国を裁くてふ/旗十一のたたずまいかな
アイフルバーガー第八軍司令官が日本刀をすべて鋳つぶして廃棄せよに、私は「日本の刀剣は世界に例を見ない美術品である」と身を賭して守り抜く。

1948年  順天堂医科大学教授(予科英語主任) 
1949年  千葉商科大学講師

1954年  10月19日 『琉球新報』石川正通「ふりむん随筆(一)」~12月27日

1958年
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1959年   2月10日 石川正通〇望遠郷ー神様よ!あなたは開店休業ですか あなたの1人子キリストの言葉 「カイザルの物はカイザルに返せ」 あれは公約ではなかったのですか 沖縄人のものは沖縄人に返して下さい 子供の時に歌った讃美歌 「神は愛なり」の余韻の美しさよ 愛の神を信じ神の愛を疑わない 心の清い沖縄人の祈りを御聞き下さい。(I God! Your words of Christ, the Son one of you I leave open "things Caesar returns to Caesar" what human Okinawa hymn was sung at the time of the child should be returned to the people of Okinawa do I was not a pledge is that "God is love," Please listen to us the prayer of Okinawan the pure in heart that does not doubt the love of God I believe in the love of God of the resonating beauty.)

1960年   1月『オキナワグラフ』「新春特話 正通の望遠郷ー東京裁判物語ー」


1960年  ラジオ沖縄で「正通放談」 石川正通〇私と沖縄ー大宅壮一君が琉球大学を八ミリ大学と、せいいっぱい高く評価したそうだが、人間というものは、自分の高さでしか物を計れないものだという生理的実存の自己暴露的放言として誠に興味深いものがある。八ミリ評論家に八ミリ大学と言われたのは、むしろ名誉である。気にすることはない。

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1962年12月26日晩ー「石川正通氏歓迎短歌会」国際通り宮里医院ー前列右より伊波冬子、金城芳子、石川正通・夫人、上里堅蒲、宮里栄輝、松田賀哲/中列右より國吉有慶、比嘉俊成/後右より宮里浩司・夫人、國吉景祉、比嘉晴二郎、泉國夕照、國吉灰雨、石川正秋

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Category: 01-人物名鑑
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Posted by: ryubun02
井上 友一郎(いのうえ ともいちろう、1909年3月15日 - 1997年7月1日)は、日本の作家。
大阪市生まれ。本名・友一。早稲田大学仏文科卒。「都新聞」記者となり、1939年『文学者』に『残夢』を発表して作家生活に入る。風俗小説作家として活躍、戦後は雑誌『風雪』に参加したが、『絶壁』が、宇野千代・北原武夫夫妻をモデルとしていると言われ、抗議を受けた。1970年代には、忘れられた作家となっていた。短編「日本ロォレライ」などがある。(ウィキペディア)


井上 友一郎の本

1935年9月14日 井上友一郎、昭和会館参観
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Posted by: ryubun02

3月25日、与儀公園のデイゴが一本の木に一輪づつ花を咲かせていた。沖縄県立図書館で石川正通の「春潮曼荼羅」を見る。
□腕っぷし大佐とかけて、何と解く?
年頃の娘と解く。
心は?
初めて月の物を見た。
和意談で筆を起こした趣旨は、比嘉春潮の名に触れるプロローグに、したかったからである。腕っぷしはアームストロング。アポロで、初めて月に降り立った宇宙飛行士である。比嘉春潮の春潮、新潮社の新潮は、娘が初めて見る初潮と同じく、月経ではないでしょうかと、私が怪問したら、春潮さんは、びっくりして、早速中国人のインテリに、訊き正したそうである。
沖縄で、初めて春潮さんに接したころは、確かに春朝であったように記憶している。図書館で、エスペラント講習会をやられる前の話である。ハクソー嫌いで有名な東恩納寛惇君(彼は君という呼称が好きであった)が、「ハクソーを人間に分類したのは、神の誤りである」と言ったとかで、東京の沖琉群人の間で、ハクソー問題が話題になったとき、春潮さんは、親の代に西原にチジュー(居住)したが、僕は首里の士族であると、家系を明かされた。

沖縄師範を卒業したとき、東京の物理学校(今の東京理科大学)への入学資格を得たが、家が貧乏で、東京に行く金がないので、下級の島袋盛範に権利を譲ったと述懐された。春潮さんが小学校長のとき、部下の教員の使い込みの不始末に、心を痛めて毎晩さまよい歩き、石垣の穴を見つけては、指をつっこんで、ハブに噛まれて、死を選ぼうとした噂があったが、これはあの春風駘蕩たる春潮さんの温かい人柄を示すエピソードで、根も葉も無いフィクションかも知れない。
    深く掘りなどが胸うちぬいじゅん(泉)ゆす(他所)たゆ(頼)て水や汲まぬごとに
伊波普猷先生が四十四歳の春潮さんに送られた歌で、ニーチェの「人間的な余りに人間的な」というニーチェの言葉を、読書家の芥川龍之介は「芸術的な余りに芸術的な」と、文字ったが、私の発想は常に「沖縄的な余りに沖縄的な」でワラビナー(童名)に、薄れ行く沖縄情緒を、次のように偲んでいる。私の家は男女同県だから、沖縄語しか使わない。テレビはカーガーウドイ(影踊)、ラジオはドゥチュイムヌイーサー(独言者)という風に、マカイ(ご飯茶碗)と(湯呑み)茶碗とを区別しない国は野蕃国である。
    ミーニシの吹くころ鷹や渡るらむ東京に居て沖縄に住む
不治のノスタルジアに冒されて、馬齢を加えて行くばかりである。

伊波ぬヤマーウンチュー、漢那ぬモーサーウンチュー、比嘉ぬタルーッチー、当間ぬウシーッチー、瀬長ぬカミーッチー、仲吉ぬカマーターリー、大湾(中村政忠)ぬカナーグヮー、宇久(貞成)ぬマカラー、武元(朝朗)ぬサンデー、山里(永吉)ぬトラー、と呼ばして戴いていた。

伊波普猷=ヤマー
比嘉春潮・金城朝永・親泊政博・宮城邦栄・岸本賀章=タルー
宮里栄輝・比嘉俊成・渡嘉敷唯信・石川正通=ジルー
真玉橋朝起・当間重民・山里永明・比嘉賀成・渡嘉敷唯達・島袋全章・山之口貘(山口重三郎)=サンルー
漢那憲和・東恩納寛惇=モーサー
富名腰義珍・伊礼肇・瀬長良直・長浜真徳・宇良宗亀・親泊興照=カミー
池宮城積宝・山城政行・石川正義・古波鮫唯信(漂雁)=カナー
神山政良・許田重発・備瀬知範=スター
友寄英彦・嘉数詠達・照屋仁栄=ニヨー
高嶺明達・真玉橋朝英・照喜名重照・当間重国・船越義英・尚暢=カマデー
当間重剛・島清(島袋牛)・松岡政保(宜野座政牛)=ウシー
小嶺伸(幸申)・大湾政行・高嶺百才=ハークー
仲吉良光・嘉数昇=カマー
祖慶実徳・渡嘉敷唯義=トラジュー
石川逢篤・石垣孫顕=カミジュー
石川正芳(私の父)・照屋彰義・渡嘉敷唯仁・浦崎永錫・山口保仁・小禄朝器・比嘉賀秀(靜観)・南風原朝光=マチュー
照屋宏・浜松哲雄(比嘉)=マチャー
大浜信泉=マントゥー

伊波先生とは、毎晩のように、会談・快談・怪談に耽ったが、学術語以外は、殆ど沖縄語で終始した。私が、所かまわず、沖縄語を使うので、春潮さんは、「石川君、君の沖縄語は正しいと思うか」と言われた。いくら春潮さんでも、これは愚門だと思った。しかしこの質疑は、春潮さんの頭の中の学庫の秘密を解く重要な鍵である。
言葉は時代時代によって変遷するもので、その世代の仲間の言葉が、その世代では正しいのである。時代は動く。語法も語彙を包んで動く。




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新島政之助は戦前ガリ切の達人で知られていた。
新島政之助が編集した本

1932年1月21日『沖縄朝日新聞』新島政之助「長編敘事詩 季節の処女」
1956年5月2日ー新島政之助宅「真和志市誌出版紀念短歌会」参加者は泉國夕照、原神青酔、上里堅蒲、宮里ひろし、石川正秋、比嘉俊成、國吉灰雨、邦吉之輔。

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03/23: 料亭那覇

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那覇グランドオリオン通りの「しんあい でんき」(携帯090-3322-9908)店主・仲里康秀□ジュークボックス 蓄音器 SPレコード









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2013年2月 戦争と平和を考える詩の会(〒143-0016 大田区大森北1-23-11 甲田方)『いのちの籠』第23号
○総選挙が終わってー(略)3、(ああ、おいしかった)この話は2,3年前の8月、NHKの特別番組で放映されたテニアン島での悲劇である。ご覧になった方も多くいると思う。テニアン島は1944年夏、米軍の上陸によって全員玉砕し、その後ヒロシマ・ナガサキに投下された原爆搭載機の発信基地となった。戦後私は現地を訪れた事があるだけに感慨は深いものがある。その話の内容というのは現地召集の一青年が米軍に追いつめられて両親と家族3人を銃殺した話である。その事を一番強く望んだのは彼の母親であった。米軍の手に掛る前に、息子のお前の手で死なせてくれと哀願されたのである。母と父を銃殺し、次は妹の蕃になった時、突然妹が「お兄ちゃん待って。お水が飲みたい。」と叫んだ。不憫に思った彼は一緒に水のある場所を探し当てた。水を飲み終えると妹は、「ああ、おいしかった。」と微笑むとさっさと父母の倒れた場所に戻って、兄の銃口の前で目をつぶったのである。引き金を引いてしまった彼に対して狂気の沙汰と言うのは簡単である。人間を狂気にしてしまう戦争は残酷である。私はこの情景を想像する度に年甲斐もなく涙が溢れてしまう。この兵士は後追い自決をする寸前に米兵の捕虜となり戦後を生き延びた。重い口を開いた放映3カ月後に彼は亡くなったとの事であるが、彼の生涯にについて私には語る言葉はないのである。私達の世代は戦争犠牲者の死を語る事が出来ない。その死を無駄・無益・無意味・非業・不条理と知る事になっても、そう言ってしまっては、死者が救われないという思いにどうしても囚われてしまうからである。(中村高春)


○あとがきー「自民」「民主」「維新」の「三極」は、「国防軍創設」「軍隊明記」「核兵器万歳」であった。改憲の輪の中の人々である。三極しか選択肢がないかのように連日テレビ新聞が煽った。不景気に殺気立つ様相は、やはり深刻な不況であった侵略戦争直前と似ている。滑稽なのはこのシステムを作ったのは自民党や民主党自身だということだ。同じ輪の中でアメリカ二大政党のように責任転嫁し合っているのである。ナチスそっくりに台頭した「維新」もあり、「大政翼賛会近し」だろうか。売れない、買えないのこんな時に消費税を増税したらどうなるか。格差社会ますますけっこうというのだろうか。ごく一部のトップ企業が潤ったら「経済は回復した」と言う連中だ。(略)

日本の一番の自慢は、平和を愛しどの国の人々とも文化交流し、世界政治の場で平和世論のイニシアチブをとるところ、となることを願っている。若い人たちに戦争の歴史を伝える良識教師が処分されているいま、いよいよ平和憲法にとって戦後最大の試練の時である。戦争と平和の問題は、私たちの詩文学の根幹である問題だ。(佐相憲一)

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博物館ふれあい体験室前「みんなでスディナ(琉服)をつくろう」


「スタジオジブリ・レイアウト展」関連イベント エントランスコンサート



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沖縄芸能史研究家・崎間麗進(1921年~2013年3月19日)

2010年4月29日 書斎探訪ー崎間麗進氏
崎間麗進氏は琉球新報社の『沖縄人国記』(1999年3月)によれば「崎間麗進(76)は、那覇の庶民生活の伝承者。子供と大人の関係が切り離されている現代を憂える。始祖は、琉球に陶芸の技術を伝えて帰化した朝鮮の陶工・張献功(?~1638)。名前の『麗』の一字がその名残り。芸能にも詳しく、沖縄芸能史研究会会長を務める。沖縄県立博物館長・當間一郎(59)も創立当時からの会員。初代会長で琉大名誉教授・照屋寛善(78)は医業の傍ら古典芸能に新しい解釈を加えた」と沖縄芸能史研究会と共に紹介されている。
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2015年4月15日午後2時ー那覇市・識名園で「崎間麗進先生を偲ぶ会」□実行委員長・當間一郎/実行副委員長・安次嶺律子


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兼次一正「東道盆(とぅんだーぶん)」原画ー新城栄徳所蔵

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芸歴
1941年6月  東宝俳優学院(国民表技学院)本科卒業

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      7月  大阪戎座入座、大宜見小太郎、宇根伸三郎、仲井眞元楷に師事
1943年 2月  玉城盛義舞踊研究所内弟子
      4月  真楽座入座
1945年3月   玉城盛義師匠とともに軍隊慰問。喜屋武海岸で米兵の捕虜。ハワイ収容所で比嘉良徳、屋比久光英とともにキャンプPW収容所等、沖縄に復員するまで慰問公演。
1946年2月   沖縄民政府指定芸能資格審査に受賞
      5月   新生劇団創立(伊佐眞一、金城幸盛、比嘉良徳)
1953年1月   比嘉清子に古典女踊師事
1955年6月   南米ブラジル国に単身で同胞移民慰問公演
           
1978年6月   南米お別れ公演
     10月   沖縄に帰国
1979年6月   与那原にて舞踊道場開設
1981年4月   第1回発表会「舞踊と沖縄芝居」
1982年5月   第2回発表会「舞踊と沖縄芝居」
1984年5月   第3回発表会「舞踊と沖縄芝居」
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1988年4月   「沖縄芝居風嗣扇会・當間美恵蔵藝道四十五周年記念公演」那覇市民会館  

2003年10月  『脈』第69号 Т・奥山□沖縄芝居の名女形の死をお伝えしなければならない。与那原町の洪済寺(墓は寺の南側)に眠る當間美恵蔵優である。6月28日に82歳で永眠された。
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官公衛/学校/寺院教会/新聞雑誌社/弁護士/医師/銀行会社/米商協会員/糖商同業組合/帽子同業組合/運送業/材木商/呉服雑貨商/肥料商/海産物商/乾物商/茶商/漆器商/泡盛及酒類商/陶器商/薬種商/化粧品商/ペンキ商/染物業/食料品商/製革業/自転車商/靴商/度量衡器商/菓子商/造船業/印刷業/料理店/劇場及活動写真/筑前琵琶/理髪屋/土木請負業/産婆/牛乳屋/感化事業/戸数人口/知事及議員/多額納税者/耕地/重要物産/主なる海産物/海陸交通/陸運/白山療養園/名所旧跡/一便滞在の視察/口説・四季口説、上り口説、下り口説/新聞取次店/宿料及手土産

主なる旅館ー楢原旅館(西本)、濱崎旅館(西本)、川津旅館(西新)、大正館(西本)、森田旅館(通堂)
写真業ー吉村貞(上蔵)、久志助親(上蔵)、又吉写真館(上蔵)、光陽軒(上蔵)、久野写真館(若狭)、大和写真館(上蔵)
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2013年3月10日沖縄県立博物館・美術館エントランスホール「宮廷舞踊オールドタイムダンス」日本ボールルームダンス連盟東部総局沖縄県支局


ジュンク堂那覇店「フランス史」のマリー・アントワネット関連本

マリー・アントワネット展 展示準備がピークに/ペンライトを使って肖像がに傷などが付いていないかチェックするパリ市立カルナヴァレ博物館のシルヴィー・ロビン学芸員(右)と金城美奈子学芸員=5日、県立博物館・美術館
 18歳でフランス王妃となり、革命の波にのまれて37歳の短い生涯を終えたマリー・アントワネットの素顔に迫る「マリー・アントワネット物語展」が8日、那覇市の県立博物館・美術館で開幕する。展示会を目前に5日、同館では、空輸された絵画やアントワネットが使った身の回りの品など約120点を運び込んだり、傷がついていないかチェックするなど準備に追われる学芸員の姿が見られた。(沖縄タイムス)

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1937年5月 仲吉朝睦『観光沖縄案内』向春商会印刷部

目次
第1 概要ー1、位地区域 2、面積、区画、人口 3、地勢 4、地質と土壌 5、気候と生物
第2 交通・通信・其他ー1、水上交通 2、陸上交通 3、航空交通 4、郵便電信 5、電話及ラヂオ 6、衛生 7、飲料水 8、電力
第3 自然物」と産業其他ー1、植物 2、動物 3、産業ーイ農業及畜産養蚕、ロ林業、ハ水産業 ニ鉱業 ホ工業 4、商業  5、移植民と開洋会館 6、沖縄畧史 7、沖縄古来の名人 8、県下の言論機関 9、軍隊及軍衛 10、官公衛 11、会社 12、教育及図書館 
第4 名勝・旧蹟ー1、那覇市 2、首里市 3、中頭郡 4、島尻郡 5、国頭郡 6、宮古郡 7、八重山郡第5 慣習・其他ー1、独特の綱引 2、空手 3、美術工芸 4、民謡及古典劇並土俗
第6 旅館・料理屋・演劇場・歓楽場ー1、旅館(那覇市) 2、料理屋(那覇市) 3、演劇場 4、歓楽場


1937年9月 『沖縄県人事録』沖縄朝日新聞社


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尖閣関係資料

『尖閣研究ー高良学術調査資料集』発行所ーデータム・レキオス〒902-0066那覇市大道40番地 電話098-884-1958
先日、國吉真吉氏、國吉まこも氏と喫茶店で合い『尖閣研究ー高良学術調査団資料集』を頂いた。氏らは沖縄の資源を探求し、どのくらい沖縄に資源があるのかを調査しまとめている。調査だけでなく生産も念頭においている。本書もその一環である。この作業は植物学では多和田眞淳、天野鉄夫の名前が先ず浮かぶ。1988年・ニライ社発行の吉川敏男『薬草と漢方のすすめ』、1972年発行の具志堅宗弘『沖縄の魚』や沖縄教育出版発行の白井祥平『原色沖縄海中動物生態図鑑』などは沖縄資源リストと言って良い。沖縄の数少ない資源を有効に活用していこうと民間が頑張っている。それを後押しするのが政治の最大の役目であるのにもかかわらず、今の日米両政権は自然破壊などで妨害してくる。

1986年4月に発生したチェルノブイリ原発の爆発事故は人類未曾有の大惨事となった。いま又アメリカのメキシコ湾で大手石油会社「BP」の石油掘削施設が爆発・炎上、原油が流出し作業員11人が行方不明という。オバマ大統領は「未曾有の環境(食糧)汚染になるかも」と警戒を呼びかけているという。アメリカの環境破壊は今に始まったことでなく、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン・イラク侵攻などで地球破壊を繰り返してきた。只でさえ地震、台風などの自然災害で人類の生存が危機に瀕している。地球破壊の軍事予算をそれらの調査・対策に振向けるのは至上命題である。もっともアメリカのゴアの「不都合な真実」は原発産業の後押しもあるという。グリーンピースなどの環境保護はかつてアメリカが捕鯨大国だったという歴史を忘れている。なによりも軍事演習などで海を汚染させないよう努力するのが先だ。

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03/07: 勝連敏男

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旗本退屈男 はたもとたいくつおとこ (映画)
市川右太衛門を世に知らしめた時代劇映画。もともとは、佐々木味津三*1の時代もの小説。1930年に映画化。以来、戦後の1963年まで作られ、舞台でも数え切れないぐらい上演した。旗本の早乙女主水之介の「眉間に冴える三日月形、天下御免の向こう傷」の名ゼリフと豪快な太刀裁きで人気を集め、右太衛門の代表的な作品になった。また、右太衛門の息子の北大路欣也もこの役を演じた。(はてなキーワード)
〇粟国島の幼年時代、少年雑誌の旗本退屈男をモデルにした劇画をよく模写した。
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観光コース  ○印は下車予定  他は車上説明
第一コース
那覇出発
民政府  軍政官府  泊港  外人墓地  天久聖現寺  崇元寺  ○与儀試験場  与那原  ○バックナービル・・・・・下車休息  佐敷  旧民政府、軍政府跡  斎場御嶽  受水走水  島田知事終焉の地  ○牛島中将終焉の地  ○健児の塔  ○姫百合の塔  みなと小  魂魄の塔  白梅の塔  バックナー中将戦死の地  南山城(遠望)  ○八重瀬岳(最後の激戦地) ○糸満  奥武山公園  那覇ー宿泊

第二コース
那覇出発
首里ー霊御殿  大学  龍潭 博物館  美術村 ○浦添ユードリ  ○普天満宮  桑江キャンプ  砂辺浜(遠望)  嘉手納航空隊  比謝エーヤ  ○万座毛  名護ー轟瀧、名護町  南城  農事試験場  宿泊

第三コース
名護出発
○渡久地(伊江島遠望)  北山城(遠望)  ○運天港(愛楽園説明)  羽地  名護  古知屋  ○金武宮  屋嘉ビーチ  石川ビーチ  ○東恩納博物館  旧民政府跡  エノビ旧軍政府跡  琉球放送局  胡差ビジネスセンター  ○中央病院  ライカム  ○中城公園  牧港  那覇宿泊



〇ちなみに、第1コースには首里博物館(第二次大戦前までは首里市とその近郊には23の国宝指定の建造物があり又琉球独特の美術工芸品があったが戦災でこれらのほとんどを失った。戦後の首里博物館はこれら埋没せるもの、或は灰燼の中からその残欠を掘出したものを保管してある。)、美術村(現代洋画家が中心となり美術村を組織して絵画美術の振興にまい進している。)も紹介されている。

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エリザベス・テイラー 本名:エリザベス・ロズモンド・テイラー。アメリカの映画俳優、女優。愛称リズ。
1932年2月27日、イギリス・ロンドン生まれ。現在に至るまで結婚暦は8回。2011年3月23日死去。(はてなキーワード)