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10/29: 安藤昌益

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
三谷和合

1977年11月 此花区四貫島・此花区民ホール「第三回おんど~れ祭り」。新城栄徳は安藤昌益①を演ずる。

 ①安藤昌益の思想は、42歳頃から約15年間を過ごした八戸で誕生したといわれ、主著『自然真営道』101巻93冊も八戸で書かれたことが分かっています。そのきっかけとして考えられるのが、飢饉の頻発です。この地方特有の冷たい東風(やませ)により、当時の八戸では凶作と飢饉が猛威をふるっていました。中でも大豆生産のため焼き畑を繰り返したことで猪の大発生を招き、多くの餓死者を出した通称「猪飢渇」いのししけがじ(「けがじ」=八戸弁で「飢饉」の意味)は、昌益に大きな衝撃を与えたと思われます。
 刊本『自然真営道』「大序」には、「非命にして死せる者のためにこれを記す」、つまり、不幸にして天寿をまっとうできなかった人たちのためにこの書物を書くのだ、と書かれています。食物を生産する農民たちの多くが命を落とし、支配階級である武士たちには大きな被害がないという現実。この社会の矛盾を目の当たりにしたとき、昌益は、町人の身体を診る町医者から、社会全体を診る思想家へと変貌を遂げたのではないでしょうか。八戸で書き上げたとされる主著『自然真営道』には、昌益の思想が体系的に記述され、「大序」巻、24巻「法世物語」、25巻「良演哲論」では、厳しい社会批判が展開されています。
 昌益は、武士が支配する封建社会を「法の世(ほうのよ)」として批判し、貧富の差も支配関係もない平等な社会を「自然の世(しぜんのよ)」と名付け、理想の社会として掲げています。自ら生産労働をせず搾取することを、「不耕貪食(ふこうどんしょく)」と称して批判し、その対極にある、自然の循環の中で自ら正しく農耕を行う生活を「直耕」と名付け、このような労働の中にこそ、人の人たるゆえんがあるという主張をこめました。江戸時代に幕藩体制や身分制度を明確に否定したのは唯一昌益思想のみであり、しかも、江戸から遠く離れた八戸でこの著作が誕生したことに、大きな意義があります。→「安藤昌益資料館」所在地: 〒031-0086 青森県八戸市八日町3 時間: 本日営業 · 11時00分~16時00分
電話: 0178-20-8109



1987年3月 たばこ総合研究センター『談№37』「<農>学知の射程」

2010年6月 吉田徳寿『安藤昌益 直耕思想いま再び』東奥日報社

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三谷和合の本


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Posted by: ryubun02
 『しんぶん赤旗』11月10日ー東京都水道局幹部天下り
 東京都水道局発注の浄水場排水処理業務をめぐり、公正取引委員会が独占禁止法違反の容疑で立ち入り検査を行った水事業大手の水ing(スイング、東京都)に、水道局幹部OB2人が天下りしていたことが9日、本紙の取材で明らかになりました。水道局の職員が入札情報を漏らした疑いも生じており、都と企業の癒着関係が問われます。(略)本紙の取材で、水ingに元水道局設備担当部長が2011年9月に「技術建設部担当部長」の肩書で天下りした他、元多摩水道改革推進本部長(局長級)が15年前後に「特別顧問」の役職に就いていたことがわかりました。関係者によると「立ち入り検査を受けた会社には、都OB3人が直近まで在籍していた」といいます。水道局は13~17年度の5年間に、水ingに対し工事や施設管理など計106件を発注。発注額は計104億円余に上ります。水道局と水ingの両者は本紙の取材に、「公取委の調査に全面的に協力しているので(都OB問題は)お話しできない」としています。(略)
 過去10年間に都水道局職員が関与した汚職事件は4件発生。▽係長が局発注工事で業者に便宜を図り107万円の謝礼を受け、逮捕(2012年)、懲戒免職▽職員2人が工事入札で最低制限価格情報を元職員に漏えい(11年~13年)、罰金の略式命令▽職員が工事入札で最低制限価格情報を業者に漏えい(11年)、罰金の略式命令―を受けています。(略)都発注の豊洲新市場、20年東京五輪競技施設など大型工事を受注した大手ゼネコンには都OBが大量に天下りしており、癒着構造の抜本是正が迫られます。

 「くろねこの短語」2018年10月29日-アメリカから兵器購入するためのローンの残高が5兆円だとさ。身代金3億円なんて噂話を真に受けた連中がバッシングに必死になっているけど、ひとひとりの命を救うための3億円は自己責任なんて喚くくせに、初老の小学生・ペテン総理の5兆円の無駄使いには目も向けないんだから、ホント、ネトウヨって頭あったかいひとたちなんだね。税金をどう配分するかというのが政治家の重要な役割なんだが、ペテン政権ってのはまったくビジョンがないから、何もかも言い値でアメリカから買っちまう。それすべて税金ってこともおよそ自覚してないのだろう。でなけりゃ、外遊のたびに大判振舞いなんかできるわけがありません。
 


2917年6月29日ー平和通りで「オール沖縄で日本をかえる」「新基地建設ストップ」を訴えるマエダちひろ(前田千尋)那覇市議会議員


アベ・アソウ政権打倒の大波はオキナワから!

  6月22日ー 2012年の選挙で初当選し、現在2期目を務める自民党の安倍チルドレン・豊田真由子衆院議員(神道政治連盟国会議員懇談会)が秘書に罵声を浴びせた上に暴行を加える、前代未聞の振る舞いをして、自民党を離党。/『毎日新聞』22日ー自民党は22日、豊田真由子衆院議員(埼玉4区)による元政策秘書への暴行が週刊誌で報じられると、その日のうちに離党届を提出させて幕引きを急いだ。豊田氏は当選2回で党や政府の要職にはついていないが、学校法人「加計学園」の問題などで批判が高まる中、安倍政権はさらなる痛手を負った。23日告示の東京都議選を前に「逆風が暴風雨に変わった」(都選出衆院議員)と嘆く声も出ている。

アヘペテン゙首相と豊田真由子/稲田朋美(神道政治連盟国会議員懇談会事務局長)、豊田真由子/豊田真由子、ケネディ駐日大使

 
『フライデー』(FRIDAY)は、講談社が発行、1984年(昭和59年)11月9日創刊の毎週金曜日発売(原則)の写真週刊誌。昭和の左は昭和の妖怪と称された岸信介(長女・洋子は安倍晋太郎に嫁す。Tシャツやネットに「嘘つきはアベの始まり」のアベは孫) 。満州侵略を推進してA級戦犯の汚名を持ちながら、首相にまでなり60年安保条約を成立させて日本をアメリカ属国に向かわせた男である。孫のアベ政権が2012年に発足し、大企業と結託した政策で、辺野古新基地、原発、軍需産業等に税金を使い放題、やれオリンピックだ、明治150年だのと国民の目をそらすカモフラージュ作戦で軍事国家を目指している。国会では森友・加計学園疑惑に嘘偽答弁を連発し、我が物顔で国政の私物化をあらわにしてはばからない。→2018沖縄に民主主義はあるか

1974年8月『山口組時報』「田岡家(本家)令息満氏 華麗なる華燭の典」
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□約700名の来賓、一部を紹介してみたい。政財界ー石井一、中山正暉、五島昇、松村正直、佐々木慎太郎、中井一夫、松尾国三。
会社関係ー岡田茂(東映社長)、川辺正夫(松竹副社長)、徳間康快その他。
作家・タレントー川内康範、飯干晃一、小池一雄、俊藤浩滋(東映プロデューサー)、鶴田浩二、高倉健、勝新太郎、中村玉緒、寺島純子、梅宮辰夫、ビクトリア、待田京介、伴淳三郎、清川虹子、五木ひろし、渚ゆうこ、天中軒雲月、大村崑、西郷輝彦、山口洋子、吉村道明、沢村忠。
なお、元首相岸信介氏他各界知名士多数より祝電があり、司会者より披露されたことを、最後に付記しておきます。(小田秀臣・山口組時報編集責任者・記)



2013年10月 『戦後日本の闇を動かした「在日人脈」』(別冊宝島2045号)宝島社
〇ネットYahoo!知恵袋「岸信介も日本人ですが、巣鴨プリズンに収容されていたときにGHQに売国奴として働く条件で解放されているようです。GHQは現在存在しませんが、CIAが代わりに暗躍していて、日本人に良く似ている朝鮮人を使って、電通などマスコミを使いつつ、この国を半ば支配しています。何故駅前の一等地がパチンコ屋が目立つのか、何故こんなに在日が政治に絡んでいるのかを考えたら結論は早いです。暴力団や右翼も殆どがトップが在日です」。

〇出所不明のデマサイトを使って玉城デニーさんを攻撃している公明党の遠山清彦さん。いくら日本会議で佐喜眞淳さんの仲良しだからって、事実無根のデマを流してまで戦況を有利に進めようなんて、国会議員なのにあんまりです。それはさすがにやり過ぎですよ。フェアプレイで戦ってもらいたいです!— ちだい(選挙ウォッチャー) (@chidaisan) 2018年9月13日
〇5月 5日ー昨日、日本会議など超右翼の改憲集会に公明党の遠山清彦衆議院議員が党を代表して参加、連帯の挨拶をした。公明党は9条改憲に慎重だと言われているが、本音は賛成なのかね。支持団体の創価学会として9条改憲に賛成か反対か、態度を決めるべきだ。宗教の本源からすれば反対のはずだ。連立離脱が筋だ。




1949年3月『真相』□人民社(佐和慶太郎)に紹介された児玉誉士夫

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1953年5月『人物往来』「特集・抬頭する右翼」□右翼総登場/三浦・児玉演出ー保守連立の一幕/一斉蜂起の鐘うち鳴らす旧軍人の群/今をときめく室町将軍ー三浦義一/①児玉誉士夫という男/日本型ドンキホーテー下中弥三郎の場合ー

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Posted by: ryubun02
1929年2月ー伊波普猷、山城亀雄飛行士が操縦する飛行機でロサンゼルス上空を飛ぶ。カリフォルニア各地を巡遊、宮城与徳、屋部憲伝らと交流。
 伊波普猷のよく知られた言説に「・・・さて、沖縄の帰属問題は、近く開かれる講和会議で決定されるが、沖縄人はそ
れまでに、それに関する希望を述べる自由を有するとしても、現在の世界情勢から推すと、自分の運命を自分で決定することの出来ない境遇におかれてゐることを知らなければならない。彼等はその子孫に対して斯くありたいと希望することは出来ても、斯くあるべしと命令すること出来ないはずだ。といふのは、廃藩置県後僅々七十年間における人心の変化を見ても、うなづかれよう。否、伝統さへも他の伝統にすげかへられることを覚悟しておく必要がある。すべては後に来たる者の意志にに委ねるほか道がない。それはともあれ、どんな政治の下に生活した時、沖縄人は幸福になれるかといふ問題は、沖縄史の範囲外にあるがゆゑに、それには一切触れないことにして、ここにはただ地球上で帝国主義が終わりを告げる時、沖縄人は『にが世』から開放されて、『あま世』を楽しみ十分にその個性を生かして、世界の文化に貢献することが出来る、との一言を附記して筆を擱く。」(1947年11月『沖縄歴史物語』沖縄青年同盟)がある。

<あま世>の言葉は、1933年1月15日、琉球新報主催「航空大ページェント」で瀬長島上空を関口飛行士操縦の複葉機から色白の美人・宮森美代子嬢がパラシュートで飛び降りる。それを万余の沖縄県民が見物という新報記事を東京で見た伊波が自身のロサンゼルス上空を飛んだ感動と重ね合わし「おもろ・飛行機」と題し「・・・紫の綾雲、おし分けて出ぢへたる、ふへの鳥の舞ひ、如何し来る鳥が、常世の大ぬしの御使者は有らにゃ、・・・大和世は物事変て、殊に工学のひろましや、珍しや算知らぬー沖縄御間切心一つならば、苦世す甘世なさめ。直り世は実に是からど始まる」とよんだことが初出である。

 異国船研究も、やはり沖縄学(伊波の学問を沖縄学と称したのは折口信夫)の礎を築いた伊波普猷に立ち戻らないといけない。『東恩納寛惇全集』「伊波君の想出」に寛惇は「日清役の頃か、伊波君が在京沖縄青年会雑誌に『爛額雑記』とか云った表題の随筆で、ヴィクトリヤの僧正の琉球訪問記を紹介した。(略)伊波君が『ヴィクトリヤの僧正』を取上げたのは、琉球語聖書の著者ベッテルハイムや、通事板良敷等に興味を有ったからであったらしい」と記している。1904年6月、伊波は鳥居龍蔵の沖縄調査に同行し横浜から尚家の汽船で帰省。鳥居は伊波宅に投宿。伊波は鳥居を沖縄各地に案内、記念にチェンバレンの『琉球文典』を鳥居より贈られる。
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1982年6月、戦前から異国船に関心を持ってきた川平朝申や、国吉真哲、中今信、曽根信一ら数十人が集い、琉球航海記を中心とした沖縄の歴史・文化・人文の研究調査の発展をはかり、地域社会の思想・文化の向上に寄与することを目的に、会長に川平朝申、事務局に外間政彰で異国船琉球航海記研究会(通称バジル・ホール協会)が発足した。発会の記念講演は照屋善彦琉大教授で、会場にはぺルリ艦隊の乗組員の曾孫にあたるヨセフハンディー夫妻も参加した。川平会長の母と、西平守晴南島史学会大阪支部長夫人の母とは姉妹の関係で、大阪在住の新城栄徳も会員として末席をけがした。
 私(新城栄徳)と川平朝申さんとの出会いは、1959年の『今日の琉球』誌上に連載されていた川平さんの「若き人々のための琉球歴史」を読んだことにさかのぼる。それから10年後。大阪の沖縄関係資料室に叔母さんを訪ねて川平さんが来室していた。夜、私が資料室に行くと、暑い熱いと下着姿の川平さんが「君が新城(あらぐすく)君か、西平(にしんだ)君から君のことを聞いているよ」と握手をしてきた。そして麦門冬に話がおよぶと「君は麦門冬の名前を知っているのか、それだけでも尊敬に値するよ」といって、太い万年筆で「故郷に生まれ故郷で育ち、今また異郷にありて故郷を想う心尊し」と書いてくれた。

1910(明治43)年9月15日、冨山房発行『學生』第一巻第六号 中村清二「琉球とナポレオン」
 中村清二(女優の中村メイコは兄の孫にあたる)「チェンバレン氏は英国の使節を廣東に上陸させて待っている間に朝鮮と琉球を見物し、帰国の途次セントヘレナ島を訪れてナポレオンに会見し琉球の物語をしたとある。」と記している。
□東京大学明治文庫の原本で、1910(明治43)年9月15日、冨山房発行『學生』第一巻第六号:ナポレオン号に「琉球とナポレオン」中村清二(7頁)が掲載されていることが確認出来ました。 その記事の挿絵にはバジル・ホールの著作と同じ挿絵が使用されています。冒頭でバジル・ホール・チェンバレンの祖父としてバジル・ホールが紹介され、はじめの小見出しは「セントヘレナ上陸」。途中の小見出しに「武器なき国」とありました。(2016年7月28日 不二出版 小林淳子)





 
 伊波普猷の弟・普成は1912年9月の『沖縄毎日新聞』に「ベージル・ホール 琉球探検記」連載、11月には「ビクトリヤの僧正 琉球訪問記」(クリフォードの名が出てくる)、1913年4月は「ぺルリ日記」、8月「チャールズ・ルブンウォース 琉球島」を連載している。


1912年11月8日『沖縄毎日新聞』「ベージル・ホール 琉球探検記」
譯者曰く、ベージル・ホールの他の著述の中に、彼は東洋よりの帰途セント・ヘナに立ち寄って、ナポレオンと会見して談たまたま琉球のことに及んで、琉球にては古来戦争がないといふことを話すと、流石のナポレオンは肩をそびやかして、戦争絶えて無しとか、これ決して能はざる也と叫んだ。といふことが書いてあるとのことである。貨幣もない、刑罰もない、武器もない戦争した経験もなければ、戦争のあったといふ伝説もないと云って、はじめから無抵抗主義を取った。琉球政府の対外政策には感服といふ他評しやうがない。かういふ小さい孤島ではコルチャコブやビスマルクのやうな大政治家でもこの政策を取る外致し方がなかったであらう。

1915年4月9日『琉球新報』麦門冬「眞栄平房昭ー百年前の語学者」
1924年5月『沖縄教育』末吉麦門冬「百年前の英語通ー眞栄平房昭」
□西暦一千八百十六年、即ち今を去ること百八年前、英國の船長ベーシルホール(言語学者チャンバーレン氏の祖父)が率いる探見隊を乗せた二隻の英鑑が朝鮮から琉球へと回航した。キャンプテン、ベージルホールの塔乗した船はメーフラワー號と云ふのであった。此メ―フラワー號乗組員が探見した朝鮮琉球に関した記録が「朝鮮の西海岸及び大琉球探見記」と云ふ浩澣な本となって、英國で出版された。其の原本は沖縄図書館にも一部蔵されている。その琉球の部分だけは先年伊波月城氏に依って飜訳せられ沖縄毎日新聞に連載されたから、記憶された方もあろうかと思ふ。この本は極めて面白く琉球の風土文物が記述描写せられてあるので、言語学者のチャンバーレン氏も、幼い時から、殊に祖父さんがこしらへた本として飜閲愛翫したそうである。チャンバーレン氏が後年日本に渡り文科大学に教鞭を執るようになり、更にわが琉球に来り、言語風俗を調査し、其の有名な琉球語の文法書等を著すようになったのも、動機を溯ればこの本が与えた刺激からであったといふ。
扨て私が茲に紹介せんとする眞榮平房昭とは何人かと云ふに、ベージルホール、チャンバーレン氏の探見記に活躍している一人物メーデーラーのことである。メーフラワー號の乗組員中にヘンリー、ホップナーと云ふ青年学者がいた。この人が調べた琉球語の研究が探見記の巻末に載っているが、ホップナーはメーデーラー即ち眞榮平房昭の助力によりて、あれだけの語彙を蒐集したのである。其の時メーデーラーも又帳面と矢立とを携えて、頻りにホップナーに就いて英語を教わり、双方交換教授をしたといふことである。(以下略)
○1928年ー市河三喜編輯『岡倉先生記念論文集』に豊田實が「沖縄英学史稿」を寄せている。豊田は沖縄県の依頼で1928年3月22日から28日まで英語講習のため那覇に滞在した。そこで沖縄県立沖縄図書館長の真境名安興などの協力を得て沖縄英学史を調べたのが前出の沖縄英学史稿として結実した。中に末吉麦門冬の「百年前の英語通」も引用し真栄平房昭の家譜を書いている。(2011年11月)
豊田実 とよだ-みのる
1885-1972 大正-昭和時代の英語学者。
明治18年9月16日生まれ。青山学院教授などをへて,大正14年九州帝大教授となる。戦後,青山学院院長,同大初代学長。日本英学史学会初代会長。昭和47年11月22日死去。87歳。福岡県出身。東京帝大卒。著作に「日本英学史の研究」など。→コトバンク


1915年12月4日 『琉球新報』神山政良 訳「奈翁とホ氏の琉球問答=セントヘレナ島に於ける=」(1)
12月13日 『琉球新報』神山政良 訳「奈翁とホ氏の琉球問答」(9)
12月14日 『琉球新報』金口木舌ーナポレオンは英の一船長を引見した時▲「卿は曾て尊父が予の事を話すのを聞かれた事があるか▲卿は曾て尊父が予に逢いたいと云うのを聞いたことがあるか▲と云うようなことを荐(しきり)に聴いて居る▲之が絶世の英雄ナポレオンの言葉である▲罪のない可愛い人間性が現れて居るではないか▲又彼が彼の少年時代を送ったブリアンの事なら如何に詰まらぬ事にも非情な興味を持って居た▲と云う事にも人間性の懐味が滲み出て居るではないか▲偶像化された英雄豪傑でも祭壇から引きずり下して見ると▲意外に無邪気な人間性の欠点や凡庸人と異らない人情味が見出される▲近世の芸術は一切の偶像を祭壇から引き下ろそうとして居る▲それは然うとナポレオンが琉球の地理的位置を聴いて▲琉球人の風習制度等が他国の干渉によって影響されたに相違ない▲と話したと云う事は其の炯眼に驚かざるを得ない▲事実我が琉球は他国の干渉に依って風習や制度に影響される處があった▲其處が又渾身活動慾制服慾に満たされたナポレオンが想像することも出来ない▲全然武器なき國として立って行かれた所以となったのだ

1931年12月『琉球新報』伊波普猷「ナポレオンと琉球」/1932年1月 『改造』伊波普猷「ナポレオンと琉球」

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Posted by: ryubun02
「くろねこの短語」2018年10月28日-福島への子供や女性の帰還についての国連人権委員会の警告をまるで無視するかのようなタイミングで再稼働した伊方原発が臨界に達した。「破局的噴火が起きる可能性の根拠が示されていない」という理由で再稼働を認めた裁判官は、万が一の時には責任とってくれるんだろうねえ。責任と言えば、安田純平さんの帰国に「自己責任」の大合唱がネットや一部のメディアで繰り広げられている。でもそれよりも問題なのは、政官財の無責任トライアングルこそ糾弾されてしかるべきなんだね。
 私人の嫁が国有地売買に関与し、自らも「ばくしんの友」への便宜疑惑にまみれている総理大臣、部下が公文書改竄しても「有能な官吏」と持ち上げる口の曲った財務大臣、さらに財界に目を向ければ原発事故がまるで他人事の東電の三悪人・・・こうした輩の無責任ぶりはほったらかして、命を賭けて危険地帯への取材を敢行したジャーナリストを「自己責任論」で貶めるとは。なんて国なんだろう。
そんな「事故責任論」にビートたけしが参戦したそうで、TV番組でこんなことのたまったくれたってね。「フリージャーナリストっていうのは現地へ行って記事を書いて、それを出版社に売って儲けるわけでしょ?戦場カメラマンと同じで、危険を冒してもいい写真を撮りたいわけじゃん。仕事のために危険を冒すのはリスクだから、それに政府がお金を出したのかどうかはわからないけど…どうなんだろうね」
「成功すればいい写真とか名誉を得られるけど、失敗した場合は救助隊に(自費で)お金を払うでしょ?この人は失敗したんじゃないの?」下衆になっちゃったねえ。ただただ呆れます。

 参考・「メンズサイゾー」2011-9-22 〇9月21日発売の「週刊文春」(文藝春秋)でビートたけしが「暴力団との関係」を赤裸々に語り、大きな話題となっている。暴力団との交際が原因で島田紳助が引退したことにより、芸能界と暴力団の関係がクローズアップされ、どのタレントもヤクザとの関わりが明らかになることにおびえるようになった昨今、なぜあえて暴力団との関係を自ら語ったのか。
記事では、フライデー襲撃事件後に復帰した際に「復帰が早すぎる」として右翼団体に街宣をかけられたことがあると明かしている。紳助が暴力団と関係を持ったきっかけは、同じく右翼団体に街宣をかけられ、その解決を渡辺二郎を通じて暴力団に頼んだことだった。しかし、たけしは右翼団体の関係先である住吉連合会の堀政夫会長をひとりで訪ね、土下座して謝って解決したという。この点が紳助とは違うとして、「タレントとして、そういうのを上手くやって逃げるのも本人の芸」「紳助は逃げる芸がなかった」と語っている。また、10年ほど前に、ある芸人(※文春は中田カウスだと断言)の策略によって山口組の渡辺芳則5代目組長と無理やり面会をさせられたこともあるという。さらに、稲川会からのプレッシャーにより初代会長・稲川聖城氏との面会を断れなくなり、あの月刊誌「新潮45」(新潮社)で対談したこともあった。(略)
 で、このところの「自己責任」の大合唱を聞いていると、なんか生きて帰ってきたことがいけないことに聞こえてくるんだね。もちろん、いろんな批判があるのはけっこうなことだけど、その前提には「生きて帰ってよかった」ってことがなくちゃダメだろう。すべてはそこから始まるのであって、いまのかまびすしい「自己責任論」ってのはそこをまったくねぐっちゃってるんだね。生還した特攻隊員に「なぜ死ななかった」って罵声を浴びせたのと似たような「鬼畜」がそこにはある。「生きて帰ったよかった」の一言が聞こえてこない「自己責任論」が蔓延るような国の未来は、けっして明るいわけがない・・・と我が家のドラ猫に囁いてみる日曜の朝であった。

2018年10月25日、報道ステーション【報ステ】財務局OB「改ざんは上からの指示」
「森友学園への国有地売却問題をめぐり、国会での真相解明を求める近畿財務局のOBらが25日、野党からの聞き取りに応じた。今年3月、文書の改ざんを指示された近畿財務局の職員が自ら命を絶った。OBらは番組の取材に対して「(文書改ざんは)公務員の発想としてはない。上からの指示がない限りできない」と述べた。
「麻生財務大臣が、森友問題で国税庁長官を辞任した元財務省理財局長・佐川宣寿氏について「極めて有能だった」と述べたことについて、「国会・国民を欺き、犯罪行為に等しいことをした人を評価するのであれば、自殺してしまった職員は一体何だったのか」「麻生大臣があんな態度で大臣であり続けるのは、自殺した職員を知っている周りの人や職員は本当に耐えられない」と語った。

「くろねこの短語」2018年10月24日-(前略)麻生太郎財務相がまた「医療費の税負担あほらしい」と暴言! 医療自己責任論と弱者排除をふりかざす醜悪体質は昔から 「飲み倒して運動も全然しない(で病気になった)人の医療費を、健康に努力している俺が払うのはあほらしくてやってられんと言っていた先輩がいた。良いことを言うなと思った」このクソ発言は、「健康維持のための予防の重要さを説明する際」のものってんだが、これこそ酔っ払いの発言そのものだ。そもそも、この男の発言というのはすべてが銀座のクラブでオネーチャン相手にオダ上げているようなもので、政治家としての理念や哲学なんてものは微塵もありません。かつてもこんな発言してるんだね。「たらたら飲んで、食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」ようするに常習犯なわけで、こんな低脳な男に税金で議員報酬払っていると思うと、またしても一瞬の殺意が脳裏を掠めるのもむべなるかな、ってなもんです。
 こんな非常識な男が、ごまめの歯ぎしり・河野君に麻生派のパーティの席で「(河野氏が)政治家として今後伸びるのに何が欠けているかと言えば、間違いなく一般的な常識だ」とのたまったってんだから、そりゃ会場から失笑も漏れようというものだ。こんな男を、総理大臣だ、副総理だ、財務大臣だ、って担ぎ上げるこの国は、それだけでカタストロフが始まってますよ、ったく!クズ政治屋がもうひとり。加計学園献金疑惑の下村君が「憲法改正していないのは日本だけ」ってお子ちゃま発言したってね。まるで、○○ちゃんも持ってるもん、って駄々こねてるガキですね。こんなんで「改憲」なんて口にするのはおこがましいどころか、1万年早い!!


関連ー「核はこうして貯蔵されている<辺野古の核弾薬庫>」『週刊ポスト』1973年11月15日号「平野部の”70%„が米軍基地の沖縄」。アベ政治が辺野古に拘る一因か。
 10月20日『沖縄タイムス』に那覇市長選の最中、石井 啓一国交相(元建設官僚。公明党所属の衆議院議員。 財務副大臣、公明党政務調査会長)が「沖縄防衛局からの辺野古執行停止申し立ては早期に判断する」という。沖縄では公明党の母体の学会員が集票マシーンから本来の人間愛に目覚めてミキコ応援が増えている最中に、東京豊島区生まれの東大土木工学科卒でエリート官僚のくぬひゃぁやちゃぁし判断するちむぇか、結論は分かとぅしが、うむさんやぁ。沖縄の学会員から見じねぇ、でぇじどぅ、どうなぁたぁのどぅしが国会に送たる者が粛々と、うちなぁの自然破壊を進めていちゅることになゆん。本日10月23日のテレビに「第31回日本メガネベストドレッサー賞が発表され、お目出度く石井啓一国交相が登場していた。一億総白痴化テレビにつける薬は無いでげす。

『週刊文春』2013年3月14日号「『安倍の体調は相当悪いぞ』ギャング麻生太郎の野望」

2013年1月25日のヤフー掲示板を見る。「自民党の仕事とは汚職 税金横領 脱税」とある。少し言いすぎだと思うが現状を見ると意外と合っているので引用する。□国の借金が1000兆円に届こうと言うのに月100万円を越える高級を食みボーナスや諸手当をつけ税金や年金を横領しまくって私腹を肥やしつづけている。その一方で国民は5年間で20万人近くが自殺に追い込まれ国策によって医療も雇用も年金も警察も削られ健全な市民生活を送ることさえ出来なくなっている。政府自民党はどこまで腐りきった国民を舐めた政治を続けるつもりなのか。依然特殊法人は存続して数万人の天下りが入り込み毎年数兆円の血税が浪費され続けている。そして彼らから賄賂をキャッシュバックさせて税金を横領している自民党の政治家は財務諸表隠蔽に荷担して決して彼らを処罰する法案を作ろうとはしない。
 2018年6月ー自民党の二階俊博幹事長は、東京都内で講演、少子化問題を巡り「この頃、子どもを産まない方が幸せじゃないかと勝手なことを考える人がいる」と述べたが、アベ総理夫人のことではないだろう。これは田中真紀子の発言「種無しスイカ」だろう。

○那覇市立図書館へ寄った帰り、宮脇書店で守屋武昌『「普天間」交渉秘録』新潮文庫2012年9月を買った。帯に小泉純一郎「一気に読んだ」と絶賛している。だから本書の中の2004年9月のところで、小泉総理「岩国は基地を受け入れるのか」「(神奈川県)座間の反対はないのか」「普天間は転換出来るのか」発言に対し、私(守屋武昌)は「総理のリーダーシップがあれば出来ます」と即答した。また総理が「本当に日本の戦後を終わらせることが出来るんだな」に対し、私は「はい」と答えたという。大田知事「沖縄が求めていたのは単独返還だ。新たな代替施設の建設が付いてくるのは承諾できない」や、「稲嶺知事には、普天間問題をどうしても解決しなければならないという意気込みがないのではないか」と疑念を持ったという。最近も麻生太郎財務相が21日の社会保障制度改革国民会議で、終末期医療について「私は少なくともそういう必要はないと遺書を書いているが、いいかげんに死にたいと思っても『生きられますから』と生かされたらかなわない。さっさと死ねるようにしてもらわないと」などと発言。同書には麻生大臣の発言「沖縄の五ノ日の会(仲村正治、嘉数知賢、西銘恒三郎、安次冨修、西銘順志郎)が俺の所に来た時に、事務方を引かせてから、オメーラ、まさか(辺野古移設の)梯子はずすことはしないだろうなといったら、アイツら皆下を向いて、うつむいているの」も紹介していた。「ゴルゴ13」を愛読しているからか沖縄選出議員を見下し土人扱いしている。コイツがまた安倍内閣の副総理となった。沖縄選出の自民党国会議員がどう出るか見ものではある。→やはり負け犬になった。
 2017-5 世相ジャパン新政権勉強のためジュンク堂那覇店に行き『知られざる日本の特権階級』(2008年9月 宝島社)を買う。

◆イントロダグションー(略)「格差社会」と呼ばれる日本を覆う閉塞感ー庶民が「成り上がり」に負け、「成り上がり」が「上流」に負け続けるサディスティックなゲームはいつまで続くのだろうか。財閥の衰退とは対照的に、外資系金融機関やヒルズ族、女子アナなど、時代の変り目に咲いた突然変異の特権階級も、やがては古きシステムの中に組み込まれ、庶民との間に見えない、強固な壁をつくりあげている。

2005年12月『昭和史の地図』
〇第1章・昭和の始まりと戦争
戦前の経済/領土の拡大/陸軍と海軍/2.26事件/政治家の系図ー近衛文麿とその時代/中国との戦争/太平洋戦争/空襲と疎開/沖縄の戦いと占領/広島と長崎/降伏・終戦
〇第2章・新生日本の歩み
本土占領とGHQ/財閥解体/農地改革/引揚げと復員/戦後の暮らし/朝鮮戦争/平和条約/政治家の系図ー吉田茂とその時代
〇第3章・高度成長の時代
所得倍増計画/労働と暮らし/株式・地価・為替/災害列島/国際社会への復帰/東京オリンピック/交通網の整備ー鉄道・道路・航空路/大阪万博/戦後の保守政治

吉田茂をめぐる人々
父親は土佐民権派の長老、妻の父は薩摩出身で明治維新の功労者・大久保利通の次男、牧野伸顕。吉田の子息から政治家は現れなかったが、外孫、縁戚には政財界の多彩な人脈が広がる。→岸信介、佐藤栄作、安倍晋三、麻生太郎

麻生の豪華な邸宅
福岡県飯塚市に約2万坪の邸宅を構えるほか、渋谷区神山町に、マスコミからは「麻生御殿」と呼称された敷地面積2400平方メートルの邸宅を所有しており、これらの邸宅が格差社会の象徴として非難を受け、一部市民が集団で麻生の私邸を「見学」する事案も発生した。→Wikipedia
○『しんぶん赤旗』2013年2月25日□首相の動静欄をみると「東京・富ケ谷の私邸」という言葉が出てきます。ところが、15日付で公開された資産には、地元・山口県下関市や長門市の宅地や住宅、山梨県鳴沢村に持つ別荘など12物件の不動産(表参照)が記載されているものの、この東京都渋谷区富ケ谷の高級住宅地にある私邸は含まれていません。登記簿などによると、1140・69平方メートルにおよぶ広大な土地の所有権は、1991年5月に亡くなった父親の安倍晋太郎元外相から同年11月、母親(岸信介元首相の長女)が4分の3、兄が4分の1を相続しています。岸元首相譲りの邸宅は、99年4月に地下1階、地上3階の「富ケ谷ハイム」(総床面積1937・7平方メートル)という大豪邸に建て替えられました。安倍首相夫妻は、同ハイムの「201」(2、3階部分で計498・32平方メートル)に住んでいますが、所有者は母親のため、資産公開では、国民の目に触れないことになっているわけです。首相は、資産公開にあたって、「特に説明を加えることはない」とコメントしています。閣僚の資産公開では、不動産は固定資産税の課税標準額で示され、株式は銘柄と保有株数だけ、預貯金のうち、普通預金が含まれていないなど、資産の実勢を反映しているものとはいえません。表にある貸付金2800万円も、10口もあるゴルフ会員権の価格なども「1億793万円」のなかには入っていません。

○雑誌、特に実話系の『週刊実話』しゅうかんじつわ)(日本ジャーナル出版から刊行されている週刊誌。1958年9月に創刊された。いわゆるグラビア・ヌードのある、男性向けゴシップ誌である。暴力団など裏社会の特集が多い事が特徴。『実話時代』、『アサヒ芸能』、『週刊大衆』などと共に「実話誌」のジャンルで括られる事もあるが、実話時代と比べるとやや内容が娯楽重視となっている。→ウィキペディア)の11月21号に「安倍総理が浴びる『一回2億円外遊旅行』」は、10月末にトルコを訪問。2兆円規模の受注にこぎつけて凱旋帰国した安倍総理に、悪評が立ち始めている。(略)『総理の外遊は一回2~3億円かかる』(政治部記者)、多すぎる外遊はストレスで『五輪決定時に見得を切った汚染水問題は加速度的に深刻さを増している。加えて、アベノミクスの第三の矢が定まらない。そのため、多すぎる外遊はそのウサ晴らし』』(政治部記者)と書きたい放題だ。別の誌面には「浄土宗ー東日本大震災で359カ所寺が被災!復興裏で露呈した金満裁判の”不徳”」で、宗教法人は民間会社のように、いくらの収入があって、それをどこに使ったなどのと届け出や公開の義務もないという。ということは秘密法に賛成している公明党も都合の悪いものは秘密に出来る。結構な秘密法ではある。『実話時代』などは、創刊から4半世紀の時を超え、ウラ社会をありのままに伝えるー、と半グレ日本、つまり官僚支配による国民の家畜化が進んでいる今の日本の姿を報じ続けている。何れそれら官僚に対し国民の「倍返し」が始まる。


1954年10月 内政問題研究会編『官僚の系譜ー権力の座に居る人たち』厚文社
〇最近の目立った現象の一つは選挙のたびに官僚出身者が進出していることであろう。しかも政党にあっては、佐藤栄作(運輸系)池田勇人(大蔵系)と二代ににわたって与党幹事長をつとめるなど党人としての活躍ぶりもなかなかあなどれないようだ。官僚といえば、戦前内務省華やかしころは、何といっても内務官僚をもって筆頭とした。」軍閥と並んだ内務省が全国知事を握り、網の目のように警察を配置していたのだから無理もない。(略)ーすなわち内務省的な存在ーの確保に狂奔するのも彼らとしては無理からぬことかも知れない。「逆コースの最たるもの」との折紙をつけられながら、いま着々と名称を内政省と変えながらその準備は強引におし進めているのである。右手に警察をもち、左手に自衛隊という軍隊を握る時代もそれほど遠いことではないようだ。

1987年はスポーツ紙でも政治的背景を報じていた。

(略)籠池氏は大阪府で改憲右翼団体「日本会議」の代表委員をしています。同学園が運営する幼稚園のホームページで籠池氏は「日本民族のための日本民族の憲法を創出し」「民族性を強く押し出す真性・保守の台頭が急がれます」と改憲の必要性を強調。「安倍政権は歴史のキーポイントを握っている重要な政権」と安倍首相に繰り返し期待を寄せています。

『しんぶん赤旗』2017年5月13日「安倍首相改憲発言は―「日本会議」のシナリオ」 日本共産党の志位和夫委員長は12日、東京都大田区内で開かれた都議選勝利・躍進をめざす演説会で演説し、憲法9条に3項を設けて自衛隊を明記するとした安倍晋三首相の9条改憲発言のシナリオを書いたのが、改憲右翼団体の「日本会議」であることを明らかにしました。そのなかで、9条に3項を付け加える狙いが、戦力不保持と交戦権を禁じた9条2項の「空文化」を図ることにあると、あけすけに語っていることを告発しました。

翁長雄志氏、右が前田政明氏

翁長那覇市長「挨拶」

2014年9月28日 JA真和志農協ホール「粟国郷友会/第45回敬老会


2014年6月7日

龍の爪は4本

那覇の街には早速「翁長追い落とし」のビラが貼られている。ヤマトの「嫌中」を沖縄に持ち込んでいるところはヤマト系の広告屋が作成したものだろう。あんまり沖縄の事情も知らない輩が「久米村」を敵に回すと仲井真カジノチジにも迷惑が掛かる結果になる。



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しまくとぅばプロジェクト2018 しまくとぅば鼎談/座談「南米んじ 琉球(るーちゅー)しまくとぅばー ちゃー なとー
2018年10月14日 14:00~17:00 沖縄県立博物館 講座室「しまくとぅばプロジェクト2018 しまくとぅば鼎談/座談「南米んじ 琉球(るーちゅー)しまくとぅばー ちゃー なとーが?」
 これまで沖縄の近代思想(伊佐眞一氏)、経済と文化(屋嘉宗彦氏)、写真(比嘉豊光氏)について、「しまくとぅば」で論じてきた鼎談シリーズの6回目。
沖縄の「しまくとぅば」は、沖縄・琉球に広がる島じまの言葉です。しかし、それを話しているのは、何も私たち琉球弧に住んでいる人たちばかりではなく、生活の言語としている人たちが、遠く南米にもたくさんいます。沖縄から移民で行った地で、しっかりと根づいています。
今回は、これまで何度もブラジルやアルゼンチンに行って、沖縄からの移民一世だけでなく、そこで生まれ育った二世・三世・四世の人たちと家族同様の付き合いをしてきた大城和喜氏をゲストに迎え、故郷を離れた外国の地で、琉球諸語がいま、どうなっているのかを知ることで、私たち沖縄・琉球におけるしまくとぅばの未来のありようを見つめる機会とします。(※むる しまくとぅばしっ 話し さびーん)

基調講話:「うちなーんちゅぬ 暮らし とぅ 言葉」 大城 和喜 氏(南風原町文化協会 会長)
座談:大城 和喜 氏、伊佐 眞一 氏(沖縄近現代史家)、比嘉 豊光 氏(写真家)、屋嘉 宗彦 氏(法政大学 名誉教授)

比嘉豊光氏(写真家)

大城和喜氏、(南風原町文化協会会長)伊佐眞一氏/左から屋嘉宗彦氏(法政大学名誉教授)、伊佐眞一氏、大城和喜氏、比嘉豊光氏


2018年10月14日『沖縄タイムス』伊佐眞一「歴史を刻んだ沖縄人ー太田朝敷」

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 尚泰侯爵、玉陵に葬られるー1901-8-19 尚泰侯爵、急性カタルで東京にて死去/8-23 尚泰侯爵遺骸、午後7時に東京本邸出発、沖縄青年会が新橋駅まで代表の諸見里朝鴻が神戸まで同行/8-24 尚泰遺骸、午後5時に梅田駅通過、送迎に商業興信社の宮井悦之助、/沖縄広運会社支店長の野里朝義ら参加/同夜、遺骸は球陽丸で那覇向け神戸出帆/8-28 尚泰遺骸、午前7時半に那覇港着。午前10時に大中邸/8-29 尚泰侯爵、午後2時に出棺、玉陵に葬られた。会葬者2万人/1905-2-7 故尚泰侯、尚家邸内から円覚寺に御入廟。



1962年5月  郷土の文化を守る会(会長・山田真山)


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1977年11月24日ー重要文化財「玉陵」修理工事竣工記念

 『朝日新聞』2018年10月19日ー文化審議会は19日、琉球王家の陵墓「玉陵(たまうどぅん)」(那覇市)を国宝に指定するよう文部科学相に答申した。沖縄県では首里城正殿などが国宝だったが太平洋戦争で焼失し、戦後できた文化財保護法のもとでは県内の建造物として初めての国宝指定となる。玉陵は首里城を居城とした琉球第二尚(しょう)王統の歴代の陵墓で、1501年に築造された。首里城跡などとともに世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する。石垣で囲まれた敷地の奥に3棟の墓室が並び、遺体を安置して白骨になった後に洗ってから納骨する琉球の葬送慣習を伝える。東アジアで独自の発展をした琉球の建築や葬墓制を象徴し、深い文化史的意義があると評価された。
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  「くろねこの短語」2018年10月27日-私人の嫁が図々しくも「夫人外交」だと。こんなんじゃ、公文書改竄で自ら命を絶った財務省職員が浮かばれない。一生罪を償いしやがれ!!。そんなことより、ついに国連人権委員会が福島第一原発事故による放射能汚染の危険性に言及した。「日本政府には『子供の被ばくを最小限にする義務がある』」という訴えは、もっと早くに日本人が自覚しなくてはいけないことだったんだよね。「1ミリシーベルト以下」という決まりを、事故後に「放射線被ばく線量が年間20ミリシーベルト以下」と勝手に変更した原子力村のやり口は、実は世界中が懸念してたってことなのだ。
 オリンピックを前にして放射能汚染をなかったことにしようというペテン政権の悪巧みは世界に通用しないってことだ。オリンピックをボイコットする国も出てくるかもね。ああそれなのに、「被災地の風評被害が助長されかねない」って日本は反論してるってんだから、ますます世界から孤立するこになりますよ。

  「くろねこの短語」2018年10月26日-(前略)2012年にシリア内戦を取材中に銃撃されて亡くなったジャーナリストの山本美香さんの同僚で、自身もジャーナリストである石丸次郎さんが当時を振り返りこんなコメントをしている。「バッシングは論外だが、死んだからといって過剰に英雄視するのも違和感がある。リスクを避ける準備が十分だったか、ジャーナリスト側の検証も必要なはずだ。だが、原因や再発防止の議論は進まなかった」(東京新聞「こちら特報部」より)したり顔のTVニュースのコメンテーターに聞かせてやりたいね。紛争地帯に限らず、犯罪多発の危険地帯などへの取材だって、勇気あるシャーナリストの存在があればこそなのだ。ベトナム戦争の悲惨さだって、それを伝えるジャーナリストがいなければけっして世界に発信されることはなかった。TVという安全地帯でごたく並べているようなのは、ジャーナリストでもなんでもないってことだ。
 「自己責任」なんて言葉が政治家の口から出始めたのは、2004年に高遠菜穂子さんたちがイラクで武装勢力に拘束されたのがきっかけなんだね。自民党幹事長だった安倍晋三、官房長官だった福田康夫、文部科学大臣だった河村建夫たちが「自己責任」をほのめかし、公明党の冬柴鉄三は「損害賠償請求をするかどうかは別として、政府は事件への対応にかかった費用を国民に明らかにすべきだ」なんてことまでのたまってくれた。さらに、防災担当大臣の井上某にいたっては、「家族はまず『迷惑をかけて申し訳なかった』と言うべきで、自衛隊撤退が先に来るのはどうか。多くの方に迷惑をかけたのだから、責任を認めるべきだ」なんてことまで喚いていたんだから、こんなのが国民の負託を請けた国会議員ってことに改めて怒りを覚える。


「くろねこの短語」2018年10月25日/2018年10月25日『しんぶん赤旗』「戦後最悪の反動政権 一刻も早く終わらせよう」

「くろねこの短語」2018年10月23日-(前略)それにしても、なんのための検証委員会だったんだろうね。こうした御用有識者ってのがペテン政権ではすぐしゃしゃり出てくるけど、腐った政治家と役人の裾野がいかに広がっているかってことの証明でもあるんだね。そんなんだから、車椅子の市議に対して「ブルジョワ障害者」と暴言を吐くさいたま市議のような男が出てくるんだね。もうこの国はダメかもしれんね。
 ところで、フランス大統領のマカロンじゃなかったマクロンがトランプのINF廃棄条約離脱表明に「特に欧州の安全保障と戦略的な安定という点で、条約の重要性を強調」するこど釘を刺したってね。本来なら被爆国である日本が真っ先にトランブを諭すべきなのに、静観の構えだけでなく「ロシアによる深刻な条約違反」(菅官房長官)なんてことも言い出す始末だ。何が「核保有国と非核保有国との橋渡し役」だ。臍で茶を沸かしちゃいますよ、ったく。
 最後に、生活保護叩きの鬼嫁・片山君が文春を名誉毀損で訴えたそうだ。飛んで火に入る夏の虫ってところか。早いころ消えてなくなれ!!

「くろねこの短語」2018年10月18日-行政不服審査請求でペテン政権が沖縄の民意に果たし状を突きつけた。行政不服審査請求ってのは、2015年に埋め立て承認を沖縄県が取り消した時にも出されてるんだね。で、その際にも問題になったんだが、そもそも行政不服審査請求というのは「国民の権利を救済」することが目的なんであって、政府広報のホームページにはこんなモデルケースが紹介されている。(略)つまり、国民が行政に不満がある時に不服申し立てをするというのが法の主旨なのだ。 行政不服審査請求法の第1条第1項「目的」にはこうある。この法律は、行政庁の違法又は不当な処分に関し、国民が簡易迅速かつ公正な手続の下で広く行政庁に対する不服申立てをすることができるための制度を定めることにより、○ 国民の権利利益の救済を図るとともに、 ○ 行政の適正な運営を確保すること を目的としています。国が法の濫用するんだから、法治国家なんて言葉はもはや死語ですね。
 ところで、生活保護叩きの鬼嫁・片山さつき君にあっせん利得疑惑だと。なんでも、青色申告取り消されそうになった業者から100万円を頂戴して国税庁に口利きしたとか。さあ、どうする、どうする!!。最後に、サメの脳みそ・シンキロー森君が、東京オリ・パラの大会経費が3兆円超なんて声があることについて「最初から(経費算定の)計画に無理があった」ってのたまったてくれたってね。こういう莫迦は死んでも治らんな!!。

「くろねこの短語」2018年10月17日-(前略)舌の根も乾かぬうちにとくれば、初老の小学生・ペテン総理だ。オール沖縄・玉城君との面談では「沖縄の方々の気持ちに寄り添いながら基地負担の軽減に全力を尽くす」ってほざいてたくせに、なんとまあ、「辺野古沿岸部の埋め立て承認を撤回した県への対抗措置」として「行政不服審査を請求」するんだとさ。これのとこが「沖縄の方々の気持ちに寄り添う」ことなんだろうね。しかも、ペテン総理自身は税金ばら撒きにさっさと外遊と洒落込んでいるってんだから、ホント、こいつの無責任ぶりにはそろそろゴルゴ13に登場願うしかないかもね。こういうのを、世間では卑劣漢(=くず野郎)と言います。

「くろねこの短語」2018年10月13日-沖縄の民意には抗えなかったということなのだろう。オール沖縄・玉城君の知事就任早々に、初老の小学生・ペテン総理は面談して対話ムードを演出しましたとさ。ようするに、単なるセレモニーなわけで、それが証拠に面談におけるペテン総理は役人が用意したカンペを横目で見ながら、「今後とも、県民の皆様のお気持ちに寄り添いながら、基地負担の軽減について、軽減に向けて、ひとつひとつ着実に、結果を出していきたいと考えております」 だとさ。そこには誠意のカケラも見て取ることはできません。しかも、この男は、冒頭でこんなことも言っている。「(辺野古移設を)これまで進めてきた政府の立場は変わらない」
これのどこが「県民の皆様のお気持ちに寄り添」うことになるんだ。そもそも、普天間返還と辺野古新基地建設はセットではない。ペテン政権は、それをあたかも普天間移転の見返りとしての辺野古新基地建設であるかのようにお得意の「印象操作」してるんだね。
 ところで、九州電力が電力の需給オーバーでブラックアウトの恐れがあるから太陽光発電を制御するってさ。馬鹿だねえ。自然エネルギーで電力は足りているってことなんだから、だったら原発再稼働しなけりゃよかったじゃん。馬鹿馬鹿しいにも程があるとはこのことか。最後に、豊洲は開業早々に渋滞だターレーの事故だと大騒ぎ。なかでも、凄まじいのが,溢れ出た汚水だ。どうやら、排水管の大きさに問題があるようなんだが、食品扱う市場で一番やっちゃいけないことだろう。渋滞や事故の元となった動線の問題と相まって、ぼったくりバーのチーママ・小池君の無策・無能のツケが、案の定、回ってきたってことだ。豊洲はこれからもトラブルが続くことは間違いない。最悪は、いまだに染み出してきている地下の汚染だね。何ひとつ解決しないまま開場した責任は、いったい誰が取るというんだろう。

 「くろねこの短語」2018年10月4日-凄いなんてものじゃない。なんと東京オリンピックの経費が3兆円だとさ。そもそもは3000億円程度のコンパクトな大会というのが売り文句だったんじゃないのか。それがどこをどうしたらこんなベラボーな金額になるんだろうねえ。
・五輪経費 膨らむ恐れ 国すでに8011億円支出 ・オリンピックの運営費はなぜ当初予算の何十倍にもなるのか
 でもって、安倍ポンコツ内閣のオリンピック担当大臣ってのが、これまた札付きのボンクラときてんだからたまったもんじゃありません。「放射能汚染されたごみの焼却灰を『人の住めなくなった福島に置けばいい』」って暴言吐いてイエローカード突きつけられたというスネにキズ持つ御仁で、失言を怖れた官邸から「国会答弁は棒読みでもいい」って注文つけられたっていうくらいだから、そのボンクラさは国が認めてるってわけだ。
 だからってことなんだろう、オリンピック担当大臣が任されているサイバーセキュリティ基本法改正案について、「桜田氏の国会での答弁はない方がいい」って声が上がって別の閣僚への変更を検討してるってさ。だったら、ハナっから大臣にしなけりゃいいだけの話で、いかにポンコツ内閣が箸にも棒にもかからない輩の掃き溜めかってのがよくわかるというものだ。大臣就任の記者会見では原稿すらロクな読めないんだから、「教育勅語を現代風にアレンジ」の文科大臣に続いて失言・暴言で顰蹙買うのはこやつで決まりです。・桜田五輪相の答弁、官邸が不安視 法案担当の変更を検討
 ところで、何をいまさらって感がなきにしもあらずなんだが、東京上空の制空権はアメリカが握っているっことが改めてバレちゃいました。なんでも、「東京オリンピック・パラリンピックに向けて、羽田空港の国際便の発着便を増やすための新たな飛行ルートをめぐって、日本とアメリカの間の調整が難航し、運用できないおそれが生じていることがわかりました」とさ。ようするに、オスプレイ配備したばかりの横田基地上空をちょっとでもかすめて民間航空機が飛ぶんじゃねえ、ってアメリカがクレームつけたってわけだ。それに文句のひとつも言えないペテン政権なんだから、なにが「日本を取り戻す」だ。「戦後レジームからの脱却」が聞いて呆れますよ。 「東京には空が無い」と智恵子は言ったそうだが、洒落にもなりませんよ、ったく!!

 「くろねこの短語」2018年10月4日-ヘッポコ内閣と犯罪者優遇の党内人事にクレームの嵐。なかでも、ひょっとこ麻生とあっせん利得の布袋頭・甘利君に批難が殺到しているようで、なんと選対委員長としての甘利起用については地元の市民団体から自民党本部に抗議書が出された。「(党として)最低限の矜持を持たないことを示した」という指摘はごもっとも。検察が不起訴にしたからって金銭授受があったのは事実だし、何より説明するって大見得切ってたんだから、早いとこ説明責任果たしやがれ。自民党あて抗議書
 ところで、トランプに「『交渉しようとしないならあなたの国からの車にものすごい関税をかける』と言った。そうしたら日本は『すぐに交渉を始めたい』と言ってきた」とバラされちゃったあげくのTAG(物品貿易協定)なんたが、日米共同声明には「TAG」なんて表記がないどころか、「物品、またサービスを含むその他重要分野における日米貿易協定」(在日米国大使館訳)となってるってね。つまり、これってアッパレなほどの日米FTAってことの証明なんだね。それを初老の小学生・ペ゛テン総理はわざわさ「TAG」なんて造語までして「包括的なFTAではない」って喚いてるんだから、どこまで往生際が悪いんだか。
 こういう言葉による誤魔化しってのはペテン政権では常態化しているわけで、言葉では誤魔化しきれないものにはデータ改竄もお手の物なんだから、こんなのが正当な政権って言えるのだろうか。こういう事実をTVのニュースってのはまったくスルーしちゃうんだよね。沖縄知事選のことはほったらかしで、脱走犯がどこで何してたとか相撲取りの内ゲバは面白おかしくリポートしてるのと同じで、ようするにペテン政権にとってまずい「事実」は徹底的に隠蔽しようってことなんだね。メディアとしての「最低限の矜持」すら持ち合わせてないんだもの、そりゃあ自民党という「国難」を糾弾するなんてことは出来ようはずもありません・・・なんてこったいの今日この頃なのだ。

 「くろねこの短語」2018年10月3日-全員野球とは意地悪く言えば、ようするにエースも4番もいない、箸にも棒にもかからない選手の寄せ集めってことなんだね。高校野球だったら、それでもみんなで力を合わせて戦うことに意味があるんだろうが、政治の世界でベンチで野次飛ばしてたやつまで登用しちゃお仕舞いよ。 こんなんだもの、田崎スシローにすら「一番出来の悪い内閣」ってdisられちゃうのも無理はないというもので、叩けばホコリのひとつやふたつは出てくるようや奴らばかりですからね。「在庫一掃、閉店セール内閣」野党が改造後の顔ぶれ批判
 でもって、文科相に就任した柴山昌彦が早速やってくれた。この御仁は、「同性婚制度化は少子化に拍車にかかる」とトンチンカンな放言して顰蹙買った過去があるんだが、昨日の就任会見で教育勅語について「アレンジした形で、今の道徳などに使えるという意味で普遍性を持っている」とのたまってくれちゃいました。さらに、閣外とはいえ、総裁特別補佐で復権を図る網タイツのゴスロリ・稲田君が、「「ミサイル防衛で1発目のミサイルを撃ち落とし、2発目(が撃たれる)までに敵基地を反撃する能力を持っていない状況でいいのか」って吠えたってね。こんな軍事オンチが防衛大臣やってたことが、いまさらながらに恐ろしい。
 こういう場末の動物園みたいな内閣改造、党役員人事を伝えるメディアが、これまた大ボケかましてくれてるんだからリンダ困っちゃうのだ。テレビ朝日なんか片山さつきが認証式に何を着ていくかで悩んでいる愚にもつかない様子を嬉々として垂れ流しているんだもの、おいおい、売れないタレントのお家拝見じゃないっての。聞くところによれば、NHKもこれと同じ報道してたそうだ。もう、言葉もありません。生活保護叩きの鬼嫁・片山きつきが過去にどんな発言していたか。そんなことにはまったく触れもせずに、これだもの。もう、言葉もありません。というわけで、生活保護叩きの鬼嫁・片山さつきのツイートを改めてご一読あれ。こんなのが大臣ですから、末は博士か大臣かどころか、世も末ってなもんです。

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3代目山口組内弘田組副組長のところに、現・6代目山口組の司組長の名がある。
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髙山 清司/菱心会理事長。(たかやま きよし、1947年9月5日 - )は、六代目山口組若頭兼中部ブロック長、二代目弘道会会長、二代目髙山組総裁(初代組長)、旧弘田組若頭補佐.



2017/5/19  サイゾー特別編集班 『烈侠外伝~秘蔵写真で振り返る加茂田組と昭和裏面史 』 /関連資料 

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三代目山口組内大平組舎弟古川組沖縄支部→2017-6『週刊実話』「神戸山口組現役幹部(古川恵一二代目古川組長)が怒りの激白ーインタビューは尼崎市内の琉真会本部で行われた。」

橋下市長の実父がヤクザというのが『週刊朝日』で報じられていたが、1990年代の大阪市内は市民レベルを反映しヤクザ事務所が彼方此方に有った。橋下ドクサイ市長が新聞記者にトヤカク書かれる筋合いは無い。
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屋良朝信 やら・とものぶ 川崎沖縄県人会会員。1949年川崎市川崎区生まれ。両親に連れられ幼い頃から沖縄を訪れる。学生運動が盛んだった10代の終わり頃、在籍した都内の明治大では休講が続いた。作家・小田実さんの著書の影響を受けて休学、「何でも見てやろう」とバックパッカーの旅に出た。北欧や英国の街角で、ギターを抱えて日本の歌を歌った。1年間で復学。卒業後、沖縄や欧州、アジアの安宿を泊まり歩く旅を30歳近くまで続けた。旅の途中、親交を深めた日本人の尺八奏者とも楽曲を制作した。その後、出版社や電子部品メーカー勤務などを経験。退職後は沖縄出身者やその子孫を応援する。

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「私設文学資料室」主宰・新城良一氏、右が屋良朝信氏/沖縄県立博物館・美術館入口の民家前
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沖縄県立博物館・美術館館長室で右が田名真之館長/左から豊見山愛さん、屋良朝信氏、亀海史明氏

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渡口万年筆店で右が渡口彦邦氏、屋良朝信氏/那覇市民ギャラリーで左から屋良朝信氏、伊佐真一氏、高良憲義氏

屋良朝信「富士瓦斯紡績工場」
 川崎は江戸時代には 東海道の宿場の一つとして賑わったが,1872(明治5)年に 新橋-横浜間の鉄道が敷設されて、川崎駅ができるや駅周辺の都市化が急速に進んだ。
明治後期,現在の京浜急行・大師線が開業し多摩川の南岸沿いに工場が建設される。以降、京浜工業地帯の中核となった。
明治初期から大正にかけて建設された主要な工場群;
・1908(明治41)年 東京電気 (後の東芝)・1909(明治42)年 日本蓄音器 (後の日本コロンビア)・1911(明治44)年 東京製線 (後の三菱電線)・1912(明治45)年 日本鋼管 (後のJFE)・1914(大正3)年 富士瓦斯紡績
-関東大震災-
沖縄県出身者は大正初期から紡績工場などへの出稼ぎのため川崎にわたり、親類縁者を呼び寄せた。23年の関東大震災で多くの県人が被災した。特に富士瓦斯紡績川崎工場では沖縄からの出稼ぎ労働者から72人の死傷者を出したという。被災県人を支援しようと震災翌年結成されたのが川崎沖縄県人会だった。初代会長は那覇市出身の玉那覇有盛氏。会員は千人ほどで、多くは富士瓦斯紡績の女工たちだったという。沖縄戦の後は、混乱の中で沖縄に戻れない県人や復員兵らの受け皿となり、琉球芸能を催して慰めとした。「川崎の沖縄県人70年の歩み」で、照屋元義氏(川崎沖縄県人会理事-当時-)は「県人の皆さんが集まり、踊りを練習して、お互い沖縄を忍びながら過ごした」と記している。→2017-6 旅の記憶 〜遊民雑記〜 tomoyaraのblog


1986年7月「川崎の男女共同社会をすすめる会 会報ー吉見周子『川崎の男女共同社会をめざして』」第5号/1985年2月4日『琉球新報』「大震災で散った”沖縄女工たち 〟犠牲者の名簿 川崎市の吉見周子山脇短大講師が発見」「富士瓦斯紡績川崎工場関東大震災時琉球列島出身犠牲者一覧」

仲田ウト 明37,8,5 戸主名 朝政 七女 年齢19 名護村世富慶37 入社 大11,9,18 所属 撚糸科  

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10/08: 崔承喜

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崔承喜
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1936年10月22日ー沖縄新聞社の招待で崔承喜一行(10名)、開城丸で来沖。

1936年8月ー日本民俗協会『日本民俗』第13号□琉球古典芸能の印象ー杉浦非水「大阪第五回内国勧業博覧会で琉球踊りをみた」、山崎紫紅、森律子、上司小剣、東儀和太郎、田辺尚雄「玉城盛重、新垣松含の15年前にみた。年老いた今日ー」、兼常清佐、村山知義、、邦正美、深井史郎、伊庭孝、岡元信吉、土岐善麿

崔承喜□私が琉球舞踊に接したのは、これが最初でありますが、それが非常に優れた民俗舞踊であることに大きな尊さを覚えたとともに、それらは私の舞踊の研究の上に、最近に於いて最も得ることの多かったものであったことを喜びます。
幾分新しく様式化されて演ぜられたように思われる「天川踊り」や「鳩間節」等の作品に最も大きな感銘をもったのでありますが、この様な民俗舞踊に於ける優れた手法は、私達に取って摂取さるべき多くのものを保持して居るように思われます。
私はこれらの琉球舞踊の中で、取り入れらるべきものを取入れんとして、此頃新作のレパートリの或る種のものに試みつつありますが、琉球舞踊を見た時に強く感じましたことは、それが朝鮮の民俗舞踊やシャムの民俗舞踊に類似して居る手法を多く包含して居るように感ぜられたことです。殊に上半身の動きー肩の動きや腕の動きは、朝鮮舞踊によく似ていますし、廻り方に於ける足の動きや手首の動きは、シャム舞踊に似てはいないかと思われました。
「組踊」に於ける様式上の特殊性も、朝鮮の民俗舞踊の中で残されている代表的なものである「山臺劇」等に見いだされるようなものに共通したものをもって居るように感じました。勿論、琉球舞踊にしましても、支那、シャム、朝鮮等の舞踊にしましても、東洋の舞踊に独自な、様式上の多くの類似性をもつことは当然なことでありませう。
このような琉球のもつ優れた民俗舞踊が有能なる舞踊家の手に依って、新たに様式化され、そしてそれが成長して行く日には世界に出して誇り得るものさえももつであろうとさえ思われると共に、この様な舞踊の伝統が何故、私達舞踊家に取って左程注目されていないかと思うのであります。スペイン舞踊等に対する関心も勿論必要でありますが、このような私達の手近にある民俗舞踊への関心も、もっと重要なものではないでしょうか。
この様な東洋の民俗舞踊を研究し、それを基礎として行く時には、東洋風舞踊と洋風舞踊との距離は、私達東洋人の踊る洋風舞踊である限りに於いて、もっと縮めることが出来るだろうと思います。この様な方向は私としまして自己の舞踊の一つの方向にしたいと努めつつありますが、いづれにしましても、今度の琉球舞踊に接し得ましてことは、舞踊を専門とする私達にとりまして大きな幸福でありましたし、この様な豊かな舞踊の伝統をもつ琉球に対しまして朝鮮を故郷とする私としましては、一種の羨望さえ感じました。(1936・6・7)


平成12年12月ー『南涛文学』第16号□牧港篤三「崔承喜の踊りー(略)私は崔承喜の踊る舞台を観た 戦前、那覇市内にあった映画館(平和館)で妖艶な踊り姿を観たのである 水着のような黒い服を着た彼女は 舞台の上で観客をとりこにした」


1936年10月(2004年5月『梨園の名優 新垣松含の世界』から)


本荘幽蘭

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1908年9月4日~14日ー沖縄美術運動の夜明・丹青協会第一回絵画展覧会

出品者 山口瑞雨(沖縄師範学校教諭心得)、岸畑久吉(沖縄県立中学校教諭心得)、國友朝次郎(首里区立工業徒弟学校助教諭 日本画ー四條派 岡田玉翠に学ぶ)、長嶺華國、比嘉華山、兼城恵園、川平恵昌、渡嘉敷唯選、金城唯貞、大湾政正、神山元享、親泊英繁、玉城次郎、国吉真義(刑務所職員)

 瑞雨・山口辰吉はその名が示すごとく1868年(明治元年/戊辰)10月21日に生まれた。辰は、十二支の中で唯一「実在しない生き物」で、これは、或る種のカリスマ性の要因となると云われている。





1912年2月ー太平洋画会の吉田博、石川寅治、中川八郎と丹青協会ー真ん中の柱の中列右が瑞雨。瑞雨の上が瑞雨の息子の山口清。左端が比嘉崋山、右へ一人おいて兼城昌興

1908年、沖縄最初の美術団体「丹青協会」が結成されその会長に瑞雨が就いた。11年、2年かがりの「程順則肖像図」の模写が完成。12年の1月、太平洋画会の吉田博、中川八郎、石川寅治が沖縄写生旅行のときの写真には瑞雨や丹青協会メンバーが写っている。

私は山口米庵のひ孫で、善丸と申します。 昨年 12月7日に父 順造が92歳で他界し、山口家のことは今私が記録を残さなければ子孫には皆目わからずじまいになりかねないと、初代、米庵について調べたところ、琉文21に沖縄時代の記録を見ることが出来ました。心より感謝申し上げます。山口家の墓は都営多磨霊園にあります。初代、米庵 瑞雨院米庵智堂居士。 以来代々が埋葬されています。 30年前に母が亡くなった時、墓には地下室が無く、お骨壷を直に埋めていましたが、すべてのお骨壷を掘りあげて一箇所に収納出来るように改修しました。その時、米庵の骨壷はすごく小さいものしか有りませんでした。 なお、家に残っている米庵の掛け軸の写真を添付いたします。

写真左から山口善丸氏、島袋和幸氏

  




山口瑞雨次女 山口まさ(明治29年9月2日生まれ。大正9年6月21日 浅草にて海上晴①と婚姻)

1959年10月12日『琉球新報』□40年ぶりに帰郷 天崇教の海上さんーもと新劇女優で、そのかみの文豪坪内逍遥博士の愛弟子だったという海上美乃さん(62)=首里当蔵出身=が、11日午後4時 泊入港の沖縄丸で帰郷した。海上さんは19歳の時上京、大正10年ごろ旧姓山口真瑳の名で新劇入りしてから坪内逍遥のもとに「人間親鸞」でデビューした人で日本画家山口瑞雨夫人(ママ)である。現在、東京で新宗連東京都支部副会長などをつとめ、もっぱら天崇教の普及活動に余生をささげているという。海上さんは沖縄は40年ぶりで、この日は女学校時代の同級生の千原繁子さん(女医)ら多数が出迎え、再会を喜びあっていた。→1933年5月『沖縄県立第一高等女学校同窓会』に1913年 第10回卒業生に林まさ 旧姓 山口 東京市中野/第12回卒業生に千原繁子 旧姓 渡嘉敷 那覇市上之蔵1ノ18千原医院。

①海上晴
1894年(明治27年)、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に生まれる。旧制・早稲田実業学校(現在の早稲田大学系属早稲田実業学校高等部)を中途退学したが、早稲田大学の坪内逍遥に入門し、文学を学ぶ。島村抱月、沢田正二郎ら演劇人と親交を結び、新劇の世界に入る。「創生劇」を主宰、日比谷野外音楽堂で公演を行った。1920年(大正9年)、日活向島撮影所の革新運動に参加し、同撮影所第三部が製作した田中栄三監督の『朝日さす前』に主演する。以降、同部の消滅まで出演をつづけた。関東大震災以降の1925年(大正14年)、兵庫県西宮市の東亜キネマ甲陽撮影所で映画出演する。1928年(昭和3年)6月、加藤精一、佐々木積とともに帝国劇場専属俳優となる。

1936年(昭和11年)、お告げを受け、天崇教を創立する[1]。教祖としての名は「海上晴帆」である。第二次世界大戦後、1948年(昭和23年)に宗教法人登録を行う。1952年(昭和27年)、黒澤明監督の『生きる』で映画界に復帰、以降、東宝作品を中心に出演する。初期の岡本喜八監督作品の常連で、体格がよく貫禄のある役どころが多かった。→林幹 - Wikipedia
1905年4月『琉球教育』第106号「中頭郡女子研究会ー本年1月中頭郡に遊戯唱歌塗板画の講習会開会せし以来女子は遊戯唱歌に男子は塗板画に興味を起こし且つ教授上に大に必要を感じ引続き有志者の集会を企画し男子は首里山口瑞雨氏宅に女子は宜野湾間切普天間に毎月集合して研究怠らず・・・」

1910年4月6日『沖縄毎日新聞』「丹青協会批評会ー去る3日第10回の作品批評会を若狭町クラブに会するも日本画の山口瑞雨を筆頭として董園、比嘉華山、国吉沖山、義村竹斉、洋画の関屋敬治、親泊、渡嘉敷唯選、松島、山城、中村の面々・・・・」

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1912年2月ー太平洋画会の石川寅治、中川八郎、吉田博と丹青協会


1912年2月15日 沖縄県庁倹徳館で太平洋画会・石川寅治、吉田博、中川八郎の「琉球写生画展覧会」油絵60余点、水彩画20数点 

中川八郎 なかがわ-はちろう
1877-1922 明治-大正時代の洋画家。
明治10年12月2日生まれ。松原三五郎,小山正太郎にまなぶ。風景画を得意とし,文展と帝展の審査員をつとめた。明治34年太平洋画会の創立に参加。大正11年8月3日死去。46歳。愛媛県出身。作品に「北国の冬」「高原の花」「夏の朝」など。 →コトバンク


中川八郎「琉球の刳船」

中川八郎「琉球の山原船」
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1912年3月『みづゑ』86号 中川八郎「沖縄土産」

吉田博 よしだ-ひろし
1876-1950 明治-昭和時代の洋画家,版画家。
明治9年9月19日生まれ。田村宗立(そうりゅう)に師事,のち小山正太郎の不同舎にまなぶ。明治32年中川八郎と渡米,翌年パリへわたる。34年帰国して中川らと太平洋画会を創立し,文展,帝展で活躍,山岳や渓谷の風景画で知られる。大正9年から木版画を制作。戦後,太平洋画会会長。昭和25年4月5日死去。73歳。福岡県出身。旧姓は上田。 →コトバンク


吉田博「崇元寺前」

吉田博「泉崎橋」

吉田博「糸満町市場」

吉田博「首里の市場」

吉田博「糸満町の刳船」

吉田博「雪崎から波上宮」

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「茶わん」は陶芸愛好家向けの専門誌で、創刊は昭和六年三月。編集発行人は秦秀雄となっているが、実務は小野賢一郎がとりしきっていた。秦に代わって昭和七年五月号から編集発行人として遠藤敏夫の名がクレジットされる。編集部は芝区三田功運町六番地、聖坂を登り切った辺りにあった。(会津信吾「蘭郁二郎の生涯」)



1941年8月『文学建設』蘭郁二郎「琉球ある記」
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1971年10月 蘭郁二郎『地底大陸』桃源社

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蘭郁二郎 らん-いくじろう 1913-1944 昭和時代前期の小説家。
大正2年9月2日生まれ。「探偵文学」同人となりミステリーをかくが,科学冒険小説に転じ,SF小説の先駆者のひとりとなった。海軍報道班員として台湾にわたり,昭和19年1月5日飛行機事故で死去。32歳。東京出身。東京高工卒。本名は遠藤敏夫。著作に「地図にない島」「地底大陸」など。→コトバンク

1935年10月30日 阿部金剛、昭和会館参観

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1889年11月ー松山傳十郎『琉球浄瑠璃』いろは家

松山傳十郎 資料
□1937年10月 『書物展望』石井研堂「琉球浄瑠璃ー前号の、『琉球もの雑本』の記事につれて思い出した[琉球浄瑠璃]の一本を紹介する。[琉球浄瑠璃」は、友人松山いろは氏の著作で、明治22年の発行、四六版92頁、山田美妙序、市川團洲題詞、獨幹放史(大森惟中)跋、その凡例に、『琉球國に、組躍と名づくる歌舞伎狂言あり、其の種類三百以上に達す。而して、其の最著名なるもの五つあり、村原と云ひ、八重瀬と云ひ、忠心身代巻と云ひ、姉妹讐討と云ひ、久志の若按司と云ふ、本書は、則此五大書の一なる久志の若按司を評釈せしものなり』とあり、内容から言えばただ[琉球浄瑠璃」ではなく評釈の二字を冠するのが妥当なようだ。・・・」

 石井研堂ー数種の少年雑誌の編集に携わり、明治41年、『実業少年』*3を創刊したが、明治44年、同誌の廃刊をもって、少年雑誌の編集から離れ、著述生活に入る。研堂は、民間説話収集にも関心を寄せ、『日本全国国民童話』を著した。その一部は関敬吾の『日本昔話集成』*4にも採録されるなど、今日でも評価されている。他に、江戸時代の漂流記・漂流譚を子ども向けに紹介した『日本漂流譚』、資料調査に加え、中濱萬次郎自身へのインタビューに基づく伝記『中濱萬次郎』、創作読物『鯨幾太郎』『少年魯敏遜』など海事関係の著述も多い。→「福島の児童文学者 列伝3 石井研堂 - 福島県立図書館」

石井研堂資料

1926年10月 石井研堂『明治事物起源』春陽堂

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 比嘉 憲司氏はカメラマンだが 『イッパチの夢を賭ける―ブラジル移民秘話』 2005/3 という著書もある。胡桃沢耕史と親しい。久茂地にあった比嘉氏の事務所(沖縄トップラン)にはよく遊びに行った。胡桃沢耕史が直木賞受賞後、沖縄での歓迎会に参加した。

比嘉氏が登場する胡桃沢耕史の文庫本

清水正二郎 しみずしょうじろう (読書)
後の直木賞作家・胡桃沢耕史が、大量にエロ文学の執筆・翻訳をしていた祭の筆名。大正14年神奈川生まれ。拓大卒。漁色家としても知られ、源氏鶏太の「精力絶倫物語」のモデルにもなった。(はてなキーワード)
胡桃沢耕史 くるみざわ-こうし
1925-1994 昭和後期-平成時代の小説家。
大正14年4月26日生まれ。昭和32年「近代説話」の同人となり,清水正二郎の本名でポルノ小説を量産する。のち筆名にかえて,57年「天山を越えて」で推理作家協会賞,58年モンゴル抑留体験をえがいた「黒パン俘虜記」で直木賞。ユーモアミステリーに「翔(と)んでる警視」シリーズがある。平成6年3月22日死去。68歳。東京出身。拓殖大卒。(コトバンク)


愛染 恭子と胡桃沢耕史
□愛染恭子(あいぞめ きょうこ、1958年(昭和33年)2月9日 - )は、日本のポルノ監督、元ポルノ女優、元AV女優。千葉県野田市出身、東京都立忍岡高等学校卒業。血液型はB型。旧芸名、青山 涼子(あおやま りょうこ)。→ウィキペデイア
□2013年9月26日『琉球新報』世良利和「発掘 沖縄映画史21-ピンク映画の中の沖縄」で『愛染恭子in沖縄 本番快感ツアー』(1991)が紹介されている。



永井荷風

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 2018年10月4日-『熊楠ワークス』№52に「[追悼]中瀬喜陽先生」が載っている。飯倉照平氏の「先駆的な仕事」の追悼文も載っている。このお二人と神坂次郎氏は、1964年以降、南方熊楠と末吉麦門冬との交流を追及(研究ではない)する過程で出会った。私の熊楠イメージ形成には飯倉氏が1972年『別冊経済評論ー伝記特集・日本のアウトサイダー』に書いた熊楠伝が大半を占める。特に中瀬氏には氏の主宰する俳句雑誌『貝寄風』にエッセイを書かせてもらった。
 
俳句雑誌『貝寄風』

□27年間発行されてきた俳誌「貝寄風(かいよせ)」が、8月号(通巻326号)で終刊となる。主宰の中瀬喜陽さん(78)=和歌山県田辺市神子浜1丁目=は「残念に思うがやむを得なかった。後に残る活動ができた」と振り返っている。貝寄風は、中瀬さんが編集を担当していた俳誌「花蜜柑」の主宰者が亡くなり、中瀬さんが知人の田辺市の串上青蓑さんに声を掛け、1984年7月、串上さんを主宰者として創刊。以来月1回発行し、串上さんが亡くなった後に中瀬さんが主宰を引き継いだ。終刊を惜しむ声もあるが、中瀬さんの体調による理由でやむを得ず決めた。

 俳誌には会員の俳句や、中瀬さんによる俳句や短歌の紹介などを掲載している。会員が俳句を作った経緯や思いを掲載しているコーナー「一句の周辺」は、作った俳句を見つめ直すきっかけにしようと設けた。俳句の作り方が分かるという声もあり、人気があるという。会員は創刊当初と同程度の約200人。田辺市や周辺町の住民を中心に、ふるさとについて知ることができるということで県外に住む県出身者らもいる。俳誌のほか、会員で句集「熊野九十九王子」や、創刊20周年を記念した「紀州田辺の俳壇」も発行してきた。また、中瀬さんが研究する南方熊楠を追悼する意味の「熊楠忌」は約10年前、俳人協会に季語として登録された。登録できた背景について中瀬さんは「貝寄風というグループの力があったからこそ」と話している。(→紀伊民報2012年5月19日土曜日)

『貝寄風』 - 新城栄徳「琉球の風」
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 「琉球の風」第1回は2005年4月発行で、作家・神坂次郎氏との出会いを記し「その昔、外様大名の島津家久が徳川家康の許可を得て琉球に出兵し支配下に置いた。そして中国との交易のため『琉球王国』はのこした。島津氏は琉球士族に対して琉球人らしく振舞うよう奨励した。琉球士族は歴史書編纂などで主体性の確立につとめた。清朝から琉球久米村の程順則が持ち帰った『六諭衍義』は島津を介して徳川吉宗に献上された。幕府によって『六諭衍義』は庶民教育の教科書として出版された。それが江戸文学への遠因ともなり滝沢馬琴のベストセラー小説『椿説弓張月』(北斎挿絵)にもつながる。また、清朝の使者歓待のため玉城朝薫がヤマト芸能を参考に『組踊』が生まれるなど新たな琉球文化が展開された」と記した。


平成17年7月 俳句誌『貝寄風』』(編集発行・中瀬喜陽)新城栄徳「琉球の風②」
4月、南方熊楠顕彰会から『南方熊楠邸資料目録』が贈られてきた。巻末の人名索引に私の名前が有る。驚くと同時に記憶が甦った。1984年の夏、麦門冬・末吉安恭書の軸物「松山うれしく登りつめ海を見たり」を背に担ぎ熊本城を経て、田辺の熊楠邸を訪ねた。折よく文枝さんが居られたので麦門冬の写真を仏壇に供えてくださいと差上げたものであるが、大事に保存され且つ目録にまで記されるとは夢にも考えなかった。飯倉照平先生に電話で伺うと、研究会では熊楠没後の写真なので収録することに悩んだという。と書いた。そして麦門冬の親友・山城正忠を紹介した。正忠は那覇若狭の漆器業の家に生まれた。若狭は漆器業が多い。麦門冬の手ほどきで琉球美術史研究に入った鎌倉芳太郎(人間国宝)は「思うに(福井県)若狭はその地勢、畿内に接して摂津と表裏し(略)、古来日本海における外国貿易の起点となっていたが、十五世紀の初頭以来南蛮船も着船し、この地の代官も書をもって朝鮮国と通交しており、小浜から出て東シナ海に向かい、琉球に新しく出来た那覇港に、貿易物資(漆器)生産のための若狭の居留地が造成された」(『沖縄文化の遺宝』)と推定している。
平成17年12月 俳句誌『貝寄風』』(編集発行・中瀬喜陽)新城栄徳「琉球の風③末吉安恭と南方熊楠」

7月、立教大学の小峯和明氏と奈良女子大学の千本英史氏から南方熊楠特集『國文学』8月号を恵まれた。小峯氏は「熊楠と沖縄」を執筆され「それにしても、末吉安恭との文通が半年(1918年2月~9月)あまりでとだえてしまったのはなぜであろうか」と疑問を呈しておられる。千本氏は「等身大の熊楠へ」で「熊楠はいたずらに祀り上げるのでなく、その、すぐれた可能性を引き継いでいくことが求められている」としている。

そこで熊楠と末吉安恭の文通の周辺をみてみたい。柳田国男が『郷土研究』を創刊した1913年3月に柳田は伊波普猷に「琉球の貴重文書の刊行」についての書簡を送っている。程なく沖縄県庁では筆耕に『中山世譜』など写本を命じている。6月、黒頭巾・横山健堂が来沖し伊波普猷や安恭らと親しく交わり『大阪毎日新聞』に「薩摩と琉球」を連載。無論、沖縄の新聞にも転載された。

1914年に安恭らは同人雑誌『五人』を創刊、安恭は古手帖(抜書き)をもとに男色をテーマに「芭蕉の恋」を書いた。7月、伊波普猷、真境名安興らは県知事から沖縄史料編纂委員を拝命。1915年の1月に沖縄県史編纂事務所が沖縄県庁から沖縄県立図書館に移された。主任は安恭の友人で同じ池城毛氏一門の真境名安興である。当然、先の『中山世譜』などは県立沖縄図書館のものとダブルことになる。安恭は安興から『中山世譜』『球陽』などの写本を譲り受けた。安恭は『球陽』などを引用して『琉球新報』に「定西法師と琉球」「琉球飢饉史」、朝鮮史料で「朝鮮史に見えたる古琉球」を書き琉球学の開拓にこれつとめた。

熊楠宛の書簡で安恭は前出の「芭蕉の恋」に関連して「芭蕉翁も男色を好みし由自ら云へりと鳴雪翁の説なりしが、芭蕉がそれを文章に書き著せるもの見当たらず候が、御承知に候はば、御示し下され度候」とある。いかにも見た目には学究的だがその気質は芸術家である。安恭は俳人として麦門冬、歌人として落紅、漢詩人として莫夢山人と号したが俳諧が気質に合っていたようだ。前出の古手帖には「芭蕉」「子規」「俳句に詠まれた琉球」「俳句の肉欲描写」「沖縄の組踊の男色」などが記されている。

安恭は熊楠と文通を通じてお互いに聞きたいことは殆ど聞いたと思う。文通が直接には途絶えても沖縄の事は安恭贈呈の『球陽』で当面間に合う。『日本及日本人』誌上では安恭は亡くなるまで熊楠と投稿仲間であった。1919年1月、折口信夫編集『土俗と伝説』には熊楠の「南方随筆」と並んで安恭の「沖縄書き留め」がある。しかも同年6月、安恭は安興らと「沖縄歴史地理談話会」を設置し活動に入り安恭も自ら企画・講演をなしその内容を新聞記者として、創刊メンバーとして『沖縄時事新報』にも書く忙しさである。

私の手元に中瀬喜陽さん編著『紀州田辺の俳壇』がある。序に「田辺に俳人が訪れたであろう最初を大淀三千風の『行脚文集』に依るのが従来の定説だった」とある。安恭も1917年9月の『日本及日本人』に「大淀三千風の日本行脚文集に『雨雲をなとかは横に寝さすらむ名は正直(ろく)な神風』といふ歌あり、ろくに正直といふ意味ありしか」と『行脚文集』を引用している。同じく中瀬さん共著『南方熊楠アルバム』の1911年3月・熊楠日記には河東碧梧桐俳句「木蓮が蘇鉄の側に咲く所」」と河東写真が並んでいる。碧梧桐は1910年5月に来沖し安恭の俳句は「将来有望」と述べた。
 
私と熊楠(熊野)との関わりを述べる。1964年4月、私は集団就職で白雲丸(後に知るが、芥川賞作家・東峰夫も乗船していた。)に乗船し那覇港から上京。途中、暴風で船は和歌山の串本に避難したのが熊野との出会いである。熊野そのものの熊楠、その熊楠が書いた文から私は安恭を日比谷図書館で知ることになる。



1969年2月に沖縄から南方熊楠記念館を訪ねる。同年夏、京都の職場「紅屋」の慰安旅行で紀伊勝浦で遊び(ここで初めてストリップショーを見る)熊野那智大社を参拝。75年10月、満一歳の息子を連れ高野山(金剛峰寺)に遊んだ。後は、「琉球の風」①②でふれた。

 「琉球の風」第3回は2005年12月発行で、麦門冬の『球陽』入手の経緯、麦門冬と熊楠の文通、私と熊野との関わりを述べた。また沖縄都ホテルの社長であった熊野人の桑原守也氏との交遊を書いた。
 
 「琉球の風」第4回は2006年5月発行で、琉球学の巨人、東恩納寛惇の琉球学とは後世に残すべき『琉球の誇り』であるとの見解や、「郷土史の研究は単なる科学では無い。郷土に共鳴なくして郷土史を取扱う事は出来ない」との発言を紹介した。また折口信夫が琉球芸能に貢献したことにもふれた。

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→「京都古書研究会ブログ・京都古書研究会には、「京古本や往来」という機関誌がありました。
100号持ちまして、休刊となっております。現在は2008年より、新機関紙「出帆」がでております。」

京都の「古書展」

 『文藝春秋』1988年6月 多田道太郎「猛獣使い・桑原武夫の死 『蒼白きインテリ』が大嫌いだった先生」

 桑原武夫文庫/郷里敦賀市の敦賀市立図書館の館内には、桑原の胸像が建てられている。京都市右京中央図書館には「桑原武夫コーナー」が設けられ、生前に使用していた机や椅子、直筆のノートが展示されている。旧蔵書のうち、特に学術的価値の高いものは生前に京都大学に寄贈され、人文科学研究所図書室に「桑原武夫文庫」(1047冊)が設けられている。没後、京都市国際交流会館開設(1989年)に合わせ、1988年に蔵書約1万冊(古典名著の全集類、フランス語の哲学書籍などを含む)が京都市に寄贈された。国際交流会館には生前の書斎を再現した記念室が設けられ、旧蔵書は一般公開されていた。2008年、右京中央図書館の開設に伴い、桑原の記念室は同館に移されることとなったが、旧蔵書は京都市図書館全体の蔵書との重複が多いとして正式な登録がなされず、また保管スペースがないとして別の図書館の倉庫に移された上、2015年に廃棄処分された(遺族にも相談はなかった)。2017年にこのことが判明、廃棄を承認した担当部長の処分とともに公表された。→ウィキ

 桑原武夫1904-1988 昭和時代のフランス文学者,評論家。明治37年5月10日生まれ。桑原隲蔵(じつぞう)の次男。アランやスタンダールの研究・翻訳,俳句第二芸術論で知られる。昭和23年京大人文科学研究所教授。のち所長として「ルソー研究」「フランス革命の研究」などの共同研究を推進。33年チョゴリザ遠征隊長をつとめるなど,多方面で活躍。54年文化功労者。62年文化勲章。昭和63年4月10日死去。83歳。福井県出身。京都帝大卒。著作に「文学入門」「人間素描」など。【格言など】私は「これ一筋」というのが嫌い →コトバンク

 「くろねこの短語」2017年4月28日ー北朝鮮危機ほったらかしでGWは外遊三昧の政治屋集団&共謀罪でジャーナリスト・メディア関係者が記者会見。後は行動あるのみ。街に出ろ、ジャーナリスト諸君!仏文学者の桑原武夫の遺族が京都市に寄贈した蔵書1万冊が、なんとまあ廃棄されていたってね。廃棄に至った過程で、誰も止めなかったってのは、いかにこの国が文化財に対して無頓着かってことだ。おそらく、蔵書の中には書き込みなんかもあっただろうし、それこそ文化遺産として貴重なもんだったろうになあ。古書にちょいと携わる身としては、やんぬるかなな悲報ではある。




京都絵葉書ー戦前


京都の資料

淡交社ー茶道裏千家十四世淡々斎家元の次男、納屋嘉治が同志社大学卒業の翌年、裏千家の機関誌「淡交」を刊行する出版社として設立した。現在は長男、納屋嘉人が経営にあたっている。社名は荘子の「君子之交淡若水」(学徳のある立派な人同士の交わりは、水のように淡々とした、清い関係である。私心のない交わりは壊れることがない)に由来している。 法然院での修行歴のある僧侶で、弘文堂などに勤務していた編集者でもあった臼井史朗(のちに副社長)を引き入れてから、茶道を軸とした伝統文化など様々な分野の書籍、雑誌を刊行。とりわけ京都の観光と文化に関するものが多い。茶道の家元、裏千家と繋がりが深い出版社であり、創立以来裏千家の機関誌である『淡交』を刊行しており、主要株主かつ役員とし千玄室が加わっている。この他、『なごみ』『淡交テキスト』の両誌を刊行している。茶道書以外の分野では、美術工芸、歴史文化、旅ガイド、料理、趣味生活や『京都大事典』、『京都検定公式テキストブック』を始めとする京都関連書籍などの書籍を発行している。日本語以外の言語による書籍も扱っている。 出版以外にも、茶室等の建築、茶道具などの販売も手がけている。京都本社の一階は書籍を販売しているフロアと茶道具関係を販売しているフロアがある。→ウィキ

白川書院『京都』/淡交社『なごみ』 

京都を楽しむ大人マガジン『月刊京都』。京都の出版社・白川書院から1950年に創刊され、京都ファンに広く親しまれている月刊誌です。古くて新しい京都の魅力は何か。マチ、モノ、コトを深く掘り下げて丁寧に取材、魅力の本質を伝えます。→白川書院ブログ


『なごみ 茶のあるくらし』淡交社〇1980年グラフィック茶道誌『なごみ(和)』創刊。なごみとは、心を和して「あい和む」の意。今日ほど、この和の心が渇望されている時代はありません。日々のくらしのなかで、和を尊ぶ心を形にしてきた総合文化茶の湯に範をとり、現代の「茶のあるくらし」すなわち「和のあるくらし」を小誌はヴィジュアルに提案します。淡交社ブログ





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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
1966年2月 新しい日本を創造する総合雑誌『オール関西』創刊号

オール関西 = Monthly magazine the all Kwansai オール関西編集部-大阪市北区西寺町2-8 発行人・小泉康夫 1巻1号 (1966)- ; [復刊] 創刊号 [1巻1号] (Apr. 1984)-
創刊号には「写真ー日本のふるさと 飛鳥の里」、梁雅子「やまとは国のまほろば」、「友人交歓ー岩宮武二、秋山庄太郎」「小磯良平を訪ねて」/1972年6月『オール関西』76号ー高松塚古墳発掘で「古代ブーム」の端緒を切った網干善教、岩宮武二「台湾」大谷晃一「小田作之助伝」(題字・榊莫山)、タレントの中田喜子、宝塚歌劇の汀夏子、藤純子の名をもらった松平純子



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