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Category: 04-書の森
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『東恩納寛惇全集』第9巻(1981年8月刊) / 図版(昭和10年頃の肖像) / 凡例 / 医学論考 / 〔医方漫談-附沖縄名医列伝 / 東恩納寛惇先生の沖縄医学講演 / 高嶺徳明-琉球における全身麻酔外科手術の創始者 / 魏士哲の外科手術 / 医生教習所記念碑 / 医生教習所七十周年に寄す / 質問本草とその著者〕 / 評伝 / 〔伊江君を失う / 伊江君の事ども / 伊江朝助を偲ぶ / 池宮君の研究と三味線宝鑑の編著 / 三味線供養と池宮君-瑞泉楽宗の盛名も愈々不朽 / 伊波普猷君と「おもろ」 / 「おもろ」の父伊波君の研究態度を讃仰して「おもろ」新人諸君に一言す / 本居宜長に比す伊波氏の研究 / 伊波君の想出 / 伊波君の遺骨を故山に迎へよ / “甘蔗生さん” / 漢那さん / 金武良仁楽宗を憶う / 金婚式を迎えた金城清松 / 志喜屋孝信君を憶ふ / 島袋源七君を衷しむ / 教養の高い一市民-島袋全発君とその業績 / 高嶺明達君 / 故仲本政世君 / 昇 / 曙夢の想出 / 比嘉盛章君を憶ふ / 外間現篤 / 又吉康和君を那覇市長に推薦す / 噫、又吉康和君 / 揚守敬の書と永吉の壺 / 山里永吉君と博物館〕 / 書評 / 〔沖縄一千年史の覆刻にあたりて / 鳥居博士の“ある老学徒の手記”を読む / 琉球地理誌略を紹介す / 「琉球」を読む / 紙上曝書〕 / 序文 / 〔序(富名腰義珍「琉球拳法唐手」) / 序文(Bull,E.R「ペルリ提督前の文明指導者 伯徳令伝」) / インガンチャウ(Bull,E.R「ペルリ提督前の文明指導者伯徳令伝」) / 跋(三木 栄「日暹交通史」) / 序(冨原守清「琉球音楽考」) / 世礼氏工工四序・伊差川世瑞 / 世礼国男「声楽譜附工工四」 / 序・三木 / 栄「山田長政」 / 序(鳥羽正雄「城郭と文化」) / 序(真栄田勝男「琉球芝居物語」) / 序(池宮喜輝「琉球三味線宝鑑」) / 序にかえて(「島袋全発著作集」) / いづみの発刊に寄す(「拓殖大学図書館後援会「いづみ」) / 周藺両姓記事(糸嶺家伝)に題す / 序(中村孟順「声楽譜附湛水流工工四 全」) / 序(山内盛彬「琉球の音楽芸能史」) / 随筆 / 〔想出す人・物・事 / 故山点描 / わが目で見た沖縄 / 成長した沖縄 / この目で見た沖縄〕 / 解題 / 書誌 / 〔東恩納寛惇全集 付報9〕 / 南島文化史研究と家譜資料 / 古武士の情熱 / 東恩納先生と「思出草」 / 資料・・柳田國男書簡五通 / 中山詩文集(東恩納文庫所蔵文献紹介9)

沖縄の城 鳥羽正雄 城郭と文化 1942 名著出版
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室長の平良肇氏
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沖縄県立博物館・美術館ミュージアムショップ「ゆいむい」電話:098-941-0749 メール:yuimui@bunkanomori.jp
図録『麗しき琉球の記憶 鎌倉芳太郎が発見した美』 販売価格(税込): 1,620 円


図録『麗しき琉球の記憶 鎌倉芳太郎が発見した美』新城栄徳「末吉麦門冬ー芸術家の名は音楽のように囁く」
図録『麗しき琉球の記憶 鎌倉芳太郎が発見した美』高草茂「沖縄文化の甦りを願うー鎌倉芳太郎が写真で今に伝えるものー」


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高草茂氏と新城栄徳
2015年3月 沖縄県立芸術大学附属研究所『沖縄芸術の科学』第27号 高草茂「琉球芸術ーその体系的構造抄論」




「麗しき琉球の記憶-鎌倉芳太郎が発見した“美”-」関連催事
【日時】5月31日(土)14:00~ 15:30 (開場13:30)
特別講演会/クロストーク
鎌倉芳太郎氏の大著『沖縄文化の遺宝』の編集者である高草茂氏による編集当時のエピソードなどを交えた講演と、「鎌倉ノート」の編集・刊行に携わる波照間永吉氏とのクロストークから、鎌倉氏の沖縄文化に寄せた情熱や思いなどを聞く機会とします。
【講師】高草茂 氏(元岩波書店 顧問)
    波照間永吉 氏(沖縄県立芸術大学附属研究所 教授)


「首里那覇泊全景図」慎思九筆だが印章は慎克熈

沖縄文化工芸研究所□図録の内容を紹介します。
ご遺族や鎌倉自身と交流のあった方、鎌倉資料整理(沖縄県立芸術大学所蔵)に直接に関わった方々が文章を寄せています。記録資料としては将来価値のある図録だと思います。

*波照間永吉「芳太郎収集の沖縄文化関係資料」
*高草茂「沖縄文化の甦りを願うー鎌倉芳太郎が写真で今に伝えるものー」
*佐々木利和「鎌倉芳太郎氏<琉球芸術調査写真>の指定」
*西村貞雄「鎌倉芳太郎がみた琉球の造形文化」
*柳悦州「鎌倉芳太郎が寄贈した紅型資料」
*波照間永吉「古琉球の精神を尋ねてー鎌倉芳太郎の琉球民俗調査ー」
*粟国恭子「鎌倉芳太郎が残した琉球芸術の写真」
*謝花佐和子「鎌倉芳太郎と<沖縄>を取り巻くもの」
*鎌倉秀雄「父の沖縄への思い」
*宮城篤正「回想「50年前の沖縄・写真でみる失われた遺宝」展
*新城栄徳「末吉麦門冬ー芸術家の名は音楽のように囁くー」
*三木健「<鎌倉資料>が世に出たころ」
○図版
○年譜
○主要文献等一覧
○写真図版解説

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2013年9月22日『琉球新報』宜保榮治郎(元国立劇場常務理事)「綾乱の人ー琉舞の才能 東京で花開く」
2013年9月14日『琉球新報』(ジュンク堂那覇店は新聞に書評が出ると、書評本のところに並べるはずだが在庫が無いので並べてない。)



宮﨑義敬『繚乱の人』展望社よりーサントリー美術館で中央に平良リヱ子、左に森政三①、右に岡本太郎、鎌倉芳太郎,金井喜久子、矢野克子が並ぶ
□①森氏の娘・美和子さん来信「父は結婚が遅く 私は孫といっていい程 年の離れた子ですから中年の頃の父も知りませんが ご指摘下さった人物は父のようでございます。人間国宝の鎌倉芳太郎先生のお話を母にしていました。」


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5月24日午後4時半、山田写真機店に行くとテレビが「東松照明と沖縄」で取材に来ていた。


下の写真を前に東松照明との思い出を語る山田實さん
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1962年2月、栄町・栄亭で。前列右より山田實、親泊康哲、東松照明、川平朝申、名渡山愛誠。中列右より根津正昭、有銘盛紀、津野力男、小橋川門福。後列右より森幸次郎、小林昇、大嶺実、伊波清孝、島袋和夫、備瀬和夫、園田武雄、呉屋永幸、平良孝七、前原基男。


東松照明との出会いを語る前原基男氏

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最近ジュンク堂を覗くと個人や東京の雑誌などでマスコミ批判が目立つ。雑誌などがマスコミ批判を特集すると売れているようだ。そこで特集した雑誌を見る。1984年4月『青い海』<特集・沖縄新聞人のうちあけ話>、1987年12月『新沖縄文学』<特集・病めるマスコミー体質を問う>、2013年12月『沖縄世論』<特集・これでいいのか沖縄の新聞>などが目についた。

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1917年 『沖縄新公論』5月号 末吉麦門冬「画聖自了」

宇宿捷が「画聖城間自了に就いて」(1937年7月『南国史叢』第2輯 薩藩史研究会)で「沖縄教育第64号の偉人伝『画伯自了と殷元良』の下に9人もの子供の名がある」ことを指摘しているが、麦門冬は1917年4月発行の『沖縄新公論』「画聖自了 (中)」で、「この誤説はどこから起こったかと云ふに護得久朝常翁の覚書に自了の子孫たる濱元家の家譜によるとして、世系図を掲出した。その世系図が翁の誤り見られたのに起因するのである。」と既に結論づけている。蛇足だが同誌には「尾類馬印象記」「演芸・多嘉良妙子(上里マツル)」も載っている。

1916年9月に長男・安慶を亡くした影響からか安恭は17年4月の『沖縄新公論』に画聖自了と題し、「ミケランジェロ曰く『予は吾が芸術に妻以上のものを有す』と彼は遂に妻を娶らなかった。(略)是等の人々には祖先もなければ後裔もなし彼等は己ひとりが家系すべてとなるのである。」と達観の境地で書いている。この年に安恭は熊楠も投稿している『日本及日本人』に投稿を始める。「劫の虫より經水」では「南方熊楠先生は襄に經水のことに関し仏典を引き御説明あり」と書き、18年には直接に熊楠と文通を始めている。


安恭は娘3人、息子、妹も病で亡くし弟も事故で亡くした。そのせいもあって墓は身近な存在だ。安恭は婦人の不毛に関連して沖縄の墓の絵葉書を熊楠に送り4月の書簡でも「横山健堂著『薩摩と琉球』の口絵に吉田博氏の写生せし琉球の墓がこれあり候」と記した。6月の書簡に「沖縄図書館にて琉球に関する書類を集めた中に候が、加州金沢の俳人堀田麦水(天明3年63才没)の著書に『琉球属和録』『南島変』『慶長中外伝』とあり。御存知なきや」と記し相変わらず史料収集に余念がない。麦水というのは角川『俳文学大辞典』に俳諧師・稗史実録作者とある。



1934年9月7日『沖縄日報』



後列左から謝花佐和子さん、新城栄徳、粟国恭子さん。前列右が波照間永吉氏、自了の弟の末裔・浜元清満氏

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博物館の新収蔵品展を見た。麻有信・儀間親雲上の「沖縄県那覇湊之図」があった。麻有信は「鎌倉芳太郎写真撮影メモ1」(琉球政府率博物館1972年3月複製)に出てくる。

麻有信・儀間親雲上(首里汀志良次の人)



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2014年5月23日『琉球新報』仲村顕「眠れる先人たちー奈良原繁」
奈良原繁
生年: 天保5.5.23 (1834.6.29) 没年: 大正7.8.13 (1918)
幕末明治期の地方行政官僚,政治家。鹿児島城下高麗町に生まれる。幼名三次,長じて喜八郎,幸五郎。鹿児島閥をバックに活躍し,明治の「琉球王」の異名を持つ。幕末には,薩摩藩士として国事に奔走する。3歳上の兄喜左衛門が生麦(神奈川県)で英国人に斬りつけ(生麦事件),その処理をめぐって薩英戦争が起きた。奈良原は西郷隆盛,大久保利通らの討幕路線に反対したため,戊辰戦争前後は失脚の状態にあった。明治11(1878)年,内務省御用掛,その後,内務権大書記官,農商務大書記官,静岡県令,工部大書記官,日本鉄道会社初代社長,元老院議官,貴族院勅選議員,宮中顧問官,錦鶏間祗候などを歴任。25年7月に沖縄県知事に任命され,以後41年4月まで,15年10カ月にわたり沖縄県政を独占した。松方正義,伊藤博文の支持もあった。奈良原は,あらゆる面で急速に沖縄地方の本土化即ち一体化を推進し,教育(皇民化),土地整理,港湾施設の整備の3大事業を重点施政として,沖縄開発を専制的に推し進めた。新聞の果たす役割も認識し,『琉球新報』の発行にも協力,産業振興のための沖縄県農工銀行設立も支援した。奈良原は土地整理事業によって土地私有制の確立を図り,共同体農村社会を解体にもちこみ,共同体総有の山林(杣山,入会地)を士族救済名目で払い下げたり,農民の利益を無視した県政を強引にすすめた。県庁人事も鹿児島閥を中心として,本土出身者で占められた。このような奈良原県政への最初の批判者となったのが国政参加を主張した謝花昇であった。また,沖縄の地域文化の独自性,固有姓を主張する伊波普猷の「沖縄学」は,奈良原の推進した一体化策によって,沖縄の個性が崩壊していくことへのレジスタンスがこめられていた。
<参考文献>秦蔵吉『南島夜話』(我部政男)





上図単衣は木綿にして奈良原男爵が寺田屋騒動の時着用せられしもの、右肩の白みたる処は血のにじみ付きしものにて五六寸の刀痕あるものなり。/刀ー上段は寺田屋事件の時に用いたもの、下は兄喜左衛門が生麦事件に用いたもの






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2014年5月24日~9月15日 沖縄県立博物館・美術館「コレクション展/『沖縄美術の流れ』」で、藤田嗣治の「辻美人」「海辺の墓地」が展示されている。下記の頃に描いたものだ。

1938年4月ー世界のフジタ、二科会の重鎮・藤田嗣治が加治屋隆二、竹谷富士雄、南風原朝光を伴って浮島丸で来沖。那覇港には比嘉景常、名渡山愛順、大城皓也らが出迎えた。加治屋は東京の小学校での比嘉景常の教え子。南風原と琉球新報記者の國吉眞哲とは同じ泊出身、親友であった。琉球新報は藤田の講演会、座談会を企画し、藤田作品鑑賞会を後援するなど抱え込んだ。

藤田嗣治の来沖の経緯は、国吉真哲さんが「絵かき仲間の加治屋隆二さん、竹谷不二雄さんと南風原朝光君3人で沖縄へ行こうという話になり、その旅費のことなど打ちあわせている所へ、藤田画伯が来て『おもしろそうな話をしているなあ、ボクも行こう』ということになって沖縄を訪れた」と『南風原朝光遺作画集』の中で述べている。

藤田は1910年に東京美術学校を卒業、同級生には岡本一平(岡本太郎の父)、近藤浩一路などがいた。30年、藤田は世界恐慌の最中に北米に旅立つ。そして南米に廻りブラジル、アルゼンチンなどで多くの沖縄人にも出会う。メキシコで『週刊日墨新聞』を創刊した平田忠義もその一人で平田はその出会いを自伝に書いている。それ以来、藤田は沖縄に関心を持ちつづけていたようだ。沖縄県が購入した藤田作「孫」は38年9月の第25回二科会展覧会(東京府美術館)に出品されたものだ。


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山城正忠
藤田が沖縄で描いた作品

1938年5月14日『琉球新報』辻井浩太郎(三重県立上野中学校教諭)「沖縄観光の思ひ出ー有名な辻の女を見、独特の舞踊も見た。彼女らの生活内部も只見るだけは見て、いい話の種にはなった。今度行ったら古典劇をゆっくり見たいと思ふ。・・・」

1938年5月15日『琉球新報』「藤田展覧会」ー辻美人も描いている。


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1938年5月20日『琉球新報』「藤田帰京」
□藤田嗣治「沖縄へ送る讃美」
黒潮に浮ぶ首飾の島々/浪に風に憩いなく洗はれ打たれ/長き黒髪は漂ひ瞳は輝く/憧れのこの島
         ◇
赤く又青く咲き茂る名も知らぬ木草/影は旅人を包み、枝は異鳥を宿す/りゅうぜつらんは月を貫き、墓場は愛の密語を漏さず/懐しのこの島
         ◇
帯もなき薄衣の女子等/乳も脛も銅に染めて、珊瑚礁の花の上を歩む/海山の幸を頭上に飾りて/さらば、この夢の國





1971年4月 沖縄の雑誌『青い海』創刊号 大城皓也「藤田嗣治先生の想い出」

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沖縄文化の杜発行の図録『麗しき琉球の記憶ー鎌倉芳太郎が発見した美』に「『鎌倉資料』が世に出たころ」を書かれた三木健氏と平良文化の杜代表。

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岡山後楽園「はすかい渡し」にて

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林家「しろたへの牡丹」の前で林富美子さんと道子さん
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秋山清 あきやま-きよし
1904-1988 大正-昭和時代の詩人。
明治37年4月20日生まれ。大正13年「詩戦行」を創刊,「弾道」「詩行動」などアナーキズム系の詩誌にかかわる。戦後,金子光晴らと「コスモス」を創刊した。昭和63年11月14日死去。84歳。福岡県出身。日大中退。別名に局(つぼね)清。著作に詩集「象のはなし」「秋山清詩集」,評論集「日本の反逆思想」など。→コトバンク


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①神近市子「偽瞞するのは誰か?」

かみちかいちこ【神近市子】 1888‐1981(明治21‐昭和56)婦人運動家,政治家。長崎の漢方医の家に生まれ,活水女学校を経て津田英学塾在学中,青鞜社に加盟して《青鞜》に翻訳などを発表。1914年《東京日日新聞》の記者になったころから社会主義者と交流。多角恋愛に悩んで,16年葉山日蔭茶屋で大杉栄を傷害,2年の刑を受けた。出獄後は文筆生活に入り,《女人(によにん)芸術》に参加したほか,35年には夫の鈴木厚と《婦人文芸》を創刊。小説,翻訳,婦人問題の評論を手がけた。
→コトバンク
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豊平良一「安保の変遷と背景ー下田駐米大使の発言を待つまでもなく、日米合作の『極東の安全保障』というのが端的にいって佐藤首相のハラであるとみられている。『沖縄はアジア防衛の要石』といわれて久しい。ベトナム戦争が完全に終結すれば、沖縄基地の存在価値は軽減するものとみる向きもあるが、日米両政府の沖縄基地に対する態度はいささかもゆるぎそうにない。逆に、基地の自由使用、核兵器の存置とい線が堅いとみられている。ー」







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慶良間チージ(シュガーローフ)の攻防戦も皇軍も敗退し本日19日はアメリカ軍が天久台地(今の新都心地区)を占領した日である。



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1951年7月 仲宗根政善『沖縄の悲劇ー姫百合の塔をめぐる人々の手記ー』華頂書房
□ー原子爆弾の偉力をもってしては、地上から戦争をなくすることは到底不可能である。こうした厳粛な事実をもっと深く考えるのでなければ永遠の平和は望むべくもない。
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1990年2月『彷書月刊』54号□新城栄徳「沖縄に来た画家たちー(略)沖縄の美術史研究家の草分けは麦門冬・末吉安恭(南方熊楠、折口信夫と親交があった)で、沖縄美術史研究は麦門冬の手ほどきを受けた鎌倉芳太郎(人間国宝)、比嘉朝健によって、さらに発展する。この研究をふまえ、沖縄に来た画家たちの絵や紀行文を新聞雑誌から収集し、人物を主体に沖縄の美術、文学、風俗の事項を網羅した文庫版の『近代沖縄文化年表』を友人たちと実現してみたい。」/この文化年表は下記のように『琉文手帖』4号として1999年5月に発行した。「文人・末吉麦門冬」を補足するものである。





『彷書月刊』248号□新城栄徳「全国古書店案内65沖縄那覇・宜野湾編」<
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2006年5月『彷書月刊』248号□新城栄徳「全国古書店案内65沖縄那覇・宜野湾編」


2004年4月24日『沖縄タイムス』新城栄徳「古本屋と県産本」



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1936年6月1日ー日本民俗協会『日本民俗』第12号□解説ー折口信夫「組踊りの話」、伊波普猷「組踊りの独自性」、東恩納寛惇「台詞・隈・服装」、比嘉春潮「琉球の村芝居」、小寺融吉「舞踊を観る人に」/島袋全発「てきすと」ー昔楽、舞踊、組踊「執心鐘入、二童敵討、銘刈子、花売の縁

1936年7月ー沖縄県教育会『沖縄教育』№239□島袋盛敏「琉球芸能感想記」、上間正敏「古典芸能帝都公演に就て」

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1936年9月ー日本民俗協会『日本民俗』第14号□琉球古典芸能を語るー伊波普猷、伊原宇三郎、片山春帆、佐藤惣之助、坂本雪鳥、清水和歌、谷川徹三、鳥居言人、中山晋平、昇曙夢、比嘉春潮、松本亀松、塩入亀輔

1936年10月ー日本民俗協会『日本民俗』第15号□琉球の古典芸能を語るー伊波普猷、比嘉春潮、塩入亀輔、中山晋平

1936年11月ー日本民俗協会『日本民俗』第16号□琉球の古典芸能を語るー坂本雪鳥、松本亀松、谷川徹三、清水和歌、昇曙夢、原田佳明、伊原宇三郎、片山春帆

1936年12月ー日本民俗協会『日本民俗』第17号□琉球の古典芸能を語るー鳥居言人、松本亀松、片山春帆、伊波普猷、比嘉春潮、北野博美、折口信夫、小寺融吉、西角井正慶
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沖縄文化の杜  



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1994年8月の『読売新聞』に安黒正流が「アート前線」を書き漫画家の鳥山明の世界展についてふれている。
□それは美術館が漫画と小・中学生のために開放されただけでなく、時代の大きな変化を遅れた中高年に信じさせ、意識の変革を迫るインパクトを持っている。(略)手塚治虫以後の日本の漫画文化の充実によって、しばしば漫画は文学だとか、美術だとかいわれている。一段低い表現媒体とみられていた漫画が、高級な芸術とされる文学や絵画を追い越す勢いを強調する際は、おもしろいかもしれないが、正しくは漫画は漫画であるというべきであろう。(略)

かつて東京国立近代博物館が手塚治虫展を開き、兵庫県立近代美術館が水木しげると日本の妖怪展を開いて、美術館での漫画展示に道を開いた。今回もその流れを受け継いでいるものの、鳥山はまだ30代であり、現在も連載中の漫画を取り上げて新鮮だ。

そして、現代文化の問題として取り組む視点もある。漫画は、雑誌、テレビ、ゲームソフトを舞台に展開するマルチメディア時代の花形。そこに、美術館もメディアの一つとして、遅れながらも加わる形をとっている。

それでも、雑誌やテレビなどのメディアでは、漫画の面白さや美しさが、日常的な娯楽として消費されるだけなのに対し、展覧会はそれを、批判的、総合的に考えることを求める。美術館は情報化社会に流されない場に位置する。だから、美術館が鳥山明のマルチメディアの世界に参加することの意義もある。

メディアとしての展覧会と、表現としての漫画が結びついた時、情報化時代の芸術のジャンルの再編成などの考える手がかりも生まれてくる。


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平敷善憲
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仲宗根正順
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石川寅治「琉球の風景と人物」



山本森之助「場所の選択ー奈良も好いのですけれども此頃はあんまりみんなが出かけますから、却て避けるようにして居りますー。」


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1972年5月 沖縄の雑誌『青い海』与那原徳男「焦点(鹿山正元兵曹長)踏みにじられた心情とは・・・」

『私の信念はお国の為であった』 (『サンデー毎日』続報「沖縄ソンミ事件」 1972・4・23号)
◇沖縄のソンミ事件とは◇
 久米島は沖縄本島から西へ約百㌔の離島。沖縄戦当時、鹿山正(かやま・ただし)兵曹長(当時32歳)指揮下の日本海軍守備隊四十人近くが駐屯していた。昭和二十年六月二十六日、米軍上陸後、鹿山隊は山岳地帯にたてこもったが、住民が米軍に通じることを恐れ、米軍上陸の翌二十七日、仲里村山城の郵便局員が米軍から投降文書を強制的に持ってこさせられたのをスパイ容疑で銃殺したのを皮切りに、具志川村北原区長ら四家族九人を集めて刺殺焼打ちするなど連続的に民間人を"処刑"。終戦後も朝鮮人の谷川昇さん一家七人や久米島を艦砲射撃から救い戦争犠牲を防止したといわれる仲村渠明勇さん一家三人を殺すなど、二十人を直接殺害、自殺や餓死を含めれば七十人近い民間人を犠牲にした。

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①エドゥアルト・フックス(Eduard Fuchs 、1870年1月31日-1940年1月26日)は、ドイツのマルクス主義者・風俗研究家・収集家。南ドイツのドナウ川沿岸のゲッピンゲン市に生まれる。20歳頃から社会主義運動に参加し、1894年には『階級闘争』という詩集を出版した。1895年に「ミュンヘン・ポスト」紙の編集部が発行する『南ドイツ郵便馬車』という社会主義の政治風刺雑誌を手伝い、同じ年の5月に編集を任されている。この号はドイツ発のカラーの絵入り雑誌として発行され、通常2500部の売り上げが60000部に跳ね上がった。最初のカリカチュア研究である『カリカチュアに見られる1848年』と『フォールメルツのダンスの理想、カリカチュアにおけるローラ・モンテス』という論文をある雑誌に発表したところ、後者が皇室の名誉を毀損したとして、バイエルン政府から不敬罪により起訴され禁固10ヶ月を言い渡され服役した。その後ベルリンに出て本格的にカリカチュアの研究に取りかかり、眼病に悩まされながら膨大なコレクションを集め著述を行った。1933年にヒトラーが政権につくと、その弾圧にあい、その年の5月に国境沿いにスイスに逃亡した。この際フックスのコレクションと著作は没収され、焼却された。最終的にはパリに亡命し、その地で生涯を終えた。→ウィキペディア

②安田 徳太郎(やすだ とくたろう、1898年1月28日 - 1983年4月22日)は、医者、歴史家。京都市生まれ。京都帝国大学卒。在学中から従兄の山本宣治の産児制限運動に関わる。さらに無産運動に関係し、医師としてこれを支援。1933年、共産党シンパとして検挙され、1942年、ゾルゲ事件に連座。 また、唯物論的科学思想史の研究を行い、フロイトの翻訳などをする。 戦後は『人間の歴史』や『万葉集の謎』(「日本人の歴史1」)などで歴史家として著述活動を行った。→ウィキペディア□松本三益「安田は1941年10月 宮城与徳、尾崎秀實らの一斉検挙と共に検挙され、軍事機密に関する情報を宮城与徳に提供したと自供し治安維持法、軍機保護法、国防保安法の三つの罪名で起訴されたが予審調書では治安維持法で起訴され1943年7月保釈になり1944年3月6日懲役2年執行猶予5年の判決をうけている。安田の反共デマ」記事については自由法曹団の松井繁明弁護士、坂本修弁護士、守屋典郎弁護士連名で取り消しを要求したが返事がなかった。

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1949年9月5日『沖縄新民報』第106号「姫百合隊の波紋ひろがるー元沖縄師範女子部兼沖縄第一高等女学校長・西岡一義(50)は教え子を特志看護婦に仕立てて軍の鼻息をうかがい(略)自らは安全な地帯に居て生徒職員は最前線に送り全滅させ、捕虜にまじって日本に落ちのびたー」

「卑劣な師範女子部長」 『月刊・潮』1971.11月号「生き残った沖縄県民100人の証言」より □仲里まさえ (当時沖縄師範女子部「ひめゆり部隊」・20 歳、現在主婦)    
 私たち沖縄師範女子部の生徒は、南風原の陸軍野戦病院へ看護婦として従軍するその晩、師範女子部長兼県立一高女の校長である静岡県出身の西岡一義部長の官舎の庭に集まったのをおぼえている。最後に部長は「私はこれから第三十二軍の命によって、軍司令部の参謀室に行くことになった。君たちは、先生方といっしょになって極力軍に協力してもらいたい。自分もいっしょに行きたいが、軍命では仕方がない。日本の国のために、とにかくがんばってもらいたい」という意味のことをいって、私たちひとりひとりと激励のつもりか握手を交わした。一同は感きわまった表情で、訓辞を聞いていたが、その後、事実関係が明らかになると、西岡部長はもっとも安全な首里の軍司令部に避難するために参謀室付けになるウラエ作を必死になってやっていたのである。しかも彼は、当時彼の住宅当番であった師範付属の訓導で、八重山生まれの独身の某女をともなって避難していたということも、その後明らかにされた。 …女生徒たちは、いっさいを知らずに、戦場へ臨む自らの運命にただ涙するばかりであった。






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Category: 04-書の森
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平山良明氏はポンペイの壁画に触れているが壁画資料は戦前から紹介されている。今ではグーグル画像などで見ることができる。

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加藤悦郎 かとう-えつろう
1899-1959 昭和時代の漫画家。
明治32年12月13日生まれ。小樽新聞にはいって漫画記者となり,大正10年北海タイムス(現北海道新聞)にうつる。プロレタリア美術運動に参加し,「プロレタリア美術」などに風刺漫画を発表。昭和10年サンチョ・クラブに加入。戦後は「アカハタ」などに執筆した。昭和34年6月6日死去。59歳。北海道出身。著作に「新理念―漫画の技法」。→コトバンク
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1981年 沖縄の雑誌『青い海』11月号 107号□宮城明「青い海ギャラリー/エンゼルの声が聴こえる?」
□2010年12月 沖縄県立芸術大学 美術工芸学部・大学院造形芸術研究科 退任記念「宮城明 展ー表皮一体」
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1986年6月『新沖縄文学』68号<特集・軍用地主の素顔ー二十年強制使用の狭間で>


1986年6月『新沖縄文学』68号<特集・軍用地主の素顔ー二十年強制使用の狭間で>
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淀川長治
1981年9月『青い海』106号 淀川長治「私と映画と人生」
1982年2月『青い海』110号 淀川長治「人生はロング・ランー個人主義と他人主義」





写真左から池宮正治氏、高江洲義寛氏、山城賢孝氏

淀川長治 よどがわ-ながはる
1909-1998 昭和後期-平成時代の映画評論家。
明治42年4月10日生まれ。映画雑誌の編集部員,洋画配給会社の宣伝部長をへて昭和23年「映画之友」編集長となる。のちフリーとして活躍。テレビ「日曜洋画劇場」の解説者として出演,映画への愛を独特の口調でかたり人気をあつめた。平成10年11月11日死去。89歳。兵庫県出身。第三神戸中学卒。著作に「映画散策」「映画千夜一夜」など。(→コトバンク)

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■しまくとぅばプロジェクトシンポジウム「しまくとぅばと民話―過去、現在、未来」 その他
日時:5月10日(土) 13:15~17:00(予定)(13:00開場)
場所:沖縄県立博物館・美術館 講堂/参加費:300円
パネリスト
比嘉 久 氏 (名護博物館)/大田 利津子 氏 (NPO沖縄伝承話資料センター)/比嘉 豊光 氏 (琉球弧を記録する会)
西岡 敏 氏 (奄美沖縄民間文芸学会)/進行:仲原 穣 氏 (大学非常勤講師)
問合せ: 文化の杜共同企業体 098-941-8200



■「美術トークセッション~失われる自覚・問われる自覚」(貸館) その他
画廊沖縄の通年企画(2014年)『状況―Identity』に因んで、沖縄の美術家4名(金城満、新垣安雄、高良憲義、比嘉豊光)のトークセッション/時間:18:00~21:00/場所:博物館講座室/主催:画廊沖縄/問い合わせ先:098-888-6117

2014年6月21日 大阪市・大正区コミュニティセンター「島クトゥバで語る戦世」(主催・関西沖縄文庫)

2014年6月21日 大阪市・大正区コミュニティセンター「島クトゥバで語る戦世」(主催・関西沖縄文庫☎06-6552-6709)

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Category: 03-所感
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2014年4月12日ー与儀公園

清明(うしーみー)を終え、沖縄は、夏に向っている。
昨日の5月3日は憲法記念日。久しぶりに与儀公園の憲法九条の碑を訪ねる。
49回を迎えた憲法講演会は、あいかわらずの満員だった。今年は学生たちの朗読劇には特に感動した。、
帰りに気付いたのだが与儀公園の一画で、なんと県花・梯梧が咲いていた。
それも県知事官舎通りの梯梧だけが咲いている。
ここ数年、沖縄の県花の梯梧は咲かないできた。
咲かない梯梧に託して、私は
梯梧花の 咲かずなりしは この島の基地の重さに 怒りしあまり
という歌を詠んだ。

辺野古基地建設は知事に期待して県民は怒りを抑えてきた。
それが昨年末の辺野古基地建設の承認だ。
知事の裏切りに対する県民の怒りは大きい。
県花の梯梧も怒っているのかもしれない

今は知事官舎前の梯梧だけが咲いているが、
これからあちこちの花も咲き始めるのだろうか。
沖縄では梯梧の花が咲くと大きな台風が来るともいう。
今年は沖縄では大きなけーしかじ(吹き返し風)が吹くのだろうか。

抑えきて 怒りは終に 燃えよとぞ 島の梯梧は 咲き始めたり 



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Category: 02-関西の沖縄
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「画廊沖縄オープン!記念企画で現代沖縄絵画50人展」
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画廊沖縄機関紙「The Gallery Voice」
Category: 04-書の森
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1951年2月に『アサヒグラフ』に沖縄タイムスの上間正諭の写真「那覇ところどころ」が掲載された。8月『琉球新報』が自家製版による写真「石川市の大綱引き」を掲載。同年に丹羽写真機店(金森浩一)、神宮会館(屋宜宣成)が開業した。そして県外土建業者が大挙押し寄せ基地建設ブームが始まる。1952年、沖縄で戦後初のメーデーが行われた。同年に山田實が桜坂グランドオリオン通りで山田写真機店を開業した。53年1月、那覇で映画「ひめゆりの塔」が上映された。3月に那覇市場通りが「平和通り」に改称された。10月には沖映本館で「沖縄健児隊」が上映された。

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ひめゆり学徒隊資料
ひめゆり学徒隊
ひめゆり学徒隊とは、1945年3月末、看護要員として沖縄陸軍病院に動員された沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒222名と引率教師18名のこと。米軍の侵攻により5月末には沖縄本島の南部へ撤退した。6月18日に突然解散命令が出され、数日の間に死亡者の約80%に当たる100名余りが命を落とした。

ひめゆりの塔
ひめゆりの塔は、ひめゆり学徒隊の最後の地の一つである伊原第三外科壕の上に建てられた慰霊碑。同壕は沖縄陸軍病院第三外科勤務の職員やひめゆり学徒隊が南部撤退後に避難した壕で、1945年6月19日朝、米軍の攻撃により、多くの生徒や教師が亡くなった。



ひめゆり平和祈念資料館
ひめゆり平和祈念資料館は、戦争の悲惨さや平和の大切さを後世に語り継ぐために、1989年6月23日に開館した。ひめゆり学徒の遺品、写真、生存者の証言映像、南風原の陸軍病院壕の一部や伊原第三外科壕内部を再現したジオラマなどを見ることができる。
【場所】沖縄県糸満市字伊原671-1【TEL】098(997)2100【FAX】098(997)2102【HP】http://www.himeyuri.or.jp/top.html【入場料】大人:300円 高校生:200円 小学生:100円(6月23日は入館料無料)【時間】9:00~17:30(入館は17:00まで)【休館日】年中無休



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徳富蘆花
生年: 明治1.10.25 (1868.12.8)
没年: 昭和2.9.18 (1927)
明治大正期の小説家。名は健次郎。肥後国(熊本県)葦北郡水俣に,徳富一敬,久子の次男として生まれる。徳富家は代々惣庄屋,代官などを勤めた旧家で,兄蘇峰(猪一郎)は民友社を興し,『国民之友』『国民新聞』を創刊したジャーナリスト。母方の叔父には幕末の開国論者横井小楠,叔母に婦人矯風会創立者で女子学院初代院長の矢島楫子など,近親に知名人が多い。蘆花には賢兄猪一郎に対する「負け犬」意識があり,徳富の富を兄とは異なる「冨」の字で生涯通した。同志社入学,キリスト教受洗,伝道に従事したが,再入学した同志社を失恋により中退。その事情をのちに「黒い眼と茶色の目」(1914)で描いた。明治22(1889)年上京して兄の民友社に入社,翻訳などに従事。同33(1900)年刊行の長編小説『不如帰』の成功により兄から自立。同年『自然と人生』を刊行するとともに「おもひ出の記」(単行本化で『思出の記』に改題)を発表,長く青少年を魅了したこの自伝的長編は150回以上繰り返し読んだ読者もいたという。さらに「黒潮」(1902)で政界を批判して兄と決別。日露戦争後にトルストイ訪問の旅に出て帰国後,東京郊外に半農生活をはじめ,随筆集『みゝずのたはごと』や一青年士官の悲劇と乃木将軍を描いた長編『寄生木』(1909)を刊行。晩年に自伝小説『富士』があり,伊香保で兄と再会して没した。<参考文献>中野好夫『蘆花徳冨健次郎』全3巻 →コトバンク
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5月7日、ジュンク堂で京都大学学術出版会『内海忠司日記1928−1939ー帝国日本の官僚と植民地台湾』を見た。内海忠司という名は『大阪球陽新報』によく登場していたので紹介する。

1917(大正6)年12月24日  『琉球新報』「一昨夜の県庁員及記者団大親睦会ー辻花崎で、末吉麥門冬君は内海(島尻郡長)さんをつかまえて大男会をやろうじゃないかと双肌を抜いて胸を叩く・・・」





1939年7月1日『大阪球陽新報』内海忠司「浪人瓣」


1939年7月20日『大阪球陽新報』石川正通「狂員・狂語・狂想」
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最近ブログ上に「大英博物館の春画展」が話題となっているがブログではボカシが入っている。普通の画像検索はそうでもない。
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左が岸本徹也氏、稲嶺成祚氏


左が新城栄徳、稲嶺成祚氏


1978年6月 沖縄の雑誌『青い海』№74

1982年 沖縄の雑誌『青い海』10月号 「座談会・”沖縄”を描くということ」(喜久村徳男・金城規克・宮城明/司会・稲嶺成祚)


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1982年ー『川崎の沖縄県人 70年の歩みー川崎沖縄県人住住者所録』財団法人・神奈川沖縄協会/川崎沖縄県人会


川崎沖縄芸能研究会1950年ー写真上左から金城時男(顧問)、池宮喜輝(野村流音楽師範)、米須清仁(初代会長)。下左から亀川盛要(総務)、渡嘉敷守良、渡嘉敷亮(副会長)□→米須清仁は欽氏で自了の父城間親雲上清信は3代目、清仁はその12代目にあたる。

米須清徳□川崎における沖縄舞踊の始まりー川崎の沖縄芸能については、阿波連本啓(明美さんは同氏の4女で直弟子)と米須清仁翁を以って嚆矢とするー。


古江亮仁「川崎の沖縄芸能と私」□→古江 亮仁(ふるえ りょうにん)/大正四年七月三日生れ。/大正大学文学部史学課卒業。/昭和17年大正大学講師、以後大正大学助教授・教授を歴任、/昭和26年川崎市教育委員会社会教育課嘱託。同42年初代日本民家園(川崎市立)園長。/昭和51年「川崎今昔会」を結成。/平成5年度川崎市文化賞受賞。/平成13年逝去(川崎ロータリークラブ温故知新)

2008年4月ー川崎市市民ミュージアム「オキナワ/カワサキー二つの地をつなぐ人と文化」展
□ごあいさつ・川崎市には戦前から多くの沖縄出身者が在住し、川崎市の産業発展の一翼を担われてきました。川崎市の沖縄県人会は大正13(1924)年の発足から84年という長い歴史を有し、戦後すぐから沖縄芸能の保存にも大きく貢献してきました。

川崎市出身の陶芸家・濱田庄司や詩人・佐藤惣之助などは、沖縄の文化と深い関わりを持ったことが知られています。濱田庄司は、自身の作風を確立する上で、沖縄の壺屋の焼物だけでなく、沖縄の風土・生活様式から大きな影響を受けました。佐藤惣之助も沖縄に魅せられた一人で、「おもろさうし」などに刺激され、詩集を出版しています。戦後には、岡本太郎が占領下の沖縄を訪れ、その文化と伝統に触れて強い衝撃を受けています。このように、川崎と沖縄のつながりはきわめて深いものがあり、市民ミュージアムにも壺屋焼の陶器や琉球政府から贈られた石敢当などの沖縄関連資料が収蔵されています。 

そこで本展では、沖縄と川崎、この二つの地のつながりをテーマに、沖縄の伝統的な芸術文化を伝える資料と、それらに影響を受けて創造された美術工芸品などを紹介します。琉球文化の美と魅力に触れていただき、人々の手で長年にわたり築きあげられてきた沖縄と川崎の絆を感じ取っていただけば幸いです。  川崎市市民ミュージアム

□川崎市出身の芸術家と沖縄・佐藤惣之助と沖縄/濱田庄司と沖縄/岡田青慶と沖縄/岡信孝と沖縄/岡本太郎と沖縄
□川崎の工場と沖縄県出身労働者

1966年1月10日ー『琉球新報』「川崎市でビル火災ー沖縄出身者4人が焼死」
1968年1月5日ー『毎日グラフ』「本土の中の沖縄(南風サークル/大城真栄/普久原朝喜/金城良明)」「万国博へ全力投球(岡本太郎「抵抗あるものを」)」
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1969年12月30日ー『沖縄タイムス』真栄田義見「古江亮仁(川崎民家園長)氏と語る」


1983年2月10日ー『琉球新報』「川崎の沖縄県人 70年の歩みー2年がかりで完成」、11日ー『沖縄タイムス』「県人の苦難の歴史綴る『七十年の歩み』出版」
1983年8月1日ー『沖縄タイムス』「川崎沖縄青少年京浜会館」「川崎沖縄県人会」
1984年2月11日ー『琉球新報』福地嚝昭「女工哀史(関東大震災)ー富士瓦斯紡績川崎工場の名簿について」
1984年
10月19・20日ー川崎市立労働会館で川崎市制60周年記念「全国地名シンポジウム」開かれる。□谷川健一/仲松弥秀対談「沖縄地名の特色」、山下欣一「奄美のシャーマニズム」、宮田登「ミロク信仰と黒潮」
10月26日ー『琉球新報』「黒潮の流れに沿って 南島と本土の交流史探る」、『沖縄タイムス』「黒潮の流れに沿って沖縄・奄美と川崎結ぶ」「話題ー古江亮仁さんー1957年には県人の古波津英興氏とはかって沖縄文化同好会を作る。月一回、東恩納寛惇(歴史)、比嘉春潮(同)、仲原善忠(同)、芹沢圭介(紅型)、濱田庄司(陶芸)、柳悦孝(織物)等々多彩な沖縄研究者を講師に文化の灯をともした。土地問題で沖縄の大衆運動が燃えていた。」

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Category: 04-書の森
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1976年12月『横浜市 鶴見沖縄県人会会員名簿』


1980年9月『オキナワグラフ』「鶴見沖縄県人会会館 おきつる青少年育成会館 落成」



Category: 01-人物名鑑
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2014年5月5日『沖縄タイムス』
Category: 01-人物名鑑
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1983年4月『りゅうぎん』
Category: 04-書の森
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難波駅から梅田を望む








1893(明治26)年ー大阪道頓堀角座で琉球太鼓踊り
□1893年7月『歌舞伎新報』「琉球芝居ー沖縄県琉球には昔より音楽師と称えて一種の歌舞を演奏するもの士族の間に伝えられ居たるところ去る明治22年中いづれも俳優の鑑札を受けて我が役者の如きものとなり其の組5組もあるよしにてこのたび其の一組が大阪角の芝居へ乗り込むことに決定し既に去る2日を以って那覇港を解覧し本日ごろは遅くも到着したる手筈なるがー」

「琉球国演劇」の横断幕があるのが角座。下が角座で配られたもの null
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Category: 04-書の森
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2014年4月30日 『琉球新報』田崎聡「論壇ー除草剤と云う名の枯葉剤ー持続可能な農業で食守れ」
「・・・折しも、TPPへの日本の参加問題が取り沙汰されているが、問題なのは安い輸入農作物のことだけではなく、GMO(遺伝子組み換え作物)の輸入である。ひとたび、この作物が入ってくればドミノ倒しのように在来種は交配され浸食されてしまう。日本の食、沖縄の食医療制度を守るためにもTPP参加は絶対に行ってはならない。」
Category: 02-関西の沖縄
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2014年5月1日『琉球新報』「山城賢孝さん(元・沖縄の雑誌『青い海』出版社社長、万葉研究家)21日午後10時31分、腎不全のため兵庫県尼崎市の病院で死去。79歳。伊江村出身。」

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1996年12月ー沖縄県大阪事務所で左から山城賢孝氏、新城栄徳、玉城要成沖縄県大阪事務所所長

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「RBCiラジオ/民謡で今日拝なびら」はネット「動画」で楽しめる。時間の無い人はダウンロードしてゆっくりと楽しめる


2014年5月1日午後4時 パレットくもじ前「RBCiラジオ/民謡で今日拝なびら」
いつもは声だけである上原直彦氏と島袋千恵美さん、八木政男氏が今日は本人たちが出ていた。以前、八木氏とは、娘さんの結婚式で八木氏と上原氏に出会って以来である。

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島袋千恵美さん、上原直彦

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山川まゆみ、

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前川守賢

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八木政男

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編集発行人・野ざらし延男 〒904-0105 北谷町字吉原726番地の11 電話・FAX098-936-2536

○編集後記ー原爆が投下された8月6日(広島)、8月9日(長崎)には犠牲者を悼み、平和を祈念して平和式典が毎年両県で開催される。この両式典で行われた安倍首相の挨拶が昨年と同じくだりがあったという。広島で被爆者の憤りをかい、追及されたのに関わらず、長崎でも同じ轍を踏んでいる。戦争の準備に突き進む安倍政権であって見れば「平和の祈念」など口先だけであり、ばかばかしいということであろうか。(武蕉)
○(略)個人の忌日を歴史的、社会的事象まで丸め込む俳人の言葉への鈍感さが露呈している。安易に「広島忌・長崎忌・フクシマ忌・沖縄忌」は使うべきではない。何でもかんでも季語化しようとする風潮に異議を唱えたい。自戒を込めて。(延男)

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