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2000年4月 小泉時、小泉凡『文学アルバム 小泉八雲』恒文社〇1887年、カメラ(フランス製ディテクティヴ)106ドルで購入/1890年4月、横浜港到着/1891年11月19日、熊本の春日駅(現・熊本駅)に到着、加納治五郎第五高等中学校校長が』出迎え。12月6日、チェンバレンからの手紙で琉球の魅力を教えられる。1893年3月、琉球旅行を終えたチェンバレンが帰路に来熊。9月26日、沖縄県尋常師範学校の生徒49名が来校し歓迎行事。



1984年4月 土井晩翠顕彰会『土井晩翠ー栄光とその生涯』宝文堂〇/1933年9月9日、25歳で亡くなった土井英一の遺書で『荒城の月』の作詞者で知られる土井晩翠が帝国図書館(現・国際子ども図書館)の前庭に建立した小泉八雲記念碑。土井晩翠も東京帝大時代の小泉八雲の教え子。

1924年  石川正通、東北帝国大学法文学部文学科入学。在学中、土井晩翠の寵愛を受けた。
1934年4月15日『琉球新報』に山城正忠「旅塵抄」の連載がある。その16回に「東京も琉球」と題し、東京の石川正通を訪ねたときのことが書かれている。☆山城です。と名乗りを上げると、矢庭に襖が放いて、見知り越しの奥さんが顔を見せる。上がれといふので、遠慮無しにあがった。小ざっぱりとした、八畳の間である。(略)額が二面、襖の上にかかっている。ひとつは、英文で斎藤秀三郎先生の毛筆揮毫だとすぐ判った。勿論、私にそれが読める筈もないが、かねて此家の主人から、その事をきいて居たからである。今ひとつは、巻紙に書いた手紙を表装したもので、おしまひの処に、短歌が一首、書かれて有ったやうに覚えて居る。能くこなされた筆づかひで、酒悦な風格を偲ばせる迫力があった。何人の心憎い業であらうかと、態々立上ってみると「晩翠」といふ署名が鮮やかに、私の網膜に映った。それと同時に、これが、その昔、有名な「天地有情」によって、一代の詩名を謳はれた、土井先生の筆蹟だといふ事を知ったので、一しほ、懐かしく仰がれた。(略)こんな閑寂な処にいて、常住心を落ちつけていたら、きっとそのうちには、自然の脈搏が聴かれるだらう。そしたら、思ふ存分に、自分の貧しい想も練られて行くにちがいない。などと、空想してる所へ「ハイサイ。イチメンソウチャガ」と、例の開けっ放しな聲で、斯う云ひ乍らはいって来たのは、紛れもない、あるじの石川正通君であった。 

1973年6月 雑誌『青い海』通巻24号 「インタビュー/中野好夫ー沖縄と私」
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 法政大学の沖縄文化研究所は中野好夫の沖縄資料センターが核になって設立された。□1961年8月『資料ニュース』№1「沖縄問題に関する資料の展示と懇談の会参考資料」。1963年12月『沖縄資料ニュース』№15「沖縄資料センター資料目録」。1964年6月、島田叡氏事跡顕彰会『沖縄の島守島田叡』中野好夫「最後の沖縄県知事」。1972年3月、中野好夫『沖縄と私』時事通信社。1982年3月、『沖縄資料センター目録』法政大学沖縄文化研究所。1982年7月『法政』№324・外間守善「中野好夫記念文庫について」。1985年4月『マスコミ市民』№201「追悼・中野好夫先生」、6月『新沖縄文学』第64号「追悼特集・中野好夫と沖縄」。1985年、屋宜宣仁『沖縄の日本復帰闘争あのころ』。
□6月10日ーモノレール美栄橋駅で屋宜宣仁氏と出会う。元気そうで何よりだ。

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2005年1月『世界』中野利子「漢那憲和のこと」
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新星出版で左上から新城栄徳、松島弘明社長、下左・松居州子さん(漢那憲和の孫)、中野利子さん
中野利子
1938年東京生、慶應義塾大学文学部卒。父は中野好夫、母方の祖父は土井晩翠。私立高校教員、公立中学校教員、定時制高校教員、産休補助教員等を経て、フリーライター。著書は「君が代通信」「教育が生まれる-<草の根>の教師像」「教師たちの悩み唄-10の人生ドキュメント」「H・ノーマン-あるデモクラットのたどった運命」等。93年「父中野好夫のこと」により日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。

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2020-5-24 左、沖縄県立博物館・美術館/ヤマダ電機 テックランド那覇本店/黄金森公園入口/右、泊小学校


2020-5-23 中の橋/右、ローソン前島一丁目店/左、ユニオン 前島店/美栄橋駅



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 斎藤 陽子(Walnut, California)5-25日本時間 明日 月曜日はメモリアル・ デー(Memorial Day)戦没者追悼記念日の公休日で、アメリカの今週末は昨日から三連休です。すでに新型コロナウィルスで2か月以上もの間、外出禁止の自粛生活では、三連休のお休みの嬉しさも少なめです。アメリカで車を借りて観光をした人は、アメリカでも最大手のレンタカー会社 Hertzにお世話になった方も多いと思います。昨日土曜日このHertz社が破産したとの、大きなニュースが全米を掛け走りました。1925年日本で日本初の本格的な自動車、白楊社のオートモ号が最初に生産開始しされる以前に、Hertz社は1918年に米シカゴで創業し、「Hertz(ハーツ)」ブランドのレンタカー店を空港を中心に展開していた会社です。5月22日 連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用で、破産申請し、負債総額は日本円でおよそ2兆円と見られていて、大型「コロナ倒産」となります。なお、ハーツによると欧州、オーストラリア、ニュージーランドを含む国際部門は破産申請の対象外とのことです。ハーツは1世紀以上の歴史を持つレンタカーの老舗で、2019年末時点の世界の従業員数数は約3万8000人の社員がいました。
 アメリカの失業率は4人に一人との深刻な事態です。州によってその失業率も異なり、最もひどい失業率の1位の州はラスベガスの有るネバダ州です。米国でも最もキラビヤカナな街、ラスベガスで4人に1人どころか、3人に1人の失業率と言ってもいいほどで、24時間、年中無休で稼働していたラスベガスですが、非常事態宣言以来、全てのカジノは閉鎖されて、現在人っ子一人として歩いてない街となり、カジノを支えていた裏方の人々の、失業率は相当数といいます。失業率2位が、自動車産業を抱えているミシガン州、3位が観光産業を生業としているハワイ州とのことです。1週間前から非常事態が段階的に緩和されてきたカリフォルニですが、まず最初に工場関係が稼働し始めて、高速道路には幾らか車が埋まってきましたが、まだ飲食店や学校などの、人々の暮らしは厳しい自粛対象にあります。
 さてアメリカは自粛中の明日 月曜日はメモリアルデー(戦没者追悼記念日)を迎えますが、思い出されるのが南カリフォルニアから10号線で車を南東へと走り、4時間ほど経つと見渡す限り何もない砂漠地帯となり、アリゾナ州に入る手前の砂漠の中の高速沿いに、ぽつんと「パットン将軍記念博物館」(General Patton Museum 入場料大人20ドル)があります。南北戦争から三代続いた軍人の家に生まれた、陸軍大将 ジェネラル・スミス・パットン(George Smith Patton Jr.1885年~1945年)が、この砂漠地帯で機甲師団の団長として、第二次世界戦に向けて、彼のモットーである「大胆不敵であれ!」の精神で、砂漠地帯での戦闘訓練を大々的に展開した将軍が、この地に砂漠戰訓練センターを開いていた処です。
 パットン将軍は砂漠での交戦を想定して、このカリフォニアの砂漠地帯で、機甲師団への過酷な訓練を行い、その後、彼はシチリア島上陸作戦からドイツ敗戦まで戦い抜き、機甲師団を指揮し歯向かう敵を粉砕しました将軍で、「ナポレオン以来の戦術家」とまで評せしめた、アフリカにおける知略に富んだ戦いぶりによって、第二次大戦中から「砂漠の狐」の異名で世界的に知られた北ロンメル将軍率いるドイツ軍の戦車部隊と、アフリカで戦ったことは有名で、アメリカとドイツとの闘いで決定的なアメリカ側の勝利を導いた将軍でもあります。パットン将軍は第二次大戦にアメリカ第一軍師団の指揮を執って、ノルマンディー上陸作戦で活躍した将軍でもあります。

 この博物館の裏庭には、ドイツ軍と戦った当時のアメリカの戦車が展示されて、軍隊に興味の有る人は寄って行く処です。パットン将軍の戦いの映画は戦後数本作られていますが、中でも1970年に制作された映画『パットン大戦車軍団』は、43回アカデミーで、作品賞、監督賞、主演男優賞、脚本賞、編集賞、美術賞、録音賞、と7部門も受賞しています。強引な独断的で強気な行動を取るパットン将軍に、トランプ大統領が似ていると、ときどき揶揄されることもあります。

  「くろねこの短語」2020年5月25日ー(前略)ところで、世界中の権力者がコロナ・パニックを利用して、強権体制の強化を図っている。トランプしかり、初老の小学生・ペテン総理しかりなんだが、なかでも中国の習近平の香港に対する抑圧・弾圧はどんどんエスカレートしているようだ。このままだと、デモ・集会が一切禁じられているマカオのような存在に香港はなっていくに違いない。
 翻って、日本はと言えば、検察庁法改悪はどうにか見送りとなり、種苗法が先送りとなったは言え、まだまだ火事場泥棒的に成立を画策している法案があるんだよね。年金改革法案もそのひとつなんだが、なかでもメディアが完全スルーしている法案がある。それが、「スーパーシティ法案」なるもので、「人工知能(AI)やビッグデータなど最先端の技術を活用し、未来の暮らしを先行実現する『まるごと未来都市』をつくる」というもので、ザックリ言って、「AIによる監視社会」を目的としたものなんだね。

 テンピン黒川の賭けマージャン騒動のすきをつくようにして、22日には、「スーパーシティ構想」を盛り込んだ国家戦略特区法の改正案(スーパーシティ法案)が、参院地方創生・消費者問題特別委員会ですでに可決されている。もはや、「スーパーシティ構想」は具体的に動き出しているってことだ。これには、あの口入れ屋のヘイゾーが深く関わっているようで、今週にも成立しそうな気配だから、ご用心なのだ。


 大濱 聡 5-24■5.17(24日再放送)放送のNHK「BS1スペシャル デジタルハンター~謎のネット調査集団を追う~」は見応えのある番組だった。PCを操りFBなどSNS上にUPされた動画や写真、データなどを解析し、世界的な疑惑の事件の真相に迫る調査集団を追ったドキュメンタリー。■アフリカでのカメルーン軍兵士らによる母子銃殺事件、ロシアの関与が疑われるウクライナ上空でのマレーシア航空機撃墜事件、新型コロナウイルスの震源となった武漢での惨状の実態など、政府当局が隠蔽しようとした「不都合な真実」の真相が次々と暴かれていく。その手法がスゴイ!■「ベリングキャット」(調査集団の名称)、「オープンソース・インベスティゲーション」(革命的といわれる調査報道手法)、新聞社の「ビジュアル・インベスティゲーションチーム」etc――聞き慣れない横文字に必死についていく。■BBCや「ニューヨーク・タイムズ」はゲームオタクだった彼らをスカウトし、その成果を放送や新聞のスクープ報道につなげているが、日本のメディアはどこまで進んでいるのだろうか。
 【関連】☆1924年5月10日、ジョン・エドガー・フーヴァー司法省内の捜査局(Bureau of Investigation:BOI)の長官に任命。○「2007年2月 マルク・デュガン 中平信也『FBIフーバー長官の呪い』文春文庫□貴族の出自を自慢していたジャクリーンの父親の祖先は、じつは無一文の入植者にすぎない。彼女の父親が金持ちになったことはたしかにあったが、財産は大恐慌の時に全て失われていた。人生に敗れた遊び人で、度重なる飲酒からアルコール中毒になり、その病状は結婚式で娘と腕を組むことができないほど深刻だった。ジャクリーンの母親はリー姓のフランス系アイルランド人だと公言していたが、実際はレヴィという姓のユダヤ人だった・・・

FBIフーバー長官の呪い (文春文庫) – 2007/2 /沖縄テレビ「奇跡体験!アンビリバボー:市民が窃盗団結成★FBIから極秘文書を盗み出せ」

 【関連】☆1956年11月 木村文平『米軍の諜報機関』東京ライフ社〇苦しい戦いが終わって、ほっとしたのも束の間、われわれは、更に恐怖の占領統治に喘いだ。日本の軍閥にとって代わった連合軍は、口に自由を唱えながらも、その実腹の底は搾取一途だった。占領下、苦難の七年間!彼らは政治を動かし財政を牛耳り、労組を弾圧し、言論出版の自由を認めながら、窃かに親書にさえも検閲を強化した。ある者の身辺には常に密偵の眼が光り、MPの拳銃が威嚇しつづけていた。本書は、かつて米軍の出先諜報機関の一員だった著者が、彼らの行動を衝いたものである。

 【関連】☆『沖縄タイムス』2018年5月29日 -【ジョン・ミッチェル特約通信員】在沖米軍の広報活動には、米中央情報局(CIA)が指南した沖縄世論操作の手法に沿った例が多くみられる。
 【関連】☆『東京新聞』2017年6月2日 ー 「監視システムを日米共有」 スノーデン氏との一問一答 米中央情報局(CIA)のエドワード・スノーデン元職員-エックスキースコアは何ができるのか。
 「私も使っていた。あらゆる人物の私生活の完璧な記録を作ることができる。通話でもメールでもクレジットカード情報でも、監視対象の過去の記録まで引き出すことができる『タイムマシン』のようなものだ」「エックスキースコアを国家安全保障局(NSA)と日本は共有した。(供与を示す)機密文書は本物だ。米政府も(漏えい文書は)本物と認めている。日本政府だけが認めないのは、ばかげている」-日本の共謀罪法案については。「(法案に)懸念を表明した国連特別報告者に同意する。法案がなぜ必要なのか、明確な根拠が示されていない。新たな監視方法を公認することになる」「大量監視の始まりであり、日本にこれまで存在していなかった監視文化が日常のものになる」

 「くろねこの短語」2020年5月24日ー(前略)これによれば、テンピン黒川君の賭けマージャンは、明らかな「信用失墜行為」であり、「刑事罰に加え免職などの懲戒処分」に相当するってことだ。それにしても、笑っちまうなあ。「賭け麻雀は賭博罪」って閣議決定したり、「服務規律」で「常習賭博は犯罪行為」と宣言したり・・・いやはやです。・黒川氏の麻雀は非違行為に該当 東京高検作成資料で明らか
 ところで、文春の記事では「賭けマージャン」をリークしたのは産経新聞関係者って名指ししているんだけど、そこにはまったくスポットは当たらないのは何故なんだろう。そのくせ、オウム事件の時にデマ情報流した過去を持つ須田某なんかが、さかんに「朝日リーク説」を吹聴しているんだね。情報源の具体的な名前を上げるなんてことは、あってはならないことで、それを文春敢えてしているんだから、産経新聞は何らかの説明をすべきなんじゃないのか。ほとぼり冷めるまでダンマリ決め込もうとしいるなら、それだけ疚しいことがあるんじゃないかと、痛くもない腹探られることになりますよ。

 斎藤 陽子(Walnut, California)5-23日本時間【海外旅行での狂犬病への注意】
 新型コロナウィルスの感染不安を抱えている折り、フィリピンから就労目的で入国したフィリピン人が、日本には存在しない狂犬病 (rabies) に罹り、現在も集中治療室(ICU)で治療中と言います。患者は昨年9月ごろ、フィリピンで左足首を犬にかまれたと話しており、その際に治療を受けなかったとのこと、狂犬病の潜伏期間は脳に近い処を噛まれると2ヵ月位、脳から遠位部を噛まれると1年ほどの潜伏期間が有ると言われています。人畜共通感染症のひとつで、WHOの推計によると世界で毎年5万5千人の患者が死亡していて、狂犬病に罹ると助からないとまで言われています。インドや中国などアジアでの発生が大部分ですが、アフリカ、ヨーロッパ、北アメリカ・中南米など全世界でみられ、アメリカでも時々狂犬病で亡くなる人が居ます。現在、狂犬病の発生がない国は、ノルウェー、スウェーデン、アイスランド、イギリス、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、日本、グアム、ハワイ、フィジー諸島のみとなっていますので、日本では狂犬病には罹りませんので安心ください。
 狂犬病の主な病原体は狂犬病ウイルスで、ウイルスを保有するイヌ、ネコおよびコウモリを含む野生動物で、アジアやアフリカでは野犬、ヨーロッパではキツネなど、北米・中南米ではキツネ、スカンク、アライグマ、コウモリなど多くの動物(一部ペットも)が主な感染源となっていて、これらの動物に咬まれたり引っ掻かれたりしてできた傷口からの、ウイルスが侵入することで感染します。狂犬病は全ての哺乳類に感染する危険性があり、狂犬病に罹ると呼吸困難におちいり、死に至ると言われています。未然に防ぐ唯一の予防法が、狂犬病の予防接種をして発病を未然に防ぐことだけです。最近は世界各地に気軽に観光などや、外国との交流が盛んになっている現在、いつ狂犬病が日本に侵入するか予断を許さない状況でもあります。狂犬病の有る海外へ行く時には、狂犬病ワクチン接種をして行くことをお勧めします。
 世界的に見て犬が人間への感染源になるケースが圧倒的に多く、毎年1回、犬の狂犬病の予防接種を受けておくことが、万が一この恐ろしい病気が日本に侵入したときの、流行を未然に防ぐ方法なのです。もし、海外で狂犬病ウイルスを持っている動物に咬まれたり、自分の既存の傷口等にその動物の唾液が触れた場合には、すぐに傷口を洗い消毒し、発症する前に急いでワクチン(国内97の医療機関で常備)を接種することで、発症を防ぐことが可能です。なお、狂犬病を発症する恐れがない場合でも、犬に咬まれた時は必ず病院に行ってください。アメリカに観光で来て、リスやアライグマなどの野生動物に、可愛いからと近づく人が居ますが、こう言う行為は大変危険ですので、くれぐれもお気を付け下さい。

写真は高速道路で2時間程のロスアンゼルス郊外の、ワイン生産地帯テメキュラ (Temecula) の5月の風景です。

 斎藤 陽子(Walnut, California)5-22日本時間 ロスアンゼルスは22、3℃と肌寒かった日が続いていましたが、今日は急に30℃を越す気温になりました。新型コロナウィルスで自粛生活が続いている日々に、皆さんはファーストフードのテイクアウトに随分お世話になったことと思います。
ファーストフードの代表格のマクドナルのお話は以前にも投稿していますが自粛のいま、改まってお読みください。
 【思い出のアルバム】

 写真は私の会社のオフィス近くにあります、67 年前の1953年に開店した、現在ある最も古いマクドナルド・ハンバーグ店のロゴ広告塔です。1940年南カリフォルニアの二人の兄弟がハンバーガー・ショップを起こし、軍事産業が盛んだった当時、二人は巨大軍事タイヤ工場前に店を構え、ハンバーガーを1個15セント(15円)で売りだしたのが、ファースト・フードのマクドナルドだったといいます。写真は1953年の初期の頃にできた、現存する最も古いマクドナルド店がダウニー市(City of Downy)にあり営業を続けています。マクドナルド「McDonald's」のデザインも幼稚で可愛くもあり、アメリカの古き良き時代を思い起こさせてくれます。工員たちの昼ご飯として「早くでき 早く食べれる」事が受けて販売が伸び、戦後1948年頃から知名度が出たと言われ、ファーストフード・ビジネスの先がけ店です。
 その頃作られたのがこの店の写真のマクドナルド・ロゴで、ダウニーのこの店は今でも稼働していて、今ではハンバーグを買うよりも、このロゴ見たさに来る客も多いようで、現存する最も古いマムドナルドのロゴです。ひところ営業不振だったマクドナルドですが、この4月末には経営を挽回して、記録的な株価の高値を更新したとのことです。2年前にはマクドナルド・ハンバーグ創始者の兄弟と彼らを取り巻く野心家を題材にした映画 「ファウンダー ハンバーガー帝国のひみつ」(THE FOUNDER)が日本でも封切されてますが、長いGWのお休みに検索してご覧ください。映画は短時間でハンバーガーを作る合理的なシステムを開発した兄弟に目をつけた、新しいもの好きなクロック氏の成り上がり物語です。
 どこの店舗に行っても同じ味を楽しめるマクドナルドですが、共通の味を維持するのは並大抵のことではないのが映画を観るとよくわかります。味を守りたいマクドナルド兄弟と利益追求を目指す野心家クロックとの経営戦略も学べます。商才とは運か、根性か。世界人口の1パーセントの人々が1日に必ずマックを食べている原点を知ることができ、世界総数4万店舗もの成功をおさめたマクドナルドのひみつが解き明かされます。
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『噂の真相』を糾弾する右翼結社

屋良朝博氏、 岡留安則氏、

 2011□岡留安則の「東京-沖縄-アジア」幻視行日記 今回の大震災と原発事故はさまざまな出来事を核爆発のように吹き飛ばした。東北3県の地デジ延期からTPP,子供手当、高速道路無料化、メビン・ケア差別発言事件・・・・。東北の被災でJTの工場やトヨタの工場などが被災し,たばこ不足、部品不足による車の生産台数の削減。大手製紙会社の被災による紙とインク不足による新聞や週刊誌などの減ページ措置などにより社会生活にも多大な影響を与えつつある。小沢擁護や記者クラブ批判もやったリベラル過激な「週刊朝日」の山口一臣編集長もとばされ、同誌じたいの休刊も囁かれている。何よりも、外国人からの102万円の献金を受け取って内閣総辞職に追い込まれる寸前だった菅総理退陣も吹っ飛んだ。これぞ、最大の不幸かもしれない。 
 また、朝のTBSワイドショー「はなまるマーケット」でおなじみの薬丸裕英・岡江久美子コンビも、原発PR推進組(中部電力)に出たことも知らんぷりでテレビに出ずっぱり。北村晴夫弁護士、勝間和代らもそうだ。調べればB・C級戦犯は他にもいっぱいいるはずだ。こうした連中は、この原発危機の中で反省も自粛もなし。視聴者はシラケるばかり。それでいいのかい,テレビ局よ!!  それはともかく「ウチナー・パワー」という新刊が出た。サブタイトルには「沖縄 回帰と再生」とある。天空企画編集でコモンズというという出版社から出た本だが、なぜか筆者が表紙の帯に100時程度の推薦文を書いているので、紹介だけしておこう。「多彩な書き手が琉球を論じる掘り出しものの逸品本だ!沖縄再生のヒントがあちこちで発見できる楽しさも満載。 岡留安則元「噂の真相」編集長(沖縄在住)」。たまたま出合った沖縄本を数多く編集している智内好文氏に頼まれたものだ。
 15人くらいのライターたちが寄稿しているが、保坂展人氏も沖縄との出会いから今日までを「ニライカナイ・クロニクル」という題で書いており、小林よしのり派の宮城能彦教授も「村落共同体としての共同売店」について書いている。個人的に面白かったのは永峰眞名氏の「郷土月刊誌『青い海』のころ」だ。<沖縄に来て知った雑誌だが、なかなかウワシン的要素もあり、スコブル面白い。東京ならともかく、沖縄で採算ベースに乗る本を作るのがいかに難しいかと言う意味でも大いに参考になった記事だった。
 沖縄関連の振興予算は2900億円で決まった。当初の一括交付金3000億円よりも減額されたものの、大幅アップとなった。だが、沖縄県民にすれば、予算増額を手放しで喜べる状況ではない。仲井真知事が東京で民主党幹部や閣僚クラスと極秘の会談を続けた結果がこれだったのか、と思わざるを得ない。辺野古移設のための環境アセスを防衛省が進めることに対してもあっさり容認した。アセスの権限は防衛省にあるのは間違いないが、「県民の意志はアセス提出に反対である」ことを強く明言すべきだったし、振興予算と基地問題はリンクさせないという強固な意志を示すべきだったが、それもふにゃふにゃ。沖縄予算に関しては前原政調会長の陰謀臭いが、そうだとすればタチが悪すぎる。仲井真知事が振興予算と引き換えに辺野古建設容認をやるのではないかと勘繰りたくなる。少なくとも東日本大震災の復興予算じたいが厳しい中で、沖縄だけ特別視することのひとつが基地対策である事は間違いないろう。北部振興予算も20億円削られたが、50億円は認められた。いまだに、前原が建前上否定するアメとムチの政策は強固に存在しているのは明らかである。ケビン・メアではないが、やはり、たかりの名人なのか。 
 米国が東芝の子会社を使って原発を30年ぶりに建設するという。福島第一原発は米国のGEである。脱原発は完全無視なのか。オバマ大統領も碌な人物でしかないことがバレバレだ。来年は、北朝鮮、中国、ロシアも政権交代を迎える。日本も未熟な政権の元で先の見えないまま、非常事態に突入するつもりなのか。それでいいのか、ニッポン、チャチャチャ!!

□< 2012年3月11日 日テレ21>
東日本大震災の発生から11日で1年がたった。死亡した人の数は1万6000人近くに上っている。
警察庁によると、11日現在、震災による死者は計1万5854人となった。最も多いのは宮城県の9512人、次いで岩手県の4671人、福島県の1605人などとなっている。 行方がわからない人は宮城県が1688人、岩手県で1249人、福島県で214人など、計3155人となっている。死者と行方不明者は、計1万9009人となった。この死者と行方不明者、オキナワ戦没者、最初のヒロシマ・ナガサキの被爆者の霊魂(あるとすれば)は自分らの死が後世どう扱われているか気にする筈だが・・・。少なくとも今のゴミ扱いされている状況に対しては、財界・政治屋に「祟り」がないとおかしいと思う。

 岡留氏が小沢無罪の判決に素早く対応し、氏のブログに□待ちに待った小沢一郎公判で無罪判決が下った。権力の横暴を批判してきた小沢氏の正義が認められたことは、東京地検特捜部と10年裁判を闘った筆者としてもうれしい限りだ。恣意的な国策捜査を仕掛けた検察の完敗であり、検察審査会の不透明なやり方も今後は大いに問題になるだろう。検察というこの国の正義の砦は、いまや腐りきっているというのが、筆者の見立てだ。検察の大改革を主張してきた小沢氏の無罪判決で大慌てなのは、反小沢で固めた民主党野田執行部、霞が関官僚、自民党以下の野党、財界、大手メディア、米国政府だろう。
(略)
 驚いたのは在日米軍再編の新たな共同発表が延期された時の野田政権の対応だ。米国上院議員の軍事委員長であるレビン軍事委員長らが、共同声明に待ったをかけたのは、環境問題や費用の問題がクリアーになっていないことがその理由だった。実に真っ当だ。ところが、日本政府は、予定通りの方針で行くと早々と明言。本来ならば、日本が米国政府にクレームをつけるのが筋だろう。29日の野田訪米のパフォーマンスが何よりも第一なのだ。オスプレイをどうするつもりだ!!やはりここは、メディアを含めて既得権益体制の総スカンを食うかも知れないが、日本の防衛は米国第七艦隊で十分という基本的姿勢をもっている小沢一郎の出番ではないか。筆者は自信をもってそう断言したい。とある。
 小沢氏に対してはアレルギーを持っているが、ま、裏事情に精通している岡留氏のことだから根拠があってのことだろう。ここで歴代政権の沖縄に対する考え方、とくに初期の吉田茂を見てみる。1952年8月発行の東京『沖縄新報』(永岡智太郎)第16号に「去る6月6日、本土視察のため上京中の那覇市長又吉康和氏と吉田首相との会見の際『日本はまだ受入れ態勢が出来ていないからすぐに復帰ということは困る。今まで通り米国に協力して辛抱して貰いたい、米国に見離されてソ連が入って来たらどうするのか』という全琉百万同胞の悲願をふみにじった吉田首相の暴言」とある。私も積年の反米感情でどうも批判の対象をアメリカに向けてきたが、どうやら時の日本政府の「沖縄差別」が大きな問題のようである。それを許した沖縄側にも当然問題がある。それに関連して『琉球新報』に連載されている伊佐真一氏の伊波普猷批判が参考になる。
 宜野湾市長選挙で話題になった真部沖縄防衛局長が沖縄の新聞でなにやら記事になっていた。米軍の兵隊には選挙権が当然ながら無いが、自衛隊員にはあるから相当罪深い。最近は与那国島にも自衛隊員が居る、創価学会票と同じく、自衛隊票は石垣パクリ市長などの票にもなっている。基地反対と言いながら安保には触れない首長が増える元となっている。基地問題に触れながらその元の安保に触れないのは大手メディアも同じだ。

2012年4月26日の所感
 本日はひよりの誕生日、1歳である。昼、沖縄大学により宮城先生紹介で大学図書館に『青い海』創刊号と、沖縄関係資料室が載っている10号を寄贈する。帰途、那覇市歴史博物館によって、5時から久茂地・抱瓶の高橋淳子さんのお別れ会に参加。壁には淳子さんの写真が所狭しと貼られていた。アルバムには喜屋武真栄氏や西平守良さん、喜納昌吉、大田昌秀、具志堅用高、新城亘、儀間比呂志、ひさみ夫妻の諸氏らが淳子さんと収まっているのもある。私は1973年頃、高円寺・球陽書房の西平守良さんに近くの「きよ香」に連れていかれそこで淳子さんを知る。知るといってもそれが最初で最後の出会いであった。会場の抱瓶にはひさみ夫妻らが居られた。1時間半ごろ経って大田昌秀氏、岡留安則氏や沖縄大学のO教授、S氏らが参加し故人が好きだった民謡で追悼した。しばし大田氏、岡留氏と懇談する。岡留氏に東郷健の消息を尋ねた。(4月26日の新報、タイムスに同性愛者の差別撤廃運動で知られた東郷健の死亡記事が顔写真入りで報じられていた。)→2012年4月19日

 岡留氏のブログに□東京高円寺で沖縄居酒屋「抱瓶」や「きよ香」など5店舗を経営して成功を収めた高橋淳子(本名=清)さんがなくなった。東京の自宅マンションの風呂場で発見されたという。死亡推定日は4月7日。高円寺の抱瓶グループは長男の貫太郎君に任せて、高橋さんは3年前から那覇市久茂地で、沖縄居酒屋「抱瓶」那覇店を経営していた。最近は元照明マンの仕事をしていた光太郎君が母親の片腕となり、親子で店を切り盛りしていた。死因は細かく聞いていないが、享年73歳だった。高橋さんの苦労人生からサクセスまでの人生は「ただ、誠を尽くして浮世を渡る」(日本社)という一冊の本にまとめられている。
 筆者は高円寺の「抱瓶」にも何回か顔を出したことはあるが、高橋さんが沖縄に来てから本格的な付き合いが始まった。筆者が新宿の「ロフトプラスワン」に出演した時には長男の貫太郎君ともどもよく見に来ていたというので、沖縄での初対面以来、意気投合しての付き合いが始まった。何回も呑む機会があったが、自分の人生に自信と誇りを持っていたためか、頑固なところもあった。石垣島出身の高橋さんの早すぎた突然の死に合掌しておきたい、通夜・告別式は東京で済ませて、沖縄では「送る会」が4月19日午後5時より沖縄抱瓶2階で開かれる予定になっている。

『噂の眞相』左、2004年4月ー休刊記念別冊「追悼!噂の眞相」

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 徐台教 | ソウル在住ジャーナリスト 2020-4-9 韓国NGO「国防費を削減しコロナ支援に」...新型コロナで問われる'人間の安全保障'「私たちに重要なことは、すでに溢れかえる最先端の武器よりも、良い雇用、しっかりとした社会安全網、持続可能な環境といったものだ。しかしこれまで私たちの税金はそういった所に使われず、限定された資源は『国家安保』に優先的に配分されてきた」→これはジャパンにも当てはまる。

1983年8月31日ー『琉球新報』新城栄徳「落ち穂『未病を治す』」

 東洋医学を実践している病院で、調理師を8年やっていたので『素問』とか『傷寒論』という古典はある程度知っているつもりである。『素問』(もとのものを引き出すという意味)のなかに、黄帝が天師(岐伯)に「今時の人は50歳になると、よぼよぼしてくるのは何故か」と。これに対し岐伯は「昔の人で道(宇宙自然の法則)を知っている人は、陰陽(自然環境としての変化)によく対応し術数(次々に連なり、おこってくる変化の順序法則)によく調和するように自分の行動を規制している。ところが今時の人は酒はガブガブ飲むし、生活のリズムも失っている。色欲にかられて自制もなく欲望のままに精根を使いはたしている。健康に生きてゆくためには一定の緊張が必要であり、節度が大切であるのに、こうしたことを知らないまま、その時その時の欲望のままに生活しているために、人生の本当の楽しみ、生きてゆく喜びを求めようとしない。これでは50そこそこで衰えるのは当たり前である」と答える。

 病院の医師らが中心となって山紫水明の土地、名張市赤目に「赤目健康学園」を計画したのが1977年であった。しばらくして私も息子と「山の家」づくりに参加するようになった。東洋医学のなかに「身土不二」(その人の生活する土地でとれる食物を主に食べる)と、「一物全体」(生物である食物を丸ごと全部、不必要なアクぬき、皮むきをしない)という二つの原則があるが、赤目では農作業を通じて実践している。農業を行うことによって食物についての知識と考えを深めることができる。増大する一方の医療費の抑制は一部の連中の主張するように自個負担を増やすという安易なケチな方法は考えるべきではない。予防と軽症のうちに生活・習慣を見直して治療するという古くて新しい方法をとるべきだ。しかも根本的にはこれしかない。

○WHO憲章では、その前文の中で「健康」について、次のように定義しています。
Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity. 健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが 満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)



ロートシュー『医療の原理』より引用
1974年4月 丸山博『食品公害とたたかう』有害食品研究会、1981年7月 丸山博 編『資料 小島勝治と「浪華の鏡」』/1975年5月 中川米造『医療的認識の探求-増補改題-』医療図書出版社

1975年 『季刊 創造の世界』№20 立川昭二「病気からみた日本の歴史」、湯川秀樹・市川亀久彌・吉田光邦・中川米造・鯖田豊之・立川昭二「シンポジウム 文明としての病気」

三谷和合
 私が勤めていた病院の三谷和合院長は「漢方の正しい健康保険の適用をすすめる準備会」の丸山博会長、相沢秀一副会長らと親しく一緒に運動していた。丸山会長は桜沢如一を師と仰ぎ衛生学を専攻。相沢副会長は京大で河上肇に学んだ最後の学生で、大阪市大、立命館大、大阪経済法科大の教授を歴任。
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三谷和合の本 1997年5月ー三谷和合『続保険歳時記』木津川厚生会□念仏踊は、夏季、お盆を中心に災厄退散、また亡魂鎮送のため、太鼓、鉦を打ちならしながら、踊躍歓喜する踊りの総称です。念仏を口中に唱えながら踊ることから、この名があります。
平安時代、空也上人が念仏の功徳を庶民に知らせる方便として始められたのが起源といわれています。しかし、踊りの形態に仏教的な雰囲気は全くなく、基本的には在来からあった原始宗教的な行動を示したものといえます。つまり、古くから行われていた村々の祭の行動に、念仏信仰が加わったものです。


1977年11月 此花区四貫島・此花区民ホール「第三回おんど~れ祭り」。新城栄徳は安藤昌益①を演ずる。
 ①安藤昌益の思想は、42歳頃から約15年間を過ごした八戸で誕生したといわれ、主著『自然真営道』101巻93冊も八戸で書かれたことが分かっています。そのきっかけとして考えられるのが、飢饉の頻発です。この地方特有の冷たい東風(やませ)により、当時の八戸では凶作と飢饉が猛威をふるっていました。中でも大豆生産のため焼き畑を繰り返したことで猪の大発生を招き、多くの餓死者を出した通称「猪飢渇」いのししけがじ(「けがじ」=八戸弁で「飢饉」の意味)は、昌益に大きな衝撃を与えたと思われます。
 刊本『自然真営道』「大序」には、「非命にして死せる者のためにこれを記す」、つまり、不幸にして天寿をまっとうできなかった人たちのためにこの書物を書くのだ、と書かれています。食物を生産する農民たちの多くが命を落とし、支配階級である武士たちには大きな被害がないという現実。この社会の矛盾を目の当たりにしたとき、昌益は、町人の身体を診る町医者から、社会全体を診る思想家へと変貌を遂げたのではないでしょうか。八戸で書き上げたとされる主著『自然真営道』には、昌益の思想が体系的に記述され、「大序」巻、24巻「法世物語」、25巻「良演哲論」では、厳しい社会批判が展開されています。
 昌益は、武士が支配する封建社会を「法の世(ほうのよ)」として批判し、貧富の差も支配関係もない平等な社会を「自然の世(しぜんのよ)」と名付け、理想の社会として掲げています。自ら生産労働をせず搾取することを、「不耕貪食(ふこうどんしょく)」と称して批判し、その対極にある、自然の循環の中で自ら正しく農耕を行う生活を「直耕」と名付け、このような労働の中にこそ、人の人たるゆえんがあるという主張をこめました。江戸時代に幕藩体制や身分制度を明確に否定したのは唯一昌益思想のみであり、しかも、江戸から遠く離れた八戸でこの著作が誕生したことに、大きな意義があります。→「安藤昌益資料館」所在地: 〒031-0086 青森県八戸市八日町3 時間: 本日営業 · 11時00分~16時00分
電話: 0178-20-8109

2010年6月 吉田徳寿『安藤昌益 直耕思想いま再び』東奥日報社

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2020-5-18 屋上小庭園


2020-5-17 左、県立博物館・美術館/右、泊小学校/中の橋方面

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1983年10月11日ー『琉球新報』新城栄徳「落ち穂『未来』」〇当時の平和美術展で対馬丸遭難の絵に「イカダが多すぎる」と新聞紙上にあった。

 中学3年のころ、写真左下のアーサー・C・クラーク 福島正美・川村哲郎訳『未来のプロフィル』早川書房をよく読んだ。このクラークの科学エッセイ集は1958年から1962年にかけてアメリカの『ホリディ』『ホライズン』『サイエンス・ダイジェスト』『プレイボーイ』などに書いた記事をまとめたもの。中に、バートランド・ラッセルの挽歌を引いて「・・・・・あらゆる時代のあらゆる労働も、あらゆる献身も、あらゆる霊感も、あらゆる天才の白昼のごとき明晰さも、太陽系の死と同時に滅亡の運命にあること、そして人類の建設したすべての寺院が滅びゆく宇宙の廃墟の下に埋もれてしまわねばならぬということーこれらすべてのことが、かりにまったく論議の余地がないわけではないにしても、ほとんど確定的であるため、それらを否定しようとするいかなる哲学も存立する望みは持てないのである。  これはまさしく真実であるかもしれない。が、それにもかかわらず、宇宙の滅亡は、思量すべくもない遠い未来に属するので、われわれ現代の種の直接的な関心の対象とはなりえないのだ。」原子に就いて、「物質のエネルギーを解放するために必要だったのは、化学的燃焼に相当する原子の”火”だった。そして、ウラニウムの核分裂こそ、それだったのである。一度、これが発見されれば、原子力の利用は時間の問題だったーただし、もし戦争という圧力がなかったならば、その開発に、ほぼ一世紀はかかったかもしれないけれども。」

 新城□2010年12月28日ー妻の実家の読谷楚辺へ行った。父を見舞った帰途、赤犬子宮を訪ねると管理されていないのか入口を車が塞いでいた。釈渚善さんの言うていた大湾の真常寺を思い出し訪ねた。そこで京都全体マップで親鸞聖人ゆかりの地が載っている近畿日本ツーリスト発行の「親鸞聖人ーお念仏の道をたずねて」「大谷光真パンフ」を貰った。(去年暮れに書いたものを移動)


1972年11月 沖青友の会機関誌『石の声』10号〇上原良三「初秋の京都北山へーそもそも諸準備の為、京都に勤める新城君の職場(某食事処食堂)で米や、スープンの調達のついで、コーラやコーヒーを御馳走になったのも一原因かも知れない。」

 2011年10月12日午後ーJR永和から大阪駅、駅舎もだいぶイメージが変わった。新快速で京都駅。途中、茨城と高槻でイオンの看板を見かける。かつてこの路線から「今日も元気だ煙草か(ママ)うまい」の大きな広告が見えていた。そう、濁点が剥げ落ちていた。京都タワー (「お東さんのろうそく」とも呼ばれているが、本来は灯台をモチーフにしたもの)が見えた。帰ってきたという気分だ。私の22,3歳は京都駅八条口近鉄名店街の「紅屋」で働いていた。東寺などはよく遊びにいったが、西本願寺や東本願寺もよく遊びにいってはいるがこれといった印象は少ない。どちらの寺も雰囲気も同じだから名前も西、東取り違えて記憶していた。東、西の違いは、「南無阿弥陀仏」をお東は「なむあみだぶつ」、お西は「なもあみだぶつ」と称えるという話はよく聞く。
 京都駅烏丸中央口を出て左の方に歩いて、しばらくすると、元植柳小学校に「ご縁まちマルシェ」会場があった。入ると色々な売店があり、京の銘品、仏具の店が並んでいた。地方の特産品の店には、沖縄からも首里の「美南島マーケット」が出店していた。会場で出て伊東忠太設計の伝道院(テーマ館)を見る。『本願寺新報』を貰う。宗祖親鸞聖人七百五十回忌ということで通りは大勢の人たちで混みあっていた。ほとんど地方からの団体だ。西本願寺の甍が見えてきた。中に入るとやはり混雑していた。売店で「安穏」という水を買った。混雑を避け国宝の書院を見る。襖絵や柱は黒光りし年月を感じさせ、庭はソテツが主役だ。次の国宝飛雲閣は銀閣寺の雰囲気である。国宝の唐門は唐破風で豪華な装飾彫刻が施されている。西本願寺を出るとすぐ隣りの興正寺による。
 大谷光真門主は、新宗教(右翼)の指導者を除けば、歴史ある巨大宗教教団「浄土真宗本願寺派」の最高指導者としては例外的に社会問題に積極的な発言をしてきたことで知られているが、『本願寺新報』10月特集号の発言に「人間の欲望と知恵のバランスが崩れてしまい、人間に扱えないようなものによって欲望を満たしてきました。恐ろしいものには恐れをもって対処するというようなことが欠け、傲慢になっていたと思います。(略)今のままでは原発との共存は難しいと思います。現状は、薄い氷の上に乗っているような感じですね」と口先社会科学者顔負けの発言である。すべからく指導者はこうあらねば。虚言妄言ウスノロ内閣(→10-12『日刊ゲンダイ』命名)に爪の垢でも煎じて呑ませたい。またそんなノロノロ内閣でも国民をバカにした悪政(増税、年金改悪、政党助成金)だけは得意とみえる)それを一緒にやっているのが労働貴族の連合である。古賀会長のごときは「私は原発『脱依存』とは言ってない」とは、コロコロ総理と同じだ。 
 浄上真宗本願寺派の沖縄開教は、1879年大河内正念師(宮崎県、願心寺)の来島に始まる。98年より亀井慈雲師(鹿児島県、善行寺)の13年に亘る開教の跡を受けて、1910年鹿児島県川内市光永寺の菅深明師が大谷光端宗主の特命を受けて大島郡徳之島説教所より転任来島し、那覇市上之蔵に湖城宅を借りて那覇説教所を設置して布教伝道を始めた。翌年の11年7月には、同説教所を松下町1丁目71番地(現在地)に移して、寄留商人や官吏を中心に布教を行い、漸次地元の沖縄の人々へも教化の手を進めていった。1916年5月、大正天皇即位の御大典を記念して、本堂及び庫裡を建立し「聖徳山大典寺」と寺号を公称して、開基の菅深明師が初代住職となった。爾来、与那原、嘉手納、西表、八重山、渡久地と布教所を開設、各方面へ教線を拡げると共に、非行少年の更生保護のため、沖縄少年感化院(後に球陽学園と改称)を設置する。更に子女教育のため沖縄家政女学校(後に積徳高等女学校と改称)を創設して、活発な教化伝道を展開していたが、去る沖縄戦でこれらすべてを焼失した。(□→「聖徳山大典寺HP」)□大谷光端「食を精ならしめんと欲せば,先ず材料を撰(えら)ばざるべからず」
 東本願寺は行事でないせいか、西本願寺に比べたらだいぶ人出が少ない。入り口にハトが多い。最近は糞害のためハトに餌をやらないようにと、表示されている公園が多い中、ここでは餌を売っている。御影堂にのぼると20人の人が座っていた。瞑想。御影堂は世界最大の木造建築。親鸞聖人の御真影が安置されているところから御影堂と呼ぶ。出るとき正面に見えるのが御影門で京都三大門の一つである。ちなみに三大門とは、洛西の仁和寺二王門、洛東の南禅寺三門、洛東の知恩院三門を指す。また、仁和寺二王門の代わりに洛中の東本願寺御影堂門を数える。沖縄那覇市西町にある真教寺は浄土真宗東本願寺派の寺。1876年、田原法水により布教が開始され、84年創建。はじめは東本願寺講義所と称したが、大谷派琉球別院と改称、92年に真教寺に改めた。
 大谷本廟に向かう。途次、あちこちで観光土産なのかシーサーをよく目にする。文子天満宮、塩竈山上徳寺、仏性山本覚寺による。本覚寺境内には江戸中期、浮世草子の版元・八文字屋自笑の墓がある。ソテツもある。六波羅蜜寺は今までに何回もよっている。951年、醍醐天皇第二皇子光勝空也上人により開創された西国第17番の札所である。現存する空也上人の祈願文によると、963年、諸方の名僧600名を請じ、金字大般若経を浄写、転読し、夜には五大文字を灯じ大萬灯会を行って諸堂の落慶供養を盛大に営んだ。これが当寺の起こりである。上人没後、高弟の中信上人によりその規模増大し、荘厳華麗な天台別院として栄えた。平安後期、平忠盛が当寺内の塔頭に軍勢を止めてより、清盛・重盛に至り、広大な境域内には権勢を誇る平家一門の邸館が栄え、その数5200余りに及んだ。1183年、平家没落の時兵火を受け、諸堂は類焼し、独り本堂のみ焼失を免れた。源平両氏の興亡、北条・足利と続く時代の兵火の中心ともなった当寺はその変遷も甚だしいが、源頼朝、足利義詮による再興修復をはじめ火災に遭うたびに修復され、豊臣秀吉もまた大仏建立の際、本堂を補修し現在の向拝を附設、寺領70石を安堵した。徳川代々将軍も朱印を加えられた。(□→「六波羅蜜寺HP」)

 五条坂の大谷本廟手前の円通橋(通称「めがね橋」橋脚、敷石板、欄干など総て花崗岩の切り石を用いている)を渡ると右側にソテツが見え、左側には親鸞聖人像が見える。仏殿を参拝。かつて本廟に、親鸞聖人の木像を安置するようになったのは、1295年頃からといわれている。大谷本廟は、親鸞聖人の末娘である覚信尼と、東国門弟の協力によって建てられたものだが、敷地は覚信尼の所有。覚信尼は、敷地を廟堂に寄進し、廟堂守護の役目(留守職)を、みずから引き受け、以後尼の子孫の中の適任者が門弟の承認を得て、就任することになった。これが後年の本願寺の血統相続の基となりました。大谷の廟堂が、親鸞聖人の墓塔を覆う屋舎から、聖人の彫像を安置する影堂へと移行したのも1295年頃。そして、三代目覚如上人によって、本尊阿弥陀如来を安置する寺院へと移行した。五条坂近くに河井寛次郎記念館があるが5時なので閉館していた。
 2006年10月発行の『大坂春秋』に宮元健次「豊臣秀吉による寺町の形成」が載っている。それに「1591年秀吉は、本願寺門主顕如に『下鳥羽より下、淀より上の間、何れの所なりとも御好次第』と伝え、本願寺は迷わず現在の六条の地を選んだ。というのも現在の地は、本願寺にとって聖地というべき浄土真宗の開祖・親鸞の聖廟・大谷本廟のもとあった場所の真東にあたるからに他ならない。興味深いのは、その東西軸上に、阿弥陀ヶ峰が位置し、その山頂に秀吉の霊廟である豊国廟が位置していることだろう。また同軸線上に秀吉を神として祀る豊国神社が位置することも注目したい」と記す。つまり秀吉は生前より死後の世界を保証するという阿弥陀如来信仰を応用し自らが神に再生する計画をしていたとする。

「伏見稲荷から豊国廟へ」(inoues.net/family/fushimi_inari.html)
 国立博物館隣にある豊国神社は、豊臣秀吉死去の翌年の1599年、遺体が遺命により方広寺の近くの阿弥陀ヶ峰山頂に埋葬され、その麓に方広寺の鎮守社として廟所が建立されたのに始まる。後陽成天皇から正一位の神階と豊国大明神(ほうこくだいみょうじん)の神号が贈られ鎮座祭が盛大に行われた。方広寺にあった大仏は、天保年間に現在の愛知県の有志が、旧大仏を縮小した肩より上のみの木造の大仏像と仮殿を造り、寄進した。この大仏は私もよく見にいったが1973年3月28日深夜の火災によって焼失した。


方広寺の大仏


京都駅 右に蘇鉄/「新福采館本店」「本家第一旭」
 帰途、何時ものように京都駅近くの塩小路の中華そば屋による。京都から帰宅する前は必ずよるのが慣わしとなっている。22,3歳のころもよく食べにいった。「新福采館本店」と「本家第一旭」はまだ健在だ。当時は駅前でも中華そばの屋台があった。屋台の暖簾には「贈・中島連合会(→現会津小鉄会)」の文字があったのが今でも印象に残っている。最近では新福も第一旭もネットで賑やかだ。新福はHPも開いて全国展開している。どちらも1947年に店舗を構えた。新福は休みだったので第一旭に入った。青春時代の懐かしい味だ。腹ごしらえも済み、京都市南区東九条にかつて間借していた家を訪ねた。家はそのままだが、冷やし飴を売っていた店はとっくに壊されビルになっていた。向かいに図書館ができていた。


寮は南区/近鉄京都駅の近鉄名店街京風喫茶「紅屋」が職場 寮近くの通り、正面に見えるのが新幹線京都駅
〇2020-5-17 朝、テレビで「目撃!にっぽん 『番地のなかった街で在日コリアン2世 最後の語り』」でこの地域が報じられていた。今はGoogle地図で東九条を散歩できるが、動画を見るとネトウヨ視点で「東九条コリアタウン」などとやっている。  

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 「くろねこの短語」2020年5月20日ー(前略)トンデモ答弁を繰り返す検察逃げたの森君を、TBSの金平君が「法匪」(法律を詭弁的に解釈して、自分に都合のいい結果を得ようとする者)と呼ばわっていたが、いやあこりゃまた言いえて妙で、納得しちまった。それはともかく、検察庁法改悪がうまくいかなかったからなのか、今度は国民投票法改正案を成立させようという動きが出てきたってね。検察の次は憲法か。それにしても、次から次へと余計なこと考えるものだ。そんなんだから、マスクひとつ満足に配れない無能ぶりをさらけ出しちまうんだね。
 自民党国対委員長のおばさん顔の森山君は「憲法審査会でずっと継続審議になっているのは、立法府としていかがなものかと懸念する。結論を出してほしい」ってのたまってくれてるが、憲法審査会で何を議論してきたんだ。それこそ生煮えのままの状態で、これもまた火事場泥棒っとことだ。時の政権が世の中の空気をこれほどまでに読めなくなっているかと思うとちょっとゾッとする。これって、思考能力を失った大本営と同じで、このままだと悪夢の再現になりますよ。国民投票法改正案の他にも、日本の農業を壊滅的な状況に追い込みかねない種苗法改正案の成立もペテン政権は狙っているから、まだまだ気を引き締めて抗議の声を上げていかないと大変なことになりますよ。


大濱聡 5-21

大濱聡 5-20

 【サンパウロ時事】5-19 ブラジル保健省は18日、新型コロナウイルスの累計感染者数が25万4220人、死者が1万6792人になったと発表した。前日から感染は1万3140人、死亡は674人増えた。感染者数は英国を抜き、米国、ロシアに次ぐ世界3位となった。

 「ディリー」5-19 池田清彦氏は山口二郎法政大学教授のツイートを引用。山口教授は維新について、「維新のやり口」と投稿。「公務員を敵視し、保健所・衛生研究所をリストラして、コロナ危機で医療キャパシティが足りなくなると、雨がっぱの供出や寄付を呼び掛け美談を作り、あほなメディアを操りつつ市民に自己陶酔的感動を与え、結局実体的な仕事は何もしない。究極のマッチポンプ」としている。

 「神戸新聞」5-18 「ウイルス出現 温暖化も要因」長崎大熱帯医学研究所教授(国際保健学)山本太郎氏
 グローバル化の中、飛行機などによる移動が増え、世界同時多発的にパンデミックが起きている点は、過去の感染症とはかなり違う特徴だ。(略)
 新しい感染症が近年増えてきた背景には、開発でヒトが野生動物の生態系に入ったこと、地球温暖化で野生動物の生息域が狭くなったことがある。野生動物の中で生きてきたウイルスが、生き残りをかけたかのように人間社会に広がっている。生態系の多様性や野生動物の生存を確保することで、新たな感染症が発生する頻度は減らせる。そうしないと、われわれの社会の存続が危ういということが分かってきた。
 次にどんな社会をつくるか想定することが重要だ。社会は大きく変化する。例えば、10年や20年という単位で進んでいたであろう情報技術革命が1、2年で進む。グローバル化が進んだニューヨークなどの地域が今回、大きな影響を受けた。格差を広げないベーシックインカムのような考え方も含め、都市と地方のあり方やグローバル化をどうしていくか。ウイルスとの共生とは、パンデミックを社会でしなやかに受け止めていくことも含むのかもしれない。

 斎藤 陽子(Walnut, California)5-18日本時間 3月19日に外出禁止令が出て、2か月以上が過ぎますが、明日からロスアンゼルスも段階的に徐々に、外出禁止を解除するとのことで、明日18日から第一弾目の解除は工場関係から、弊社の原料工場も2か月ぶりの再開となります。コロナ禍でアメリカの中小企業も、甚大な被害を被っていますが、中でも大企業では1902年創業の、全米網で展開していました、庶民派の米百貨店大手JCペニー(JC Penney)が、15日に米連邦破産法11条(日本の民事再生法に相当)の適用を申請し、経営破綻しました。もともとネット通販の台頭により経営不振に陥っていた様ですが、新型コロナウイルスに伴う営業停止が追い打ちをかけたようです。5月に破綻した衣料品チェーンのJクルー(J,CREW)、また1907年創業の高級百貨店ニーマン・マーカス(Neiman Marcus)に続き、米主要小売業で3例目の破綻となります。
 日曜日の南カリフォルニアは気温は朝12度ほど日中は昨日よりいくらか暖かく24度ほどです。母の日に1輪咲いた庭のクジャクサボテンが、外出禁止解除を祝うがごとく、豪勢に咲いています。三日間ほど咲いて楽しませてくれていますが、まだまだツボミを沢山持っているので、次からつぎと開花してくれるでしょう。月下美人にも葉の形状や花の形は同じですが、クジャクサボテンは僅かに葉に小さな刺を持っています。月下美人の花は一夜の命ですが、このクジャクサボテンは昼に咲き、3日ほど咲きます。日曜日の午後をまったりとクジャクサボテンの花を愛でながら、コーヒーを飲んでおります。

 「リテラ」5-19  「橋下徹の時代から、裏で安倍政権に協力して自分たちの政策や権益を後押しもらうというのが維新の常套手段。今回は、国民の声が予想以上に大きかったため計算違いと結果になったが、維新としてはいつものように、条件をつけたふりして強行採決に協力し、与党に恩を売るというのが最初からのシナリオだったんだろう。そういう意味では通常営業ですよ」(全国紙政治部記者)。実際、これまでも、維新は、安倍政権の数々の無理筋法案に附帯決議や修正協議などエクスキューズをつけながら賛成してきた。特定秘密保護法、安保法制、共謀罪、TPP、働き方改革、入管法改正……安倍政権が出してきた数々のデタラメ法案をまともに議論せず、法案の欠陥や、立法の根拠となるデータに間違いや改ざんが判明しても、そのこと一切無視して、強行成立に全面協力してきた。そして、その見返りとして、安倍政権からカジノ法案制定、大阪万博誘致など、“金のなる木”利権拡大を後押ししてもらってきた。

 「くろねこの短語」2020年5月19日ー(前略)でも、これで終わったわけではないんだね。「先送り」はあくまでも「先送り」で、コロナ対策が一段落するような気配が見えた時点で、一気に強行採決ということは十分に考えられる。油断は禁物なのだ。なんてったって、ペテン総理は「忘れやすい国民」と舐めきってますからね。さらに言えば、官邸の代理人・黒川君の定年延長は続いているわけで、このままだと場合によっては8月には検事総長就任の目が残っている。法案が先送りになったからには、黒川君の定年延長の違法性を徹底的に追及する必要があるんだね。メディアの報道では、この視点がけっこう抜けている場合が多いから注意が必要だ。とにもかくにも、「先送り」で抗議の声を弱めることなく、さらにボリュームアップして廃案になるまで、そしてペテン総理が進退窮まるまで戦い抜くのだ・・・てなことを囁きながら我が家のドラ猫に空気を入れるしのつく雨の火曜の朝である。



〇橋下徹5-18 「特定秘密保護法、共謀罪、平和安全法制などこれまでも賛否が激しかったものがあったが、それらには『国家のため』という政治意思を感じた」とつづった上で「今回の検察庁法改正は賛否が激しい割にはそれを感じることができなかった」。

 「くろねこの短語」2020年5月17日ー(前略)これは、官邸の代理人・黒川君の定年延長について、「法務省の官房長が官邸に持ってきて頼んだということも、これは本当ですか?」というネトウヨの女帝の質問に答えたもので、つまり法務省のせいだって言ってるんだね。これは大問題で。森友学園疑獄の公文書改竄と同じ言い訳で、へたすると責任おっかぶせられた官僚の中から悲劇的な結末を選択せざるを得ないひとが出てくる可能性だってあるんじゃないのか。
 さらに、官邸の代理人・黒川君との関係については、こんなことのたまってます。「私自身、黒川さんと2人でお目にかかったこともない。個人的な話もしたことも全くない」この発言も見事に瞬殺されちゃいました、なんと、2018年12月11日の「首相動静」には、2人で会っている記録が残ってたってね。「息を吐くように嘘をつく」のはペテン総理の生まれながらの性格とはいえ、ほとんど口先だけのポンコツ詐欺師といった体ではあります。
 〇軍畑先輩 まだよく生きてる途中だけど、今夜安倍が櫻井よしこの言論テレビに出演して「黒川の定年延長は法務省が言い出した事。我々はそれを承認しただけ」と言い放って、まずいと思ったのか櫻井よしこがYouTubeのアーカイブ非公開にしたから、当該部分上げとくわ


2020年5月『月刊琉球』№76 琉球館〒903-0801 那覇市首里末吉町1-154-102 ☎098-943-6945/FAX098-943-6947  
下地ヒロユキ「表紙絵」/真喜志好一「普天間飛行場の危険性除去のために即時運用停止と返還を」/大城冝武「風刺画からみる アメリカ統治下の琉球の世相」/しもじけいこ「宮古IN 宮古バブルからコロナ禍へ」

平良勝保「戦前-戦後歌謡懐旧雑録⑥サンフランシスコのチャイナタウンと苦力と豬花」/河合民子「蒼き狼、琉球へ行く④」/与那嶺功「沖縄振興ー『明治維新150年』を問う 大東亜・植民政策・ナショナリズム⑯」/土岐直彦「権力私物化・コロナ対策迷走の『アベ政治』ー首相の存在自体、日本の『緊急事態』」


 斎藤 陽子(Walnut, California)5-15日本時間  【思い出のアルバム】我が青春時代どっぷりとハマったエレヴィス・プレスリー(Elvis Presly 1935年~1977年)を貴方はご存知ですか。プレスリーは史上100人のシンガーの中で第一人者といわれ、キングオブ・ロックンロールと言われていますが、今では彼を知らない若者も居るようで、時代の流れに驚いています。彼は42歳で亡くなったのですが、プレスリーが13歳から育ったメンフィス・テネシー州の自宅裏には両親のお墓に囲まれたプレスリーのお墓に2008年に行きました。
 
 ジョージア州アトランタからロスアンゼルスに向かう6000キロのドライブ途中に、テネシー州メンフィスに立ち寄った時の写真です。
 プレスリーは世界的にも超人気歌手の位置を確立しながら、アメリカ陸軍の志願徴兵制度で志願し、陸軍一等兵になりドイツに駐留したころ私は高校生でした。当時は休み時間になるとクラスの男性は教室のホウキをギターがわりに持って、今で言うエヤーギターでプレスリーのモノマネをするほど、当時の沖縄の若者やティーンは米軍に囲まれていた影響から、アメリカ音楽文化の影響が強く、みなプレスリーにイカレテいたものです。
 なんと皆がメロメロになっているプレスリーが、軍人として勤務していた赴任地のドイツから、沖縄嘉手納基地内の格納庫でコンサートをするとのクチコミ・ニュースは高校生を沸き上がらせ、クラス全体が授業をサボって行くという珍現象が起き、クラスのほとんどが欠席する事態となり、翌日私もお灸をすえられたのも、今では懐かしい思い出です。〇あの頃はいろいろな催しがあり、米空軍が持っている各国で演奏旅行している「シンフォニー・オブ・ザ・エヤ―」などの大交響楽団など、その都度一般人も入れました。
 長距離トラックの運転手からスーパースターにのぼり詰めた、アメリカン・ドリームの象徴のような人生を送ったプレスリーですが、一人娘のリサ・マリー・プレスリーはマイケル・ジャクソンと2年間結婚していたことでも有名です。このプレスリーの家は、プレスリー・ファンにとっては「聖地」といった所で、熟年夫婦の見学者でいっぱいです。プレスリーの家は1991年に国定歴史建造物となっています。プレスリーはよほど田舎のメンフィスが好きだったとみえて、有名になってもハリウッドには豪邸を作らずに、頑固に自家用機を使い田舎のメンフィス・テネシー通いをしていた様です。今ではメンフィスもプレスリーで有名な観光地となり、ここへ観光で来る世代も60,70代と高齢者が目立ちます。日本の小泉総理もプレスリー・ファンだった様で、このプレスリーの館を訪れています。ロックはもとよりスローバラード、カントリー・ソング、ゴスペルと全ての分野をそれぞれの雰囲気で歌い分け、今も彼の歌唱力を超える人はいないと信じている私は、相変わらずプレスリーにイカレて、車ではいつも彼の曲を流してます。



 京都のS学長 5-14 安倍首相が犬を抱いてお茶を飲む動画も、自国民が何百人と感染すれば眠れないほどの悩みになるはずで、国民への気持ちはその程度だと宣言したようなものに思われてしまった。本当に国民を思うなら、自分のクビが飛んでもいいくらいの覚悟で大胆な政策を発表してほしいと、国民は期待しているはずです。

 「くろねこの短語」2020年5月14日ー(前略)そしてまた、この行革担当大臣とやらがふざけた野郎で、「本来なら法務省からお答えすべきこと」「法務省の職員でないので具体的に言えない」とのたまい、しどろもどろの答弁したあげくに「法務省に聞いてもらった方が詳しい」だとさ。検察官定年延長の是非以前に、こんな国民を舐めきった答弁に終始する委員会のあり様そのものが問題だろう。法案審議以前に、ペテン政権は議論そのものを拒否しているわけで、再び青臭いこと言えば、議会制民主主義の崩壊を目の当たりにしていると言っても過言ではない。
 さすがにこんな委員会に疑問を投げかける声が自民党からも上がった。異議を唱えたのは元新潟知事の泉田君なんだが、あっと言う間に委員を外されちまいましたとさ。いやあ、あまりにもわかりやすい自民党の対応には笑うしかありません。初老の小学生・ペテン総理は、この法案が成立しても「恣意的な人事の懸念はない」って強弁してたけど、昨日の内閣区委員会で政府が特例で定年延長を認める際の運用基準を問われて、おふざけ行革担当大臣の武田君は「今はない」って明言しちゃいました。てことは、「恣意的人事」も可能ってことだろう。語るに落ちるとはこういうことを言います。

 2020年5月14日4時30分 息子夫婦。大阪・聖バルナバ病院で予定日より2週間早く、孝汰郎(3000グラム)誕生。〇『沖縄県人録』(1937年)に「山田有登君は那覇市の出身。明治17年1月22日を以て生まれる。沖縄県立中学校を経て金沢医学専門学校に学び、明治42年同校を卒業するや、直ちに石川県立病院に勤務して研鑽を積み同44年6月に愛知県渥美郡田原病院に転じて更に其の蘊奥を極め、大正2年聘せられて大阪市聖バルナバ病院に勤務。同9年転じて久原鉱業経営の鉱山病院に勤務。同11年退職帰県して久米大道りに開業。昭和11年、那覇市に逓信診療所開設されると其の初代所長となり今日に至る。なお君は学生時代野球選手たりしだけに野球に趣味あり」とある。子息にバトラー歯科医院の山田有勝、写真家の山田實が居る→2011年9月23日、以前から気になっていた天王寺の聖バルナバ病院をのぞく。受付で病院の案内パンフレットをもらう。

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 「密約復帰の思い出」1972年5月13日ー大阪『日本経済新聞』「民芸品・図書を守ろうー都島の『沖縄資料室』」/1972年 沖縄関係資料室「暑中お見舞いハガキ」/1973年5月14日ー大阪『朝日新聞』「守れ!沖縄の心と自然ー埋もれた文化掘起す」

 ディリー 5-13 立教大学特任教授で慶応大学名誉教授の金子勝教授は「【アベ恐慌が来る】」とし、「アベと維新の唯一の成長戦略であるカジノも終わりだ」と投稿。「米ラスベガス・サンズは、日本で統合型リゾート(IR)にカジノを設立する計画を断念。すでにシーザーズ・エンターテインメントやウィン・リゾーツも計画を撤回。かくて成長戦略は何もなくなった」と指摘した。

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Posted by: ryubun02

2003年9月29日『沖縄タイムス』新城栄徳「うちなー書の森 人の網ー沖縄の年表とその周辺」


1953年10月 有高巌『図説世界史年表』山海堂この本は前島小学校図書館で出会った。後に京都銀閣寺近くの千原書店で見て懐かしさもあって入手した。カラー図版は「タイ軍カンボジアの軍艦を攻撃」の1枚だけである。


1957年5月ー佐久本嗣康『沖縄郷土史年表』
この年表は小学4年のときに出会ったもので大分難しかったが島袋全発先生校閲というのが印象にある。当時は郷土史資料を持っているだけで満足しときおりザッと見るだけで内容は詳しくは知らなかった。その内容は古代史、吾が祖先の歩み、沖縄の孤立、南洋貿易を始める、両属政治、現実に即した明るい歴史を作れ、鳥井龍蔵氏の人類学的研究、年表、俚諺集、沖縄戦概略史となっている。この年表の最初のものは1949年12月に沖縄出版社(崎原久)から謄写版で出ている。1974年4月、石野三樹(朝季)と『沖縄歴史年表ー戦前、戦後ー復帰』を出した。この年表には山田真山が「推賞のことば」を寄せ、佐久本氏が40年前の真人園の同志であったことを記した。

1960年9月ー新城徳祐『干支入・琉球歴史年表』
この本は中学生のとき安里の琉映本館近くの土産品屋で入手した。表紙が黒色で金文字。内容は歴代王統、置県以来歴代長官、歴代摂政、冊封使渡来年表、年代表となっている。このときの本はボロボロになり紛失、今のものは2代目である。

 
1983年4月 宮城栄昌・高宮廣衞 編『沖縄歴史地図 歴史編』柏書房/1998年1月 小成隆俊『日本 欧米 比較情報文化年表(1400年~1970年)』雄山閣出版株式会社

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Posted by: ryubun02

2020年4月『沖縄民権』第2号 沖縄民権の会〒210-0847 川崎市川崎区浅田3-9-6座覇光子方

島袋和幸「沖縄・伊江島 米軍・LCT爆発事件」
2019年2月『沖縄民権』再刊第1号 沖縄民権の会〒210-0847 川崎市川崎区浅田3-9-6座覇


2019年2月 『沖縄民権』再刊第1号 沖縄民権の会(〒210-0847 川崎市川崎区浅田3-9-6 座覇光子方 ☎044-355-0073)
〇島袋和幸「『沖縄民権の会』についての思い出」


〇小波津清昇「誇りに思う」/「沖縄民権の会会報『沖縄民権』総目次(抄録)」
2001年4月『民権の火よ永遠にー小波津英興追悼集ー』沖縄民権の会(座覇光子)


1983年6月 古波津清昇『沖縄産業史ー自立経済の道を求めて』文教図書
1990年9月 古波津清昇『起業の心得帖-チャンスを生かせ』ブックボックス壷川店
兵庫沖縄県人会事務所で拓伸商事社長の宮城幹夫氏に出会ったことがある。氏は1940年の沖縄県大阪物産斡旋所所長だった宮城桃幸の子息。


1968年2月城間武松『鐵と琉球』金秀鉄工株式会社/1982年5月『鉄と共に三十五年』金秀鉄工株式会社
又吉真三さんと懇意であった崎間麗進さんは元金秀建設専務、山里銀三氏も金秀建設社長を勤めて居られた。

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