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2004年6月19日『沖縄タイムス』新城栄徳「うちなー書の森 人の網25」
2003年9月27日『沖縄タイムス』新城栄徳「『自治おきなわ』の年表」
『自治おきなわ』の年表
 1985年創刊の『あじさい』(発行人・照屋栄一、編集責任・森根良一)の流れを汲み、発行部数13部の『山学校』(91年創刊、発行人・比屋根照夫)という同人雑誌があった。大城イチノ、照屋京子、伊佐眞一、渡口善明、志堅原郁子、盛根良一、宮城剛助、沢岻悦子、又吉盛清の諸氏が執筆した。私も参加し「絵図資料と首里城」を書いた。同人の盛根良一氏から自身が関わる沖縄市町村会『自治おきなわ』に自由に何か書けと言われた。
雑誌『青い海』の中に載っている事項や人名に解説、注釈を加えてみたいと常に思っていたので年表を中心に『自治おきなわ』(1996年)に「関西におけるウチナーンチュの歩み」を書いた。まず雪舟が北京で描写した「琉球人像」を弟子が模写したというのを載せたが、同じもので鮮明なのが豊見山和行著『北の泉、南の琉球』(日本の中世5)に載っている。
 年表の1899年の項に記入した岡倉覚三(天心)来沖は、大里喜誠氏(沖縄県立武道館建設推進委員会会長)が確認してくれた。大里氏の首里のご自宅で伺ったものである。氏はビッシリと記された手帳を見ながら上地一史元沖縄タイムス社長は親戚、上間正諭タイムス社長(当時)は県立二中の同期であること、弟・喜三氏が47歳で亡くなったこと、学生時代から日記は欠かさずつけている、東京で興南社を興し東恩納寛惇『童景集』を刊行したことなどを語った。

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左ー新城栄徳宛の大里喜誠氏ハガキ/1991年6月3日『琉球新報』大里喜誠「岡倉天心と沖縄」

 年表も今みると粗い。1915年、大阪で琉球民謡をレコードにする、という記述もなく、ハワイでホノルル旅館を経営していた宮里貞寛が27年に帰朝し、神戸でゑびす屋旅館を開業、そこへ甥の宮里定三が来ていたこともふれられていない。定三は沖縄で初めてホテルを造ることになる。同じくハワイでホノルル音楽団員を務めた新川嘉徳が帰沖し39年、大阪マルフクレコードで自作の「梅の香り」を吹き込む、も無い。年表の増補改訂は今後の課題だ。
私は1998年、『沖縄県図書館協会誌』に「『近代沖縄の雑誌』総目次と解説」を連載した。2000年、大阪人権博物館の仲間恵子さんが中心となって関西沖縄文庫を活用し、ウチナーンチュにとって記念すべき図録『ヤマトゥのなかの沖縄』がまとめられた。なによりも関西ではウチナーンチュの歩みを日々刻印する沖縄県人会兵庫本部(尼崎市西長洲町2-26-12)の機関紙『榕樹』が、沖縄人連盟や『青い海』の流れも汲み今も脈々と流れている。

 

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琉球古典舞踊「かしかき」舞:仲嶺夕理彩、歌三線:下地彩香、箏:町田倫士

主催者あいさつ:花城良廣沖縄美ら島財団理事長

組踊上演300周年記念事業実行委員会会長あいさつ:玉城 デニー沖縄県知事/テープカット:右から花城良廣沖縄美ら島財団理事長、傍田賢治NHK沖縄放送局局長、玉城デニー組踊上演300周年記念事業実行委員会会長、眞境名正憲伝統組踊保存会会長、田名真之沖縄県立博物館・美術館館長


写真左から花城良廣氏(沖縄美ら島財団理事長)、翁長良明氏(沖縄コレクター友の会副会長)/仲嶺貞夫氏(琉球箏曲盛竹会会長)、花城良廣氏(沖縄美ら島財団理事長)、翁長良明氏(沖縄コレクター友の会副会長)

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コメントはメールにお願いします→shinjo8109@gmail.com
  
2019年5月24日 沖縄県立博物館・美術館

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2019年7月13日~10月13日 沖縄県立博物館・美術館「沖縄美術の流れ」


〇當原昌松/略歴→沖縄県立博物館・美術館
1903年 11月2日、具志川村字山里生まれ
1923年 沖縄県師範学校卒業
1926年 東京美術学校図画師範科卒業
1926年 鹿児島県立指宿中学校教授嘱託
1927年 大分県立杵築高等女学校教授嘱託
1928年 沖縄県師範学校教諭兼訓導
1931年 横須賀市立実科高等女学校教授嘱託
1931年 東京美術学校研究科修業
1931年 横須賀市立実科高等女学校教諭
1932年 「第1回沖縄美術協会展」(神田三省堂画廊)出品
1934年 「二人展」(さいか屋/横須賀市)
1936年 「国画会(国展)」『このしろ舟』入選。12月29日、逝去(享年33歳)

沖縄県立博物館・美術館収蔵品「當原昌松作品8点」


1931年6月『沖縄県師範学校創立五十周年記念誌』當原昌松「亡師(西銘生楽先生)と亡友(竹島景明兄)と」

當原昌松と海音寺潮五郎

1937年6月28日『沖縄日報』海音寺潮五郎「當原昌松君の圭角」/當原晟麿「父 當原昌松と久米島と私」〇父の友人は皆良い人ばかりで、皆故人ですが、鹿児島の島袋盛範さん、歴史小説で有名な海音寺潮五郎さん、熊本高校校長をされた仲村昌信さん、画家の天井陸三さん、千葉の山昌里英さん等がおります。みな父を知らない私達兄弟を暖かく接して下さり、海音寺さんからは私が給料取りになってからもお小遣いを頂きました。




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2018年5月5日『沖縄の軌跡』第188号《静子さん・志多伯克進を語る》 編集発行人・島袋和幸(葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)

志多伯克進「酒禮門」新宿・歌舞伎町
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上ー志多伯克進(1908年2月~1979年3月14日)写真ウラに「1936年6月、ある同志のカメラに向いてー志賀進」と記されている。


1956年 四原則貫徹・県民代表として本土渡航の瀬長亀次郎沖縄人民党書記長を羽田空港で出迎える松本三益(瀬長の右)、志多伯克進(瀬長の左)/1967年11月 新宿・酒礼門で「瀬長亀次郎歓迎会」中央に瀬長亀次郎、その左が松本三益、右隣りに比嘉春潮

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1959年10月ー東京沖縄県人会会場の廊下で、貘、伊波南哲、霜多正次、当間嗣光、平良真英、新崎盛敏(東京沖縄県人会3代会長)、金城唯温、「志多伯」「おもろ」「紅型」など泡盛屋のオヤジ、紅一点の山口一子


□1960年10月『オキナワグラフ』ー新宿の人気男「志多伯のおやじ」新宿コマ劇場の横丁にある”コマ小路”というバー街に、この春から異様な門構えのアワモリ酒亭ができてなかなか繁昌している。
屋号は「酒礼門」。勿論”守礼之門”をモジッてつけたもので、故伊江朝助男爵が名付の親だということだが、ゲン語学者の石川正通先生にいわすと、その語イはー酒の友こそ真の友 礼を守りて盃酌めば 門は大道無門にてーだそうだ。
 店構えが異様なら、ここの主人もまた変わり種。志多伯克進という名前からしてコクのよい銘酒を思わせるが、無類の好々爺で、ジュクの酒徒からは”シタハクのオヤジ”と愛称されている。
目マユがこく長く、デップリ太って、みるからにアワモリ天国のエビス様とう感じ、いつあっても、赤ら顔に満面笑みをたたえてさも愉快そうに話し出す。どんな酒癖の悪いインマヤーでもすぐなついてくる。
しかし、このオヤジが庶民の街で名物オヤジとしたわれているのは、ただこの人がお人好しだということばかりではなさそうだ。この人には往年の社会運動の体験から得た”庶民哲学”とジュクのヨタ公共をまかす位の”度胸”が備わっている。愛すべき志士だ。このスジ金の入ったところがまた魅力となって学生や労働者たちに好かれるのだろう。
 この人の哲学というのは、先ず人間は平等だということ、第2に貧乏人を蔑まず金持を恐れないこと、第3に真心を以って事に当たること、だそうだが、これはやはり戦前の社会運動時代に豚バコにブチ込まれたり、法廷に立たされた苦闘の中から生まれたものに違いない。非常に正義感が強い人で、終戦直後、新宿のテキヤ安田組を向こうに廻して空手で打ち負かしたという武勇伝は有名だが、いまでもヨタ公同志の決闘に”流血を避けるため”顔をかすこともあるという。
 都内の泡盛屋は大小入れて40軒を数えるといわれるが、この総元締格が志多伯のオヤジさんである。泡盛屋の歴史は古く、昭和12年に若い奥さんと大塚駅前で「デーゴ」を開いたのが始り、それからまもなく本所深川の「泡泉」に移った。新宿駅西口に乗り込んだのは終戦直後。ヤミ屋の横行する焼跡で「志多伯」の赤チョウチンを下げ、カッポウ衣に前カケをしめてジュウジュウ鳥焼きとアワモリのサービスに励むかたわら、西口の開拓にも力を注いで今日の繁華街を築きあげた。独得な風貌と誰にも好かれる人柄と親身の世話焼きで忽ち西口の人気オヤジとなり、つい最近まで飲食組合の会長にまつりあげられていた。
 『オヤジもトウトウ成り上がったかー』東口に酒礼門を開いたとき西口店のナジミがこう歎いた。お座敷酒亭より西口の番台でバタバタニコニコしていた方がオヤジらしい、ということだろうが、しかしオヤジの庶民性はどこへ行っても消えうせない。むしろ新しい酒礼門こそ庶民の酒亭だ。そこには南の芸術がある。文化がある、ラフティを食べ、アワモリを酌みながら踊りをみる。<しかもフトコロの心配もない、なければオヤジに話せばわかるのだー。あなたふと讃酒之仁義ありという 酒礼門にて酔い泣かんかも(石川正通)




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 東京の島袋和幸氏から近著『沖縄の軌跡ー沖縄烽火のネッワーク』が贈られてきた。島袋氏が最初に書いた『青い海』(1983年6月)の「沖縄烽火考」も収録されている。私は『青い海』大阪本社で島袋氏を知り東京に会いにいった。1975年9月29日、東京で沖縄史を記録する会が発足した。81年5月、機関誌『沖縄民衆史を歩くー記録と発掘』が創刊された。82年1月発行『沖縄民衆史を歩く』第2号に島袋氏は「沖縄烽火考」を書き、書評『むらの輝ける日々』も書いている。82年9月発行の第3号に氏は「戦後沖縄史研究の手引書」を書いている。
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1983年11月、島袋和幸宅を事務局に沖縄民衆史の会機関誌『沖縄民衆史』第1号が発行された。島袋氏は「上里春生のこと」を書いている。島袋氏は85年1月から個人紙『沖縄の軌跡』を発行するようになる。『沖縄民衆史』第2号は85年3月発行で島袋氏は「南洋の足跡ー沖縄県人の生きた島」を書いている。同号に『琉文手帖』の広告がある。第3号の発行は86年3月、私が提供した人類館事件の写真が表紙に用いられ、島袋氏は「人類館事件と中国」を書いている。同号にも『琉文手帖』の広告が載っている。86年12月発行の『沖縄民衆史』第4号に島袋氏は「苦難の上京美酒『泡盛』」を書いている。

1986年、このころ島袋氏は故郷・伊江島と沖縄島との架橋運動も展開している。氏の故郷関連の著作でまとまったものに1985年発行の『浮亀山物語』がある。2009年11月には『伊江島人(チュ)ミーチリサンダーの一生』を発刊。1996年1月、氏は永年の宮里良保、安元実発、佐々木笑受郎の調査(聞き書き)をまとめ『沖縄・ある編集者の記録』を出している。これは沖縄の新聞書評で新川明、伊佐真一が取り上げた。2000年4月に弁護士・前島清三郎のことをまとめ『琉球の事件』を出版。これは鹿児島の山下欣一氏にも送った。01年には詩人・上里春生、国頭三奇人らをまとめ『沖縄・山原の二才達』を出版。

2007年1月、島袋氏は『沖縄タイムス』の唐獅子を担当、聞き書きボランティアについてj書いた。葛飾区の聞き書きボランティアの会の一員として3月には『ボランティアのための聞き書きの手引き』を出した。今回は新たに「沖縄・烽火ネットワーク連絡会」(〒124-0011東京都葛飾区四つ木4-18-10 電話03-3695-9276 携帯090-4920-6952)を立ち上げている。
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島袋さんは昨年6月に「沖縄の軌跡」を集大成した『沖縄の軌跡』を発行している。その中には人類館事件の写真も載っているが、人物も多く紹介され、「来沖した太平洋画会/吉田博・中川八郎・石川寅治」「大久保孝三郎」「加藤松男」「大城朝詮」「飛行家・奈良原三次」「小田栄・俊与兄弟」「豊川善曄」「中尾捨吉」「津曲兼綜・鴻巣盛雄」「木下寿徳」「大宜味朝徳」「漢詩人・渡辺重綱」「佐々木笑受郎」「上里参治」「内間静雄」「新城朝功」「江里口武次」「渡辺重綱」「佐々木笑受郎と一族」「伊江島三兄弟」「金城時男」「前島清三郎」「安元実発」「塙忠雄」「仲原善徳」「松下之基」「石野瑛」「浦添為宗」「宮里良保」「山田真山」「横山健堂」「上里春生」などが取りあげられた。本書刊行後も「沖縄の軌跡」は発行されているので、さらに2冊目も期待できる。→2010-4記

島袋和幸 ☎03-3695-9276 携帯090-4920-6952


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1992年12月 『新沖縄文学』94号 新城栄徳「来訪者略年表 1953-12-17 田辺泰・今和次郎来沖」

田辺 泰(たなべ やすし、1899年1月14日 - 1982年4月1日)は、日本の建築史・美術史学者。早稲田大学の建築史担当教授を伊東忠太、佐藤功ーより引き継ぐ。 昭和初期に関東地域の社寺建築の調査を行ない、関東系の建築史を大成する。 後年は古建築の復元・創作、文化財保護に活躍した。 岡山県倉敷市生まれ。広島県出身。 1924年早稲田大学理工学部建築学科卒、同助手、1925年助教授、1939年「関東地方に於ける古建築の研究」で工学博士。1941年教授。1969年定年、名誉教授[2]。 1930 (昭和5) 年、中国および沖縄の建築調査(1931まで、1934-35)。 1964(昭和39)年、日本建築大工技能士会会長。 1965(昭和40)年、文化庁文化財保護審議会専門委員。→ウィキ

1934年8月 田邉泰、 巌谷不二雄の助力を得て一カ月沖縄に滞在し琉球建築研究に従事。→翌年にも来沖
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『琉球建築』巌谷不二雄共著 座右宝刊行会 1937/琉球建築(1972年改訂版)


田邉泰の本


今 和次郎(こん わじろう、1888年(明治21年)7月10日 - 1973年(昭和48年)10月27日)は、民俗学研究者。 民家、服装研究などで業績があり、「考現学」を提唱し、建築学、住居生活や意匠研究などでも活躍した。 東京美術学校出身の画家でもあった。弟の今純三は銅版画家。早稲田大学理工学部建築学科で長く教壇に立ち、日本建築士会会長他、団体の要職も多く務める。 文化女子大学短期大学部・現文化学園大学短期大学部との関わりもあり家政学を教えていたこともあるが、旧来の家政学や社会政策学への批判認識から生活学を提唱した。後に日本生活学会を発足させ会長に就任。 晩年はどこへ行くにも背広でなくジャンパーを着ていた。→ウィキ



『モデルノロヂオ 考現学』 今和次郎/吉田謙吉 編著 春陽堂 1930年


1935年11月『沖縄教育』231号 山里和弘「市内盛り場 考現学的瞥見」 

1938年『琉球新報』「令女考現学」

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1、大正15年4月  世界社を創設し社主兼主幹として『世界』を経営した。『世界』は日本の「ネーション」誌を以て任じたが時代に先行しすぎて永続しなかった。→永丘智太郎 略歴 〇岩波書店の雑誌『世界』は1946年1月創刊、誌名は谷川徹三の発案。


□『世界』創刊号は新垣讓氏が熊本県立図書館に所蔵されていることを突き止めて書誌的なコピーを新城栄徳に贈られた。
大正15年11月1日 『世界』創刊号 編集発行・饒平名智太郎 発行・世界社/発刊の言葉ー『世界』が世の光を見るまでには1年かかりました。人は胎内にあること10ヶ月にして産声をあげますけれど、『世界』は、編者の頭の中で丸1年育くまれました。実に難産でありました。難産であっただけに、生れた『世界』は、雄々しく颯爽たる姿をしています。/評論雑誌界が、一般に行詰ったといふことをよく聞きます。それは今までの雑誌が、読者本位でなく、経営者たる資本家本位であるがため、無暗と厖大に編輯されるからであります。この評論雑誌界の行詰りを転向するのが、『世界』の使命であります。/『世界』は読者のインタレストにたいしては、どんな犠牲も拂ふことを辞しない、読者のための読者の雑誌であらしめたいと思っています。この點で『世界』は、十分に存在の理由をもちます。/『世界』は評論雑誌界の新しい方向を指す革命児で、読者以外に何等の背景がないといふことも断言出来ます。
目次
岡本一平「政治漫画」/安倍磯雄「公平なるべき選挙」/堀江帰一「社会問題の研究、運動と学生」/青野李吉「文芸・社会雑感」/長田新「現代の教育哲学に就て」/三輪寿壮「労農党成立後の活動」/三宅雪嶺「後藤子の最近政治運動」/馬場恒吾「普選市議選の教訓」/山川均「無産階級運動の左右両翼の対立」/長谷川如是閑「二三の断想」
創作ー佐藤春夫「白服の悲しみ」/藤森成吉「ゴッホの花」/尾崎士郎「ピストル」/片岡鉄兵「身を固める」/小川未明「生物動揺」/芥川龍之介「鴉片」
海外論断
澤田謙「『自動車王』フオード」/下田将美「堅実なる財界整理に禍する日銀の利下」/遊佐敏彦「婦人職業生活の諸相」/石川武美「経営一家言」/饒平名智太郎「英国炭鉱争議の大立物クック」/國富信一「秋の空」/三角頭巾「内務省の人事系統」/三宅大輔「六大学野球リーグ戦予想」/森光子「ある遊女の実話」 
六大学通信


永丘智太郎 略歴
本籍         東京都北多摩郡武蔵野市吉祥寺2733
住所         千葉県印旛郡遠山村三里塚沖縄農場
東京のアドレス   都下田無町2729 誠和寮内永丘私室
出生地        沖縄県那覇市若狭町
出生年月日     明治24年2月3日
旧姓         饒平名を廃し祖父永丘家を復興
 
写真ー饒平名智太郎/1938年2月19日『琉球新報』「改姓広告」

学業
1、明治41年3月   沖縄県立中学校を卒業した。
○1908年・第20回卒業ー新垣朝光(県属)、上原章、上間長八(今帰仁今泊)、奥島憲慶(読谷山小学校長)、大嶺眞和、大湾政順(那覇市役所)、大見謝恒英(百四十七銀行那覇支店)、大湾喜福、嘉手川重輪(大阪税務監督局)、垣花恵祥(県庁)、我部政仁(東京小学教員)、嘉手川重位(那覇松山小学訓導)、川津博(早稲田文科卒)、神里常吉、金城嘉輔、嘉手納順範(在東京)、金城蒲戸(安里小学校訓導)、我謝秀輝、金城至蒲、許田重発(那覇尋常高等小訓導)、岸本幸厚(沖縄タイムス理事)、宜名眞邑挙(真和志小学校訓導)、久高将吉(工学士 京都市上市区田中町字大溝6)、城間垣貴(東京小学教員)、國吉良實(明大卒 泉崎)、小波津保光 、小橋川照顕(那覇市議)、小湾喜長(私立農業大学卒 中頭郡 技手)、佐久川恵柔(台南製糖会社嘉手納工場)、佐多忠三(台南製糖宜野湾工場)、島袋賀麻、謝花寛廉(在東京)、鹽谷亥之助、垂野光久、玉城友善(早稲田卒 本校在勤)、大工廻盛敏(沖縄県物産検査所産業主事補)、高志武盛蔚(津波小学校訓導)、照屋寛純(首里男子校訓導)、渡久地政佑(台南製糖会社高嶺工場)、東郷實(鹿児島県)、長友一郎(東京高商卒 郵船会社孟買支店)、名城嗣敏(在東京)、仲尾次政潤、名城嗣頼(南米ペルー)、今帰仁朝興(中頭郡書記)、仲吉良光(早稲田文科卒 在米)、今帰仁朝規(早稲田文科卒 糖商組合)、長嶺精一(佐敷小学校)、饒平名智太郎(在東京 改造社)、西平守由(広島高等師範卒 本校教諭)、新名栄蔵(那覇区旭町)、樋口敏彦(東京高工教員養成所卒 東京市役所建築課都市計画部)、比嘉賀秀(牧師)、弘中一郎、外間善助(国頭郡屁辺野喜小学校長)、外間誠昌(師二卒)、真境名安行(熊本医専卒 中頭郡勝連村医)、眞玉橋朝信(南風原小学校訓導)、又吉康和(名護)、松村嘉實(師二卒)、宮城普本(熊本医専卒 在大阪)、森田孟睦(高工卒 東京警視庁)、飛岡太郎(基隆台湾倉庫株式会社)、屋我宗恭(沖縄朝日新聞社)、山口房良(首里女子小学校長)、屋部憲重(泊小學訓導)、山城次郎(在南米)、吉嶺伊津(神戸山中廻送店)→1923年2月 沖縄県立第一中学校同窓会『同窓会報 第一号』


1、それから東京高等商業学校(明治42年4月)と上海の東亜同文書院(大正3年4月)に県費で入学したが、前者は家事の都合、後者は病気のため、何れも中退に終わった。大体学校よりも独学で素養をつけた。

1911年7月 饒平名智太郎、物産陳列所雇(~1912年6月)


1912年10月28日『琉球新報』

職業
1、大正5年9月   北京の共同通信に英文記者として入社3年間勤務した。

1、大正8年9月   改造社に記者として採用され、6年間の在勤中印度及びロシア問題を研究した。此間に北支、満州、シベリア(浦塩)に遊んだ。孫文、ヨツフエ、カラハン、片山潜等に知遇を得たのも此時代。浦塩に行ったのは、関東震災羅災労働者救援委員会(松岡駒吉、布施辰治其他学者グループを以て構成)の代表としての資格であった。

1922年4月  『改造』饒平名智太郎「真理の把握とガンヂーの運動」
1922年5月  『改造』饒平名智太郎「サチャグラハ運動」
1922年5月  鹿子木員信②・饒平名智太郎『ガンヂと真理の把握』改造社
②鹿子木 員信(かのこぎ かずのぶ、1884年(明治17年)11月3日 - 1949年(昭和24年)12月23日)は、日本の哲学者、海軍軍人。最終階級は海軍機関中尉。大日本言論報国会の事務局長として国粋主義思想運動をリードし、戦後はA級戦犯容疑者として逮捕された。妻は教育者である鹿子木コルネリア、息子にベルリンオリンピックに出場したバスケットボール選手、鹿子木健日子がいる。「プラトン哲学の研究」で文学博士(東京帝大)。→ウィキペデイア

1922年8月  饒平名智太郎『ガンヂ審判の日』改造社
1922年10月 『改造』饒平名智太郎「松岡駒吉君」
1922年11月 『改造』饒平名智太郎「ケマール・パシャ」
1923年4月  『改造』饒平名智太郎「水平社大会特派記ー(略)水平運動は決して彼等のみの解放運動に止まってはいけない。彼等の解放運動であると同時に、全無産階級を解放するの運動でなければならない。幸ひ彼等はその方向を指して突進しつつあるのを私は見た。私は彼等の前途を祝福しながら筆を擱かう。」
1924年3月  『改造』饒平名智太郎「ルイコフの片鱗」



1961年1月11日『沖縄タイムス』永丘智太郎「遺稿・難民のころ」①~1月18日⑦
御料牧場の開放ー昭和20年10月ごろ、久米島出身の与世盛智郎①(本願寺の海外布教師)が中支方面から引き揚げて来ていた。引き揚げ者やら復員軍人やら彼を取り巻く一族郎党は多く皆が困っていたので、いわゆる集団入植を計画して沖縄協会に何べんか私を訪ねて来た。富士山の麓か浜名湖の近くにある御料地は如何だろうかという話であった。彼は農業をやった経験はなし、入植適地か如何か、だれも下検分に行ったわけではなかったから、私も容易に動こうとはしなかった。

私は戦前、与世盛君とは一度会ったことがあり、宮城聡が私の職場に連れて来て紹介されていたので、人間的に信頼をおいていた。そこへ行くと理事長の伊江さんは、初対面の素性のわからない人には警戒的であった。幸いなことに、沖縄協会に来てくれた那覇の人で城間君(恒加翁の長男)といって、慶応大の助手をしていて、毎年夏になると実習に千葉県の三里塚御料牧場に行ったことがあり牧草地帯だから地味肥沃で絶好な入植地だと太鼓判をおしてくれた。この城間君を与世盛君に紹介することによって、初めて与世盛君のアイディアも生かされた。現地へは、同君が率先して久米島の若い人々を連れて調査に乗り込むし、山城君や儀間君など血気盛んな青年たちも視察に行って、極めて入植適地であることがわかったので、私は初めて宮内庁は御料地百町歩の開放ー「郷土を失って帰ろうにも帰れない沖縄の難民を、沖縄協会においてあっせん入植させたいから、特別の詮議で許可を乞う」旨の陳情書をしたためた。伊江男や高嶺君も宮内庁の官僚に知人があって奔走してくれた。宮内庁への運動には、伊江さんは当時まだ顔がきいた。

そこで沖縄協会としては、神奈川逗子の沼間寮、横浜金沢八景の引揚寮、および埼玉県のわらび寮に収容されていた県人から入植希望者を募集し、与世盛君を団長として18人の先遣隊を現地に送り込んだのは、昭和21年3月6日であった。この中から現在に至るまで定着している者は、11人あり、唯一人の婦人として私の家内が初めから加わっていた。この先遣隊が、いわば三里塚開拓の中核隊であり、久米島一統が5家族あった。(それから二次三次の入植補欠募集で久米島は更に数家族増えた)その後、宮内庁はマッカーサー総司令部の強要によって、全国にある大部分の御料地を放擲せねばならなかった。三里塚においては、千四百町歩の内千町歩は大蔵省へ物納(税金)として収めることになり、大蔵省はその土地をそっくり開拓財産として農林省へ回付した。農林省は、千葉県の開拓課に処分を一任した。宮内庁からは、千葉県知事に対して沖縄協会へは、優先的に土地を分譲するよう特別の指示を出してくれ、その旨沖縄協会へも通達があった。


『久米島と私』/上江洲智泰

■2002年の10月、久しく山之口貘記念会を預かっていた若夏社の山川敏江さんの案内で上江洲智一氏に会い、父君・智泰の回想録『久米島と私』を頂いた。中に南満の公主嶺に航空兵として滞在した話、上海で布教していた義父・与世盛智郎(西本願寺僧侶)と千葉県三里塚の御料牧場を永丘智太郎名(沖縄人連盟)で宮内省、千葉県との交渉、「沖縄農場」として入植した話、そこで世話になったのが与世里盛春農業学校校長だったことが記されている。


与世盛智郎1981年ー与世盛智郎『50年計画ー理想の久米島建設』/1979年3月ー与世盛智郎『沖縄仏教読本ー本願寺派』久米島本願寺布教所/真喜志康徳氏宛の与世盛智郎ハガキ
    写真ー与世盛智郎①


1947年11月28日『自由沖縄』


1947年8月15日『自由沖縄』

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2019-6-28~ 9-2 那覇市歴史博物館「那覇のたかもの」

2017年9月1日~10月30日 那覇市歴史博物館「琉球・沖縄のイッピン~沖縄コレクター友の会展~」



仲里コレクション友寄喜恒作「三味線を弾く女性」/右ー冨永朝堂作「乙樽」

2001年11月ー「沖縄コレクター友の会発足」佐敷町ちゃんくすば中央が真栄城勇会長,その左が新城栄徳/南風原レストラン「沖縄コレクター友の会例会」中列右端が新城栄徳、その前が真喜志康徳さん

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2003年7月4日『沖縄タイムス』新城栄徳(沖縄コレクター友の会)「わたしのバクさん」/2006年5月『彷書月刊』248号□新城栄徳(沖縄コレクター友の会)「全国古書店案内65沖縄那覇・宜野湾編」

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 「くろねこの短語」2019年7月18日ー(前略)元SMAP3人の出演に圧力か ジャニーズ事務所に注意 公取委
 で、このニュースを受けて、民放各局はどうするんでしょうねえ。今日のワイドショーはけだし見ものです。どんな言い訳するんだろう。それとも、自分たちのヘタレ具合はスルーか。それはともかく、芸能界ですらこうなんだから、政権による圧力が日常茶飯だろうことは容易に想像がつこうというものだ。ペテン総理への「忖度」なんて、忖度している自覚もないくらい当たり前のこととして報道マニュアルに組み込まれているのだろう。
どうやら、ジャニー喜多川の闇の部分についても週刊誌が動き出しているようで、死んだらどんな悪事も容赦なく晒されるってことなんだね。そんなんだもの、ペテン総理が「あんなひとたちに負けるわけにはいかない」って喚くわけだ。ひとたび権力の座を滑り落ちたらお縄になることは自分がよく知っているだろうから・・・妄想だけど。

 知人が『現代の理論』2019夏号をおくってきた。曰く「ぼくたちも『過去』を語る老人になっちやったなー。」

2019年7月 『現代の理論2019夏号』認定NPO現代の理論・社会フォーラム 〒101-0051千代田区神田神保町3-11望月ビル3F 〇国吉真太郎「沖縄と平成天皇・確か1975年の若夏の頃だった」/川平成雄「石垣島の<今>を問う」/おおしろ建「レキオからの便り・俳句の種をまく人」/仲地博×野里洋「紙上対談・玉城県政とオール沖縄のこれから」

 オキナワの現状を鑑みて「自己決定権確立」というのがある。しかし密約復帰此の方、選挙で「自己決定権」を行使してきたのではなかったのか。県民は何故に史上最悪のアベ内閣を選んだのか。そこに資本主義特有のヌチよりジン(拝金主義)がなかったのか、騙された、では済まない。→某元教授の弁
 
 「くろねこの短語」2019年7月15日ー昨日のTBS『サンデーモーニング』のズッコケぶりはひどかった。投票1週間前の日曜日とくれば、当然のごとく選挙報道に重きを置くものと思ったら、なんのことはない肩透かし。参議院選挙を取り上げたのはいいけれど、テーマが比例代表の「特定枠」についてときたもんだ。そして、この制度を利用しているのは自民党だけという説明があったんだが、おいおい、れいわ新選組だってこの制度を利用して難病ALSを患ったふなごやすひこ氏と重度障碍者の木村 英子氏の2人が立候補している。ああ、それなのに、そこにはまったく触れないんだから、れいわ新選組を意図的に無視したのは間違いない。さらに、韓国に対する輸入制限についても、かなり一方的な韓国批判が繰り広げられて、ネットでもいくらなんでも公平性を欠いていると批判が飛び交っている。さらにさらに、恒例の「風をよむ」のコーナーでは、なんとまあ取り上げたテーマが「テレビとアイドル」だとさ。ジャニー喜多川の訃報を受けてのことなのだろうが、この間抜けぶりはいくらなんでも恥ずかしい。「『サンモニ』、お前もか」と思わずため息つきたきくもなろうというものだ。
でもって、夕方のテレビ朝日『サンデーステーション』も観るに耐えないものだった。激戦区の新潟選挙区にスポット当ててるんだが、この選挙区には「安倍・麻生道路」で忖度発言した塚田ソンタ君、野党共闘の打越さくら君、そして「NHKから国民を守る会」の小島糾史君が出馬している。
 塚田ソンタ君には初老の小学生・ペテン総理、ひょっとこ麻生、スピード今井、口だけの進次郎が応援演説に入っていることを紹介。忖度発言に殊勝な態度を取っているかのような塚田ソンタ君が演出されていくという構成。ひょっとこ麻生の「ひとは誰でも失敗する。それのどこが悪い」なんて意味の演説もけっこう印象的に流しとりました。(略)
 そもそも、新潟は原発立地県。原発再稼動は重要なテーマなんだから、そこをねぐっちゃったら選挙報道にはならないだろう。塚田ソンタ君が原発再稼動の議論を避けているから、そのあたりを「忖度」した結果なんでしょうかねえ。いずれにしても、ペテン、ひょっとこ、タレント議員で満艦飾の自民と、新人候補でてんやほんやの野党共闘という対比は、およそ公平・中立とはほど遠い、十分に悪意を感じる選挙報道なのであった。個人の感想だけど。

 「くろねこの短語」2019年7月14日ー10代、20代の投票率が他の年代層に比べて低いとはよく言われることなんだが、「若者の8割近くが『投票日を知らない』」というアンケート結果にはさすが「おいおい」と突っ込んでしまった。とは言え、それを若者の不勉強というだけで片付けてはいけない。なぜなら、参議院選挙公示後のマスコミの報道を観ていれば、とてもじゃないけど選挙戦真っ最中という緊迫感の欠片もありませんからね。昨日のTBSなんか、「音楽の日」とやらの特番組んで、『報道特集』の放映はカットしちゃいましたから。前から決まっていたことだからと言ってしまえばそれまでのことだが、そんな言い訳を素直には聞けません。
 そもそも、「若者の8割近くが『投票日を知らない』」ってニュースを、いけしゃあしゃあとTVは流せるものだ。公平・公正を装っての選挙報道自粛ってのはミエミエで、そのくせ「韓国への輸出規制」や「ハンセン氏病の控訴断念」なんてニュースをこれでもかとばかりに垂れ流す。これって、立派な与党支援になってるんだよね。さもなくば、「ジャニー、ジャニー、ジャニー」だもの、若者に限らずいい歳したジジ、ババの中にだって選挙日知らないのがいたりしても驚きはしませんよ。さらに、このところ自民党のCMがやたら流れているのも問題なんだよね。公選法違反じゃないかという声も聞こえくるけど、これにTVはどう答えるんだろう。しこたまCM料いただいてるから、ダンマリってわけですか・・・って妄想だけど。


東京新聞 2019.7.13 朝刊「税を追う」

「くろねこの短語」2019年7月13日ーホルムズ海峡をめぐる有志連合に自衛隊が派遣される可能性がゼロとはいえない状況で、今度は「朝鮮半島の有事」の際の戦力提供国に、国連軍司令部が新たに日本を追加したってね。朝鮮半島に駐屯する国連軍司令部ってのはアメリカ主導なんだから、つまりはアメリカのご意向ってわけだ。トランプが「日米安保見直し」に言及し、それについて初老の小学生・ペテン総理がダンマリを決め込んでいるのは、こうした計画が実際にテーブルに乗りつつあるからなのだろう。そりゃあ、このタイミングでへたなこと言ったら、参議院選挙に多大な影響がありますからね。新聞・TVもトランプ発言に深入りしないのはそういう裏があってのことで、選挙結果によっては本格的に米軍傘下に組み込まれた自衛隊の海外派兵ってのが動き出すかも・・・なんてことを考えたら夜眠れなくって昼寝してまうのであった。
 ところで、今回の参議院選ではあまり争点になっていない辺野古新基地建設なんだが、軟弱地盤改良工事に携わる建設コンサルタント3社に防衛省幹部が天下っていたことが発覚。改めて、基地をめぐる利権の構造が浮き彫りにされましたとさ。「受注と天下り」ってのは古くて新しいテーマで、これこそが汚職の源泉なわけで、「再就職が選定に影響を与えたような事実はない」(防衛省設備計画課)と息巻けば息巻くほど、その息は腐臭を放つということだ。

「くろねこの短語」2019年7月12日ーホルムズ海峡の一触即発の危機がさらに高まってきたようで、アメリカが有志連合結成へ向けて本格的に動き出したようだ。トランプの忠犬、初老の小学生・ペテン総理にすれば、選挙戦の真っ最中になんてこったいとさぞかしお腹が痛いことだろう。というわけで、ホルムズ海峡&有志連合結成は、参議院選挙の重要な争点になってくるかもね。
 そんな中、公明党の山口メンバーが「たたきつぶせ 立民 共産」と街頭演説で笑いながら歌ってるってね。さらに、選挙ポスターからは「公明党」の文字が消えたそうで、「創価学会会員」をポスターに堂々と明記しているれいわ新選組の野原善正候補に創価学会票がかなり流れてるなんて見方もあるそうだ。東京選挙区で、もしれいわ新選組が議席を獲得したら・・・なんて夢が広がる今日この頃なのだ。

  〇タレントの武井壮(46)が7日、TBS「サンデー・ジャポン」(日曜前9・54)に生出演。北方領土へのビザなし交流訪問の際、戦争で領土を取り返すことの是非を述べ、衆院が糾弾決議を可決した丸山穂高衆院議員(35)=日本維新の会除名=が、自身のツイッターで著名人に噛みついた投稿をしていることに対し苦言を呈した。丸山氏は、歌手の和田アキ子(69)のほか、元衆院議員でタレントの東国原英夫(61)、俳優の坂上忍(52)などに対し、揶揄(やゆ)するツイートをして話題になっていた。武井は「言うのは自由だとは思う」としつつも、「選挙で選んじゃったのは我々だから。任期は仕方ないのかなと思う気持ちもあるけど、あんな発言して、もう2度と票は入れたくないなという気持ちにはなりますよね」と率直な心境を述べた。

 7月6日、東京・スペースたんぽぽで「宇宙に拡がる南西諸島の軍事強化」大軍拡と基地強化にNO! アクション2019発足集会がひらかれた。(主催:大軍拡と基地強化にNO2019)この日、会場は満杯で75人が参加した。 元京都女子大学教授で専門は宇宙科学の前田佐和子さんの講演で、沖縄・宮古島、石垣島、与那国島、鹿児島・奄美大島等での軍事強化が、なぜ進められようとしているのか、宇宙専門家の観点から伝えられた。
前田さんは「わたしは、自然豊かな素晴らしい地域が、次々と埋めていかれるのに堪え難い思いをしています」と憤った。 そして島々の状況をつたえ、人工衛星をつかったミサイル誘導について説明した。去年11月、日本で4基体制の本格運用がはじまった三菱電機参画の、ニックネーム〝みちびき〟正式名称〝準天頂衛星〟は 「衛星測位」を知るための衛星である。 また、アメリカのGPS(グローバル ポジショニング サテライト=ポジショニングは即位)は地球を取り囲む24基体制で、 ものすごい国費をつかった体制をつくっていた。しかし、アメリカの企業から「自分たちにもつかわせろ」と言われ、クリントン政権時に民間もつかわれるようになった。日本もそういうのを持ちたいとの願望があるようだ。
そして、日本は宇宙の「平和利用原則」を半世紀維持してきたが、2015年1月に安倍政権が 新「宇宙基本計画」を発表した。 安倍政権は、このことを「積極的平和主義にもとづく宇宙安全保障計画である」とキャンペーンしている。 そこの目玉になったのが〝準天頂衛星〟の7基体制の確立ということだった。一般の人たちは、「民生用の利用だ」と思う人も多いかもしれない。 しかしこの体制で、総額3800億円以上の予算をつかうのはありえないとのことだ。 現在、沖縄・恩納村、石垣島、宮古島、久米島、鹿児島に属す種子島、茨城・常陸太田(ひたちおおた)、兵庫・神戸にアンテナがある。 通常、準天頂衛星から出した電波をスマホ、カーナビ、場合によってはミサイル受信機が自分の位置を知る。 しかし、南西諸島につくられた追跡管制局では、衛生からの電波を直接ユーザーに送らず、追跡管制局で一旦受信する。そこから地上ケーブルでデータが、 茨城・常陸太田の主管制局に送られ、データを補正する。それから補正したデータを、沖縄・恩納村のJAXA 宇宙通信所に送られる。 それが、再び準天頂衛星に戻され、ユーザーに送られる。こういったシステムをつくっているのは〝南西諸島〟だけとのことだ。
それから、オバマ政権の〝核なき世界〟の構想の切り札が〝極超音速滑空飛翔体〟だ。「通常兵器型〝即時〟全地球攻撃」で核兵器としていない。 これまで、アメリカが2010年、中国が2017年に、この実験をしてきた。だが日本は、アメリカや中国のように〝極超音速〟 と書かず〝島嶼防衛用高速滑空弾の要素技術の研究〟と言った。去年1年で100億円、今年は138億円。これを2025年までかけて、合計678億円で開発。そして翌2026年に配備する予定でいる。 また、「クラスター爆弾禁止条約には抵触しない」とし、禁止条約の法の目をくぐってつくられている。 日本は、〝高速滑空弾〟と言った兵器を〝はやぶさ2〟もつかい開発している。
前田さんは「オリンピックから様変わりすると思われる計画は、2022年から陸上自衛隊の宇宙専門部隊がつくられる。また、2023年の準天頂衛星7基体制の確立、2026年の島嶼防衛用高速滑空弾の実用化。そして今年、島嶼防衛用高速滑空弾部隊(陸自)の新編」をつたえ、「島嶼防衛戦争というのは、巨大な予算をかけて、新しい宇宙戦争の技術開発をするための口述をあたえていること」また「次の新しい戦争にむかって、技術を開発する体制をつくっているのではないかと思っています」と「南西諸島の軍事強化」の問題の本質を語った。もうすでに、米、中、露では〝電磁パルス攻撃〟で、約半径1100キロメートルの、北海道から鹿児島までを覆う攻撃兵器が用意されている。 現在、参議院選挙の真っただ中。戦争する安倍政権を選ぶのか、そうでない政党を選ぶのかが問われている。(見雪恵美)

「三宅 俊司」7月6日ー辺野古埋め立て「赤土」搬出港である、琉球セメント、安和桟橋の反対行動の確認に行きました。冷静で、運転手の人格にも配慮した説得活動が繰りかえされています。このような状況で、逮捕者を出すということはありえないことです。「不当逮捕」は、沖縄県警が、一民間企業にすぎない、琉球セメントの「違法業務」を擁護するために、県民の税金を使って「援護、助長」する必要があるかのようなふりをするための、「自作自演の逮捕劇」であると言わざるを得ません。安和桟橋には、大量の赤土が野積みされています。そもそも、安和桟橋は、辺野古埋め立て土砂の積み出し港ではありませんし、埋め立て土砂に「赤土」を使うことにはなっていません。安和桟橋の使用目的にも反します。野積み状況は、赤土防止条例にも反します。どうして、沖縄県は、このような状況を放置し続けるのでしょうか。
 岩国訴訟に係わった、行政法学者が、行政指導では実効性はない、国が同様の行為で対抗するとしても、埋め立て承認の再再度の撤回は可能であり、これを実行すべきであるとの主張を、県内両新聞の論壇に投稿しました。もちろん、二重投稿にならないように配慮された投稿です。ところが、新聞2紙ともに、これを「ボツ」にして、掲載しません。県は、現在の撤回の効力を否定することになるから、最高裁判決が確定するまで、再度の撤回はできないとの態度です。しかし、その間、2年、3年と違法な赤土土砂が投入されてしまえば、少なくとも辺野古漁港側は、回復し難い状況になります。
 2紙は、沖縄県に「忖度」しているのでしょう。これまでその先生のインタビュー記事を載せたり等していましたが、「再再度の撤回」の意見は、無視し続けています。本土紙がアベに忖度してしか記事を掲載しないと同じに、沖縄県紙が、県に忖度して、重要な投稿をボツにしてしまうのであれば、許されません。論議の場を提供するのも、マスコミの使命です。

 「くろねこの短語」2019年7月6日ー選挙のたびに同じことが繰り返されてるんだが、今回も選挙戦スタートしたばかりなのに、メディアによる世論調査とは名ばかりの世論操作が始まった。「自公過半数超えの勢い」だとさ。アナウンス効果の中でもいわゆるバンドワゴン効果は絶大でしょうね。さらに、反自民、反安倍だけど選挙に行くかどうか迷っている有権者の背中を、行かない方向に押すことは間違いない。・自公、改選過半数の勢い 参院選、朝日新聞序盤情勢調査
 我が家にも、このところ2度ばかり選挙前のアンケート調査が家電にかかってきた。コンピューター音声でなんとも無機質なものなのだが、これがまた選択肢がやたら多くてイラつくんだね。なかには、途中で面倒になって最初の選択肢を押しまくるひとだっていないとは限らない。で、最初の選択肢はすべて自民党への賛成票に繋がっているってのもミソなんでしょうね。(略)
 ところで、初老の小学生・ペテン総理の遊説日程は秘密なんだってね。どこ行っても野次られるのが恐いからってのがその真相のようだ。しかも、街頭演説の折には、周囲をガッチリと親衛隊にガードさせて、一般大衆労働諸君を遠ざけて、街宣車の上から「あんなひとたち」と罵るだけという寸法だ。
 そして、それをNHKがうまいように編集して垂れ流す。なんとも、いじましく、みっともない総理大臣がいたものだ。ああ、こりゃこりゃ。


 〇安里繫信2018-4-4昨夜は18時半から那覇市内にあるホテルにて、元沖縄県知事の稲嶺恵一先生を塾頭に、前沖縄県副知事で琉球大学名誉教授の高良倉吉先生を副塾頭に迎え、若手経営者や若手政治家が塾生として集い、毎月一度のペースで開催している勉強会『稲穂塾』でした。 

「高野孟」7月1日ー大宅壮一が始まったばかりのテレビ放送について、「紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって『一億白痴化運動』が展開されている」と喝破したのは1957年のことで、それは人々が画面から溢れ出てくる映像をひたすら受動的に眺めるばかりで、人間らしい想像力や思考力をどんどん低下させていくという意味だった。それから半世紀以上が過ぎてスマホの時代が来て、もっと狭い画面の中に魂を吸い取られてしまうような若者が増えていく中で、仮想世界と戯れるばかりでほとんど何も考えようとはしないという恐ろしい傾向はさらに深まった。それが実は「安倍一強」を支えているのだとすると、これを打ち破るのは並大抵のことではない。





 『週刊文春』2013年3月14日号「『安倍の体調は相当悪いぞ』ギャング麻生太郎の野望」

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