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Category: 04-書の森
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 8月30日ー沖映通りのジュンク堂で東洋経済新報社『2019年版・業界地図』を買い、平和通りの古美術なるみ堂によると、京一郎氏からの『沖縄県宅地建物取引業協会ー創立50周年記念誌』を渡された。あまりこの業界の沖縄に関して歴史的に見たことがないので、この記念誌を参考に調べてみる。

 奈良原繁ー明治11(1878)年,内務省御用掛,その後,内務権大書記官,農商務大書記官,静岡県令,工部大書記官,日本鉄道会社初代社長,元老院議官,貴族院勅選議員,宮中顧問官,錦鶏間祗候などを歴任。1825年7月に沖縄県知事に任命され,以後41年4月まで,15年10カ月にわたり沖縄県政を独占した。松方正義,伊藤博文の支持もあった。奈良原は,あらゆる面で急速に沖縄地方の本土化即ち一体化を推進し,教育(皇民化),土地整理,港湾施設の整備の3大事業を重点施政として,沖縄開発を専制的に推し進めた。新聞の果たす役割も認識し,『琉球新報』の発行にも協力,産業振興のための沖縄県農工銀行設立も支援した。奈良原は土地整理事業によって土地私有制の確立を図り,共同体農村社会を解体にもちこみ,共同体総有の山林(杣山,入会地)を士族救済名目で払い下げたり,農民の利益を無視した県政を強引にすすめた。県庁人事も鹿児島閥を中心として,本土出身者で占められた。このような奈良原県政への最初の批判者となったのが国政参加を主張した謝花昇であった。(我部政男)/明治32年 沖縄県土地整理法が制定され、地籍整備と土地整理事業が開始された。 事業は島嶼部を含め、明治36年には完了、内地と同様の租税制度に改まると同時、土地の所有も認められる事となった。

土地整理の測量風景/男爵奈良原繁君之銅像並改組記念碑 (絵葉書)


1898年(明治31)12月ー『日本全国商工人名録』「沖縄県 琉球國(那覇区及首里区)」
琉球國那覇区及首里区商工人名
紺絣製造 
伊波奥表ー泊、知念嘉道ー泊、渡口まつるー西、永田新太郎ー西、國吉眞輔ー泊、國吉眞福ー泊、國吉眞喜ー泊、小禄朝亮ー首里区眞和志
反布商
糸満盛訓ー西、井ノ口政次郎ー東、新名助次郎ー西、与世田昌快ー西、与儀幸包ー西、仲村カレ致嘉ー西、松堂恵英ー西  
米穀商
飛岡吉太郎ー西、友寄喜信ー西、大峰柳吉ー西、大坪岩次郎ー西、海江田丑之助ー西、中馬辰次郎ー西、矢野治右衛門ー西、児玉利吉ー西、小牧籐助ー西、鮫島武八郎ー西
漆器製造販売
琉球若狭組漆工所ー若狭町、米田惣四郎ー西、米次源吉ー西
海産物商・古賀辰四郎ー西
沖縄県銀行会社 
銀行第百四十七銀行沖縄支店ー那覇区東
会社・沖縄開運株式会社(肥後孫佐衛門)ー那覇区西、廣運社(護得久朝惟社長)ー那覇区西、八重山鉱業合資会社(大峰柳吉社長)
新聞社・琉球新報社(大田朝敷社長)
工場・小嶺合資漆工所ー那覇区西


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 今回の台風21号の影響により千島公園内の樹木が倒木や枝折れなど危険な状態にあるので、公園事務所より使用許可取り消しの連絡があり確認し、中止を決定致しました。楽しみにされて居られた方々には大変申し訳御座いませんが、今後とも宜しくお願い致します。 第44回エイサー祭り実行委員会/2018年9月9日12:00-20:00 大阪市大正区千島グラウンド「第44回 エイサーまつり」主催ーがじまるの会・エイサー祭り実行委員会(関西沖縄文庫 TEL・FAX 06-6552-6709)



 1971年5月、沖縄の雑誌『青い海』2号に「あるグループ 沖青友の会(写真中央ー嘉陽宗博)」が紹介されている。末尾に、大阪には沖青友の会のようなグループが四つある。おそらく10余のグループがあるのではないか、という。嘉陽君らは、思想、信条の違いはあってもいいから、それらのグループとヨコのつながりだけでも持って、共通の悩みを解決し合いたいと思っている。と結んでいる。当時、関西には、京都の都沖青、港区の沖青友の会、大正区のサークル南風、枚方市の守礼の会、尼埼の三和同郷青友会があった。それらと連絡雑誌を作ろうと沖青友の会が動きはじめた最中であったから、『青い海』創刊は渡りに船であった。私より沖青友の会の嘉陽宗博会長の方が積極的で機関誌『石の声』で宣伝にこれ努めた。

 『琉球新報』2016年9月27日「ひやみかち大阪<上>」○「私たちは自分たちの手で自分を、兄弟・姉妹を守る」。沖縄の若者たち(がじゅまるの会①)約250人が立ち上がった。若者たちは「根底に沖縄差別がある」と考えた。(略)第一回沖縄青年の祭りから42年。名勝替えした「エイサー祭り」は大正区内外から延べ約2万人集める一大イベントにまで成長した。県人たちへの差別への苦悩と、差別をはねのけようと打って出た若者らの思いに共感が広がっている。




①「がじゅまるの会」資料

1975年9月14日ーパーランクーの音が大阪大正区に鳴り響く
1977年10月『青い海』67号 「大阪の空にエイサーのリズムが響きわたるー第三回沖縄青年祭り。9月15日、尼埼市。18日、大正区千島グラウンドで山端立昌大阪沖縄連合会副会長挨拶、東京ゆうなの会、愛知沖縄青年会のあいさつ、彫刻家・金城実もあいさつ。見物の人も含めて約150人が参加」「儀間比呂志展、沖縄物産センターで開かる」 
1978年6月『青い海』74号 永峰真名「苦悩を乗り越える沖縄青年たちーIさん問題とがじゅまるの会ー」/儀間比呂志、安谷屋長也、金城順亮、浦添正光、島袋純子「<座談会>地域に根ざした児童文化を」

1978年10月1日ー嘉陽宗博氏/エイサー会場で走りまわるフトシ君とコウ君
 1978年10月『青い海』77号 「那覇市八汐荘ホール 賑わった出版祝賀会”鳥類館〟儀間比呂志『七がつエイサー』『りゅうとにわとり』、新川明『新南島風土記』、川満信一『沖縄・根からの問い』3氏を展示して大騒ぎ。豊川善一、北島角子、高江洲義寛、幸喜良秀、海勢頭豊、南条喜久子、森田吉子、玉城秀子、嶋袋浩(福木詮)ら参加」「パーランク高らかにー第四回沖縄青少年の祭り」

1986年4月 『小説推理』津野創一「響け!パーランクー」


2004年9月 儀間比呂志『おきなわのえほん エイサーガーエー』ルック

「第30回記念エイサー祭り」会場の儀間さん。金城馨と談笑

2018年9月1日ー嘉陽夫妻、儀間比呂志展を鑑賞

写真ーミュージアムショップ「ゆいむい」 で池宮城さん、嘉陽宗博氏/左から金城美奈子さん、仲原穣氏、嘉陽宗博氏

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2018年8月18日ーなるみ堂のお客さん(空手マン・フランスのローレントさん)翁長良明氏/翁長良明氏、打ち紙を進化させる漢那用哲氏

漢那氏がいつも持ち歩かれている中国紙幣(下)と中国の打ち紙



2018年11月21日 写真左からー翁長良明氏、厚子さん、ひろみ
手にしているのは臧 式毅(ぞう しきき・中華民国の軍人・政治家。北京政府、奉天派の軍人で、後に満州国の要人となった。字は奉久。 →ウィキ)がに麥爾思(マイルス)総領事に贈った紋章型銀製記念品「瞻言萬里」。


神谷明孝氏(左)の持ってきた「ターイユ」を前にして翁長良明氏
2018年12月14日 なるみ堂
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 「くろねこの短語」2018年8月31日-(略)アンポンタン石破君が森友・加計学園疑獄を蒸し返そうとしているという自民党内の批判があるけど、何言ってやんでえ。蒸し返すところか、いまだに真相解明にはほど遠いのが現実だ。こうなったら、アンポンタン石破君は、総裁選でとことん森友・加計学園疑獄を“蒸し返し”てやればいい。そうすれば、公文書問題も蒸し返されて、再び改竄問題にもスポットが当てられるだろうから、ちったあ総裁選の意味も出てくるというものだ。
 ところで、沖縄県知事選は、ようやくオール沖縄がデニー君支持でひとつになれそうなところまでこぎつけた。今日にも辺野古埋め立て承認撤回を県が宣言するようだし、いよいよ教育勅語大好きな佐喜真君と一騎打ち。見守るしかないのがなんとも歯がゆい。


『しんぶん赤旗』8月30日「川崎市営施設で軍事見本市『イスラエル安全保障エキスポ』」

 「くろねこの短語」2018年8月30日-(略)「腐ってるときたら、自民年の右に出るものはないわけで、なんとまあ、自民党が総裁選について「公平・公正な報道」を求めて新聞や通信社に要望書を出したってね。アンポンタン石破君の「正直、公正」のキャッチフレーズが話題になって、このままだと初老の小学生・アベシの存在が霞んでしまいそうなのを危惧したに違いない。
 でも、自民党総裁選ってのは党内の選挙なんであって、公職選挙法にもひっかからない。だからこそ、これまでに札束が乱舞してきたんだね。つまり買収や猟官運動はやりたい放題だったわけだ。総裁選そのものが「公平・公正」だったことなんかないんだよね。
 さらに言えば、そもそも政党が報道機関に「公平・公正な報道」を要望するってことが片腹痛い。ていうか、それこそ報道の自由の侵害だろう。4年前の衆議院選挙でも、自民党が報道の公平性を確保するよう求める文書を在京テレビ局に出したことがあった。それに唯々諾々と従ったツケがまた回ってきたってことだ。新聞・TVはダンマリするんじゃなくて猛然と抗議すべきなんだろうが、ダメだろうなあ。鮨友だらけだからなあ。
 ところで、障害者雇用率水増しなんだが、ペテン総理はここでも逃げまくってますね。行政府の長ってんなら、いまこそ国民に向かって謝罪すべき時だろう。へたすりゃ、内閣総辞職クラスの不祥事ですからね。確か、国会で「立法府の長」と喚いて恥かいた時に、わざわざ国会議事録を「行政府の長」に書き換えたんじゃなかったか。なんとかにつける薬はないとはよく言ったものだ。最後に、ペテン総理が選挙妨害のためにヤクザを使ってばら撒いた怪文書がなんともエグイ。というわけで、とくと御覧じろ。


 「くろねこの短語」2018年8月29日-(略)「ケチって火炎瓶事件」で安倍総理がごり押しした江島潔議員、加計学園の客員教授を務めていた!「安倍&江島」のラインは、黒い利権や疑惑が無数!
 そのアベシは、自民総裁選のキャッチフレーズに「責任、実行」を掲げたそうだ。アンポンタン石破君の「正直、公正」に対抗しようというのはみえみえで、どこにもヒネリのないところはさすが初老の小学生だけのことはある。でなけりゃ、自らのイメージとは最もかけ離れた「責任、実行」なんて言葉は、恥ずかしくて口に出せやしませんて。「正直、公正」VS「責任、実行」・・・勝手にしやがれ!!
 最後に、防衛白書が北朝鮮の核を「これまでにない重大かつ差し迫った脅威」だとさ。べらぼうに高額なイージス・アショア導入のための見え透いた扇動ですね。兵器購入はけっして安全保障のためではなく、トランプに尻尾振ったあげくのアメリカ軍事産業への上納金ってことだ。イージス・アショア2基で約4600億円という経費はどぶに捨てたようなもので、社会保障に注ぎ込めば「アレもできる、コレもできる」だろうに、なんとも虚しい限りだ。

 「くろねこの短語」2018年8月28日-(略)「凄いよね。「投票権のない一般人にも届くような討論会をしても仕方ない」ってアンポンタン石破君との討論を逃げてるくせに、総裁選が終わったら国民から多くの支持を受けたってことにして、「改憲」に突っ走ろうとしてるんだから。ここまであからさまなことしてるってのに、新聞・TVはペテン総理一派の乱暴な改憲機運の扇動にまったく無批判なんだから、バッカじゃなかろか。
 憲法学者の木村草太君が、初老の小学生・アベシの「憲法変えたい病」を「犯罪者が刑法を改正しろと言っているようなもの」と断じたって噂があるけど、おっしゃる通りなのだ。そもそも、憲法遵守義務のある国会議員が、期限を区切って改憲を口にするなんてのは、それ自体が犯罪的行為なのだ。「どういうテーマで、どういう理由で改正が必要なのか議論が煮詰まっていない中で、そんなスピード感で物事ができるとは思わない」ってエダノンは牽制しているが、こうした指摘は本来真っ先にメディアかすべきことなんだね。それが、総裁選の数合わせ報道ばかりに熱心なんだもの、チョーさんならずとも「だめだコリャ」とため息つきたくなる今日この頃なのだ。
 最後に、内閣府の調査で「現在の生活に満足」が74.7%という結果だったそうだが、なんと回答者の持ち家率81.7%、そのうち戸建て所有率82.0%だってさ。そりゃあ満足度が70%超えるわけだ。これもまた「だめだコリャ」ですね。

 「くろねこの短語」2018年8月27日-(略)「おいおい、アンポンタン石破君の出馬表明でこんな特別扱いしてくれたか。これじゃあ、単なるペテン総理の広報だよね。これもまた、独自の判断ってことか。なんともふざけた話で、思わずTVにリモコン投げつけるところでしたよ、ったく。
 でもって、討論会を避ける「逃げ恥」作戦のペテン総理は、NHKのカメラの前で、「どのような国造りをしていくか、議論をしたい」だとさ。議論なんてやる気もないくせに、言ってろ、ボケ!・・・ってなもんです。
 しかしまあ、NHKの臆面もない個人崇拝放送を、その他の新聞・TVはどんな思いで眺めているのだろう。TBSの金平君なんかはfacebookでこんな投稿しているけど、こういうことこそ「報道特集」で堂々と語ってみやがれ!!
「おい、おい、おい。何かと思ったら、安倍首相総裁選立候補表明のミニ特番をNHKがやってるわ。安倍首相インタビュー(と言っても一方的な立候補表明でカメラ目線)を2回にわたってノーカットで流して、例の政治部・岩田記者が「日本をとりもどす」とかの内容を何やらしゃべっております。その主語は「安倍総理大臣は…」で、ヨイショ解説に徹底しております。気色悪いので、これから高円寺の阿波踊りを見に行き、意識を正常に戻そうと思います。」


8月25日 旧盆【うーくい】紙銭を焼く→火炎瓶ではありません、念の為。

 「くろねこの短語」2018年8月26日-(略)自民党総裁選のキャッチフレーズとしてアンポンタン石破君が掲げていた「正直、厚生」を、ここにきて封印するとかしないとか。なんでも、「『正直、公正』は森友、加計学園問題を想起させ」なおかつ「『安倍晋三首相への個人攻撃』との反発が党内に根強い」からなんだとか。
 笑っちゃうね。てことは、初老の小学生・アベシが「不正直、不公正」って認めたようなものだもの、語るに落ちるってのはこのことか。それにしても、そんな批判があるからって、「はい、そうですか」と旗降ろしちゃうアンポンタン石破君もだらしない。反安倍で立ち上がったのなら、そうした批判にも完全と牙を剥いて、徹底的に戦う姿勢を見せ付けなくちゃダメだろう。
 どうせなら、いま流行中の「#ケチって火炎瓶」を取り上げて、暴力団との関係で締め上げてやるくらいの気迫を見せて欲しいものだ。でもって、ツイッタージャパン社は「#ケチって火炎瓶」の投稿を消去しまくっているってね。ならば、とことんやってやろうじゃないかということで、消去しまくられている画像を紹介して、お後がよろしいようで。

 「くろねこの短語」2018年8月25日-「佐賀県がオスブレイ配備に合意して、見返りに佐賀空港への着陸料が20年間で100億円だと。この額が安いか高いかはともかくとてし、佐賀空港って民間空港なんだよね。そんなところに、ウィドウメーカーとして名高い欠陥機が離着陸するんだから、その危険性は計り知れないものがある。果たして、20年間100億円で喜んでいる場合か・・・よ~く、考えてみたんだろうか??
 それにしても、金で横面叩く国のやり口っては、バブルの頃の地上げ屋を彷彿とさせますね。さすが、ヤクザ雇って選挙妨害するような男が総理大臣でこざいと鎮座ましましている政権だけのことはある。
 でもって、そんな総理大臣をめぐって、「#ケチって火炎瓶」というハッシュタグがツイッターで流行中だってね。泣く子も黙る工藤会系の暴力団に選挙妨害依頼したあげくに、謝礼けちって山口の自宅に火炎瓶投げ込まれた初老の小学生・アベシへの、庶民のささやかなる抵抗ってわけだ。ツイッター社は、「#ケチって火炎瓶」のハッシュタグが付いた投稿を消しまくっているらしいが、そんな姑息なことで追いつくわけがありません。これが燎原の火のごとくさらに燃え上がることを切に願う暑さ復活の日曜の朝である。
 それにしても、この総理大臣と闇社会との交流について、裁判でその経緯が立証されているってのに、よくもまあ新聞・TVはダンマリを決め込んでいられるものだ。いかにこの国のメディアが腐っているかの、これもまたひとつの証拠ですね。・安倍首相と暴力団「工藤会」のただならぬ関係  沈黙を続ける大手メディア
 最後に、デニー玉城君の沖縄県知事選出馬表明は、来週にずれ込むらしい。なんでも、選挙態勢が万全となっていない現状をオザワンが心配してのことらしい。オール沖縄がどこまで結束できるか、ここは正念場ですよ。
 そんなオール沖縄の出足の鈍さを狙ったのか、教育勅語大好きな佐喜真君が、「埋め立て承認撤回あり得る」って心にもないことのたまってくれてるってね。辺野古埋め立ての争点はずしを画策してのことなんだろうが、こういう姑息を絵に描いたようなことを仕掛けてくるところは、さすがヤクザ使って選挙妨害する総裁が支配する党に支援されている人間だけのことはある。これだけでもお里が知れるというものだ・・・というわけで、本日はお後がよろしいようで。

 「くろねこの短語」2018年8月24日-(略)「まずは共産党を除いて」とは、大馬鹿野郎だね。こういう時代に逆行してた政治センスってのは、さすが沙宇内→財務省→政界という王道(?)をあゆんできただけのことはある。皮肉ですから、念の為。「これからは保守は革新に敬意をもち、革新は保守に敬意をもち、力をあわせていきましょう」と亡くなった翁長知事の言葉をツイートしている共産党の志位君のほうがよほど器が大きい。ていうか、比べちゃ志位君に失礼か。翁長さんはこの言葉通りに私たちに心からの敬意をもって接してくれた。私たちも翁長さんに最大の敬意をもってこたえた。保革の垣根をこえた心からの連帯――「オール沖縄」の結束を強め、必ず勝利を!!— 志位和夫 (@shiikazuo) 2018年8月22日
 さらに、腰抜け玉木君は、こんなことも口走っている。なんと、「少子化対策として3人目を出産した家庭に1000万円を給付するとした自身の政策を『コドモノミクス』と名付けた」ってさ。恥ずかしいなあ、この言語センス。頭痛くなってくるね。しょせん、国民民主は自民党の補完勢力なんだから、もう潰れた方が国のためですよ。もっとも、「対決より解決」なんてことを口走った時点で、終わってたんだが・・・。
 ところで、ノイホイ菅野君がこんなことをつぶやいてるんだが、これって大変な問題ですよ。スルーしている新聞・TVは、知っててそうしているのか、そこも大いに気になる週末の朝である。8月20日に開催され、夏休み中のはずの安倍首相も参加して話題となった日本会議のイベント、パンフレットをよく見てみると、後援に、経済産業省、外務省、文部科学省とある。これ、ちょっと問題よね。なんで国の役所が日本会議の後援しとんねん。 菅野完事務所 (@officeSugano) 2018年8月22日

 8月23日 旧盆【うんけー】東京の島袋和幸氏からDVD「NHK沖縄HOT」「RBC伊江島の記憶」「RBC飛び安里」、ミニコミ紙『デイゴ通信』が送られてきた。

2016年5月 沖縄を語るデイゴの会(編集発行・伊藤わらび 東京都清瀬市梅園2-2-3)『デイゴ通信』創刊号/2017年5月 沖縄を語るデイゴの会『デイゴ通信』第13号

『デイゴ通信』第13号 植竹しげ子「波に舞う」

 

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Posted by: ryubun02

1978年8月 新里清篤編『記録と証言 あゝ学童疎開船対馬丸』対馬丸遭難者遺族会



1995年8月 与那原町学童疎開史編集委員会『与那原の学童集団疎開』与那原町教育委員会
 上原敏雄・引率教諭「与那原国民学校第一次学童疎開」1944年8月15日ー疎開申込児童188名、引率教員、養護婦、世話人、合計218名が親川に集合し、トラック3台に分乗して那覇に向かった。那覇では宿舎浦崎旅館に男子、那覇旅館に女子、津波旅館に女子と家族が分宿して乗船待機をした。8月17日ー「いかだ用の棒と縄の準備をせよ」との達示で海上輸送の不安を感じた父兄が、18日早朝、疎開取り消しのため宿舎に殺到して混乱状態になった。新垣隆一校長の出覇、父兄会、大多数取消し、荷物整理に津嘉山朝吉先生を主任に全力を注いで下さった。
 残り児童95名、引率関係者合わせて119名、8月21日午後7時ー和浦丸に乗船。左右に2隻の護衛艦の5船団で、時折飛んでくる飛行機に守られ、航海を続ける。22日夜半ー僚船対馬丸の悲報、最悪状態。魚雷が左右に白波を立てて、舷めがけてやって来る。ジグザグの航路・・・
 安谷屋勇・引率教諭「与那原国民学校第一次学童疎開」昭和19年。それはよい年ではなかった。日本軍は南方戦線で次々と敗れ、7月7日にはついにサイパン島が陥落して、米軍の沖縄上陸は必至の状況に
なっていた。すでに沖縄には守備軍として、球部隊、山部隊、石部隊、武部隊の約10万に及ぶ精鋭が配備されていた。国民学校はいずれもその兵舎に併用され、兵隊と児童の雑居で、正常の授業はできなくなっていた。与那原国民学校にも部隊の一隊が駐屯していたが、その行事板には米軍上陸予想月日が掲示され、上陸近しを感じさせるほど、戦局は緊迫していた。
 8月21日ー焼けつくような酷暑の中、那覇港近くの西新町広場に集結した。何しろ一般疎開を含めて約5千人に及ぶ大集団に、それを取り巻く見送り人で混雑を極めていた。(略)港外には護衛艦二隻と輸送船三隻の、計五隻編成の船団が待っていた。輸送船はいずれも、陸軍所属の老巧化した数千トン以上の貨物船だと言われていた。それは和浦丸、対馬丸、暁空丸であった。島尻地区は最初、対馬丸に割り当てられていたが、いつの間にか和浦丸に変更され、対馬丸には那覇地区が割り当てられていた。対馬丸は僚船三隻中、最も外観が良かった。真偽のほどは不明だが、那覇地区のクレームによって変更されたとのうわさが流れていた。船団は午後7時ごろ錨を上げ、ゆっくり動き出して港を後にした。行く先は長崎港、疎開先は熊本県日奈久町である。・・・

〇「那覇地区のクレーム」と噂と断っておられるが、当初、与那原国民学校第一次学童疎開申込児童188名、引率教員、養護婦、世話人、合計218名が、「いかだ用の棒と縄の準備をせよ」との沈没に備えての
達示で海上輸送の不安を感じた父兄が宿舎に殺到し混乱をきわめたので、新垣隆一校長の判断で希望者
だけとなった。与那原は218名が119名の半数になったので、対馬丸には那覇国民学校(204名)、甲辰国民学校(101名)などに変更されたのだろう。

 津嘉山朝吉・引率教諭「与那原国民学校第二次学童疎開」わが子を戦火にさらすより疎開させようと、学童疎開を希望する残余の生徒が集められた。時の新垣隆一校長の強い要請により、最終的に私が引率教師となった。昭和19年9月15日には、学童疎開第二陣(学童数40人、安里国民学校の5人を含む)として、輸送艦「室戸丸」で那覇港を出航した。室戸丸が最後の学童疎開船だったようだ。9月24日ー室戸丸、鹿児島に入港(錦生旅館に投宿)。9月30日ー疎開先の熊本県湯浦町(現芦北町湯浦)に到着。宿舎は寿旅館。湯浦国民学校に転入。

対馬丸犠牲者(1、484人)の慰霊碑・小桜の塔/対馬丸犠牲者「刻銘板」与那原出身は瑞慶村マカト、瑞慶村光子、長嶺澄子

対馬丸犠牲者「刻銘板」粟国出身は玉寄オツル、玉寄マサ子、玉寄恵美子/海鳴りの像-赤城丸(406人)・嘉義丸(368人)・開城丸(10人)・湖南丸(577人)・台中丸(186人)

儀間比呂志「モニュメント『海鳴りの像』戦後の沖縄の心は『戦はならんどー』である」

     
写真ー全員対馬丸に乗り込んだ学童たち。後列左から4人目 山里昌男14歳(翁長良明所蔵)

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左から久貝清次氏、新城栄徳、友利隆博氏/松島弘明氏、嘉数理紗さん、久貝清次氏

写真左よりーおおしろ建氏、佐々木薫さん、久貝清次氏、新城栄徳/久貝清次氏、豊里友行氏

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2018年8月14日~19日 那覇市民ギャラリー「写真展・琉球芸能の足跡 大城弘明×大城洋平 二人展」


大城弘明氏、大城仁美さん

大城弘明氏/大城洋平氏

大城弘明-1950年、沖縄県三和村福地(現在は糸満市)生まれ。
1968年、琉球大学入学、民俗研究クラブ、写真クラブで活動。沖縄の復帰闘争、全軍労運動、米軍基地、沖縄戦の跡など撮影。1972年、琉球大学卒業。フリーカメラマン、岩波映画写真部に契約撮影助手として活動。1973年、沖縄タイムス編集局写真部入社。2010年3月、沖縄タイムス写真部定年退職。同年4月から同部嘱託。2015年3月、沖縄タイムス写真部嘱託を退職。受賞:1995年、「平和の礎」で九州写真記者協会ニュース部門賞。2011年、沖縄タイムス芸術選賞奨励賞。

大城洋平-1978年1月生まれ。
沖縄生まれで沖縄育ち。宜野湾市出身。報道カメラマンである父親の影響で小さい頃からカメラに触れる。
地方新聞社の契約カメラマンとなり、報道写真に携わる。退職後、沖縄の舞台芸能や企業の広報写真、雑誌の観光写真などを撮影。

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Posted by: ryubun02
1969年1月『沖縄の芸能』邦楽と舞踊社□3、流派と現状 
仲井真元楷「現地における」
石野朝季「本土におけるー『沖縄の伝統芸能は、日本本土で命脈を保っている芸能家の手で保存しないかぎり消えてゆくしかない。さいわい鹿児島には舞踊界の渡嘉敷守良、熊本には野村流音楽の池宮喜輝両師匠(共に故人)が疎開で健在であり、二人を東京に招いて弟子を養成、沖縄に再び平和が甦えるときまで、郷土にかわって伝統保存の担い手になろう』と、1947年春、東京沖縄芸能保存会が伊江朝助、比嘉良篤、戦前沖縄で新聞経営、安富祖流音楽の有数な弾き手でもあった武元朝朗(1953年10月6日没)らの手で結成された。結成翌年の1948年11月には、有楽町の読売ホールで第一回公演。」

1972年2月『青い海』』№10<復帰不安の沖縄>□「優れた沖縄を語りたいのですー若者が集う『沖縄関係資料室』の西平守晴氏宅」、嘉手川重喜「沖縄の歌劇(4)辺土名ハンドーグヮー」


1972年3月 『青い海』春季号 「青い海芸能ー情熱と美の琉舞を大阪の地に  金城康子」
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那覇大綱引きで子息の衣装を整える金城康子さん

1974年6月『青い海』№33<本土の中の沖縄>□霜多正次「ウチナーとヤマトゥ」、津嘉山政栄「大阪・教育の現場から」、高良重一「夜間中学の中の沖縄」、山城昌成「第二の故郷、和歌山で」、金城朝夫「沖縄の東京難民」「大阪沖縄会館ー盛大に竣工祝賀会」「沖縄青年 山口重光君を支援する全国連絡会議ー平尾町46末広荘・山城三郎」「本土在県人会・公共団体・企業一覧」

1975年12月『青い海』№48<沖縄の芸能ー舞踊と音楽>□宮城能造「よもやま芸談」、関西版『仲村米子舞踊研究所第一回発表会、松葉舞踊研究所が五周年記念公演、川田琉球舞踊団として初の関西公演、儀間比呂志新作版画展開かれる」、仲村喬次「武下和平ー島人の心意気を唄う(略)初心が忘れられていくのはテレビの流行歌手たちを見るまでもない。人の心を打たなくなった民謡は、もはや(しまうた)の生命を絶ったもひとしい。」、知念正光(琉装史研究者)「ルポ・東京周辺の沖縄芸能」、崎山任「三味線音楽とアカインコの業績」、「渡嘉敷守良・ある俳優の記録ー芸談、組踊の型」、伊礼正栄「関西の中の沖縄芸能ー悲愴な使命感で、”失われた沖縄”にかわって、ふるさとの伝統と文化を守ろうとした本土の県人たち」

1976年8月『青い海』№55<奄美の民話と伝説を訪ねて>□となきあきら「喜劇の王様・小那覇舞天を偲ぶ」「郷友会めぐり・その2 大阪羽地郷友会」「東京、神奈川で第二回エイサーの夕べーゆうなの会が企画挙行」「大阪の松葉舞踊研究所の大城奈津子ちゃん(小1)と我喜屋みゆきちゃん(中1)が琉球新報主催・第12回琉舞子ども大会で受賞」

1978年10月ー糸満盛信『日本太陽崇拝史』沖縄関係資料室
糸満盛信・著作目録
1934年7月ー『唐手術の研究』新光閣
1944年4月ー『酒の話』一番館印刷
1944年6月ー『拳武雑考』
1958年2月27日ー『琉球新報』「琉球の子守唄『天から落ちたる糸満小』に就いて」
1959年10月5日ー『琉球新報』「空手の研究」
1960年10月5日ー『琉球新報』「沖縄の古武術」
1961年6月ー『国学院雑誌』「天孫降臨考」
1962年11月ー『京都女子高等学校・中学校研究紀要』第8号「太陽崇拝管見」
1963年10月ー『京都女子高等学校・中学校研究紀要』第9号「稲作民の渡来」
1964年10月ー『京都女子高等学校・中学校研究紀要』第10号「神託政冶考」
1965年8月ー『国学院雑誌』「天降伝説私解」
1965年11月5日ー『沖縄タイムス』「天降伝説私解」
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1978年11月4日『琉球新報』/1978年10月26日『朝日新聞』(大阪版)


1981年12月 沖縄の雑誌『青い海』1月号 上原直彦「昭和にフクバル節あり」
1994年1月 『脈』第48号「普久原朝喜 特集」/1993年10月 『普久原朝喜顕彰碑建立記念誌チコンキーふくばる』同実行委員会(中根章)


1982年6月ー沖縄県人会兵庫県本部(編集委員長・上江洲久)『ここに榕樹ありー沖縄県人会兵庫県本部35年史』□元『青い海』編集長の津野創一が執筆、津野さんは後に県人会機関紙『榕樹』の編集にも携わる。私(新城栄徳)も資料収集に協力した。
□第五回勧業博覧会といえば、沖縄にとっては忘れることのできない人類館事件に結びつく。のちのちの久志芙沙子の筆禍事件や、解放教育読本『にんげん』問題にもつながる。
□1945年11月3日ー尼崎沖縄人連盟結成大会が尼崎中学校で開かれる。会長・大城盛通、副会長・大山朝繁、砂川恵哲、幹事長・赤嶺嘉栄
□兵庫の中の沖縄芸能ー出稼ぎ労働者の中に、琉球民謡界の大御所的存在だった普久原朝喜もいた。いま、関西には古典音楽で野村流古典音楽保存会関西支部と野村流音楽協会関西支部がある。いずれも又吉嘉昭、又吉栄義の指導と努力によるものであり、歴史も古い。民謡の方では琉球民謡協会関西本部がある。(略)県人会活動と文化運動が新たな接点をつくり出していく時期に来たようである。

1985年2月『青い海』№140<21世紀への要石・国際センター>□「新刊案内ー『沖縄の遊廓ー新聞資料集成』、『文人・末吉麦門冬』」



大城豊子師匠
1997年10月 大正区役所ホール「雅びの舞い/八重山民謡・沖縄民謡の集い」大城豊子琉舞研究所
2000年3月12日ーアゼリア大正ホール「第七回 琉球古典舞踊の夕べ」(主催・大城豊子琉舞研究所)

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コメントはメールにお願いします→shinjo8109@gmail.com

2018年8月5日 


2016-11 ひより「作品」

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写真→松島弘明氏〇在りし日の故翁長雄志氏です。那覇市長時代に元ソ連大統領・ミハイル・ゴルバチョフ氏を世界遺産になった識名園でレセプション。左は当時の県知事・稲嶺惠一氏。空手着を送られたゴルビー氏「私はプーチンのようにはいきません」とジョークを飛ばしていました。〇「沖縄の心」を大事にし、その「民意」を先頭に立って訴え続けてきた翁長県知事が現職のまま逝かれた。本人にとっても県民にとっても実に無念である。数々の翁長語録を思い浮かべる。「イデオロギーではなく、うちなーとうちなーんちゅのアイデンティティを」。11日の県民大会の壇上には、座るべきはずのイスに青い帽子が置かれていた。辺野古の海を象徴するブルーである。「県民はあきらめない」。ノーベル平和賞を受賞した元ソ連大統領・ゴルバチョフさんが寄せた追悼文には「私たちの中で永久に生き続けます」とあった。

『琉球新報』ゴルバチョフ氏からの追悼文翻訳 尊敬する翁長樹子様
 翁長雄志知事の突然の訃報に深い哀悼の意を表します。再会を楽しみにしていた私にとって悲しみが大きく言葉が見つかりません。翁長雄志さんは優秀な政治家であり、立派な人間でありました。私は翁長さんと何度も会いました。
 彼はいつも不変で堅固な意志を持ちながら、将来への明確なビジョンを持っていました。彼の活動の基本方針は、平和のための戦いであり、軍事基地拡大への反対と生活環境向上が両輪でした。私、そしてゴルバチョフ財団の全職員から心からのお悔やみを表明し、この悲しみを沖縄県民の皆さまと分かち合いたいと思います。
 翁長雄志さんは私たちの中で永久に生き続けます。
  2018年8月9日 モスクワにて ミハイル・ゴルバチョフ

沖映通りに安仁屋宗八(左)、ミハイル・ゴルバチョフの手形がある。

「土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」(辺野古に新基地を造らせないオール沖縄会議主催)8月11日午前、那覇市・奥武山公園。

県民大会途次、市民ギャラリーの「第22回 個我の形象展」を観る。西村貞雄さん「ブイに立つ祈り」(辺野古に浮かぶブイ)。




沖縄防衛局が新基地建設の環境保全策を議論するために設置した環境監視等委員会の副委員長委員だった東清二琉球大学名誉教授が「辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」に送ったメッセージは次の通り。
「8・11県民大会に寄せて」私は2014年4月から、沖縄防衛局が設置した環境監視等委員会の副委員長を務めていましたが、今年4月に正式に辞職が認められました。最初は環境監視等委員会で、ちゃんとした監視ができると期待していました。それで、埋め立て区域も含めてウミガメの産卵場所、ジュゴンの食草であるアマもなど海藻の分布と密度、ジュゴンが何頭いるのか、どれくらいの頻度で来ているのか、などの調査を依頼したのですが、全然返事が来ない。何も調べていないのです。
 委員会での発言の確認も第1回目の後はありました。しかし、その後は議事録ができてくる度に全然違う。発言をしても、こちらの要求までは書いていない。委員会で藻場の問題も話しましたが、それは議事録には載らない。防衛省は自分たちの都合の悪いことは議事録に載せないのです。委員の意見を聞いて、それを守るのが防衛省のはずなのに、自分らに都合の悪いことは一切書かないで、都合のいいことだけ書いて、それを守っていくだけなのです。そんな委員は意味がありません。県外からの委員には、沖縄のことはわからないんです。沖縄に来て初めてサンゴを見た人もいたんじゃないでしょうか。
 とにかく、委員会で何を言っても響かない。開発一点張りで、サンゴのことだけは答えるが、それ以外のことはまともに答えない。海草藻場のことなどは見ないことにしよう、聞かないことにしようと。工事ありきで、他の意見は聞かないという態度です。環境監視と言いながら、工事を進捗させるため、何らかの了解を得るための委員会だと防衛省は思っているようでした。工事を進捗させることに関係ないことには耳を貸さないという態度ですね。それじゃあ何の意味もない、何のための委員会かということで、私は2015年3月に辞めると事務局に伝えました。沖縄防衛局からはこの件で取材があれば、事務局に聞いてくれと答えなさいと言われました。
 辺野古、大浦湾の環境は優れています。特に藻場はすごい。あんなに広い藻場は他にないです。それを埋め立てるのは自然破壊そのものです。沖縄本島の山を崩して埋め土を持って来るのも、自然破壊です。辺野古、大浦湾の埋め立ては、やめさせることです。中止すべきです。沖縄にはもう、これ以上、軍用基地はいらないです。慰霊の日の翁長知事の発言には本当に感激しました。私は、翁長知事の埋め立て承認の撤回を支持します。 東清二

 「くろねこの短語」2018年8月12日-辺野古新基地建設反対の沖縄県大会が開かれ、謝花副知事は故翁長知事の意志を継いで辺野古の埋め立て承認撤回の方針を改めて表明した。壇上中央の席には翁長氏が着用するはずだったブルーの帽子が置かれ、県大会はさながら決起集会を彷彿とさせる熱気に包まれたそうだ。
 そうだ、と書かざるを得ないのはこの県民大会を、夜のニュースでまともに報じたTV局が見当たらないからだ。テレビ朝日『スーパーJチャンネル』は、なんと冒頭から「平成最後」をキーワードにしたトレンド情報。呆れ果てました。テレビ朝日に関しては『報道ステーション』のプロデューサーがどうやら鮨友に近い人物に代わり、政権批判が影を潜め、やたらスポーツニュースが多くなったと噂されいてるけど、昨夕の『スーパーJチャンネル』を観ればさもありなんてことか。


2018年6月 豊里友行写真集『おきなわ辺野古ー怒り・抵抗・希望』沖縄書房/自然保護団体の船を妨害するアベの走狗・海保CB

「くろねこの短語」2018年8月14日-(前略)それにしても、このところのオリンピックならなんでもありっていう風潮はほとんど国民総動員みたいなもんですね。それをまた新聞・TVが煽りまくるんだから暑苦しいことこの上ない。それもこれも、メディアがオリンピックのスポンサーになってるからなんだね。そんなんだもの、批判的な記事なんか書けるわけがない。夏の甲子園がどんなに球児にとって過酷であっても、主催している朝日新聞が省みることがないとのと同じです。
 ところで、阿波おどりがなにやら揉めているようで、どうやら徳島新聞が利権を抱え込んでいるのが原因らしいとか。そんな騒動の中、中止命令も意に返さず総踊りが決行されたんだが、「踊る阿呆は政治権力に屈しない」(阿波おどり振興協会理事長)とはお見事!
 最後に、昨日は亡くなった翁長沖縄県知事の告別式が行われ、鳩山ポッポや在日米海兵隊トップのエリック・スミス中将など、敵も味方も関係なく多くの弔問客が訪れた。沖縄が悲しみに包まれている時に、初老の小学生・アベシは何をしていかというと、かき氷を食べながらご満悦。それをツイッターでお披露目するという無神経さだ。こういう時くらいは、故人を偲んで哀悼の意を示すのが、政治家というより人としての謹みだろうに・・・。

「くろねこの短語」2018年8月15日ー「日本国憲法は非合法」(伊勢崎市議会議員・伊藤純子)。骨の髄まで無知な議員がまたひとり!。(略)「国民のレベル以上の政治家は生まれない」という言葉がグッと胸に迫る今日この頃なのだ。
73回目の敗戦の日・・・すべての戦争で亡くなったすべての人々に黙祷!!
 ところで、オスプレイが嘉手納基地と民間の奄美空港に相次いで緊急着陸。原因不明とかで、市街地の上空でトラブったらと思うと背筋が寒くなる。どなたかが書いていたんだが、アポロ計画はほぼ10年で月着陸を達成したのに、オスプレイは1980年代の初頭から開発が始まったのに、30ン年経ってもまだこの体たらく。そりゃあ、ウィドウメーカー(未亡人製造機)と揶揄されるわけだ。
 そんなオスプレイの緊急着陸のニュースもなんだかおざなりな新聞・TVは、すさっかりお盆休みのようで、政権批判はすっかり影を潜めて、安倍3選を煽る報道が花盛り。森友・加計学園疑獄なんか、とうになかったことになっちゃってますからね。それでも、口さがないのが一般大衆労働者諸君というもの。12日のエントリーで紹介した「現職がいるのに総裁選に出るというのは、現職に辞めろと迫るのと同じだ」っていう初老の小学生・アベシの無知蒙昧なたわ言に、ネットでは嘲笑・冷笑・失笑・嗤笑が飛び交っている。
 任期満了による総裁選だってことが理解できていないようなこんな戯けが口にする「改憲」が、いかに胡散臭いものかわかろうというものだ。つまりは「憲法を勉強していない人が 憲法を勉強していない人に 憲法改正を提案している 非常に危ない 」(前川喜平前文科事務次官)ってことだ

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1976年7月 沖縄の雑誌『青い海』通巻55号 榮喜久元「蛇身の美しい男と女の恋」

蘇鉄/榮喜久元『蘇鉄のすべて』
2004年1月31日『沖縄タイムス』新城栄徳(書評)ー榮喜久元『蘇鉄のすべて』南方新社/琉球学の巨人・東恩納寛惇の史料ノート(1926年)に蘇鉄極楽と題し「昔は『蘇鉄世』と云う語があった。金はあっても食いものがなかったのである」「蘇鉄地獄と云うのは食いものはあっても金のない事を意味する」と記されている。題からして寛惇は蘇鉄地獄の名称がお気に召さなかったようである。

『鹿児島大百科事典』で「蘇鉄(奄美)」を見ると榮喜久元氏が書いている。私は1970年前後に収集し今でも手元にある『与論島の民謡と生活』『奄美大島与論島の民俗』の著者として榮氏の名前は知っていた。

本書は『南海日日新聞』に連載したもので前記の著書でも蘇鉄については触れられている。榮氏は与論島で生まれている。そして「蘇鉄は島の生活のなかで大切なものです。いつしか(略)蘇鉄が地球上にあらわれた時代はいつであるか、ということも知りたいと思うようになりました」と本書を書き出している。国内の蘇鉄の巨木、蘇鉄の名前の語源、方言や、蘇鉄を素材にした文芸から民謡、蘇鉄の精虫、蘇鉄葉の輸出、「ソテツ地獄」などを面白く紹介している。

□栄喜久元
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1960年10月ー『与論島の民謡と生活』/1964年12月ー『奄美大島 与論島の民俗』

2012年3月30日ー沖縄県立博物館・美術館「田中一村展ー琉球弧で開花した美の世界」
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田中一村の絵によく蘇鉄が描き込まれている。一村の蘇鉄の絵は幻想的というか神秘的でもある。

私の故郷・粟国島は「ソテツの島」とも言われている。『奄美郷土研究会会報』第34号の徳冨重成論文には蘇鉄が「与論島には粟国島から、多良間島には慶良間から移植されたという伝承がある」と紹介されている。那覇市久茂地で「居酒屋ひさみ」の経営かたわら「世界のソテツを守る会」を主宰する玉寄貞夫さんは粟国島の先輩でもある。その居酒屋で佐竹利子さんを紹介された。
佐竹さんは精米機・製粉機メーカー「サタケ」の代表者。父君の佐竹利彦は『植物研究雑誌』に「ソテツの変異株」などを発表するソテツ博士である。


2017年5月4日『沖縄タイムス』「ソテツ新たな活用に光」

八重山の蘇鉄

那覇市資料館の川満洋子さんに「蘇鉄」を検索してもらうと「ソテツ」「そてつ」を合わせて1万5百件もある。本書はその大量の蘇鉄情報への案内書、または埋め立てなどの環境破壊の波が押し寄せている「琉球弧」への過去からの問いにもなっている。

1914年1月ー横山健堂『薩摩と琉球』中央書院

2018年2月27日~3月4日 那覇市民ギャラリー「緑の至宝フクギ写真展」


2月28日「粟国島の福木」写真をバックに照屋寛孝氏(福木ひろめる会会長)、右が新城栄徳(粟国島出身)







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2016年8月2日~7日 那覇市民ギャラリー「ERIKO HARADA 王女MARGARITA」


沖縄での個展8回目を開いている原田江里子さん(携帯 090-1350-9253)

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儀間比呂志の絵・版画が使われているレコード・CD

1915年8月30日『琉球新報』「琉歌吹込みを聞くー1昨日から石門通り森楽器店主の主催とせる琉球音楽奨励会のレコード吹込みを奥武山公園内城間氏別荘でやっているが昨日吹込みを為すべき音楽家は首里から高江洲氏那覇から城間、伊差川、我謝、池宮城喜輝の諸氏であったー」

1915年9月3日『琉球新報』広告「空前の大提供ー本県家庭の大福音/琉球歌と蓄音器」
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1915年9月3日『琉球新報』「琉歌レコード仕上ー森宗次郎、仝仲太郎、山口全則主催の琉歌レコードは去る31日までに吹込みを終了し1昨日技師等は是を携え上阪せるが該レコードの仕上は多分9月下旬ならんー」

1917年1月 那覇商業銀行 監査役・山城高興、城間恒有、森亀次郎/謝花雲石・島袋石扇「琉球音楽野村流始祖先師顕彰碑」始祖・野村安趙、松村真信、桑江良真、城間恒有、伊差川世瑞、世禮國男

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毛氏古堅盛珍は亀川殿内2代の支流平安名親雲上の長男、1852年生まれ。父の役をつぎ平安名の脇地頭、後読谷山古堅の脇地頭。18歳の頃、弦声の道を安室親雲上に学ぶ。次男盛保。1920年没。1915年、城間恒有別荘でコロンビアレコードに辺野喜節を吹き込む。金武良仁は述懐節を吹き込む。

左に「ナショナル乾電池」広告(1938年6月『琉球新報』)
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 問題は帰り。台風13号(サンサン)が帰沖予定日に本州上陸予定という。できたら関東よりになってほしいというか、そしたら関東が迷惑を被る。この悩みはアベ政治の自然災害に対する無策の所為だ。イージス艦に4000億円。オスプレイは1機200億円。西日本豪雨災害には20億円。

右ー伊丹空港

ひより撮影
 8月5日ー新たに問題が、ひより「電車が怖い」。近鉄で奈良の大仏に連れて行けないという。読谷の母親に電話で説得させる。6日晩は電車で難波のホテル、お祖母ちゃんの看護学校の同期生たちとの食事会に同行。御馳走を前に喜々として満足。





ひより撮影
 7日、日本橋で文楽鑑賞、人形の顔が一瞬で怖い顔になるのが面白かったという。あと奈良へ行き、東大寺、興福寺で鹿の写真をたくさん撮った。台風13号は関東に行き、14号はフィリピンで停滞していている。8日は環状線で天王寺で下車、あべのハルカスを見ながら天王寺動物園。9日帰沖。

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