Archives

You are currently viewing archive for February 2013
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

写真左から石野朝季氏、とかしき・ただお氏、仲宗根将二氏



仲宗根将二氏から贈られた宮古資料

» Read More

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
b>null
写真左からー真喜志好一氏、新城栄徳、ジュゴンネットワーク土田武信(1943年3月~2010年12月)

2013年2月21日『琉球新報』□「辺野古の海守る」ジュゴンネット土田武信さん妻・孝子さん遺志継ぐー「法律は国民の側にあるものだと、夫はいつも言っていた」。アセスやり直し訴訟の判決後、那覇地裁前広場で、土田孝子さん(61)=那覇市=は、辺野古の海を守ろうと原告団の一人として力を尽くした夫の武信さん(享年67)の言葉を思い出していた。
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1952年  山元恵一、大城皓也に師事
1956年  第8回沖展入選・久保田賞受賞
1959年  二科会沖縄支部結成に参加/第11回沖展会員推挙
1960年  第45回二科展初入選
1971年  第9回全日本美術協会(全展)に初出品
1974年  第21回全展委員推挙 
1982年  新生美術協会創設に参加
1987年  9月ーギャラリーみやぎ「第1回個展」
1988年  9月ーギャラリーみやぎ「第2回個展」
1989年  沖縄タイムス芸術選賞奨励賞


1992年6月『新生美術』10号「追慕・山里昌弘」



» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

null
ジュンク堂那覇店・スタジオジブリのコーナー


» Read More

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02


02/22: 古堅哲

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

沖縄の電力事業史の本に1981年9月発行の古堅哲『うるまの灯ー沖縄の電力事業史』財団法人・日本電気協会がある。著者の古堅哲氏は1926年7月15日に名護市の屋我地島で生まれた。2013年2月4日に亡くなられた。著に1996年『ゴバン型集落 済井出村の源流』がある。98年に『達姓(大宗家)古堅・世系図』を発行しておられる。

02/22:

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
 『宮城松隆追悼集 薄明の中で』同発行委員会(事務局・西銘郁和 ☏098-973-0771)

2012年10月 『非世界』№25(復刊15号)同人会(平敷武焦 沖縄市字古謝1044 電話FAⅩ 098-934-2006
□樹乃タルオ「巻頭・この明るさはどこから来ているのだろう」/石川為丸「宮城松隆さん、プレセンテ!」

宮城 松隆(みやぎ まつたか、1943年 - 2012年 )
沖縄県生まれ。琉球大学国文学科卒。 日本詩人クラブ所属、詩誌「非世界」、「脈」同人。 沖縄戦の詩、生死を凝視する詩を、沖縄の地から発信する詩人。個人詩誌「キジムナー通信」発刊により沖縄の新世代の詩人の発表の場を設けた。『沖国大文学』で活動した宮城隆尋、松永朋哉、トーマ・ヒロコらの新世代の書き手にも「キジムナー通信」の誌面を提供した。「沖国大文学」とともに山之口貘賞受賞詩人を輩出する端緒をつくった。→ウィキペディア

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
null


比嘉加津夫
1944年12月12日久志村(現在の名護市)字久志に生まれる。沖縄大学文学部中退。在学中、沖大文学研究会を立ち上げ機関紙『発想』を創刊、沖縄の現代絵画、現代詩などを取り上げる。清田政信評論集『流離と不可能性』(1970年7月)を沖大文学研究会から発行。『発想』は8号まで出るが、7号までの編集にたずさわる。8号の発行は「発想編集部」。1972年業界新聞社に入社。その年から不定期で個人誌『脈』を発行。5号から年4回発行にこぎつける。24号からは同人誌になり、特集ページに力を入れる。1964年、11月『作品集』1号を出す。短編「叫ぶ羊群」「頽唐せる青年」「山椒魚の青年」等掲載。(はてなキーワード)


Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
同年1月に日英同盟条約調印。兒玉源太郎台湾総督(1875年にも来沖)、井上勝ら福岡丸にて来沖。那覇の潟原で那覇首里の小学校の運動会を見る。また首里を遊覧。風月楼で2区の有志及び各役所の高等官60名「歓迎会」。

児玉源太郎 こだまげんたろう
1852(嘉永5)~1906(明治39) 明治時代の陸軍軍人(大将)
徳山藩士児玉半九郎忠碩の長男。戊辰戦争に藩の献功隊士として参加。のち陸軍に入り、佐賀の乱・神風連の乱・西南戦争に従軍して頭角をあらわした。 1887(M20)陸大校長としてドイツの軍制・戦術の移入紹介につとめ、91ヨーロッパ視察。 92~98陸軍次官兼軍務局長、日清戦争で大本営参謀、功により男爵。96中将に昇進し、長州軍閥の1人として重きをなした。 98台湾総督。1900第4次伊藤内閣・桂内閣で陸相、一時内相と文相を兼任。 04大将に累進して日露戦争に出征し、満州軍総参謀長、戦功により子爵。06参謀総長に就任。南満州鉄道株式会社創立委員長。没後、伯爵。 (はてなキーワード)

日本の近代的交通網を整えた「鉄道の父」
井上 勝 ( いのうえ まさる ) ●天保14年(1843)-明治43年(1910)
勝は天保14年(1843)、藩士井上小豊後勝行の三男として、土原浜坊筋に生まれました。長崎でオランダ士官に兵学を学び、江戸では砲術を修行して、さらに箱館へ行って英国領事館員に英語を学びました。その後航海術習得のため、伊藤博文や井上馨らと英国へ密航してロンドン大学に留学し、鉱山学および鉄道の実業を研究して、明治元年(1868)に帰国しました。明治4年(1871)に鉱山頭兼鉄道頭となり、新橋―横浜間に日本最初の鉄道を開通させて以来、工部大輔・鉄道庁長官等を歴任して、全国各地の近代的交通網を整備しました。明治22年(1889)には、東京―神戸間の東海道線を全通させています。同43年(1910)に鉄道院顧問となり、欧州を視察しましたが、ロンドンで病死しました。享年68歳。
 墓は、沢庵和尚を開山として、寛永15年(1625)に3代将軍徳川家光によって創建された品川の東海寺墓地にありますが、ここはJR東海道線と山手線とが分岐するところとなっています。また東京駅頭には、大正3年(1914)に銅像が建てられ、戦時中の金属供出によって台座のみとなっていましたが、没後50周年の昭和34年(1959)に再び銅像が建てられました。(city.hagi.lg.jp)■ちなみに井上勝の娘は松方正義の9男義輔に嫁いでいる。松方の3男幸次郎(元川崎造船社長)は松方コレクションで知られる。


Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
『沖縄の軌跡』98号 編集発行人・島袋和幸〒124-0011東京都葛飾区四つ木4-18-10 ☎03-3695-9276 島袋携帯090-4920-6952



Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

沖縄県人事録(昭和12年)


絵地図に見える十文字屋呉服店/戦前の地元紙に出た十文字屋呉服店の広告

» Read More

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

戦前の琉球新報社長の渡久地政瑚の経歴を伺うために沖縄観光速報社を訪ねた。以来、パレットや展覧会などでお会いすると暫し会話した。


02/13: 西村捨三

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02



西村捨三
生年: 天保14.7.29 (1843.8.24)
没年: 明治41.1.14 (1908)
明治期の官僚。父は彦根藩(滋賀県)作事奉行西村又治郎,母は貞。幼君井伊愛麿(直憲)に仕え,藩校弘道館に学んだのち同館国学方教授長野義言(主膳)の推薦を得て藩命により江戸に留学,塩谷宕陰に学んだ。この留学中の放蕩に対し,父が幼名の得三郎を捨三に改めると訓戒したのが名の由来。のち一代限騎馬徒士,藩校教授となる。その間京都周旋方として情報収集に当たり,大政奉還後は朝旨遵奉という藩の方針の下で東山道征討に参加した。明治5(1872)年旧藩主直憲に従い欧米を視察,10年内務省に出仕し,警保局長,土木局長などを歴任した。22年大阪府知事に転じ淀川改修,上水道整備に尽力し,次いで農商務次官のとき平安神宮創建に参画。大阪築港にも貢献した。
(コトバンク・長井純市)

1864年8月2日、首里城内で尚典生まれる。幼児期、久米の漢学者・米須や林世功に漢籍を学ぶ。1872-9-14  琉球藩設置
1879年3月、松田道之琉球処分官が、後藤敬臣ら内務官僚42人、警部巡査160人余(中に天王寺公園に銅像がある後の大阪市長・池上四郎も居た)、熊本鎮台分遣隊400人をともない来琉し琉球藩を解体、沖縄県を設置した。この時、内務省で琉球処分事務を担当したのが西村捨三であった。5月には沖縄県令として鍋島直彬が長崎出身官僚32人をともない着任した。前後して、琉球藩王・尚泰は東海丸で那覇港を出帆。6月4日には神戸で2泊。6月6日に新潟丸で東京に向けて神戸港を出帆。





Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1888年・第1回卒業ー高嶺朝申、仲吉朝助(農大乙科卒)、百名朝計(沖縄銀行頭取)/1889年・第2回卒業ー石原榮輔、村山盛福/1891年・第3回卒業ー伊地柴本(首里市役所)、恩河朝祐、金城紀長、仲吉朝紀、若山忠次郎/1893年3月・第4回卒業ー呉屋健哉」、重久雄吉(宮古郡税務署長)、谷川益太郎、與儀喜英(産業銀行)  同年5月・第5回卒業ー大城盛祐(長崎控訴院書記)、大城朝健、仲濱政数(台湾製糖会社那覇事務所)/1894年・第6回卒業ー新垣壽助(小倉電気商会)、赤嶺新竹、奥川鐘太郎(在東京)、島袋松、瀘名波起益、玉那覇重善、知念堅輝(農大実科卒産業銀行重役 大里村長)、照屋孚能、長嶺紀啓、橋本諭吉(在台湾)、安元實得(在米)/1895年・第7回卒業ー伊藤雅二(那覇池田店 那覇市議)、蒲原秀一、本村啓介、久場景述、崎間永行、玉城瑩(早稲田卒)、富盛寛卓(宮古小学校)、比嘉賀学(那覇市助役)、山城瑞喜

1896年・第8回卒業ー伊波普猷(文学士 県立図書館長)、小橋川朝松(八重山)、下地昌道/1897年・第9回卒業ー新垣隆永、伊波善思(県会議員)、伊差川英文、親泊朝輝(愛媛県宇和郡長)、金城紀光(医学士 元順病院 那覇市議)、小禄恵芝、酒井豊雄、松原寛功、祝嶺春棟、高嶺朝扶(早稲田大卒 首里)、武富良秀、照屋徳太郎、友寄善直、名嘉眞武煌、肥後傳熊、真境名安興、山内盛能、屋比久孟昌/1898年・第10回卒業ー浦崎康信、許田普永、久高友輔(首里郵便局長 首里市会議員)、兒玉銓吉、高山徹(元玉那覇 農学士 山本農相別邸)、天願貞靜、渡久地政瑚、田中豊彦、西弘海、根路眼恵頒(普天間)、野原春太郎、饒平名紀腆(名古屋医専卒 那覇波上病院)、東恩納盛亮(台湾高雄州旗山第二公学校)、平野益照(大島庁々書記)、藤田孝男(海軍機関大尉)、古堅宗祐、外間現篤(法学士 朝鮮大邱 弁護士)

1899年・第11回卒業ー新城源次郎、新川善義、新川善長(臺灣花蓮港林田駅内徳森製材所)、石川親忠、伊波普成(牧師 那覇)、喜屋武盛長(在米)、久場守益(那覇 石炭運送業)、熊谷照英、古波蔵信貞、小嶺幸欣(那覇東)、崎山宗秀(東京高等師範卒 文学士 京都大学院)、佐久原好傳(伝道師 メソジスト教会)、玉那覇平益、照屋孚至(久米島登記所)、宮城鐵夫(農学士 台南製糖社宅)、山代質、與古田良成/1900年・第12回卒業ー有川五郎(長崎医専卒)、赤嶺仁太、池ノ上嘉(在台北)、伊波興旺、岩城長蔵、糸数青盛(那覇市役所)、臺数弘榮(県立師範学校教諭)、漢那憲英(那覇甲辰小学校訓導)、國吉眞徳、小嶺幸慶(法学士 勧銀支店)、小波津清榮、崎浜秀主(早稲田高等師範卒 商銀専務取締役)、島袋慶福(真壁小学校長)、富原守昌、仲里貞助(宮崎小林税務署)、仲村渠寛忠、野村安保、東恩納寛惇(文学士 東京府立第一中学校教諭)、肥後武二郎(台南製糖会社西原工場)、比嘉盛珍(福岡県若松炭坑株式会社)、藤田猛(長崎医専卒 長崎開業)、福永兼吉(歩兵大尉 熊本十三聯隊中隊長)、福永福要、眞榮平房貞、山田朝常、與那覇政敷

1901年・第13回卒業ー安次嶺榮華(専修大学卒 那覇市役所)、糸数東榮(在布)、大山岩雄(早稲田大学文科卒 県立農学校教諭)、大山辰二(長崎医専卒 臺灣臺北市西門街開業)、小野榮(商業学校教諭)、大城元次郎(名護村長)、金城加那(那覇技芸学校)、金城盛行、神田橋榮助、金城普照(農大実科卒 島尻郡役所技手)、金城兼吉、城間恒用、城間宏恵(長崎医専卒 支那漢口医院)、桑江良行(早稲田大卒 県立二中教諭)、久場守友(与那原郵便局長)、酒井豊静(開業医)、座喜味盛彰、島袋盛昌、玉城濶(千葉医専卒 糸満開業)、平良仁五郎、玉城安盛、手登根順義、照屋久八(在台湾)、當山順吉(恩納村 役場員)、仲本興賀、仲村政哲(那覇商業銀行)、名嘉山安忠(長崎医専卒 撫臺街開業)、仲本政春(歩兵中尉 那覇市議)、仲村渠榮行(在米)、仲宗根新一郎、前田忠(高商卒 横浜正金銀行シンガポール支店長)、百名朝敏(青山学院卒 尚家家扶心得)、前堂昌俊、松元完榮(県師範学校書記)、宮城寛良(那覇港務所)、宮城嗣謹(八王子小学校教員)、宮里仁榮(大阪医専卒 秋田県山本郡扇淵村)、宮城助友(八重山炭鉱)、勝屋米雄(臺灣総督府通信局)、山城範益(首里市会議員 砂糖委託組合理事)、山城正鳴(臺灣公学校)、與儀正道(在米)

1902年・第14回卒業ー伊仲浩(農大実科卒 那覇)、稲福蒲戸、大橋敬二(巣鴨監獄看守長)、大濱保篤(農大実科卒 鹿児島専売局)、大城幸蔵(ヒリピン大田興行株式会社副社長)、神山政良(法学士 東京市外淀橋専売支局)、金城嘉保(金沢医専卒 那覇医院主)、賀数仁王(開業医 高嶺村與座)、我部政明、嘉手納並藝(後備歩兵少尉 那覇港務所)、喜瀬知彦(宮崎税務署)、國吉眞文(商船学校卒 神戸市日本郵船会社気付デラゴヤ丸)、久高唯忠(医専卒 東京大塚辻町愛仁堂)、小嶺幸輝(名古屋高工卒)、古波鮫唯仁、米須秀松、多嘉良憲(農学士)、玉城實雄(京都医専卒)、高宮城朝三(内閣印刷局)、高嶺朝安(早稲田専門卒)、平良淳榮、渡口精秀(商船学校卒)、渡嘉敷唯續(金沢医専卒 在臺灣)、渡嘉敷通達(県庁)、長嶺亀助(歩兵少佐 陸大卒 参謀本部)、仲本盛松、仲吉朝宏(中城小学校長)、長嶺但吉、仲尾次喜與(在米國桑港)、仲村渠良保、西村助八(農大実科卒 県産業技師物産検査所長)、毛嘉富良、平田直保(県属会計課)、比嘉盛敬、平敷安興(在米)、外間現長(大阪高医卒 大阪府技師)、外間現多(青山学院卒)、丸山芳樹(京大工学士 朝鮮総督府技師)、眞栄平房寛、牧港朝謙(首里市役所)、宮城幸安(商船学校卒 日本郵船会社機関長)、屋富祖徳次郎(金沢医専卒 泊開業)、山川朝棟(沖縄銀行首里支店長)、與儀正榮(農大実科卒 新高製糖会社農課長)

» Read More

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02

(上原実所蔵)

月形龍之介(1902ー1970)
阪東妻三郎、大河内伝次郎と並ぶ剣豪スターの一人。日本で最初に創られた俳優養成所の第一期生。尾上松之助の「仙石権兵衛」のチョイ役でデビュー。あらゆる下積みの苦労をなめ、妻三郎主演の「討たるる者」(1924)で準主役に抜擢され出世作とする。戦前戦後を通じての日本映画史上の名優。大スターではじめて性格俳優と呼ばれた。「剣士・沖田総司」(1929/監督・井上金太郎)で月形が自分で企画し自分の月形プロで初めて沖田総司を主役にした映画を撮った。もんくなく最初の沖田総司役者である。伊藤大輔監督と組んだ映画史に残る名作「斬人斬馬剣」、「堀田隼人」の家老役に評価が高い。(はてなキーワード)

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
null

null
写真左から上地兼恵氏、國吉貴奈さん、平良知二氏、金城美奈子さん、新里正次氏

» Read More

Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
null
1882年に第一回県費留学生の山口全述を調べる
過程で山口全則を知り、やがてその子息で東京沖縄県人会会長の山口國雄氏を知る。
Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02


波照間三蔵氏
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

沖野忠雄銅像ー大阪市北区・淀川河川公園にある。

沖野忠雄 生年: 安政1.1.1 (1854.1.29) 没年: 大正10.3.26 (1921)
明治期の土木技術者。但馬(兵庫県)の武家に生まれる。父春水。東京大学の前身である大学南校に明治3(1870)年に入学したが,明治8年から長くフランスに学び,土木工学を専攻,明治16年に,内務省の土木局に任官し,8年後大阪の土木監督署に赴任したのちは,大阪港の築港工事や淀川の治水工事など,大阪近辺の環境整備を手掛け,功績があった。のち内務省に帰任,技監を務めた。 (村上陽一郎・コトバンク)
大正5年4月の那覇築港竣工式に、功労者(内務技師監工学博士)として、近藤虎五郎(内務技師工学博士)と共に紀念品を贈呈された。

近藤虎五郎 こんどう-とらごろう□1865-1922 明治-大正時代の土木技術者。
慶応元年6月1日生まれ。アメリカ留学後,明治23年内務省にはいり,内務技師となる。河川改修や上下水道の普及につとめる。母校東京帝大の教授,鉄道省技師なども兼務した。大正11年7月17日死去。58歳。越後(えちご)(新潟県)出身。(コトバンク)

那覇港湾施設(なはこうわんしせつ)は、沖縄県那覇市にある在日米軍基地で、アメリカ陸軍が使用している。尚、“軍港”と通称されているが、海軍の基地ではなく、陸軍の管理する港湾設備である。国場川の河口南側、明治橋の西側、那覇港フェリーターミナルの対岸に位置する。南側には陸上自衛隊那覇駐屯地がある。1945年(昭和20年)に米軍が沖縄を占領して以来、那覇軍港として陸軍によって整備が進められてきた。

1972年(昭和47年)の沖縄の復帰に際して、名称が「那覇港湾施設」と改められ、1974年(昭和49年)の第15回日米安全保障協議委員会で、移設条件付き全面返還が合意された。その後、国道331号・国道332号の拡幅、那覇西道路の海底トンネル建設などのため、一部用地が日本側に返還された。(ウィキペディア)













Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
2011年4月ー那覇市歴史博物館で、外間政明氏から明治大正時代の医者・伊波普助の曾孫I氏を紹介された。職業は曽祖父の影響か看護師であった。伊波普助の孫・伊波普英氏(沖縄県立第二中学校18期1932年卒業、同期に大山一雄、嘉手納宗徳、黒島寛松)は大阪で琉球居酒屋を経営しておられ私は親しくしてもらったことがある。曾孫I氏はその息子さんであった。





» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
『沖縄の軌跡』97号 編集発行人・島袋和幸〒124-0011東京都葛飾区四つ木4-18-10 ☎03-3695-9276 島袋携帯090-4920-6952
null
null
null
<袋中上人行化碑>が、{桂林寺}の跡である松山公園の一角にある。左の碑文に「慶長8年(1603)、浄土宗の僧、袋中上人は縁あって来琉。法然上人念仏の教えを弘め、故郷岩城(福島県)「じゃんがら念佛」を普及、現在沖縄の伝統芸能「エイサー」となる。時の琉球尚寧王は上人に深く帰依、桂林寺を建立。ここ松山公園その跡地である。この跡地において、平成16年(2004)2月7日袋中上人沖縄開教400年を記念し、上人顕彰・頌徳の慶讃法要ならびに、第二次大戦戦没者諸霊位の冥福を薦めるため、仏教各宗派寺院、檀信徒等、千数百名の参加を得、俱会一処の法楽を奉修した。願わくはここ沖縄の地に世界平和念仏が弘通され、すべての人々の心に安らぎがもたされることを期し小碑を建立する。平成16年2月吉日  浄土宗宗務総長 水谷幸正」と記されている。




» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02



沖縄で桜と言えば、ソメイヨシノではなく緋寒桜(ヒカンザクラ)。亜熱帯らしさ溢れる濃いピンク色の花を下向きに咲かせるのが特徴です。 緋寒桜は散りにくく、多少の風雨に負けることなく約半月から1ヶ月ほど咲き続けたあと、ポトリと花ごと落ちます。(→おきなわ物語)

緋寒(ヒカン)桜
 カンヒザクラ(寒緋桜)とも言います。まだ寒い早春に、緋色または濃桃色の花を、枝一杯に咲かせます。花はうつむき気味に下を向いて咲きます。 八重岳、名護城跡が名所。 学名:Prunus(プルヌス)campanulata(カンパヌラタ) 別名:カンヒザクラ(寒緋桜)、campanulata(カンパヌラタ) 科属名:バラ科サクラ属カンヒザクラ・グループ 原産地:中国、他 樹高:5m 開花期:1月下旬~2月上旬 花径:2cm (→南国の四季を彩る花々と草木)

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
2005年12月の立花隆『天皇と東大』に「東大新右翼のホープ・岸信介ー岸・2~3人の学生と一緒に牛込の猶存社へ行って北一輝に初めて会ったわけだ。それまでに北一輝の書いた『日本改造法案』を、私は誰からそれを借りて、一晩徹夜でそれを写本したことがあるが、あの考え方に非常に強い印象を受けていた、それでまあ猶存社に行って北に会うことになったのだと思う。

2010年1月『中央公論』で蓮實重彦元東大総長と浅田彰京都造形芸術大学大学院長の対談。浅田「それにしても、今日は80年代の総括みたいな対談を20年後にふり返るという企画だったんだけれど、やはり驚きがない。(笑)」。蓮實「その驚きの不在こそ、19世紀の21世紀への浸食なのですから、そのことに改めて驚けばよい。何しろ、吉田茂の孫が、何十年後に出てきて・・・・・」。浅田「続いて鳩山一郎の孫が出てくる。いや、細川護煕が首相になったときのデジャ・ヴユも多少ありますね」。蓮實「こうした笑劇の近代性は、マルクスが見抜いていたわけですから、私は『聡明さ』を放棄して、19世紀の着実な浸食ぶりを率直に楽しむ『愚鈍』な権利を行使させていただきます」。

□蓮實 重彥(はすみ しげひこ、男性、1936年4月29日 - )は、東京都生まれのフランス文学者、映画評論家、文芸評論家、編集者、元東京大学総長。身長182cm。英語、フランス語、イタリア語を解する。父の蓮實重康は京都大学教授などを務めた美術史家で、人民戦線『土曜日』にも関わった。妻はフランス留学時代に知り合い、「小津安二郎を愛する」、フランス語を母語とするベルギー人の蓮實シャンタル。 Wikipedia

安倍晋三は在日ではないかの問いにYahoo!知恵袋「ベストアンサーに選ばれた回答」は□本人も日本人に違い有りませんし、岸信介も日本人ですが、巣鴨プリズンに収容されていたときにGHQに売国奴として働く条件で解放されているようです。GHQは現在存在しませんが、CIAが代わりに暗躍していて、日本人に良く似ている朝鮮人を使って、電通などマスコミを使いつつ、この国を半ば支配しています。何故駅前の一等地がパチンコ屋が目立つのか、何故こんなに在日が政治に絡んでいるのかを考えたら結論は早いです。暴力団や右翼も殆どがトップが在日です。

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
2013年2月2日、体制派の『読売新聞』ブログは□「スモッグが重く低く立ちこめる北京市内。何かが焦げたような臭いが街中に漂う。外をしばらく歩くと、目や鼻、のどに違和感を覚え、室内にいても頭にずんと重みを感じる。北京に1日滞在すれば「たばこを21本吸ったのと同じ計算」(中国誌「新民週刊」)と言われ、「N95」の表示がある業務用マスクが品薄状態だ。1枚約7元(約100円)と通常のマスクより割高だが、健康被害をもたらす微粒子状物質(PM2・5)の吸引を確実に防ぐのに必要とされる。安価な偽物も出回っている」と報じている。

中国が琉球固有の領土である尖閣諸島に対する対応は下の様な見解が出てきても「仕方がない」と思われる。事実無根かも知れないが用心にこしたことはない。これもひとえにアメリカ軍、自衛隊基地が何の抑止力にもなってない証明だ。だのに与那国島に新たに税金で日本政府は何の役にも立たない基地を作ろうとしている。「思いやり予算」を貰うばかりのアメリカに番犬の仕事をさせろ!。

□思いやり予算ー基地従業員の人件費、光熱水料、基地内の建設費のほとんど全額など、2007年度で2173億円を「思いやり」で支出するほか、地代や周辺の防音工事、自治体への補助金、無償提供中の国有地の推定地代を含めると日本の負担は年間6092億円。米兵1人当たり約1800万円に達する。日本の財政危機に対し、米国は財政が日本より余裕があるのに、なお「思いやり」を続けるのは道理に合わない。(コトバンク)


2月の「国際派日本人養成講座」と称するブログに以下のような論が掲載されているが長いので要点だけ引用する。
■1.中国企業が買い漁る日本の山林
 中国企業による日本国土の買い漁りが進んでいる。たとえば平成22(2010)年7月、北海道伊達市と壮瞥町の境界に広がる700ヘクタール(東京ドーム150個分)以上の森林を所有・運営していた日本のゴルフ場企業が経営に行き詰まり、中国人実業家の企業に買収された。

 これでこの土地は実質的に中国企業のものとなったが、国土法によって所有者を届け出る必要があるのは、「新たな所有者が土地を取得したとき」のみである。この森林の場合は、買収されても所有企業の名前が変わらなかったので届け出の必要がなかった。

 林野庁からの指示で北海道が調査した結果、平成20(2008)年までの3年間に取引された30ヘクタール以上の森林などの不動産は7万ヘクタール。取引を行った企業139社のうち、上記のように中国企業が偽装して山林を買い取っている例がどれだけあるのか、その資本関係まではつかみきれないが、正真正銘の中国企業が一社見つかった。

 北海道倶治安町の57ヘクタールの山林の所有者は父親から遺産相続した山林の売買を不動産屋に依頼していたら、いつのまにか香港の企業に売られてしまったという。そのうちの32ヘクタールが水源機能を持つ保安林だった。同じく北海道ニセコ町では町内にある5つの水源のうち二つが外国資本の敷地内にあった。

 北海道ばかりではない。鹿児島県奄美大島一帯の山林の買収を進めている海運会社グループは、もともと日本人の同族経営だったのが、中国人役員が経営に参画し、その後、事業拡大が図られている。

 三重県の大台町は、1000メートル級の山並みが続き、伊勢神宮を流れる宮川の源流として名高いが、この「水の聖地」も平成20(2008)年1月に中国企業に買い取られた。一人の中国人が町役場に来て、250ヘクタールの山林を登記していった。しかし、実際に買い取ったのは1000ヘクタールを超えるとも言われている。

■2.中国の危機的な水資源
 中国企業と言っても、日本や欧米のような私企業を想像してはいけない。国や地方政府、軍が直接、経営している企業もあれば、個人経営でも、背後に政府や軍がバックアップしている企業もある。中国企業が海外で活動している場合、その背後には中国共産党がいると考えた方がよい。中国共産党はなぜ日本の山林を買収するのか。日本の国会にあたる全国人民代表大会のメンバーがこう語ったと伝えられている。__________
 北京の水資源は危機であるが、この事実を国家指導者だけが知っていて北京市民には知らされていない。長江は世界一長い下水道と呼ばれ、地下水は90パーセントが汚染されている。北京に住む外国人も市民も逃げ出せば、全国の13億人は大混乱に陥る。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

 10年以上連続で旱魃に(かんばつ)に見舞われている北京市では、1960年代から建設された80カ所以上のダムにもほとんど水がない。また全国の主要都市660カ所の中で、400カ所以上の都市で水不足となっている。工場用地や住宅用地を作るための無計画な自然破壊で北京からわずか70キロまで砂漠が近づいている。我が国を襲う黄砂もこれが原因だ。
■3.日本の水資源を狙う中国共産党
 この問題に対処する手っ取り早い方法は、日本の山林を買収して、その水資源を確保することだ。

» Read More

Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
島袋和幸  〒124-0011 葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952
東京の島袋和幸氏が袋中上人の故郷いわき市を訪ねたと、資料、名物を送ってきた。佐々木笑受郎の子孫にも会って、先祖が漢方医で漢方の薬草を煎じる道具の写真もあった。

右ー2013年1月3日『東京新聞』「犠牲の灯り・沖縄、福島重なる痛みー安倍晋三は『美しい国』を欲し、尖閣諸島や竹島問題では『国土を守る』と勇ましい。その安倍首相がなぜ原発ゼロには口をつぐむのか。『原発は美しい日本の自然や風土を穢したではないのか』。・・・・・」「写真・同じルーツを持つ沖縄の『エイサー』と福島の『じゃんがら念仏踊り』。年の瀬の福島に、鎮魂の舞と音色が重なった=福島県いわき市の菩提院で」
□じゃんがら念仏踊り(じゃんがらねんぶつおどり)は、平 (いわき市)を発祥地にして江戸時代の磐城平藩領(浜通り夜ノ森以南)に分布する郷土芸能で、鉦、太鼓を打ち鳴らしながら新盆を迎えた家などを供養して回る踊念仏の一種である。(→ウィキペディア)

島袋和幸(葛飾区四ツ木4-18-10 携帯090-4920-6952)2016年3月25日『沖縄の軌跡』第170号「関東大震災を撮影した歯科医師・佐々木三郎」→関東大震災の「死人」の写真数枚掲載。

» Read More