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Category: 04-書の森
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写真前列左から仲尾次政補、山田實、仲尾次、山田豊、山田有登、その前が山田保、山田昭、山田。後列左が山田實姉の貞子、右が山田實母 1929年10月 山田家の庭で


2013年11月30日13時30分から16時40分 沖縄県立博物館・美術館 講堂「近代琉球の宗教的偉人 仲尾次政隆がのこしたもの」真宗ネットワーク・琉球 
講演・知名定寛「仲尾次政隆」/公演・大工哲弘「仲尾次口説、七月念仏、宮良川節、仲順流れなど」



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講師の神戸女子大学教授・知名定寛氏


2008年5月 知名定寛『琉球仏教史の研究』榕樹書林

写真ー知名定寛氏と榕樹書林・武石和実氏

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 『AERA』2013年11月ー五輪「中止」はないのか?地震、火山、そして原発 7年後、東京で五輪が開かれると信じている。だが、日本は「地震大国」であることを忘れるわけにはいかない。

 2014-安倍晋三首相は8月20日夜、広島市の豪雨被害で救出活動が続く中、静養のため官邸から山梨県鳴沢村の別荘に戻った。土砂災害発生の一報後もゴルフを続けたことに加え、対応の指揮を執るべき首相が東京を離れ再び静養に入ったことに、民主党の海江田万里代表ら野党幹部らから批判の声が上がっている。
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2003年3月 『浦添市立図書館紀要』№14 宮城篤正「鎌倉芳太郎先生の思い出」
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末吉安久(1926年『民族』末吉安恭「沖縄の猿の話」)
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伊波が「沖縄学」を華々しく築いた大正・昭和初期、碩学からの学的影響を素直に認めながらも、県内の多くの知識人が伊波学問への批判、さらに時代への反間を雑誌・新聞等で論じた。新たに研究会等を組織し、自己を研鑽、学的な触発を得ながら時勢の言論をリードした末吉安恭(講師・粟国恭子)・島袋全発(講師・屋嘉比収)ら新聞人・文人、そして多くの教員たち。さらに「沖縄改革の急先鋒」と称された太田朝敷(講師・伊佐真一)の独自の言論活動・・・・・・・・・伊波を通して視た「郷土沖縄」の文化・歴史、近代という時代への問いとは。その言論・思想の意味するものは?。




写真・「この『琉文手帖』の末吉麦門冬特集は新城栄徳さんと、ここに居る伊佐真一さんが共同で作成したものです」と粟国恭子さん。伊佐真一氏、屋嘉比収氏


会場に展示されている『琉文手帖』「末吉麦門冬」「山城正忠」



満員の会場
□1991年1月 伊佐真一編『アール・ブール 人と時代』伊佐牧子
○(略)赤と黒の綱引きは相拮抗しており、それはそれで学問的に大いに議論をすればよいことである。だが、時として世の中にはこうした自由な言論・報道を封じ込めようとする者がいるものである。たとえばその一例、この赤黒論争が新聞紙上や巷間でにぎわっていたころ、沖縄総合事務局開発建設部の村山和義公園調整官から、18名の元委員に宛て、首里城にかかわる発言を統制しようという文書が出されている。その内容は、首里城正殿及び公園に関する出版物の刊行、公演、取材等多岐にわたる「マスコミ等への報道」を「公園調整官を窓口として一本化」するというものであった。これに対して、又吉真三氏と前田氏と前田氏はただちに抗議を行ったが、事の重大さに気づいた当局は6月12日付で、先の文書の廃棄処分するに至った(『琉球新報』1989年7月25日付夕刊)。戦前の大政翼賛会まがいの行為をしたわけであるから当然といえば当然である。(略)

□2009年10月 屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』世織書房
○(略)高良倉吉氏のそのような直接的な政治的役割にかんしてではない。琉球史研究という学問的意匠による非政治的立場を装いながら、きわめて政治的な役割を果たしている、その<政治性>の問題についてである。それは、党派的な主義主張やイデオロギーなどの「政治性」とは位相」を異にした、関係における認識や解釈などの<政治性>の問題である。


2013年9月13日『琉球新報』仲村顕「眠れる先人たちー大田朝敷」

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Category: 01-人物名鑑
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1994年9月28日『沖縄タイムス』「熊楠の書庫で『球陽』発見」
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第7回 沖縄県知事杯「チュンジー大会」


沖縄の伝統将棋「チュンジー」大会参加者募集。
嬉しい事に、県知事杯で開催出来ることになりました。
見学も大歓迎です。もちろん、参加も。
詳細は下記の通りです。
是非お越しください。

チュンジーはタマを打つ時の勢いある音も聞き応えがあって面白いです。ベテラン勢の対局は迫力があり、音もスピードもすごいものがあります。
また、初心者から大ベテランまでキャリアも年齢も幅広いですよ。(象棋普及会:島袋百恵)


開催日:2013年12月8日(日)
時 間:開場11:00 開始:11:30
場 所:明倫堂【めいりんどう】(那覇市久米2-30-1)
部 門:一般男性の部(棋力等によりA・Sクラスの別有)、一般女性の部、中高生の部、小学生の部

参加費:無料
申込・問合先:久米同進会 (電話:098-866-5733/住所:那覇市久米2-16-9 2F)
主 催:一般社団法人 久米同進会
後 援:沖縄県、一般社団法人 久米崇聖会
協 力:琉球象棋協会、象棋普及会

※会場には駐車場がございませんので、当日は公共交通機関でお越しください。モノレール「県庁前駅」下車、徒歩約15分
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□本巻は「近現代の差別を考え、その克服の道を探る」として赤坂憲雄、川村湊らのよく知られた執筆陣に交じって仲間恵子が「ヤマトゥのなかのウチナーンチュ」、鄭暎惠が「『在日韓国朝鮮人』とは誰か」を発表している。後者は「『在日韓国朝鮮人』を他者化し定義する権限をもつ普遍的な位置などどこにも存在しない」「それでも『在日韓国朝鮮人』と呼ばれるステレオタイプが存在しうるとしたら、その理由は何か」を論じて興味あるが、ここでは触れない。

仲間も同様の趣旨で「ヤマトゥに生きるウチナーンチュを一括りに述べることはできない」「『琉球人』『沖縄人』にどのような意味を与えるのかは、ウチナーンチュ自身が決めることである」と論を簡潔、具体的に展開させている。

評者は旧「沖青友の会」メンバーの大阪ウチナーンチュたちから、沖縄で「沖縄差別を究明しろ」とよく言われるが、沖縄ではヤマトゥンチュは少数派で新聞を見ると「子供がヤマトゥンチュゆえ、小学校でイジメられている」という母親の投書もよく出る。が、何よりウチナーンチュ自身が沖縄差別の象徴の「核基地」にならされている。

ことに大阪では少数派のウチナーンチュの親に生まれた2世、3世はさらに複雑で沖縄のウチナーンチュ(父親はアメリカ人)からも「ウチナーンチュらしくないウチナーンチュ」と無神経に言われる始末である。仲間は関西沖縄文庫を主宰している2世の金城馨と、沖縄関係資料室主宰の故西平守晴を紹介し「ウチナーンチュが築いた資料室が大阪に存在するということは、偶然のことでなく、約百年にわたる在阪ウチナーンチュの歴史になかにおいて必然だったのではないだろうか」「2世の私は、自覚をもって沖縄と向き合うようになってから先人が遺してくれた資料を少しずつ紐解いている途中にある」とし自分探しはこれからも続くとある。
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1977年9月8日『琉球新報』「アシャギー『見直せ麦門冬』と鎌倉氏」

1977年  『国語科通信№36』角川書店□鎌倉芳太郎(重要無形文化財<紅型研究>・玉川大学名誉教授)「首里言葉と那覇言葉ー(略)大正10年といえば、いわゆる大正デモクラシーの興った年で、沖縄でも社会主義運動が起こり、師範学校の教師であった私も、『沖縄タイムス』主筆の末吉麥門冬からマルクスやエンゲルスといったいわゆる赤い本を借りて来て、深夜コッソリ読んで興奮を覚えたりした。それが当時の沖縄の情勢であった。(略)殊に師範学校の教師が内務省の中央集権化の方向に反対するような研究(琉球王国の文化)をやる、そんなことは許されるはずがなかった。ところが、世の中の傾向がデモクラシーの社会運動にゆさぶられている時代であったので、またありがたいことに末吉麦門冬が『沖縄タイムス』でバックアップしてくれたので、私の琉球研究の芽は日一日と育って行った。・・・」

1978-4    『人間国宝シリーズ14 鎌倉芳太郎』講談社

1982-10  鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝』岩波書店   
             



1998年    『沖縄県立博物館紀要』第24号□外間正幸、萩尾俊章「沖縄県立博物館草創期における文化財収集とその背景」
 ○1、首里博物館の時代  2、日本本土における文化財収集活動ー(1)1958年の文化財収集ー仲原善忠先生と我部政達氏 (2)1959年における文化財収集活動ー森政三氏、神山政良氏、東恩納寛惇先生 (3)1959年~61年の文化財収集ー鎌倉芳太郎先生 


2003-9     浦添市美術館「今甦る80年前の沖縄~鎌倉芳太郎の撮った遺宝・風物~」沖縄テレビ・琉球新報社


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2003-11


2007年3月 沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』第19号/2008年3月『沖縄芸術の科学』第20号




2007年3月 沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』第19号□粟国恭子「近代沖縄の芸術研究①-末吉安恭(麦門冬)と鎌倉芳太郎」


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○往年、沖縄の芝居ファンを沸かせた】『大新城誠忠伝』の「チーグー(唖)王」は、尚元王のことで、古典音楽で座開きに歌われる、有名な「かぎやで風節」(御前風)は、忠臣大新城が、尚元王の即位の嬉しさを歌ったのだともいわれています。『中山世譜』蔡温本によれば、尚清王が重篤となったとき、三司官の毛龍○<口+全>(新城親方安基、いわゆる大新城)、和為美(国頭親方景明)、葛可昌(城間親方秀信)を枕元に呼び、世子尚元を立てて、よく補翼せよと遺命して、亡くなりました。果たしてー 尚清王が亡くなると、和為美と葛可昌の二人は尚清王の遺命に背いて、「世子尚元は病弱である。大伊江王子(尚鑑心)こそ、王位に就くべきである」と主張したのです。(与並 岳生 )


池城毛氏
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琉文手帖で末吉安恭を特集したとき、池城毛氏のすべて(残っているもの)の家譜を参考にしたことがある。氏集には、池城、美里、東風平、佐渡山、安里、譜久村、豊見山、末吉、比屋根、新城、眞境名、伊計、豊世嶺、太工廻、嘉陽、宇江城、冨名腰、屋部、上地、内間、徳田、根路銘、冝保、名嘉山、吉永、豊國、大湾、野村、野里、翁長、普久本、浜川、牧志、澤岻、眞志喜、上里、長嶺、嵩原、小波蔵、宮城、粟国、徳松、仲山、手登根、高宮城が見える。

□毛姓池城家
一世 安基 新城親方(アラグスィクウェーカタ) 
童名 小太郎金(シュタルガニ) 唐名 毛龍□
万暦五年丁丑(1577)旧四月二十九日卒 号 雲心
父 何人たるが知らず
母 儀保之大阿武志良礼
妹 名並びに生日忌日伝わらず 金氏具志頭親方能安の室
室 和氏浦添親方景明長女 号桂林
長男 安棟
長女 真鍋樽 すなわち 尚元王の夫人 前之東按司 生日伝わらず 万暦二十四丙申(1596)六月十二日卒 号梅嶺 神主は天界寺に奉安す
次男 安昔 南風掟親雲上→古波蔵家の元祖
外子 宮良親雲上 此の人二女あり 一女は先の大浜親雲上の妻、今の大浜親雲上の祖母なり 二女は八重山大阿母志良礼となる 先の石垣親雲上の妻 今の前石垣親雲上の祖母なり

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2013年11月 来間泰男『グスクと按司ー日本の中世前期と琉球古代』上下 日本経済評論社(〒101-0051 千代田区神田神保町3-2 電話03-3230-1661/FAX03-3265-2993)
○私は、マルクスの資本主義批判の論理と結果に賛同している。だから大学で四〇年間も「経済原論」(マルクス経済学)の講義を担当してきた。その私は、しかし、「その次に社会主義社会が来る」とは考えない。資本主義に未来はないが、社会主義社会というものは、構想どまりで具体像を描き得ないものである。レーニンも、社会主義をめざした革命を主導したものの、社会主義社会を作る出発点にさえ立てなかった。権力を取ってみてはじめて、社会主義という社会、社会主義経済を基礎ににした社会がどのようなものであるか、初めて考えたような節があるのである。
このことは、社会主義の問題に限らない。帝国主義の植民地支配から脱却して、独立を勝ち取った国々も同じ問題に直面した。独立とは権力を取ることであり、政治を自由に運営するものである。植民地支配から脱却したいというのは、当然の要求である。しかし、経済は自由に運営できるものではない。それはマルクスが論証したように「価値法則」によって一人歩きするものである。アダム・スミスの表現では「見えざる手」によって動くということになる。

□著者は本書で沖縄史の時代区分を提案している。~10世紀ー縄文時代(貝塚時代)、11世紀~14世紀ー琉球古代(沖縄古代)、14世紀~16世紀ー琉球中世(琉球王国時代前期)、17世紀~19世紀ー琉球近世(琉球王国時代後期)、、そして沖縄近代(沖縄県時代)、沖縄現代(米軍占領時代、復活沖縄県時代)へと続くというものである。

○おわりにー(略)私は「沖縄史を読み解い」ていて、いくつかの説に疑問を感じて、それぞれにコメントしてきたが、振り返ってみると、安里進に対する疑問が大きな位置を占めていることに気づく。彼がこの時代について多くを語ってきたからでもある。安里はこれをどのように受け止めるのであろうか。「相対立する学説が、学問的な議論を戦わすことは、学問の進歩にとって必要・不可欠のことである。相互批判を通して自他との{自他のー来間}相違点を明確にするとともに、共通の認識を確認し、これを積み上げて学問の発展に貢献することのあるからだ。その意味で、論争は共同作業だと思う」。これは安里が、金武正紀の批判に答えた時の文章の一節である(『地域と文化』第57号、1990年)。安里が今もこの境地に立っていることを切に願う。

安里への批判は、それを容認し、積極的に受け入れてきた高良倉吉らへの批判に通じる。1980年代以降の沖縄史研究をけん引してきた高良は、沖縄の人びとに勇気と希望を与え、その歴史に自信を持たせたといえる。しかし、それは多くの虚構の上に成り立った「歴史」であった。今回もその一端に触れたが、このシリーズの進行に伴って、さらに明らかになっていくことだろう。(略)

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Category: 01-人物名鑑
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2013年11月19日山田實さんのところに遊びにいくと大城立裕氏から『自伝琉歌集 命凌じ坂』沖縄タイムス社が贈られてきていた。本書の「あとがきー現代琉歌を創って」に、短歌がにぎやかなのにくらべて、琉歌の生産が貧しいのは解せない。世に琉球語復興が叫ばれているのに、である。ウチナーのこころを大事に、という思いは世に潜在しているのに、である、と現状にふれ、続けて、振り仮名や送り仮名の選択の問題は、さらに歴史的仮名遣いとよばれる古典的表現と現代仮名遣いとのいずれを選ぶかの問題に発展すべきものであり、私は現代仮名遣いに統一したことのみを表明しておく。(略)私たちの生活には、すでに日本語が領域を広げすぎている。それを琉球語会話の中に混ぜて、なんらの不自然を覚えなくなっている、と書かれている。

大城氏はその琉歌「東北ぬ津波沖縄ぬ戦 比びゆる節んあたんとぅ思ば」「東北ぬ瓦礫とぅ沖縄ぬ基地とぅ 移し先無らん事や似ちょてぃ」「琉球ぬ言葉滅びぎさながら 独り楽しみぬ琉歌作い」「今をぅとてぃ物習い拝まんでぃしゃしが 一足遅りやい巣守なたさ(崎間麗進さん)」「ヤマトゥ口短歌栄てぃあるとぅてぃん 忘りがたなさや愛し琉歌」「命凌じ坂ぬ頂上に佇ち見りば 生き身ありくりぬ思いどぅまさる」「さてぃむ週刊誌どぅくあまいやあらに 皇室ぬ口答えゆさくとぅんち」と現実をテーマにしたものと、「円覚寺や見事かたち小さしが 鎌倉に似してぃあにん美らさ」[]「獅子舞稽古部落中ぬ揃てぃ 蘇鉄し点呼『仲比嘉参うちょーみ』」「命長さあらな沖縄ぬ芝居 御衆様見物見守てぃたぼり」と芸能文化まで、まさにウチナー作家の真骨頂である。

私の大阪のオヤジ・西平守晴(沖縄関係資料室主宰)は、かつて年賀状に現実に感じたことを表すのに琉歌集から選んであいさつを書いていた。そのひとつを大城氏が紹介していた。氏が1972年5月に読売新聞社から出した『内なる沖縄・その心と文化』に「1972年新春、私のもとに舞いこんだ賀状の一枚に、次のようにあった。  苦りしゃしゅて泣けば泣きゅんでど言ゆるゑ涙もおしのごて笑て見せら(西平守晴) 一読して私はほとんど涙ぐむ。必死にユーモアを守っている姿勢に、である。以上、琉歌三首で戦後史をたどってみた。いうまでもなく、移り変わりながらなお変わらないなにものかを、その底にさぐりたく思ってのことである。」




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Posted by: ryubun02
2013年11月19日、本日の地元2紙によると自民党県連は「県外とんでもない」と菅官房長官と石破幹事長に恫喝されたそうである。辺野古を埋め立ててヤンバルの自然を破壊するしか道はないという。国民の側は辺野古阻止へ新訴訟 ジュゴン原告団が米国内で検討している。沖縄県立博物館・美術館に行くと「写真で実感!!沖縄の生物多様性」と題する写真展が開かれていた。沖縄県発行の『生物多様性おきなわ戦略』パンフレットもある。



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2013年9月 尖閣諸島文献資料編纂会(〒902-0068 那覇市大道40番地 FAⅩ098-884-1958)『尖閣研究ー尖閣諸島海域の漁業に関する調査報告』

尖閣諸島とは
Ⅰ尖閣諸島の漁業概要
Ⅱ聞取り編
1章 沖縄本島地区/2章 宮古島地区/3章 八重山地区/4章 漁場保全、領海警備
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「東京琉球泡盛商一覧」(1933年3月5日ー大宜味朝徳『南島』第三号)

本所区
松井町2の1-平敷安用□東京に於ける琉球泡盛の今昔ー私は大正14年6月に東京に於いて泡盛の卸業を始めたのであるが、当時と今日と比較してすべての方面に隔世の感が致すのである。当時吾々が泡盛を販売するのに苦心したのは全く想像以上である。第一に泡盛の名称さへ知らない、酒類業者や飲食店業者の間にも泡盛の何であるかを知らぬ人々が多かった位だから、一般の人々の知らぬのも無理のない話である。只僅かに九段を御得意とする極少数の間に知られているのみであった。斯様な有様であったので私は先ず泡盛の特質及び其の名称の宣伝に初めは全力を注いだので其時は酒販売業者は勿論あらゆる縁故をたどって宣伝に之努めたものであった。之を取引の状態から見ても全く御得意の信用状態が不明なので貸倒れになったり非常に苦痛を感じたものであった。泡盛卸の創始時代はすべてがお先まっくらで、泡盛取引を中心にして暴力団も横行すると云ふ有様で、一時は死線を越えて事業を為すと云ふ危険な状態も現出した位である。斯様な有様であったから商売道徳と云ふものはなくまぜ物割り物が熾に横行し、今日では誰も本気にするものなく一笑に附することであるが一例を申せば吾々が泡盛は無色透明が純粋なものだと云っても本気にしない。濁ったものが眞の泡盛だと信じた人も多かった位である。

今日の如く同業者も多くなり取引も合理化され組織化され泡盛の眞面目が発揮されるまでには、我が琉球泡盛は東京市場に於いて幾多の受難を得て今日の地位を築き上げたのである。当時一ヶ月三十本を売り捌くにはなかなか容易でなかったそれが今日東京に於いて我が琉球泡盛は三千石以上の需要をなしている、この点より見ても隔世の感で、殊に一昨年より急激に需要が増加して来たのであるが一面慥に琉球泡盛の真価が認識されて来た結果であると信ずる。克く酒類業者或は飲食店主の間に泡盛は度が強いため多量に売れぬから商売にならぬとか、或は商標が無いから信用が出来ぬとか、言ふ人があるが、私は之等の人々に対して沖縄に於ける取引の状態、産業状態を説明しているが私は左の点はいつも力強く主張しているのである。  /酒類の中で泡盛程完成した酒はない。又泡盛販売業程堅実な商売は他の酒類業にはない /と云ふことである。外の酒は日時がたてば腐敗する、従って販売上にも思惑が生じ投機が行はるるのであるが、泡盛は決してそんなことはない。第一品が完成品であるためいつまでも経っても品がわるくなると云ふことがない従って思惑も入らねば投機も入らぬのである。泡盛業の堅実なる所以も実に茲に存するのである。

尚私は事業と云ふものは信念を持って実質本位で行く時は必ず永久性のあると云ふ事を信じている、私は泡盛は酒類の王座であると云ふ事を科学的に立派に説明し得る自負心を持っているので、堂々と初一念を貫徹して来たのであるが、今後もこの業界に邁進し、琉球泡盛の聲価発揚に尽力するの覚悟である。之が亦琉球泡盛業者の生命線を確保する所以である。(写真は平敷氏)

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1936年11月 嘆願書○泡盛専売実地セラルルニ当リ東京府、近県、東北各県並北海道ニ至ル地方ヘノ配給ヲ円滑ニ遂行シ萬遺漏ナキヲ期スル上ニ於テハ是非配給機関ヲ当東京市ニ設置スル必要之有ト存セラレ候   右ニ関シ沖縄県酒造組合聨合会並ニ沖縄酒造組合ニ対シ別紙ノ通リ開陳仕リ候ニ付泡盛元売捌東京支所設置方ノ御指定ハ左記八名ニ御下命仰キ度茲ニ謹テ連署此段奉請願候也 
                          東京市本所区千歳町三丁目三番地ノ十九 平敷安用 他七名 
大蔵省専売局長官 荒井誠一郎殿                                     


氏集□金氏平敷里之子ー元祖金國鼎具志頭親方能安四世金朝榮津嘉山親雲上安春支流次男諱榜第津嘉山里之子親雲上安齊□平敷安常さまー金氏平敷家の家譜の写本とかは残っていませんでしょうか。何かあれば那覇市歴史博物館(〒900-0015那覇市久茂地1-1-1パレットくもじ4階 ℡098-869-5266 FAⅩ098-869-5267)に連絡をください。那覇市歴史博物館は沖縄中の家譜を収集中です。


11月18日ー平敷安常□初めまして。琉文21;東京の泡盛②に記載されている本所区の泡盛商である平敷安用の孫で、平敷安常と申します。祖父安用が書いた小文が引用されております。祖父安用一家は東京の空襲で焼け出されたあと、熊本に疎開、戦後は、駄菓子の卸商等をしておりました。長男安彦は、戦後すぐに、若く病死しましたが、孫たち4名は健在です。小生は米国ABCニュースのカメラマンとして2006年まで勤め、現在米国ニュージャージー州に住み、2008年に回想録『キャパになれなかったカメラマン」を出版しました。貴紙のブログで祖父の文章の一部と広告の写真を見つけ、懐かしく、全文を読みたいとメイルでお願いする次第です。「琉文21」のような、地味でも優れた企画を続けられるご苦労に深く敬意を表します。

11月20日ー沖縄県立図書館で「平敷安常」を検索、すべて講談社発行で『アイウィットネス時代を目撃したカメラマン』(2013年6月)、『キャパになれなかったカメラマン ベトナム戦争の語り部たち』上下(2008年9月)の3冊があった。『アイウィットネス時代を目撃したカメラマン』は借りて、後の方は文庫に入っているのでジュンク堂で買った。前の著で、著者の母親である良子さんの実家が馬氏小禄家であること、同時多発テロで瓦解したツインタワーを設計したミノル・ヤマサキ(山崎實)の妻・輝子が、著者の祖父安用の従兄弟・安興の長女で、その長男のタロー・ヤマサキは報道写真家で1981年、フィーチャー部門でビュリッツアー賞を受賞していることがわかる。

平敷安興
□1981年11月 北米沖縄クラブ『北米沖縄人史』若夏社□ロサンゼルス近郊における沖縄系の事業ー平敷安興(首里出身)・太田蒲戸(与那城出身)1914年、平敷安興はロサンゼルス第六街市場で「スタープロデゥース」という農産商会を始む。1916年、平敷は白人仲買商マイヤーダ―リングの日本人主任として勤めていた太田蒲戸を共同者として迎えた。その後、奥武朝道、比嘉常知、松田勇吉らも共同者に加わる。平敷が正直者で、世人の人望の高かったことをある人はウタで「仲買ひを盗人と呼ぶ世の中の 闇夜に光る暗(アン)光の君」。その後1918年、共同者の奥武、比嘉、松田の3名は、共同者の権限を太田、平敷にゆずる。全盛期には約20名ほどの雇用人がいて、遠くはインペリアル・バーリー、サンディエーゴ、ランポーク、近くはロサンゼルス郊外の日本人農家を対象に、果物ならびに野菜の委託販売を始めた。1941年12月7日、日本のパ-ルハーバー空襲で日米戦となり、店を閉鎖。明けて42年、西部沿岸の日系人と共に収容所へ立ち退き、この時点で平敷、太田両氏の事業は終止。その後両氏は相次いで他界。/北米沖縄系人のプロフィールー平敷安興は1876(明治9)年4月10日に沖縄県首里で出生、中学校を卒業するや留学生として1903年渡米する。サンフランシスコに上陸、その地でしばらくセント・フランシス・ホテルでベイカーとして働く。クックとしての腕も上々で、沖縄県人として彼の右に出る者がなかった。(略)彼には2男2女がある。長女テル子は南加大学の音楽科を優秀な成績で卒業し、ニューヨークでピアノを教授していたが、その時、ヤマサキ・ミノル氏と知り合い結婚し、3名の子供の親となった。次女アキはロサンゼルス加州大学(UCLA)在学中に立ち退きにあい、ニューヨークに移り、コロンビヤ大学に学ぶ。彼女は小児科専門の山崎ゼイムス医師と1949年に結婚、家庭には3名の子供がある。長男ジョージは1923年に生まれたが不幸にして1924年に他界した。次男ゼイムスはサンタ・アナに本店を持ってプラスチック・ドレイプリーのビジネスをして繁盛している。/平敷俊子(旧姓トミナガ)ー首里で出生、沖縄県立第一高等女学校を卒業。平敷安興と結婚。


11月22日ー平敷安常□琉文21編集者様;
早速のお手配で、祖父平敷安用が書いた泡盛商としての感想文、全文を読むことが出来ました。若き頃の写真も添えつけていただき、そのお心遣いに感謝いたします。生れて初めて祖父の文章を読む機会があり、こんな形で祖父の一面を知ることが出来感動しております。まずは方々に散らばっている平敷の親戚たちにこのことを知らせます。
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ーなちかしや沖縄戦さ場になとて 世間おまん人(ちゅ)ぬ流す泪ー
この本を祖国日本と沖縄の同胞に捧ぐ
写真ー米軍家族住宅(ずけらん)/日本復帰活動の帰省学生の宣伝隊/これが今なお各地にある小学校校舎である。/第一号線軍用道路/平和を訴える琉球大学生、これがいわゆる琉大事件の発端となった/踏みにじられた稲田に乱立する鉄塔、農民達の訴えをよそに/琉球列島米国民政府長官オグデン少将と握手する琉球政府比嘉任命主席/見るかげもなく破壊された首里高校(旧沖縄一中)/無残にも破壊されたままになっている旧那覇市の廃墟。前方に見える鳥居は波の上神社跡。

悲憤の島オキナワの記録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中野好夫
○あらゆる意味において、オキナワは日本の縮図だとは、オキナワから帰ったすべての人の口から、わたしの直接聞いた言葉である。物質的生活の極度の困難から、やむなく精神的荒廃にまで追い込まれてゆく大多数の庶民、それらの犠牲の上にのっかって私腹を肥やす一部少数の追随的権力盲者、利権屋、享楽業者、そしてまた火事場稼ぎ組の渡来日本人、-まさしくこれは日本の縮図でなければならぬ。(略)わたしは本書にあって、一人でも多くの日本人が、悲しみの島オキナワの実情と、その県民の熱望とを、自分たちの問題として知ってくれることを、もう一度あらためて心から祈る。

郷土愛の結晶・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・神山政良・沖縄諸島祖国復帰促進協議会会長
善意の記録として・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・沖縄県学生会
○またこの書の刊行に多大な支援を寄せられた宮城聰、神山政良、比嘉春潮、金城朝永の諸先生に感謝いたします。殊に金城先生には玉稿をいただいてお礼申し上げます。なお、この書の監修に当たられた新日本文学会員の霜多正次兄、同じく当間嗣光兄、それに城間得栄兄に感謝します。殊に当間兄には終始御尽力を煩わしました。
第一部
拳銃におののく村/百鬼夜行/琉球王国を夢みる人たち/ひき殺された二少年/琉球古文化財の行方/帰省学生の日記/沖縄の子供たち/売春の町/沖縄基地図/海なき海人

第二部
土地なき民/労働者と労働組合/ドルとB円経済のからくり/琉球大学事件/日本復帰への道
島の歩み(琉球の歴史と文化)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・金城朝永
あとがき・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・当間嗣光

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1968年11月 東京沖縄県学生会『祖国なき沖縄』太平出版社/1954年6月 沖縄県学生会編『祖國なき沖縄』日月社


1968年11月 東京沖縄県学生会『祖国なき沖縄』太平出版社
○沖縄百万同胞の苦悩の歴史を知るためにー『祖国なき沖縄』の再刊にあたって・・・・・・・中野好夫
○悲憤の島オキナワの記録ー初版序文・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中野好夫
○売春の街ー女中からパンパンへ/悪魔のような仲介人/借金のある女が使いやすい/収入は半分わけ/妻はパンパン/夫は居候/パンパン街を育てるもの

○解題『祖国なき沖縄』以後の14年……………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・新里恵二
○『祖国なき沖縄』の再刊にあたってー初版の監修者として…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・当間嗣光
○即時祖国復帰をたたかいとるためにーあとがきに代えて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東京沖縄県学生会

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Category: 03-所感
Posted by: ryubun02
○11月17日の『琉球新報』に「陸上自衛隊の米軍共同使用急増ー日米軍事一体化進む」とある。、また社会面には「秘密法案の網 市民運動も処罰可能性が浮上」と何でも秘密に指定されると大きく報道されている。新聞雑誌は特に新聞社系は、教科書や防衛利権と同様、官僚の影響下にある。それにひきかえ雑誌系の11月12日『日刊ゲンダイ』は□要するに報道機関だって「ガサ入れ」されるわけだ。すべて捜査機関の胸三寸。サジ加減で何でも決まるということである。戦前の「特高警察」復活は時間の問題だ。これに強い危機感を募らせるのが、外国メディアである。日本外国特派員協会は11日、会長名で<法案は報道の自由および民主主義の根幹を脅かす悪法であり、撤回、または大幅修正を強く求める>と断固反対の姿勢を表明。<報道の自由はもはや憲法で保障された権利ではなく、政府高官が『充分な配慮を示すべき』対象に過ぎないものとなっている><取材において『不適切な方法』を用いてはならないといった、ジャーナリストに対する具体的な警告文まで含まれている>と断じた。米NYタイムズも先月29日(電子版)の社説で、<ジャーナリストに対する最長5年の懲役刑を脅しとして、政府がより不透明になる>と指摘していた。ともに報道機関として極めてまっとうな抗議表明だが、対照的なのは日本のメディアだ。日本新聞協会は「『特定秘密の保護に関する法律案』に対する意見書」と題し、見解を公表している。

しかし、その中身は<報道機関の正当な取材が運用次第では漏洩の『教唆』『そそのかし』と判断され、罪に問われかねないという懸念はなくならない>と腰が引けているのだ。なぜ真正面から「脅しだ」「廃案にしろ」と叫ばないのか。あまりに情けない。政治評論家の森田実氏はこう言う。「新聞、テレビは本格審議の段階になって騒いでいるが、報道機関を標榜するなら、もっと早い段階で反対するべきです。リアクションが遅いし、その主張も社説などでちょろっとアリバイ程度で書くだけ。まったくどうかしている。今の新聞、テレビは完全に政府御用機関と化している。自分たちも体制側だと勘違いしているのです。メディアがこんな体たらくだから、日本は戦前のファッショ帝国にまっしぐら。それを海外メディアは相当、警戒しているのです」大新聞、テレビは報道機関の看板を下ろすべきだ。と報じる。ネット上では秘密法を『国民家畜化計画』とよんでいるのが多い。今後、秘密法をこれで表示する。ネット規制は中国や北朝鮮でも時代遅れ的に行われているが、日本のメディアでは白昼のもとに曝されているのは常識だ。

○雑誌、特に実話系の『週刊実話』しゅうかんじつわ)(日本ジャーナル出版から刊行されている週刊誌。1958年9月に創刊された。いわゆるグラビア・ヌードのある、男性向けゴシップ誌である。暴力団など裏社会の特集が多い事が特徴。『実話時代』、『アサヒ芸能』、『週刊大衆』などと共に「実話誌」のジャンルで括られる事もあるが、実話時代と比べるとやや内容が娯楽重視となっている。→ウィキペディア)の11月21号に「安倍総理が浴びる『一回2億円外遊旅行』」は、10月末にトルコを訪問。2兆円規模の受注にこぎつけて凱旋帰国した安倍総理に、悪評が立ち始めている。(略)『総理の外遊は一回2~3億円かかる』(政治部記者)、多すぎる外遊はストレスで『五輪決定時に見得を切った汚染水問題は加速度的に深刻さを増している。加えて、アベノミクスの第三の矢が定まらない。そのため、多すぎる外遊はそのウサ晴らし』』(政治部記者)と書きたい放題だ。別の誌面には「浄土宗ー東日本大震災で359カ所寺が被災!復興裏で露呈した金満裁判の”不徳”」で、宗教法人は民間会社のように、いくらの収入があって、それをどこに使ったなどのと届け出や公開の義務もないという。ということは秘密法に賛成している公明党も都合の悪いものは秘密に出来る。結構な秘密法ではある。『実話時代』などは、創刊から4半世紀の時を超え、ウラ社会をありのままに伝えるー、と半グレ日本、つまり官僚支配による国民の家畜化が進んでいる今の日本の姿を報じ続けている。何れそれら官僚に対し国民の「倍返し」が始まる。

○今、テレビなどは「徳洲会」報道で秘密法問題を逸らしているが(特にNHk)、前から徳洲会の金権選挙は夙に話題になっていたが何故今頃なのか。其れはさて置き例にに依って岡留氏のブログから□筆者は辺野古新基地建設をホントに必要としているのは米国よりも日本の防衛省であると断じてきた。そうした構図は72年の沖縄返還当時と一緒なのだ。沖縄にとっては防衛官僚こそが最大の障害物ということである。その辺野古新基地建設のための埋め立てに関する県知事の判断時期が迫っているが、日本政府は何が何でも強行移設派である。そのため、政府や自民党本部の沖縄工作が本格化。自民党県連は名護市長選挙の保守系一本化に向けて、組織内部で調整中。知事本人の発言にも「承認する、承認しない以外の道もある」などというブレ発言まで飛び出している。国家権力の機密情報を統制する法案を審議しつつ、沖縄の県民世論を黙殺して、アメとムチで裏工作を仕掛けているのだ。アベ政権の本質は国民と県民に対する明確な背徳行為と断じざるを得ない。
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徳田虎雄 とくだ-とらお
1938- 昭和後期-平成時代の外科医。
昭和13年2月17日生まれ。48年大阪府に徳田病院を開設。年中無休,24時間診療の徳洲会病院の全国展開をはかる。平成2年衆議院議員(当選4回,自由連合)。鹿児島県出身。阪大卒。著作に「生命だけは平等だ」「わが医療革命」など。(→コトバンク)
□2011年3月 青木理『トラオ 徳田虎雄 不随の病院王』小学館

○『しんぶん赤旗』2013年2月25日□首相の動静欄をみると「東京・富ケ谷の私邸」という言葉が出てきます。ところが、15日付で公開された資産には、地元・山口県下関市や長門市の宅地や住宅、山梨県鳴沢村に持つ別荘など12物件の不動産(表参照)が記載されているものの、この東京都渋谷区富ケ谷の高級住宅地にある私邸は含まれていません。登記簿などによると、1140・69平方メートルにおよぶ広大な土地の所有権は、1991年5月に亡くなった父親の安倍晋太郎元外相から同年11月、母親(岸信介元首相の長女)が4分の3、兄が4分の1を相続しています。岸元首相譲りの邸宅は、99年4月に地下1階、地上3階の「富ケ谷ハイム」(総床面積1937・7平方メートル)という大豪邸に建て替えられました。安倍首相夫妻は、同ハイムの「201」(2、3階部分で計498・32平方メートル)に住んでいますが、所有者は母親のため、資産公開では、国民の目に触れないことになっているわけです。首相は、資産公開にあたって、「特に説明を加えることはない」とコメントしています。閣僚の資産公開では、不動産は固定資産税の課税標準額で示され、株式は銘柄と保有株数だけ、預貯金のうち、普通預金が含まれていないなど、資産の実勢を反映しているものとはいえません。表にある貸付金2800万円も、10口もあるゴルフ会員権の価格なども「1億793万円」のなかには入っていません。

特に下村文部科学相は何故か右派安倍総理へのゴマすりか沖縄攻撃に熱心なようだが経歴は。→Wikipedia、1963年、小学3年生の時に父親を交通事故で亡くす。その後、ほぼ自給自足生活の中、母がパートをして3人の子供を育てる。交通遺児育英会の交通遺児奨学生第1期生となり、群馬県立高崎高校に進む。早稲田大学教育学部に入学後、早稲田大学雄弁会に所属した。4年生の時、友人らと共に小学生対象の学習塾「博文館」を開設。1985年東京都議会議員選挙・板橋区に新自由クラブから出馬、落選。4年後の1989年東京都議会議員選挙に民社党・社民連・進歩党推薦の無所属候補として初当選。1993年東京都議会議員選挙に自民党から出馬、当選(2期目)。経歴を見ると政党は色々、人生も色々の節度が無いというかその時々にカメレオンのごとく変色する御仁であるからおそらくは教科書問題も官僚の入れ智恵であろう。

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Category: 01-人物名鑑
Posted by: ryubun02
1938年12月 昭和会館で「星山玄一郎(星雅彦氏の父)貝殻展」

□星山玄一郎(旧名・野口)私は大島郡三方村で1909年に貝採集中アンボイナに刺され一月も病床に呻吟した。1917年に来沖。

□アンボイナガイー強力な毒のため「ハブガイ」と呼ばれる巻貝。イモガイの仲間で、大きさは8cm。銛のようなものを発射して獲物を捕まえる。あやまってこれに刺されるとひどく痛む。種類によっては強力な毒を持つので、水から上げても扱いには注意する。刺された場合は、受傷部より心臓に近い場所をしばり、毒矢を取り除き、毒を吸い出し病院で治療を受ける。(→沖縄大百科事典) □アンボイナガイ【geographer cone】 インドネシアのアンボン島にちなんで名付けられた猛毒で知られるイモガイ科の巻貝(イラスト)。沖縄では猛毒ヘビのハブにちなんでハブガイという。殻は円筒状で薄く,高さ11.5cm,太さ5.5cmになり,10回くらい巻くが低い。殻表には白色の地に褐色の網目模様と3本の褐色帯がある。その上に灰黄色の薄い殻皮をかぶる。殻口も広くて高く,殻口内は帯紫白色。下端の水管溝は広い。軟体は暗褐色で,はうときは水管溝から水管を長くつき出す。 →コトバンク

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02



写真・上原健次

瑠璃色の海恋う漁夫に似てわれも深き青さの肺にみちくる   喜納かつよ

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02

2013年9月 『沖縄の軌跡』第107号<南信州狼煙リレー(3)> 島袋和幸〒124-0011葛飾区四つ木4-18-10

□『南信州新聞』[ 2013年 9月 10日 ]
南信州狼煙リレー 諏訪までの24地点結ぶ 
武田信玄が戦国時代にのろし台を配備したとされる飯田下伊那の地域が連携して行う「南信州狼煙(のろし)リレー」は7日午前、根羽村の杣路(そまじ)峠をスタートに、伊那谷の21地点をリレー点火した。2007年に神之峰でのろしを上げて7年。毎年参加地域は増え続けている。ことしは杣路峠での点火を皮切りに、飯田下伊那南部から北部へと12地点で順次のろしを上げ、中川村の人馬形や高遠城跡など上伊那郡につなげた。8日は諏訪市の3地点で点火された。このうち、同市上久堅地域の神之峰はかがり岩付近でのろしを上げた。ことしは上久堅小学校6年生2人が卒業記念として鎧兜(よろいかぶと)を身にまとい着火。午前9時3分に下條村の極楽峠からののろしを確認すると、同6分、児童2人が準備された点火材のわらに着火。スギが勢いよく燃え、煙が高々と空に上った。2人の児童は「鎧兜はちょっと重かったけど、昔の人の気持ちが体験できた」、「着る機会がない鎧兜で、とてもいい経験になった」と話した。信玄は根羽村の杣路峠から甲府までの間にのろし台を数多く配置して、三河の情報を伝達していたとされ、のろし台のあった飯伊の二十数カ所は強く結びついていたという。リレーイベントは、戦国時代の情報伝達網を通じて地域の密接な関係を再現し、郷土学習を重ねながら今後の地域づくりを考えることがねらい。上久堅のろし研究会の塩沢清吾会長は「参加は広がっているが、焦らず気長に続けたい。将来的には山梨県甲府市までつなげることができれば」と話した。




2012年6月29日『東京新聞』


2013年8月11日『東京新聞』
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北海道札幌市に生まれる。東京の中学を終え、蔵前高専工業図案科入学。療養のため中退。1925年、東京美術学校建築学科卒業。歌舞伎座、都美術館、明治生命ビルの設計者・岡田信一郎①早稲田大学教授に師事して和洋建築の実技を習得。和風建築に興味をもち1929年「国宝保存法」の制定にともない文部省技官となる。国宝、重要文化財の調査、記録、修復を担当。1936年に国宝首里城正殿の解体修理工事を担当、1937年、初めて来沖し仲座久雄らと工事に従事。以後、毎年来沖して国宝、重要美術品の指定申請を提出、約20件が指定される。1945年から18年間ー日光東照宮修復の技師長になったほか、二荒山神社、神王寺や長崎の大浦天主堂、出羽三山の建造物などの修復を手掛けた。1955年、戦災沖縄文化財の実情調査と復興計画案を立てる。1956年、園比屋武御嶽石門設計監督、翌年竣工。1957年、守礼門復元工事の設計工事の設計監督委嘱、翌年竣工。泰子夫人との間に1男1女。

①岡田信一郎 おかだ-しんいちろう
1883-1932 明治-昭和時代前期の建築家。
明治16年11月20日生まれ。大正元年大阪市中之島中央公会堂の設計競技で1等当選。ニコライ堂修復のほか,歌舞伎座,東京府美術館,明治生命ビルなど,おおくの洋式建築を設計した。東京美術学校(現東京芸大)教授。昭和7年4月4日死去。50歳。東京出身。東京帝大卒。→コトバンク


2004年2月 沖縄県立博物館・美術館[企画展] 図録『戦前・戦後の文化財保護 ~仲座久雄の活動をとおして~ |』
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写真右から国吉真哲、亀川正東、森政三、名渡山愛順、仲座久雄

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日光東照宮でー中央に森政三、その右へ仲座久雄、一人置いて又吉眞三


1980年9月15日『琉球新報』

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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
1990年9月 池宮正治『沖縄の遊行芸 チョンダラーとニンブチャー』ひるぎ社
○現在本島中部を中心にもてはやされているエイサー芸能からは想像もできないが、かつては全く念仏歌も多く保存されていたに違いない。『国頭村の今昔』(1970年)には「エイサーのもとのうた」として、若干風化しているが、比較的長い「継母念仏」が紹介されているし、『島尻郡誌』(1937年)にも、「やいさー歌」として、眞和志村(現那覇市)上間では「親の御恩」がうたわれていたし、南風原村の或字では「継母念仏」、真壁村(現糸満市)でh「親の御恩」など、比較的完全な念仏歌がうたわれていた。古くはこうした念仏歌を霊前で歌って供養するシ―リアスなものであったものが、「打ち晴れ」の部分だけが肥大化するにつれて、信仰もうすれ、念仏歌も漸次忘れられるようになったものと思われる。ただエイサーの念仏歌がチョンダラー(ニンブチャー)の影響と直ちに言えるかどうかは疑問で、チョンダラーたちも含めた形で本土の影響を受けたのかも知れない。しかし、また全く無縁であったとも思えない。エイサーの時に出るおどけはどうであろうか。万才系の芸能の名残りかも知れないのだ。またエイサーの時、瓶を棒でかついで各戸から酒をもらい歩くが、これも乞食と言われたニンブチャー(チュンダラー)の影響と見ることもできる。だがこれも古くさかのぼれば、単なる乞食ではなく、もともと念仏者である自分に喜捨させることにより、罪多き衆生を仏縁につなげ、善根をつませる積極的な意味があったと思われる。後にはいよいよ生活の手段として全くの乞食になったであろうが・・・・・。

チョンダラー(ニンブチャー)たちの祖先の念仏僧たちは、信仰の普及という熱意にもえて、幾代幾度にもわたって、海上の危険をおかし、南海の島々に渡来した。そして、彼らの芸能はさまざまな形で地方に伝播し、民衆の精神生活を支え、芸能を豊かにしてきた。王府が保護した、いわば官製の仏教に比べて、未公認の浄土教の、沖縄へ与えた影響はきわめて大きいと言わねばならぬ。



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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
2013年11月3日 パシフィックホテル沖縄「沖縄県功労者表彰式」
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山田實さん写真仲間の面々

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受賞者代表挨拶ー山田實さん「(略)長生きしてもっと頑張らないといけない、という意欲が出てきた・・・」

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術館初代館長)。


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Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02




平良知二文化の杜代表挨拶


安里進3代目館長挨拶


右から安里進館長、宮城竹寅氏、森清範貫主、根立研介氏、町田宗浩氏、平良知二文化の杜代表


右から宮城篤正氏、上江洲均氏、粟国恭子さん




清水寺貫主・森清範師によるご揮毫





2013年11月3日ー末吉麦門冬の孫。石垣米子さん

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Category: 99-未分類
Posted by: ryubun02
○ただ地球上で帝国主義が終わりを告げる時、沖縄人が「にが世」から解放されて「あま世」を楽しみ十分にその個性を生かして、世界の文化に貢献することができる。「地球上で」という以上、この帝国主義はアメリカだけで、日本を含まないと解釈するわけにはいかない。
Category: 04-書の森
Posted by: ryubun02
1974年12月 『青い海』となきあきら「民謡とわたし」
1976年5月  『青い海』となきあきら「遊びの中のわらべうた」
1976年8月  『青い海』となきあきら「喜劇の王様・小那覇舞天を偲ぶ」

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