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Category: 04-書の森
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 2021年11月20日 ジュンク堂那覇店「知名定寛『琉球沖縄仏教史』榕樹書林 出版記念トークイベント」
 〇トーク出演:知名定寛氏、豊見山和幸氏
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2013 真宗ネットワーク・琉球「琉球仏教史講座ー近代琉球の宗教的偉人 仲尾次政隆がのこしたもの」

写真前列左から仲尾次政補、山田實、仲尾次、山田豊、山田有登、その前が山田保、山田昭、山田。後列左が山田實姉の貞子、右が山田實母 1929年10月 山田家の庭で


2013年11月30日13時30分から16時40分 沖縄県立博物館・美術館 講堂「近代琉球の宗教的偉人 仲尾次政隆がのこしたもの」真宗ネットワーク・琉球 
講演・知名定寛「仲尾次政隆」/公演・大工哲弘「仲尾次口説、七月念仏、宮良川節、仲順流れなど」



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講師の神戸女子大学教授・知名定寛氏


2008年5月 知名定寛『琉球仏教史の研究』榕樹書林

写真ー知名定寛氏と榕樹書林・武石和実氏

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末吉安久(1926年『民族』末吉安恭「沖縄の猿の話」)
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 1926年7月8日『沖縄朝日新聞』太田潮東「布哇の其の後」
□ヒロの滞在は悠々保養のつもりであったがヒロ市在留の県人もなを 席の宗教談でも聞きたいという希望があり、ホノムの佛教婦人会からも今一回講演して貰いたいと云う頼みが来たので、これも何かの因縁と思うて快く引き受け、この二席の講演は愈々お名残の講演であるから、多少趣きを加え金儲けと宗教を結びつけて話した。
 ハワイに来て居る人々の多くは何れも金儲けを目的として来たに相違ないが、さて佛教に於いてもキリスト教に於いても、その他の宗教に於いても、教壇から金儲けの話しをすることは余りしないようだ。ところが金と云う奴は実に重宝なもので、誰でもこれが嫌いなものは居ない。佛教の或る開教師がしこたま金をためて帰ったそうだが或る人がそれを難したら、その坊さん平然として曰く「佛と云う字は人偏に弗と云う字じゃないか」この坊さんの如きは寧ろ正直の方で、金に執着がないような顔をして居る宗教家中にも、その実内ふくのものが可なり居るようだ。
 要するに金を得たいというのは万人が万人共通の欲望だ。吾々の前に開けられている広い広い道は、只この欲望を満足する活動の為に開かれたかのように思わるる位いだ。ところがこの広い道には人の目に見えぬ陥穽もあれば深淵もあり所によっては毒蛇も居れば猛獣も居る。世の中には金儲けの上手と言わるる人が随分多いが、これらの人々は畢竟この危険極まる道の案内をよく知って居るのだ。
 陥穽や深淵をよけて通り、毒蛇や猛獣を避け、然も相当に欲望を充たし得るのがマア世渡り上手と言ってよかろう。世渡り上手と云へば一種狡猾なわるがしこい人間のように考えるものが多いようだがこの種の人間はうまく世を渡ろうが、儲け口にありつこうが、それは外面だけのことで内面に於いては常に四苦八苦で少しも満足を得て居ない。
 佛教に自利々他の覚行 云うことがあるが、ここに利と云うのは坊さん達に言わすと物質から離脱した精神的の利に局限されて居るが私はそうは見て居ない。詰まり二方に渉った自利々他である。自らも利し他も利する自利共利の道を求むる所に宗教もあり道徳もあるのだ。宗教家はややもすれば消極的にこの危険を避けようとする。殊に佛教徒中には禁欲を根本本義と考えて居るものが多いが、それは佛教の根本義を知らないからだ。
 これは私独創の見ではない、佛も一切法は観を根本と為すと説かれてある。欲を殺してしまったら活動はないのだ。既に活動がなければこの世界に生命と称すべきもののある筈はない、即ち世界の死滅だ。然もこの欲を充たす道は自らも利し他も利し自他共に利する所に佛教の眞精神は存するのである。危険を避けて安全に通られる世渡りの自道も此の処に開かれているのである。私の信ずる所の佛教はこれであるから私はこの根本義を宣伝したのだ。
 ハワイ各島の中でハワイ島は近来非常に宗教熱が盛んで我が県人を中心とする「真宗深信協会」と称する団体もありその例会の時には三四十哩から出席するのもある。私はかかる状態を見て私が佛教を味わって居たことを多幸と思うた。若し私に佛教の思想がなかったならばハワイ各島の巡講中県人に対するのは兎や角お茶を滑し得たとしても所謂一般講演の場合には聊か困ったらうと思った。


1927年10月13日『沖縄朝日新聞』太田潮東「蘇鉄地獄の食料」

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1934年4月27日ー沖縄郷土研究会(1931年1月発足。真境名安興発起)と沖縄県文化協会(1933年8月発足。太田朝敷会長)が合同、沖縄郷土協会が発足し初代会長に太田朝敷が就任。

東恩納寛惇宛・太田朝敷書簡
□その後はご無沙汰致して居ります。琉球紙の25周年の記念号には広告を通しての社会観を深き興味を以って拝見しましたが今又「離れて観たるその後の沖縄」今朝は只一回しか見ないが物質生活の方面より思想の方面より政治の方面より道徳の方面より種々の形をとって現れた所謂蘇鉄地獄の種々相をえがかれた所一読直ちに「さすがは」と独り叫びました。(略)適者生存の理法は遂にこの士魂を駆逐してしまい物質主義に対しては何らこれを裁制する法則もなく、今日では全く物質的享楽という唯一残された、この思想を最も鮮明に最も適切に見ようとするなら我が沖縄が即ち帝国の縮図です。この縮図の中に一年も生活して居ると夫子自らも矢張り画中の人となり当初の感じは漸次薄らいでくるのです。環境の力の恐ろしさを今更ながら適切に感じます。
□東恩納寛惇宛・太田朝敷書簡
私は近頃本県を見るについて以前とは少しく違った見地から見ています。即ち日本帝国の一地方と云うより寧ろ民族的団体と云う見地です。(日本)国民の頭から民族的差別観念を消してしまうことは吾々に取っては頗る重要な問題だと考えて居ります。
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□1991年1月 伊佐真一編『アール・ブール 人と時代』伊佐牧子
○(略)赤と黒の綱引きは相拮抗しており、それはそれで学問的に大いに議論をすればよいことである。だが、時として世の中にはこうした自由な言論・報道を封じ込めようとする者がいるものである。たとえばその一例、この赤黒論争が新聞紙上や巷間でにぎわっていたころ、沖縄総合事務局開発建設部の村山和義公園調整官から、18名の元委員に宛て、首里城にかかわる発言を統制しようという文書が出されている。その内容は、首里城正殿及び公園に関する出版物の刊行、公演、取材等多岐にわたる「マスコミ等への報道」を「公園調整官を窓口として一本化」するというものであった。これに対して、又吉真三氏と前田氏と前田氏はただちに抗議を行ったが、事の重大さに気づいた当局は6月12日付で、先の文書の廃棄処分するに至った(『琉球新報』1989年7月25日付夕刊)。戦前の大政翼賛会まがいの行為をしたわけであるから当然といえば当然である。(略)

□2009年10月 屋嘉比収『沖縄戦、米軍占領史を学びなおす』世織書房
○(略)高良倉吉氏のそのような直接的な政治的役割にかんしてではない。琉球史研究という学問的意匠による非政治的立場を装いながら、きわめて政治的な役割を果たしている、その<政治性>の問題についてである。それは、党派的な主義主張やイデオロギーなどの「政治性」とは位相」を異にした、関係における認識や解釈などの<政治性>の問題である。


2013年9月13日『琉球新報』仲村顕「眠れる先人たちー大田朝敷」

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1994年9月28日『沖縄タイムス』「熊楠の書庫で『球陽』発見」
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第7回 沖縄県知事杯「チュンジー大会」


沖縄の伝統将棋「チュンジー」大会参加者募集。
嬉しい事に、県知事杯で開催出来ることになりました。
見学も大歓迎です。もちろん、参加も。
詳細は下記の通りです。
是非お越しください。

チュンジーはタマを打つ時の勢いある音も聞き応えがあって面白いです。ベテラン勢の対局は迫力があり、音もスピードもすごいものがあります。
また、初心者から大ベテランまでキャリアも年齢も幅広いですよ。(象棋普及会:島袋百恵)


開催日:2013年12月8日(日)
時 間:開場11:00 開始:11:30
場 所:明倫堂【めいりんどう】(那覇市久米2-30-1)
部 門:一般男性の部(棋力等によりA・Sクラスの別有)、一般女性の部、中高生の部、小学生の部

参加費:無料
申込・問合先:久米同進会 (電話:098-866-5733/住所:那覇市久米2-16-9 2F)
主 催:一般社団法人 久米同進会
後 援:沖縄県、一般社団法人 久米崇聖会
協 力:琉球象棋協会、象棋普及会

※会場には駐車場がございませんので、当日は公共交通機関でお越しください。モノレール「県庁前駅」下車、徒歩約15分

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1977年9月8日『琉球新報』「アシャギー『見直せ麦門冬』と鎌倉氏」

1977年  『国語科通信№36』角川書店□鎌倉芳太郎(重要無形文化財<紅型研究>・玉川大学名誉教授)「首里言葉と那覇言葉ー(略)大正10年といえば、いわゆる大正デモクラシーの興った年で、沖縄でも社会主義運動が起こり、師範学校の教師であった私も、『沖縄タイムス』主筆の末吉麥門冬からマルクスやエンゲルスといったいわゆる赤い本を借りて来て、深夜コッソリ読んで興奮を覚えたりした。それが当時の沖縄の情勢であった。(略)殊に師範学校の教師が内務省の中央集権化の方向に反対するような研究(琉球王国の文化)をやる、そんなことは許されるはずがなかった。ところが、世の中の傾向がデモクラシーの社会運動にゆさぶられている時代であったので、またありがたいことに末吉麦門冬が『沖縄タイムス』でバックアップしてくれたので、私の琉球研究の芽は日一日と育って行った。・・・」

1978-4    『人間国宝シリーズ14 鎌倉芳太郎』講談社

1982-10  鎌倉芳太郎『沖縄文化の遺宝』岩波書店   
             



1998年    『沖縄県立博物館紀要』第24号□外間正幸、萩尾俊章「沖縄県立博物館草創期における文化財収集とその背景」
 ○1、首里博物館の時代  2、日本本土における文化財収集活動ー(1)1958年の文化財収集ー仲原善忠先生と我部政達氏 (2)1959年における文化財収集活動ー森政三氏、神山政良氏、東恩納寛惇先生 (3)1959年~61年の文化財収集ー鎌倉芳太郎先生 


2003-9     浦添市美術館「今甦る80年前の沖縄~鎌倉芳太郎の撮った遺宝・風物~」沖縄テレビ・琉球新報社


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2003-11


2007年3月 沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』第19号/2008年3月『沖縄芸術の科学』第20号




2007年3月 沖縄県立芸術大学附属研究所紀要『沖縄芸術の科学』第19号□粟国恭子「近代沖縄の芸術研究①-末吉安恭(麦門冬)と鎌倉芳太郎」


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2013年11月 来間泰男『グスクと按司ー日本の中世前期と琉球古代』上下 日本経済評論社(〒101-0051 千代田区神田神保町3-2 電話03-3230-1661/FAX03-3265-2993)
○私は、マルクスの資本主義批判の論理と結果に賛同している。だから大学で四〇年間も「経済原論」(マルクス経済学)の講義を担当してきた。その私は、しかし、「その次に社会主義社会が来る」とは考えない。資本主義に未来はないが、社会主義社会というものは、構想どまりで具体像を描き得ないものである。レーニンも、社会主義をめざした革命を主導したものの、社会主義社会を作る出発点にさえ立てなかった。権力を取ってみてはじめて、社会主義という社会、社会主義経済を基礎ににした社会がどのようなものであるか、初めて考えたような節があるのである。
このことは、社会主義の問題に限らない。帝国主義の植民地支配から脱却して、独立を勝ち取った国々も同じ問題に直面した。独立とは権力を取ることであり、政治を自由に運営するものである。植民地支配から脱却したいというのは、当然の要求である。しかし、経済は自由に運営できるものではない。それはマルクスが論証したように「価値法則」によって一人歩きするものである。アダム・スミスの表現では「見えざる手」によって動くということになる。

□著者は本書で沖縄史の時代区分を提案している。~10世紀ー縄文時代(貝塚時代)、11世紀~14世紀ー琉球古代(沖縄古代)、14世紀~16世紀ー琉球中世(琉球王国時代前期)、17世紀~19世紀ー琉球近世(琉球王国時代後期)、、そして沖縄近代(沖縄県時代)、沖縄現代(米軍占領時代、復活沖縄県時代)へと続くというものである。

○おわりにー(略)私は「沖縄史を読み解い」ていて、いくつかの説に疑問を感じて、それぞれにコメントしてきたが、振り返ってみると、安里進に対する疑問が大きな位置を占めていることに気づく。彼がこの時代について多くを語ってきたからでもある。安里はこれをどのように受け止めるのであろうか。「相対立する学説が、学問的な議論を戦わすことは、学問の進歩にとって必要・不可欠のことである。相互批判を通して自他との{自他のー来間}相違点を明確にするとともに、共通の認識を確認し、これを積み上げて学問の発展に貢献することのあるからだ。その意味で、論争は共同作業だと思う」。これは安里が、金武正紀の批判に答えた時の文章の一節である(『地域と文化』第57号、1990年)。安里が今もこの境地に立っていることを切に願う。

安里への批判は、それを容認し、積極的に受け入れてきた高良倉吉らへの批判に通じる。1980年代以降の沖縄史研究をけん引してきた高良は、沖縄の人びとに勇気と希望を与え、その歴史に自信を持たせたといえる。しかし、それは多くの虚構の上に成り立った「歴史」であった。今回もその一端に触れたが、このシリーズの進行に伴って、さらに明らかになっていくことだろう。(略)

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2013年11月19日、本日の地元2紙によると自民党県連は「県外とんでもない」と菅官房長官と石破幹事長に恫喝されたそうである。辺野古を埋め立ててヤンバルの自然を破壊するしか道はないという。国民の側は辺野古阻止へ新訴訟 ジュゴン原告団が米国内で検討している。沖縄県立博物館・美術館に行くと「写真で実感!!沖縄の生物多様性」と題する写真展が開かれていた。沖縄県発行の『生物多様性おきなわ戦略』パンフレットもある。



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1938年12月 昭和会館で「星山玄一郎(星雅彦氏の父)貝殻展」

□星山玄一郎(旧名・野口)私は大島郡三方村で1909年に貝採集中アンボイナに刺され一月も病床に呻吟した。1917年に来沖。

□アンボイナガイー強力な毒のため「ハブガイ」と呼ばれる巻貝。イモガイの仲間で、大きさは8cm。銛のようなものを発射して獲物を捕まえる。あやまってこれに刺されるとひどく痛む。種類によっては強力な毒を持つので、水から上げても扱いには注意する。刺された場合は、受傷部より心臓に近い場所をしばり、毒矢を取り除き、毒を吸い出し病院で治療を受ける。(→沖縄大百科事典) □アンボイナガイ【geographer cone】 インドネシアのアンボン島にちなんで名付けられた猛毒で知られるイモガイ科の巻貝(イラスト)。沖縄では猛毒ヘビのハブにちなんでハブガイという。殻は円筒状で薄く,高さ11.5cm,太さ5.5cmになり,10回くらい巻くが低い。殻表には白色の地に褐色の網目模様と3本の褐色帯がある。その上に灰黄色の薄い殻皮をかぶる。殻口も広くて高く,殻口内は帯紫白色。下端の水管溝は広い。軟体は暗褐色で,はうときは水管溝から水管を長くつき出す。 →コトバンク








2014年8月30日 「星雅彦 詩集『艦砲ぬ喰え残さー』出版記念会」

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写真・上原健次

瑠璃色の海恋う漁夫に似てわれも深き青さの肺にみちくる   喜納かつよ


1966年 『秋山庄太郎作品集』

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1985年4月ごろ。二科会写真部沖縄支部の写真講座講師・秋山庄太郎を囲んで。前列右から2人目が山田實、秋山庄太郎、喜納勝代、林忠彦、新垣典子。後列に津野力男、安里盛昭が居る。

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1990年9月 池宮正治『沖縄の遊行芸 チョンダラーとニンブチャー』ひるぎ社
○現在本島中部を中心にもてはやされているエイサー芸能からは想像もできないが、かつては全く念仏歌も多く保存されていたに違いない。『国頭村の今昔』(1970年)には「エイサーのもとのうた」として、若干風化しているが、比較的長い「継母念仏」が紹介されているし、『島尻郡誌』(1937年)にも、「やいさー歌」として、眞和志村(現那覇市)上間では「親の御恩」がうたわれていたし、南風原村の或字では「継母念仏」、真壁村(現糸満市)でh「親の御恩」など、比較的完全な念仏歌がうたわれていた。古くはこうした念仏歌を霊前で歌って供養するシ―リアスなものであったものが、「打ち晴れ」の部分だけが肥大化するにつれて、信仰もうすれ、念仏歌も漸次忘れられるようになったものと思われる。ただエイサーの念仏歌がチョンダラー(ニンブチャー)の影響と直ちに言えるかどうかは疑問で、チョンダラーたちも含めた形で本土の影響を受けたのかも知れない。しかし、また全く無縁であったとも思えない。エイサーの時に出るおどけはどうであろうか。万才系の芸能の名残りかも知れないのだ。またエイサーの時、瓶を棒でかついで各戸から酒をもらい歩くが、これも乞食と言われたニンブチャー(チュンダラー)の影響と見ることもできる。だがこれも古くさかのぼれば、単なる乞食ではなく、もともと念仏者である自分に喜捨させることにより、罪多き衆生を仏縁につなげ、善根をつませる積極的な意味があったと思われる。後にはいよいよ生活の手段として全くの乞食になったであろうが・・・・・。

チョンダラー(ニンブチャー)たちの祖先の念仏僧たちは、信仰の普及という熱意にもえて、幾代幾度にもわたって、海上の危険をおかし、南海の島々に渡来した。そして、彼らの芸能はさまざまな形で地方に伝播し、民衆の精神生活を支え、芸能を豊かにしてきた。王府が保護した、いわば官製の仏教に比べて、未公認の浄土教の、沖縄へ与えた影響はきわめて大きいと言わねばならぬ。



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Posted by: ryubun02
2013年11月3日 パシフィックホテル沖縄「沖縄県功労者表彰式」
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山田實さん写真仲間の面々

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受賞者代表挨拶ー山田實さん「(略)長生きしてもっと頑張らないといけない、という意欲が出てきた・・・」

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術館初代館長)。


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